2012年12月19日水曜日

放射線防護専門誌「放射線テレックス」12月号 2


放射線防護専門誌「放射線テレックス」12月号
フクシマ事故後の日本での乳児の死亡率
Strahlentelex 
Säuglingssterblichkeit in Japan nach Fukushima
アルフレッド・ケルプライン(Alfred Körblein)著

福島第一原発の原子炉事故後、乳児死亡率が日本のデータで2011年の5月と12月、つまり事故から2ヶ月および9ヵ月後に著しいピークを示している。チェルノブイリ事故後、西ドイツの早期乳児死亡率のデータ評価では、1986年の6月と1987年の2月に最高値に達しており、つまり1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原子炉事故から似たような時間をおいて発生していることがわかった。

背景
2011年3月11日に起きた福島第一原発の最悪事故後の健康被害に対する最初の兆候を、乳児死亡率の日本でのデータが示している。1986年4月26日のチェルノブイリ原子炉事故後のドイツでの調査[1]では、1986年6月および1987年始めと年末の早期新生児(生後1週間以内)の死亡率が異常に増加していることが明らかになっていた。1987年2月と11月のこうした最高値は、妊娠女性のセシウム被爆の時間的経過を7ヶ月ずれながらたどったものだ。これは妊娠中の重要な期間における胎児への被害の結果と解釈された[1]。ドイツの結果をもとに日本でもフクシマ後、同じような乳児死亡率の増加が予期できると言える。

データとメソッド
日本の乳児死亡率の月ごとのデータは、日本の厚生労働省のウェブサイトで見ることができる(http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1a.html)が、日本語しかない。他に必要な項目、たとえば乳児の出生数や生後1年以内の死亡件数に関しては、日本の友人である福本栄雄氏から得た。比較に使用したドイツの早期死亡率の1980年から1993年までの月ごとのデータは、ヴィースバーデンにある連邦統計庁から得た。

この調査には、2002年1月から2011年3月までの期間の乳児死亡率の月ごとのデータを季節的変動(いわゆる季節パターン)を考慮した上で、ロジスティック回帰分析した。2011年4月から2012年5月までのデータの経過は、フクシマ事故データの外挿的傾向と比較した。調査対象時期全体(2002年1月から2012年5月まで)に対しデータ評価を行ったが、2011年4月以降の乳児死亡率の増加の可能性は、ダミー変数で査定された。


図1:日本の月ごとの乳児死亡率と
 2002年1月から2011年3月までの回帰結果
縦の線は2011年3月の福島原子炉事故の時期を指す。

図2:日本における乳児死亡率(月ごと)数値の
   傾向からの逸脱(標準化残差単位において)
点線は2つの標準化残差の範囲を示す。
図3:西ドイツにおける早期乳児死亡率(生後0〜6日)と傾向線
縦の線は1986年4月末のチェルノブイリ原子炉事故の時点を示す。
図4:西ドイツにおける早期乳児死亡率(月ごと)
数値の1980年から1993年の間の傾向からの逸脱
(標準化残差単位において)
横の点線は2つの標準化残差の範囲を示す。

図5:日本における月々の出生数の予測値からの逸脱(標準化残差)
横の点線は予測範囲95%の限界を示す。2011年12月と
(しかし2011年11月ではない)そして2012年1月に出生数が
著しく減少している。


図6:南バイエルン地方における月々の出生数の
予測値からの逸脱(標準化残差)
1987年2月に著しい出生数の減少が見られる。



結果

回帰モデルで2011年3月までのデータをうまく調整することができた(デビアンス=86.0、df=98)。図1に示すのが乳児死亡率の時間的経過と長期的傾向である。フクシマ事故後、2011年5月と12月に乳児死亡率が著しいピークをみせている。

図2は、乳児死亡率がどれだけ傾向から逸脱しているかを示している。点線が示すのは、2つの標準化残差の範囲であり、データポイントの95%がここにあるのが通常である。

2011年4月から2012年5月までの期間、2011年4月前のデータの外挿的傾向に比べ死亡率を高めるテストでは、4.0%の増加が見られた(P=0.100)。

日本の結果を、1980年から1993年までの西ドイツの早期乳児死亡率の月ごとのデータの経過と比較した(図3参照)。図4はまた、早期乳児の死亡率の長期的傾向からの逸脱を示している。増加が目に付いたのは、1986年6月と1987年2月、そして1987年11月である。

1987年2月と11月にドイツのデータが最高値を示したのは、妊婦のセシウム被爆を通じて、胎児が放射線被害を受けたためと説明できる。1987年11月のピークは、1986年から87年にかけての冬に放射線汚染されていた牛乳を摂取したためと説明できる。冬の間、初夏に収穫された放射線に汚染された牧草がサイロ貯蔵され、それが乳牛に与えられたからである。1987年2月のピークは日本のデータにおける2011年12月の増加に相当する。原子炉事故からの時間的間隔が、両方のケースでほとんど同じだからだ。

フクシマ事故から2ヵ月後の2011年5月における日本のデータのピークに対しては、筆者には放射線生物的に説明することができない。しかし、ドイツでも1986年6月、つまり1986年4月26日のチェルノブイリ事故から2ヵ月後、乳児死亡率のピークが起きていることから、ここでも放射線が原因である可能性が高い。


出生率の後退
また興味深いのは、日本で2011年の12月に出生数の著しい後退が見えることである(マイナス4.7%、P=0.007、図5を参照)。福島県での出生数の減少がことに激しい(マイナス15.4%、P=0.0001)。その前の月(2011年11月)とその翌月(2012年1月)では異常は見えない。

似たような効果がチェルノブイリ事故後にバイエルン地方でもあった。1987年2月、原子炉事故から9ヵ月後に、出生数が予測値と比べ8.7%も下がった。この出生数の後退は、日本と同じようにひと月だけに限られている(1987年2月)。1987年の1月と3月にはここでもなにも異常な数値は見えない。セシウムの土壌汚染度が北バイエルンよりずっと高かった南バイエルンでは、出生数減少の度合いが北バイエルン(マイナス5.0%、P=0.162)より著しかった(マイナス11.5%、P=0.001、図6を参照)。出生率後退は、受胎後数日間における放射線による卵細胞の損失が原因と考えられる。

2012年12月13日木曜日

放射線防護専門誌「放射線テレックス」12月号


放射線防護専門誌「放射線テレックス」12月号


先日おすと えいゆ氏による「市民測定のすすめ」を掲載したが、ここに放射線防護専門誌である「放射線テレックス」のことが記述されている。チェルノブイリ事故後、子供たちを守るため西ドイツではたくさんの市民グループが独自に市民測定を始めた。その中で、測定活動を行い、食品の測定結果を公表するだけでなく、放射線防護に関する専門的な情報も提供する専門誌として「放射線テレックス」が生まれたが、それは現在でも定期的に発行され続けている。発行人であるトーマス・デアゼー氏は、福島事故後すぐに、日本でも市民が食品の放射能汚染を測定すべきだと、日本の原子力資料情報室などに呼びかけ、測定器購入の資金をドイツでも集めたいと提案し、国や公的機関に頼らぬ市民の測定の重要性を説いてきた。去年の6月から日本でも市民放射能測定所CRMSが設立され、その数はどんどん増えてきた。この11月に、このトーマスさんたちが日本を訪れ、各地をまわってあらゆる市民測定所などと交流してきた。その日本での体験記をまとめたものが、今回の「放射線テレックス」に掲載され、読む機会を得たので、ぜひそれを翻訳したいと思った。
放射線テレックスはかなり長く、A4版で2段組、20ページもある。その中で、まずそのトーマスさんたちの日本体験記を訳した。追って、日本各地の汚染ごみ焼却の問題、それから早期新生児(出生後7日未満)の死亡率が福島事故後に増加していることに関する統計的な立証分析結果などを翻訳していくつもりだ。また、日本ではあまり知られることのなかった、日本のプリピャチともいえる双葉町の町長井戸川克隆氏が国連人権委員会でこの11月に呼びかけを行ったときの彼の演説内容が全部翻訳されて掲載されている。これに関しては、その呼びかけの動画、また文字起こしが読めるサイトを見つけたので、そのリンクを載せる。(ゆう)

放射線テレックス(放射能、放射線と健康に関する独立した情報サービス)
2012年12月6日発行(622-623号) www.strahlentelex.de

フクシマその後
Durchhalteparolen und falsche Strahlenmessungen

「がんばれ」スローガンに偽りの放射線測定
福島第一原発事故から1年半経った日本での印象
Annette Hack, Thomas Dersee著(アネッテ・ハック、トーマス・デアゼー)
本文のPDFファイルはこちら:http://www.strahlentelex.de/Stx_12_622-623_S01-09.pdf

日本の東北地方にある福島県を今訪れると、国際放射線防護委員会(ICRP)、国際原子力機関(IAEA)、経済協力開発機構(OECD)、国連(UNO)の高低さまざまな地位の人間に遭遇するのを避けることはできない。それに、あらゆる日本や海外の大学から学者がそれぞれ違った動機でこの地域に入っている。

2011年3月、大地震の結果、太平洋沿岸に建っている福島第一原発が制御できなくなり爆発した。これによりいわゆるメルトダウンが起こり、大量の放射性物質が撒き散らされた。

「今は事故を起こした原発周辺に住む400万人の人々の状態を心配する学者がたくさんいるが、それはその人たちを助けることにはならない、なぜならこの人たちが知りたいのは、どうやってこれから自分たちを守っていけばいいのか、だからである」。これは、2012年の「核のない未来賞」受賞者である医師、振津かつみ氏が2012年11月13日に福島市で「子供を守る会」の女性・母親たちを前に講演し、現在の状況を語った言葉だ。彼女は、フクシマではチェルノブイリの10倍の住民が被害を受けたと考えている。

状況は今でも不透明だ。1986年のチェルノブイリ原発事故と違い、福島第一の原子炉の状態はいまだに安定していない。それに加え、使用済み燃料を入れた巨大な燃料プールが事故で破壊された原子炉の上に、ダモクレスの剣のように宙吊りになっていて、次に大地震が起きれば崩壊するかもしれない、そうなればこれまでよりもっと最悪な事態が待っている、という危険性を持っている。この事故現場からは今でも放射能が環境に流出している。そしてこれは、地図でカラーに塗られた場所だけにあるのではなく、日本中にある。「今の日本でも、チェルノブイリのときと同じように行動する以外、手はありません」と振津氏は説明する。技術が進んだ今は当時のチェルノブイリよりもっといろいろなことが可能だと思っている日本人がたくさんいるが、それは間違いだ、ということを。土を削り取り洗浄する以外、なんにもできることはないのだ。そしてそれだって皆、自分たちでしたのです、そのために自衛隊が来て、やってくれたわけではないのです、と。

国際放射線防護委員会(ICRP)の催し:放射能と学校教育

元アレバ社、今はICRPにいるジャック・ロシャール指導の下、ICRPは2012年11月10日に伊達市の市役所で、学校教育における放射能をテーマに公開セミナーが催された。伊達市の西側は福島市に面している。伊達市に小国(おぐに)という町があるが、こののどかな田舎町に降り注いだフォールアウトの線量はきわめて高いものがあり、20キロ圏内の警戒地区のようだ。強制避難はされなかったが、小さい子供のいる親たちは別の町へ移っていった。そして子供たちが今またスクールバスで小国小学校へと通っている。子供たちは線量計を首からかけ、毎日外で30分運動することを許されている。彼らが外で運動している時は、線量計はロッカーに入っている、と報告を受けた。

市役所には学校の校長、文科省代表、大学教授、各種団体の役員、そしてヨーロッパ、カナダ、アメリカから来たICRPやOECDの原子力機関のメンバー、フランスの放射線防護原子力安全研究所(IRSN)から7人が現れた。どうやらフランスは日本の「過ち」から学習したいらしい。というのも、次の原子炉事故はヨーロッパ、それもことにフランスで起こるのではないかと怖れられているからだ。ドイツからはOECDのミヒャエル・ジーマンが来ていた。数十人の人が聴衆としてきていたが、講演者の数よりずっと少ない。

ある学校の女性の校長が報告するに、生徒の親たちと教師で自分の学校を除染したから、彼女の学校で線量を測定すれば、「ほんの数ミリシーベルトしかない」という。すると彼女の横に座っていた男性が彼女の耳元になにかを囁くのが見え、校長先生は照れくさそうに笑いながら間違いを訂正した。「もちろんマイクロシーベルトの間違いです。」

新福島農協の代表者が、測定結果を紹介した。130分間ゲルマニウム検出器で測定したが、「ほとんどなにも」見つからなかった、という。消費者は、ことに東京の人たちは福島産の製品を避けている、と彼は語る。彼らのトレードマークとも言える名前は大損害を蒙った、と。それに、2012年4月に1キロ当たりの基準値を100ベクレルに下げたが、これは農業にとってかなりの負担だ、という。

そのあとにはマーケティング専門家が出てきて、ツイッターを利用して小規模の店や最終消費者を「啓蒙」する方法を説明した。大きいデパートやスーパーは全然問題ないんです、と。

もうこれで十分、と私たちは会場から立ち去った。「福島産のおいしいりんごや柿を食べさせるため」ICRPの代表自ら、自分の家族を連れてきている横で、「ほんのわずかな」マイクロシーベルトやベクレルが長期にわたってどれだけの損傷をもたらすか、公職についている人たちや団体の役員たちにどうやって説明したものだろう?

似たようなプロパガンダの催しが、今度はIAEAの企画で郡山市で行われることになっている。市民運動家たちはすでに、反対運動を起こすため動員を始めている。

図書紹介『福島原発事故と女たち』


『福島原発事故と女たち──出会いをつなぐ』
近藤和子/大橋由香子編 梨の木舎刊 1600円+税

日本列島は火山国だし、海のなかに移動させられた島国で、 災害の起こる頻度が高い。そこで重要なのがその時々の記録 だ。災害の様相は毎度違う顔を見せるだろう。しかし学ぶ教 科書は記録しかない。だからこんどのような大災害のあとに は、たくさんの記録を残して欲しいものだ。似たようなもの がいくらあっても過ぎるということはないと思う。今は電脳 時代で、情報伝達にどれだけ威力を発揮したことか。しかし 時間の壁を突き抜けて後の人びとに届くのは案外書物ではな いかと思う。この書も貴重な証言集のひとつだ。 

一人一人の体験を辿りながら、「自分だったら、この場合に どうしたろう」という問いを己に始終かけつづけた。逃げる のか、逃げないのか。子どものことをどう考えるのか。親を どうするのか。犬をどうするのか。どこに行けるのか。いつ までなのか……。際限なく答えの出ない疑問が湧く。そうし ているうちに、地震や津波はほんとに怖い、人の力や智慧では到底かなわない。だけどもっと怖いのは「原発事故」でこれは別格の災害だ。チェルノブイリ事故以外に、学ぶ教科書もない、目に見えない放射能に、期限もわからず追われるだけという事実にうちひしがれる思いがした。だから、辛くとも、答えがなくとも、一人一人の体験を書いておいてほしいと、重ねて思った。そして、それが逃げる教科書として役に立つのではなく、二度と同じことが起こらないようにするために、「原発 全廃炉」を実現しなければならないし、そのための教科書になってほしいと切実に願う。 

読み進むと、編者の二人の文章が出てくる。大橋由香子さんの指摘の数々にはううん、と考えこまされて、マイッタ。普段は誤魔化してやりすごしている卑怯な自分の姿勢を、背 中からドンッと叩かれたように感じた。特に「障害者」という言葉の持つ暴力性。放射の影響で「障害」をもつ子どもがうまれたらどうしよう! 私はおヨメにゆけないの? 赤 ちゃんを産んではいけないの? 現在「障害者」と呼ばれている人は「ダメ」なの? ほんとに辛くて、何度も本から目を逸らして考えこんでしまった。 

カギカッコつきの「オンナたち」が反原発で大きな行動をしていることは確かだ。そのことをフェミニズムの観点から見ると、いつのまにか、「オンナ」の役割みたいな括られ方が見えてくる。お母さんが子どもを守る役で逃げている。離婚が増えている。もうさまざまな問題が浮き上がってきて、自分が今まで曖昧にしてきたことに照明があてられてしまった。フクシマの事故が示したのは、「原発」の存在を許してはならない、だけでなく、自分の意識のご都合主義的な部分を許してはならないと教えられた。 

一方で、近藤和子さんの「オンナたち」のパワーへの言及、過去の数値入りには励まされるものがある。みんなよくやってきているのだ。寒くなったけれど、やっぱりデモにでかけなくちゃ。
(凉) 
反「改憲」運動通信 第8期13号(2012年12月5日発行、通巻181号)

2012年11月21日水曜日

原子力ロビーが作成したWHOの鑑定書


原子力ロビーが作成した世界保健機関(WHO)の鑑定書
Atomlobby verfasst WHO-Gutachten

「恐ろしい過小評価だ」という声はWHOを厳しく糾弾する医師グループのたくさんの批判の一つに過ぎない。WHOが作成したフクシマの報告書は独立性もなく、科学的でもない、と彼らは語る。 Andreas Zumach報告

2012年11月6日TAZ紙
原文はこちら:http://www.taz.de/Fukushima-Folgen-heruntergespielt/!104996/

ジュネーブ:世界保健機関(WHO)の福島原発事故の被害の調査レポートは、表向きとは違ってどうやらまったく独立性がないらしい。この結論に達したのは、核・原発に反対する医師たちのグループIPPNW(核戦争防止国際医師会議)による分析だ。

それどころか、WHOの報告書作成に携わった30名の著者はいずれも、原発エネルギー促進側であるウィーンの国際原子力機関(IAEO)か、または政府付属機関である原子力委員会や放射線防護関係の官庁に勤めている人たちであることがわかった。ドイツからは連邦放射線防護庁のFlorian GeringとBrigitte Gerichがこの報告書作成に加わっている。

日本国民の放射線被害に関する「一時的な被爆量評価」は、その詳細な分析が非科学的なものであり、恐ろしい過小評価である、とこの医師団体は非難する。IPPNWはまた、「WHOはフクシマの原発事故の健康被害に関する医学的調査を大幅に拡大すべきだ」と要求する手紙をWHOの事務局長マーガレット・チャン博士宛に送った。(訳注:この手紙の和訳は次のリンクで見られます: http://www.fukushima-disaster.de/fileadmin/user_upload/pdf/japanisch/who_letter_chan2012_japanisch.pdf

この手紙の中で医師たちは、「独立した放射線疫学調査と、原発事故によりさまざまな原因から1ミリシーベルト以上の被爆をしたと予想される人々を包括する記録を即刻に作成すること」を要請している。

甲状腺がんの予防なし
それに対しWHOは報告書の中で、日本の官庁が測定した1~50ミリシーベルトという被爆量を「微量」とよんでいる。これらの値は危険だと認められる限界値を下回っている、というのだ。IPPNWの派遣団は8月末に福島県を訪れたが、彼らは1時間あたり最高43ミリシーベルトまでの放射線量を測定した。被害のあった地域では甲状腺がんを予防するためのヨウ素剤も配布されなかった。

IPPNWはWHOに対し、将来の検査を「子供たちの甲状腺スクリーニングにだけに限定」しないことも要請している。それだけでなく、1986年のチェルノブイリ事故後に見られたように、奇形児の出生、死産、流産、その他発生し得る疫病に対しても調査を行うべきである、と。

公表されたものよりも黙殺されたものの方が多い
デュッセルドルフ大学病院の小児科医Axel Rosen氏によるWHO報告書のIPPNW分析では、こう書かれている。「フクシマの原発事故による放射線放出量、被爆量評価、考えられ得る健康被害に関し、これだけ明らかな情報がありながら、WHOの報告書は実際に公表しているものより黙殺しているものの方がはるかに多い」と。

専門家委員会が述べている想定の中には、「疑わしいか、あるいははっきりいってまったく間違っている」ものも少なくないという。この報告書は「フクシマの悲劇の結果をなるべく過少に評価しようとする試みであるかのように読むことができ、市民たちの放射線被爆を確定しようという真剣で科学的調査だとはとても思えない」と彼は語る。

いい人生とはなにか?


いい人生とはなにか? 

いい人生とはなにか? 私もそれを聞きたい。そしてみんなが「自分にとっていい人生とはなにか」考えてほしい。どういうふうに生きたいか? どんなふうに子供たちに育ってほしいか? そういうふうに考える時間を多く持つことによって、リベラルな経済的な考えなどまったく馬鹿げた、非人間的なものであることを自覚するようになれば、少しはましになるのではないか? それとも、そういう私もナイーブなのだろうか? でも、こうした「ナイーブ」な問いかけを、ハーバードの先生もし続け、しかも信奉者が多いということなので、少し安心した。ことに、私がこの記事を読んで感心したのは、「練習と慣れ」の点だ。正義や民主主義も「練習」を積み、慣れていかなければできるようにならない、というのは、まさにそうだ!と思う。それで、この記事を訳した。(ゆう)

いい人生とはなにか?
Was ist ein gutes Leben?
資本主義批判
金がすべてではない。哲学者マイケル・サンデル(Michael Sandel)の新著は、資本主義にモラルによる限界を設定しようと試みる。ハーバードで彼にインタビューした。
エリザベート・フォン・タッデン(Elisabeth von Thadden)報告

ツァイト紙2012年10月25日付

彼は千切れた入場券をまだもっている。ミネソタ・トゥインズがドッジャーズと戦った7度目の野球の試合で、当時12歳だった彼はお父さんの横に座り、ドッジャーズのピッチャー、サンディー・クーファックスがトゥインズを破り、優勝杯を手に入れるのをがっかりして眺めていた。それは1965年のことで、入場券は当時、たった8ドルしかしなかった。今ではトゥインズの試合だと72ドルはする。それも、当時はまだなかったスカイボックスの桟敷席と比べたら、まだ安い方だ。今は金持ちと貧乏人の席は天と地くらいに離れている。そしてミネソタ・トゥインズの花形選手は年間2300万ドル稼ぐ。80年代前半からネオリベラルな数十年を経て、野性剥き出しの市場は、ミネアポリスのこの少年の情熱そのものであったスポーツもまんまと征服した。そのかつての少年が現在、人間を二極に分ける金がもつ力の話を語る。マイケル・サンデルである。

サンデルはとっくに「グラウンド」を替え、今ではハーバード大学で哲学を教えている。彼の正義に関する講義はとても有名で、数年前から世界中の哲学者の中で霊媒能力のあるスーパースターのような扱いを受けている。政治学者たちの部屋があるクネイフェル・ビルの4階で彼はジャケットを脱いで座っているが、決してだからといって貧相には映らない。サンデルはマスコミとの応対に慣れていることを顔に出さない。この日は、窓の外でも伝説的なインディアン・サマーの輝きは灰色の雨を駆逐することはない。サンデルはそこで、アメリカが遅まきながら、どう自分自身を理解するか、という論争をなぜ始めなければいけないか、説明している。

2012年11月19日月曜日

回答ばかりでなく責任ある行動を


回答ばかりでなく責任ある行動を
学術専門家・研究者にもっと持続性に対し意欲を燃やすようにとの批判が増えている。科学年では、さまざまな意見が対立した(ドイツの連邦教育・研究省が2000年来テーマを決めて、学術専門家・研究者と一般の交流を深めるため催す企画。2012年のテーマは「未来プロジェクト・地球」だった)。Christiane  Grefe報告
ツァイト紙2012年10月25日付
Verantworten statt antworten

タイトルはちょっとした言葉の遊びとなっている。Antwortenという動詞は「答える、回答する」で、それに「Ver」という前つづりをつけると、Verantwortenという「責任を負う」「責任をもって行動する」という動詞になる。要するに、ああいえばこういう、というごまかしの答えばかりして人を煙に巻かず、しっかり責任を取れよ!ということで、それは日本のいわゆる「その道の専門家」諸君に言いたいことではないか。持続性、という言葉が言い出されてから久しいが、(地球上で一握りの)人間は、過去数十年の間に、自然環境を猛スピードで荒廃させ、毒を撒き散らし、生命を脅かし、遺伝子まで組み替え、はては細かい網の目を駆使した複雑なシステムを世界中に張りめぐらせて甘い汁を吸い、その他の(99%?)人間たちはそこから身動き取れずに数十年のあらゆる「毒」の後遺症に喘いでいる、というのが実際の姿だ。先日、フランスとドイツの共同テレビ番組ARTEで報道された番組を見たが、それは世界中でその「毒撒き散らし」システムに対抗し、地道に、しかし確実に、しかも成功しながら真の「持続性」を実践している人たちの紹介だった。ここでは日本の「提携」システムが画期的な方法として、世界でもどんどん真似され始めていると、紹介されていた。原発は「トイレのないマンション」と呼ばれることになっているが、私はこの表現が好きではない。トイレがなくては困るのは確かだが、ほんとうに私たちが出す糞尿だけなら、生分解性だし、何にも残らないだけでなく、むしろバイオガスにも、肥やしにもなりうる。原発の出す猛毒をそんなものと比較してはいけないではないか。原発は「反持続性」の一番トップに来るものだ。しかし、人間・動物・自然環境を脅かしているのは、残念ながらそれだけではない。人間らしい、地に足のついた自然に優しい営みを取り戻していくために、やらなければいけないことは途方もなく大きい。それは、私たちがここ数十年やってきたことの大きなツケだ。個人が、自分のできることから始めていくしかない。「安価」を求め、「目先のこと」しか考えないのはもはや、無責任以上の大きな「罪」なことであり、さらに大きな、取り返しのつかないツケを次の世代に回していくことだと自覚しなければいけない。持続性に関しては、私たちもあまりに「便利」な生活に浸っていて、気づかずにおろそかにしていることがたくさんある。それで、どんなことがいわゆる学者たち、学会への批判として取り上げられているか知るために、この記事を訳すことにした。ここで取り上げられて3つの批判は、日本にもそのまま当てはまる。経済界からの大学への資金の流れをどうにか変革しなければ、いつまでたっても学界は経済の言いなりでいわゆる「御用学者」ばかりを生むことになる。変えていかなければいけないことばかりだが、それも今までの「ツケ」というわけだろう。(ゆう)
本文はこちら:http://www.zeit.de/2012/44/Nachhaltigkeit-Zukunftsprojekt-Erde-Wissenschaftsjahr

ウィリアム・クラークはある「出世」の記録を見せた。過去30年の間に学術文献の中で「持続性」というテーマがどれだけなじみ、使用されてきたかを、パワーポイントの急上昇の線グラフが、示している。ハーバード大学で持続性科学を専門とする教授である彼は、こう皮肉る。「今に、この言葉はほかのどの単語も追いやってしまうでしょうね!」しかし、この皮肉の言葉が内に秘めているものは、ジョーク以上のものだ。ここには致命的なパラドックスがほのめかされているからである。

金融危機、天然資源の欠乏、気候変動にもう疑問の余地がないことはわかった。未来の世代が、それでも充分に水、裕福な生活、土、教育があてにできるようにするには、生活も経済も決定的に変わらなければいけない。しかし、すると今度は農業担当の政治家が、地元では「持続性」の名のもと、土を大切に扱うことが大切、などと述べておきながら、同時に、別の大陸を訪れては、何百万ヘクタールもの土地で燃料や家畜のえさ用にモノカルチャーを当然のように要求する。都市で菜園を営む人たちが柵で囲われていない土地で野生の種をいろいろ育てている同じ場所で、経済界の人間が熱心に、数少なく残った最後の土地をコンクリートで固めていく。あらゆる都市の市庁舎、国連会議、企業、大学などでの討論はどうやら、次のことしかもたらさなかったのではないか。「信憑性の問題」である。つまり、持続性とは中身のない空っぽな決まり文句になってしまったのだ。

これは単に政治的配慮が足りないからだけだろうか?それとも、学界も問題の一部なのだろうか?なぜ学者たちにはこうした矛盾が解明できなかったのか?こうした疑問をめぐり、教育研究省主催の科学年「未来プロジェクト・地球」で多数のディスカッションが行われたが、その中で意味のある激論が交わされた。テーマの核心は、昔からある利害対立だ。つまり、社会的責任と学界の自由という対立である。

研究で世界を細かく解体するあまり、相互関連が見えなくなる

活発な議論をもたらしたのは、実は学界の外にいる批判者たちである。これは環境保護団体や教会から、財団法人、労働組合にまで及ぶ。しかしドイツのユネスコ委員会も一緒に議論を戦わせているし、環境研究所、研究所や小さい大学が集まって新しく設立し持続性科学同盟(NaWis)も議論に参加している。彼らは共同で「ベルリン・プラットフォーム」をつくっているのだ。10月末に彼らはまた会合することになっているが、核を成しているテーゼはこうである。「研究と学問は世界をあまりに細かい部分に解体しすぎて、相互関連が見えなくなっている」というものだ。だから農業転換、エネルギー転換、モビリティ変換などに対してこれだけたくさんの提案が出されながら、複雑な現実に対応できないのだ、と。

2012年11月18日日曜日

市民測定のすすめ


「市民測定のすすめ」

おすと えいゆ著

ZDFのドキュメンタリー『フクシマの嘘』を私が東京平和映画祭のためにもう一度訳しなおした時、専門用語のチェックをしていただいた「おすと えいゆ」さんという方がベルリンにいらっしゃいます。私も、ベルリンに住むようになって、この間やっとお会いすることができました。彼はこれまでにも、ポツダム会談が行われ「原爆投下が決定された場所」に広島・長崎広場 をつくる、というプロジェクトをたて、実際に広島、長崎から「被爆石」をポツダムに持ち込み、そこで「原爆の意味を問う」広場を完成させた方です。そのおすとさんは、長いこと東ドイツにお住まいでした。彼は、東ドイツ、西ドイツで、チェルノブイリの事故の後、どんな風に市民が政府が、ではない)自分と子供たちを守るために対処したか、しっかりご覧になったわけですが、今回、フクシマの事故が起きて以来、フクシマでも当時のドイツと同じことが繰り返されていること(政府、東電がはっきりとした 情報を出さない)から、日本でも市民が自分たちの手で自分たちと子供たちを守っていくしかないことを痛感し、当時ドイツで実際に食品の放射線測定をやり、経験を集めたドイツの人たちと一緒に日本の 市民の測定所を応援されています。
その彼が、ドイツで、チェルノブイリの事故の後、どういう風に市民が考え、行動し、自分たちの手で生活を、ことに子供たちを守るべく動いたかを、すばらしいレポートにまとめました。そのリンクをここに記しますので、長いですが、PDFフィルをダウンロードして、ぜひお読みください。彼の洞察は深く、レポートの隅々に彼の真摯で、誠実な人柄が感じられ、今の日本の市民にぜひ読んでいただきたい内容です。
おすとさんから回ってきたメールの一部と共にリンクを記します。

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チェルノブイリ事故後のドイツの状況について小生がまとめたリポートをネット上で公開しましたのでお知らせします。タイトルは『市民測定のすすめ』です。チェルノブイリ事故後のドイツで起こった市民測定の開始から、食品の汚染状況の推移(食品類毎にグラフを入れています。ただし農水産物の汚染で加工食品ではありません)、食品中のストロンチウム90の推移、今も続く森林での汚染状況、食品の汚染(特にキノコ、イノシシの肉 など)、初期段階の健康影響(出生児の男女比の変化、ダウン症の増加。小児細胞芽腫瘍の増加など。ただし、これらはヨウ素131の影響だと見られ、ドイツでのヨウ素摂取量の少なさが原因である可能性もあります)。その他、疫学調査の問題、犠牲者認定の問題、測定値の読み方、市民の自立などについてまとめています。A4で88ページあるので、以下のサイトで目次を入れて各章毎にもダウンロードできるようにしてあります。 



みなさんの参考になれば、その他にも役立てていただければ。リンク、拡散は自由ですが、まずざっとでも目を通してからご判断ください。リンクした場合は一報いただけるとうしれいです。引用は出典を明記していただければ自由です。ただし、掲載されている地図、グラフ、写真(筆者撮影以外の写真)はこういう形でダウンロードできるようにするという条件で使用許可をも らっているので、これらの引用は不可です。

紹介『メディアと原発の不都合な真実』


紹介『メディアと原発の不都合な真実』

上杉隆 著 技術評論社 刊
1380円+税

主に新聞やテレビニュースから情報を得ていると、どうも時代遅れになっていると感じはじめていた。古い人間はパソコンとつきあうのが億劫で、ネットであちこちしているとアッという間に時間が消える……とか。しかし3・11以後、周囲から聞こえてくるフクシマの様子とエダノの記者会見とでは、話の程度が違いすぎることに愕然とした。新聞もテレビもエダノや保安院の言葉そのままで、あれには皆もウンザリした。この原因は「記者クラブ」にあると言われはじめ、そのクラブについてもっと知りたいとこの本を手にした。

上杉さんは著者紹介によると、NHK報道局員や衆議院公設秘書、ニューヨークタイムス東京支社取材記者などを経て、2002年からフリージャーナリストになり、2011年に自由報道協会を設立した、とある。

「記者クラブというものの横並び意識で、誰かが書くまでは書かない。誰かが書いたら一斉に書くという構造があるからなんです。それって、実際にやっていることはカンニングに他ならないんですね。(略)答えを教え合って書く。取材時のメモも見せ合っている。それが『メモ合わせ』なんです。/『記者クラブというのは税金で作り税金で運営している組織なんです。(略)法的根拠を言いなさい』というようなことを言うと、誰も答えられません。なぜなら法的根拠なんてないからです。唯一あるのは昭和33年の大蔵省管財局通達。それが『報道機関に便宜を供与する』と言ってるだけなんです。」

ジャーナリストたちが国家に援護してもらって、排他的な仲良しクラブをつくって、お互いに抜け駆けがないように監視しあい、互助しているなんて、世界中に例をみないことではないか。上杉さんがドイツに行ったとき、「日本はなんでインターネットの情報を社会的に利用しないんだ?」と質問されて、「基本的に日本のマスコミはインターネットはインチキだと最初にいろいろレッテルを貼ってしまったために、そこから脱却できないでいる」と答えている。記者諸君は個人的にはインターネットの情報をたくさん得ているに違いない。ただ記者クラブ情報に依らずに記事を作ってはならない仕組みなのではないか。

「日本では『客観報道』が公正中立でよいとされているけれども、そんなことを言っているジャーナリストは世界でもいません。そんなバカげたことは全くありません。それこそ神でもない限り、客観というのは無理なのです。日本のNHKがやっている『客観・公正・中立』というのは役所から見た報道のことです。」役所の広報係りならそれと名乗ってほしいものだ。一般人が「混乱」しないように、当たり障りのないようにニュース団子をこねている連中はジャーナリストではない。自分たちは大人のつもりで、人びとを子ども扱いにする悪癖は、この国の津々浦々、多方面に及んだ病弊だ。公正な立場なんてないのだから、自力で情報を集め、判断していかなければ。そうすれば、「記者クラブ」に依存している報道機関をもう少しマトモにでき、世界のレベルに追いつけるかもしれない。フクシマ関連の大本営発表への具体的指摘が多々あり、一読を。
(凉)
反「改憲」運動通信 第8期11号(2012年11月7日発行、通巻179号)

2012年10月27日土曜日

福島の魚の放射能汚染は今も変わらず


オンライン・シュピーゲル 2012年10月25日付
日本の原発事故
福島の魚の放射能汚染は今も変わらず
クリストフ・ザイドラー(Christoph Seidler) 著
Reaktorkatastrophe in Japan 
Fukushima-Fische strahlen noch immer


事故の規模を考えれば当然のことで、今更驚くことではないが、海と山の幸で生きてきたはずの日本人が、これだけ「すでにしてしまったこと(起こったこと、ではない、自分が加害者である)、それが原因で今起きていること」に関し、かくも鈍感、いや鈍感以上にどうしてこんなに(知っていて)目をつぶろうとするのかは、どうしてもわからない。日本人は、八百万の神々をあらゆるところに祀って、その怒りを鎮めようと祭りごとを行ったり、豊穣に感謝したりしてきたのではなかったのだっけ? もともと「まつり」という言葉は、「たてまつる」から来ており、神々を奉る祭祀を司るも、政治を司るも、同じ意味ではなかったのだっけ? 政治の政は「まつり」でもある。今の政治家が祀っているのは時には恐ろしい姿も現す、人知、人力及ばぬ偉大な自然ではなくて、「経済」という名の、貪欲で顔なしのお化けになってしまった。(ここでもう一度、宮崎駿の「千と千尋…」をようく思い出してみよう。あの「顔なし」や顔がひん曲がりそうになるほど臭い神の体内から出てきた汚物のことを…)
この記事、また英国「サイエンス」誌などでの報道に関し、梶村太一郎さんがそのブログで詳しく報告していらっしゃるので、そちらもご覧ください。(ゆう)
http://tkajimura.blogspot.de/2012/10/blog-post_26.html



ガイガーカウンター持参で買い物(2011年4月一ノ宮で撮影):
放射能物質は今でも食物連鎖に入り込んでいる。
つい最近も、カリフォルニア沿岸で汚染されたマグロが捕獲されたばかりだ。
放射線量は日本の制限値を下回ってはいたが…


事故のあった福島原発近郊の海でとれる魚の放射能汚染は、1年半前と変わっていないことが、最新の研究調査でわかった。いまだに放射能源が2つもあって、それが海の生物を汚染しているため、汚染値が下がらないのである。

東京 / ハンブルク:セシウム134、セシウム137、ヨウ素131 … フクシマの原発事故直後、科学者たちは事故を起こした原発が隣接する海水でこれらを測定した。海には放出された全体の放射線値のうち、80パーセントが行った、汚染水を通じて、または海のほうに流れた放射能の雲によって。

国民を守るために日本の官庁は、事故を起こした原発付近の海水での魚類の捕獲を禁止した。さらに許容汚染制限値が下げられた。原発事故の前からドイツではほとんど日本から魚は輸入されていないので、ドイツの魚愛好者たちは心配する必要はない。

フクシマの原発事故が起きてから、すでに1年半が経っている。しかし生物の放射能汚染は低下していない、という結果がこのたび、アメリカのマサセッチューセッツ州にあるWoods Hole Oceanographic Institutionという海洋研究所の研究員Ken Buesseler氏が、科学雑誌「サイエンス」最新号に発表した研究で明らかにされた。

事故後2週間も経たない2011年3月23日以来、日本の農林水産省が福島県だけでなくほかの県でも海洋生物を組織的に調査している。この時の農林水産省の調査結果をもとに、Buesseler氏の調査は行われた。彼は全体で8500件以上の個体測定結果を評価した。

それでわかったことは、次のとおりだ。ほかの県に比べ、福島県で捕れる魚は、平均を上回って強く汚染されている。調査された魚の約40パーセントが、1キロ当たり100ベクレルという制限値を超えている。ただし、結果は魚の種類によってかなり異なる、ということである。

福島県より東にある茨城県でも、ほとんどの場合で制限値をわずかに上回っただけとはいえ、許容されているより高い汚染が確認される魚があった。福島より北にある宮城県で許容値より汚染度が高かった魚は4尾だけ、そして岩手県、千葉県では、調査された魚はすべて、許容値を下回っていた。

測定値のばらつきには注目すべきであろう。ことに汚染度が高いのは、海底に生息する魚である。福島県沖では8月に1キロ当たりなんと25000ベクレルも放射能汚染されているアイナメが見つかっている。これは制限値を250倍も上回っている。

「値はちっとも下がらない」
今回の調査で驚くべきことはしかし、このような統計的に「珍しい例」ではなく、なぜいまだに海洋生物が1年半前と同じように放射性セシウムにこれほど汚染されているのかという疑問である。「値はちっとも下がらないのです」と、シュピーゲル・オンラインの質問にBuesseler氏は答えた。普通なら魚は摂取した放射線物質を毎日数パーセントずつ排泄する。しかし、魚たちは明らかに、どんどん新しく放射性物質を体内に取り込んでいるらしい。

彼に言わせれば、日本官庁の測定を疑う理由はないという。Buesseler氏は独自に2011年夏に測定を行い、同じような結果に達しているとのことだ。従って、データは次のようにしか解釈することはできない、すなわち、今でも放射線で汚染された水が原子炉から海に流れ込んでいる、それから汚染されている海底の土が常に放射線物質を海水に放出している、ということだという。「このプロセスが両方とも並行に進行しているのです」とBuesseler氏は言う。

ということは、放射性物質がさらに食物連鎖に入りこむということである。カリフォルニア沿岸でも、汚染されたマグロが見つかっている。放射線量は日本の制限値を下回ってはいたということだが…

Buesseler氏は彼の調査結果でパニックを引き起こしたいわけではない。例えば、対象となった地域の海水で泳いでも、心配することはない、魚を1尾くらい食べても、大して問題はない、という。しかし、彼が心配するのは、汚染が持続している事実だ。「事故の実際の規模がどれだけのものであったかを公に議論するために、測定結果は重要だ」と彼は語る。

汚染がはっきりした場所ではこれからも漁業が行われるべきではないと、彼は要求している。それも、数ヶ月ではなく、何年もの間である。真実のところ、おそらく何十年といった単位であろう。破壊した原子炉から海に排出される汚染水がたとえいつか止まったとしても、この問題はまだ長い間持続するだろう。

セシウム137の環境での半減期は、30年である。


2012年10月16日火曜日

キューバの女子欠落問題


キューバの女子欠落問題
Kubamädchenkrise

20121011日付ツァイト紙

先日、フクシマをたびたび訪れ、あらゆる正当な警鐘を鳴らしている核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の医師たちが世界保健機構(WHO)に、福島での健康調査を拡大、疫学調査を実行し、すでにミリシーベルト以上の被爆をしてしまった人たちの包括的な記録作成を始めることを申請する手紙を読む機会があったが、その中でIPPNWの医師たちが、ことにこれからの福島近郊での生殖に関する影響(奇形、死産、流産、そして “verlorene Mädchen“〔姿を消す女の子たち〕の現象)について組織的に調査していくべきだと言っている。この「姿を消す女の子たち」というのは、被爆によって女子の出生率が低下する現象で、これはチェルノブイリ後、ウクライナを始め、ヨーロッパ各地で見られた事実だ。そうしたら、ツァイト紙で以下に訳すような小さい記事を見つけた。放射能にはまったく国境はない。まして、日本も今、あらゆる形で放射能に汚染されたものを国内のみならず、海外に撒き散らしているのだ。現在進行中のことは、これがSFでなく現実だと思えば思うほど怖く、気が滅入る。(ゆう)

本文は、残念ながらオンラインのツァイト版では見られません。

キューバの女子欠落問題

フィクションが現実に追いつくのを待つには、忍耐が必要だ。しかしこの忍耐は時として報いられることがある。ウクライナのチェルノブイリで原子炉が爆発したのは26年以上も前のことで、実際の被害者の数はこれまで常に予想よりぎくしゃくと少ない方へずれてきた。

しかし、今になってやっと異様な事実が現れた。キューバの出生統計である。これによると、チェルノブイリ事故の1年後である1987年に出生した男女の比率がめちゃくちゃになってしまっていたことがわかった。女子100人に対し、男子は118人という率である。「American Journal of Epidemiology」を書いた著者は、この「キューバでの女子欠落減少」に対し「生物学上明確にできる説はない」としている。しかし、「zeo2」という雑誌が調査をさらに進め、説明を見つけることに成功した。チェルノブイリ事故があったときは、まだ冷戦時代だった。キューバにいる社会主義の兄弟たちに放射能で汚染された食品を送ったのは誰だ? ソ連である。ソビエト連邦に所属していたのは? ウクライナである。これで「女の子の欠落」は説明がついた。

2012年10月5日金曜日

原発ストレステスト


原発ストレステスト
落第点の多いヨーロッパの原発
南ドイツ新聞2012年10月1日付

原発を牛耳る輩は、どこも似たり寄ったり。日本の記事ばかり追っていると、あれほどのことがあって、これだけ地震が多く、火山だらけの島国でなぜ、とどうしたってこの原発にしがみつく吸血鬼たちの様子に頭を振るばかりだが、それは世界でも同じようである。「原発は安い」「二酸化炭素を出さない」という嘘はヨーロッパでもまかり通っているし、少しでも金のかかる安全対策は、すぐに踏みにじられるのは、経済というロジックが本当に人間の生活、生命とは別のところで論じられていることがわかる。どうしてこれだけのことがあって、皆目を覚まさないのか。(ゆう)
原文はこちら:http://www.sueddeutsche.de/politik/stresstest-fuer-atomkraftwerke-schlechte-noten-fuer-europas-meiler-1.1484339

チェルノブイリとフクシマの事故が起きてしまったからには、これからはすべて改善され、より安全にしなければならない。というわけでEUの原発でストレステストを行い、その結果が発表された。数多くの原発に欠陥が見出された。ドイツでも、である。

診断結果は明らかだが、その通達にはためらいがある。というのも、通達内容が厄介ものだからだ。ヨーロッパの原発には重大な欠陥がある。EU内で稼動している原発134基の安全基準はかなりまちまちである。1986年のチェルノブイリ事故後も、合意した安全対策をまったく実現しなかった原発がかなりあった。ドイツの原発でも、成績の悪いものが一部にあった。

以上のことが、南ドイツ新聞が手に入れた、ヨーロッパの原発(EUのほかにもスイスとウクライナが参加)で行われたストレステストの最終報告書の草案にすべて書かれてある。エネルギー担当委員であるギュンター・エッティンガーは、この報告書を水曜日にブリュッセルで同僚たちに提出することになっている。その後、この報告書はまた密封されて閲覧できなくなる。公衆が公式にこれらの欠陥について知ることになる前に、10月18日と19日にブリュッセルで、ヨーロッパ各国とその政府首相たちはこれらの情報を掴まなくてはならないのだ。

これは不愉快なことになりそうな気配である。というのも、欧州委員会では、これから数年、安全上の欠陥を改善するためには、既存の原発1基ずつにあたり3千万ユーロから2億ユーロを投資しなければならないと見積もっているからだ。つまり、合計で100億から250億ユーロである。これほどの額を出すのは、どの政府にとっても楽なことではない。わずかな金もユーロ危機の克服のために流出が求められる今となってはなおさらだ。「改善の必要性がこのまま残るとすれば、大問題を抱えることになる国がいくつもあるだろう」と、ブリュッセルのあるEU高官が語った。

フランスはヨーロッパ全体で一番の欠陥リストを抱えている。フランスはヨーロッパの中で一番多く原発を稼動している。しかし、ドイツの原発にも欠陥がある。委員会は、設置されている地震警告システムが不十分だと批判している。さらに、国際原子力機関(IAEA)が要求している重大事故の際の指導基準も不完全にしか実現されていないという。月曜日にエッティンガーは、これらの欠陥を「過小評価」してみせようとした。一般の安全に関する状況は「満足のいくものだ」とエッティンガーはスポークスマンに言わせている。ただし、「だからといっていい加減にすることは許されない」と。

約束した改善策を実現せず
ストレステストをめぐっては初めから評価が定まらず、環境保護者たちは、ストレステストは不十分だと批判していた。もともとエッティンガーはテロリストによる攻撃やサイバーテロなどもテスト対象に入れたかったのだが、フランスとイギリスがこの案に強く反対して、ストレステストは結局、ことに洪水や地震などの自然災害だけに主に集中して行われることになってしまった。テロ攻撃やサイバーテロの危険については別の独自のグループが担当して検討したが、このグループが5月に公開した結果はかなり曖昧なもので、ことにIAEAの推奨に従うよう求めている。IAEA自体は、「管理機能」は一切果たしていないことを強調している。

調査報告書はまず、国内の原発を稼動する会社や官庁によって作成され、それから外国およびEU委員会の専門家チームによって審査されることになっていた。しかし、これさえもやりすぎだと思う者があったようで、管理チームを構成するに当たって国が拒否権を保持する合意ができた。6月には最終的報告書ができていなければならなかったのだが、38基の原発しか訪問調査されなかったことから、エッティンガーが追加改善を求めた。安全性の欠陥が批判されたチェコのテメリンにある原発や、フランスのフェッセンハイムなどは、文書上だけで審査されたという。9月になって初めて、さらに8基の原発が訪問されて調査をやり直した。

環境保護団体BUNDは、エネルギー政策転換を早く行うよう求めている。「真の安全は、原発を止めることからしか得ることはできない」とBUND代表のフーベルト・ヴァーグナー氏は語る。緑の党連邦議員団のシルヴィア・コッティング=ウール氏も、同じ意見だ。「調査結果を重視するなら、筋の通った結論を導き出さなければならない。フクシマがあった今でも、約束された安全改善策は実現されていないのが現実だ」と。

2012年9月27日木曜日

やっと収縮の時代へ


2012年8月23日付ツァイト紙書評 
Endlich schrumpfen dürfen 

やっと収縮の時代へ
── Niko PaechとReinhard Loskeが繰り広げる「経済成長妄想」から我々を解放するための論争(フレッド・ルクスの書評)
本文はこちら:

この期に及んで、これまでの資本主義、自由経済主義が行き詰っていることには誰もが気づいている。虚無の欲望(需要)を飽くことなく作り出し、エネルギーを膨大に消費して生産を続け、自然環境を「開発」という名のもとに破壊し、効率とコストパフォーマンスのみを追及するあまり、人間が機械とシステム(金)の奴隷に成り果てていく姿を知りながら、複雑に絡み合って出来上がっているグローバル化した経済構造にとって代わるだけのモデルを持ってくることができないばかりに、構造の分析と部分的な批判に留まっているのが私たちの現状ではないのか。資本主義に対抗する社会主義は崩壊したが、今(破壊寸前の)リベラリズムは、どこからどう手をつけていけば人間的で、生きやすい、地にもう少し足のついた社会が戻ってくるのかは、見当もつかない。この絶望的な八方塞の無力状態は、ことにフクシマ以来日を追ってひどくなってきている。その折、このツァイト紙の書評を読んだ。書評を読んだだけで、実際にその本を読破したわけではないので恥ずかしいが、無力状態に陥らずしっかり考え行動している人たちがいることを改めて感じ、今後の私たちの課題として、一人一人が考えていかなければならない問題だと改めて認識するために、「書評」の翻訳をすることにした。今の日本の政治と経済を見ていても、あまりの無恥厚顔、あまりに巧妙にできあがっている経済の網の目を前に、無力感を感じている多くの日本人が、でも決して「やっぱり何をしてもだめか」「仕方がない」「長いものには巻かれるしかない」と思っては絶対にいけない、ということを何度も自分に言い聞かせるためにも、こういう論争は必要だ。希望は「与えられる」ものではなく、自分の意志として勝ち取っていくべきものだろう。(ゆう)

政治的論争はとうとう、「有限性」の問題に達したのだろうか? 現在、経済成長の限界についての論争がこれだけ高まっているのは、注目に値する。連邦議会は、このテーマに関する調査委員会を設立した。環境評議会では、その鑑定書の中で「新しい経済成長の論争」をテーマにして取り組んでいる。マスメディアでも何度も、経済成長に関する疑念が報告されている。「成長の限界」(訳注: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E9%95%B7%E3%81%AE%E9%99%90%E7%95%8C)が発表されてから40年、このテーマはやっと社会の真ん中にたどり着いたのだろうか? 実はそうではない。経済成長を批判する論争のすぐ隣で、パラドックスともいえる同時さで、2008年に起こった最近の経済恐慌以来といわず、成長に関する「憧れ」はまだまだ強く根付いている。成長は政治にとっていまだに聖域なのである。フランソワ・オランドがこのテーマで選挙に勝ったのは、ついこの間のことだ。

持続性と経済成長の軋轢を緩和しようとする試みは頻繁に行われている。持続性のある成長、というわけだ。簡単そうに聞こえるが、実はそうではない。「グリーン・エコノミー」にかける希望は、概して問題本質の抑圧、技術楽天主義、そして経済性能と環境の消費の連結を引き離そうとする場合には、概念の混同の上に成り立っている。「相対的な減結合」というのが大きく謳われているが、実際は、「完全な脱連結」しか、究極には経済と環境を和解することにはつながらないのではないかと思われる。例えば気候問題など、環境を犠牲にした実際の物質的縮小を見ればよい。この見解をもとに、成長を批判する2冊の本が出版された。Niko Paech著の「Befreiung von Überfluss(過剰からの解放)」とReinhard Loske 著の「Wie weiter mit der Wachstumsfrage?(経済成長問題をどうするか)」である。

2冊とも「グリーンの成長」に対する画一的な信仰を批判しているが、そのスタイルは互いに似て非なるものだ。持続性研究家でありブレーメンで環境大臣を務めたロスケがフェンシングで格闘するのに対し、オルデンブルク出身の経済学者でエコロジック経済連合の会長を務めるペーヒは斧とこん棒を振り回す感じだ。 ペーヒが問題の根源を突く姿勢は、いい意味でまったく過激といえ、同時にそれは悪い意味で、最悪事故のレトリックに陥っていることから、極端だといえる。

「ぬるま湯につかってノンストップの手取り足取りの世話を受け、のうのうと暮らしてきた者たちは、個人の主権性を同時に保持することはできない」とペーヒは書く。主権性とは、やむを得なければ自分の力でどうにかする可能性にだけ、自分の要求を結びつけるものである、と。しかし、誰がここで激しく非難されている「外からの供給システム」なしで生きられるというのだろうか、そして、誰がそれをいったい望むだろうか?

社会的な役割分担が必ずしも悪魔の産物ではなくて、少なからぬ利点ももたらすことが、この見方には少しも現れない。つまりペーヒの処方箋はこうだ。悔い、後退、削減。持続性が確かなものになるためには、我々はすべてを変えなければならない、というわけだ、しかも今すぐに。率直に言えば、とか、少し逸脱する、とか気乗りがしない、などというのはどれもお門違いだ。

この命令口調だと、理解を示す可能性のある人間を追いやってしまう危険がある。たとえば、「持続性ある」車、建築、または消費物資などは、それ自体あるわけがない、というところなどがそうだ。生活スタイルしか、持続性あるものにすることができないという。「一人一人の主体の行為を総括したエコロジカルな効果の集まりしか、その持続効果を可能にすることはできない」と。しかし、ペーヒが述べるこれらの行為の条件がここではあまり問われないのが残念である。政治的に要求をしていくことは避けられないが、社会批判を有用なものにするには、ことに生活のスタイル自体を問題にしていくしかない、というのである。

ペーヒは、「経済成長に批判的な未来を構想するのは、その実現がよきにつけ、あしきにつけ、政治的な路線決定に依存せざるをえないので、どれもまったく時間の無駄だ」という。このような診断書を読んで感銘を受ける人はあまりないと言っていいだろう。問題の焦点をただ個人の責任だけにゆだねるのは、もしかしたら良心的な現代人にとっても過大な要求であるかもしれないということが、著者の頭にはない。「Privatisierung der Nachhaltigkeit (持続性の私有化、Armin Grunwald著)」に関し意義ある論争があったことも、ペーヒの耳には入らなかったようだ。

それに対しラインハルト・ロスケは、持続性とは、何よりも政治的なプロセスだと主張する。彼の本のタイトルが「質問」の形態をとっているのは決して偶然ではない。まず最初の文章で著者は、自分のテキストは「インターアクティブな本」である、つまり自分を批判する人たちとの会話としてあるべきだと述べており、この路線を彼はこの本で一貫して通している。ロスケも持続的成長という妥協文句に対し、懐疑的だ。彼の結論はこうである。「家庭や世界での持続的発展に貢献できるのは、我々がどれだけ今までよりずっと少ない資源消費で生活の質、社会的なまとまり、経済的な活力という目標に近づけるか、その方法を信憑性高く示していくこと以外にないはずだ」。ペーヒと同じようにロスケも、持続性への移行が決して快適でも、生活スタイルの変更なしに行われるとも思っていない。しかし、彼は思索のプロセス、楽しみ、そして創造力に期待をかけている。「ほかに方法がない」というのは、彼が決して使いたくない言葉なのだ。

ロスケは「これこそ経済的問題の解決策だ」と言えるものはないことを知っている。節制やスピードを緩める、などの個人的な振舞いへのヒントは「意味のある推奨内容かもしれないが、これは与えられた条件では実際に、物質主義を通り越した価値観を持つ人間、つまり生活・生存の不安を持たないで生きられる人間にしか向けられない。だからこそ将来は、持続性のあらゆる側面を包括する、節制的政治のための枠組み条件とはなにかを徹底して問うことが、欠かせない」、それを通して初めて「体制(システム)の問題」も問うことができるようになるのだと、ロスケは説明する。我々は、われわれが身をもって体験して来たような資本主義体制のの終焉にあるのだ、と。

ロスケがドイツ連邦首相アンゲラ・メルケルの言葉を引用している箇所がある。この言葉は、この2冊の本を読んだあとには「突飛」とも感じられる言葉だ。メルケルは、成長がなければ最終的にはなにもかも無駄だ、というのだ。成長、経済成長こそすべてだ、と。これを口にすれば、多数派側についていることになる。今はまだ。

この2冊の本は、絶えることなく続くという経済成長の不条理さをまったく異なった方法で論じている。メルケルさん、どうかこの本を2冊とも読んでくださいよ!

2012年9月8日土曜日

紹介『ふるさとをあきらめない』


『ふるさとをあきらめない
  ──フクシマ、25人の証言

和合亮一 著 新潮社刊 1500円+税

東日本の災害・フクシマ原発の爆発以後、多くの関連図書が出版され、私たちは手に負えそうなものを選んでは大いに勉強した。こんど手にしたのは、論でも解説でもなく、報告とも違う、「個人の思い」集とでもいうものであった。私は知人とのメール交換はするが、知らない人とツイッターで喋ることをしないので、和合亮一(わごうりょういち)さんを知らなかった。彼は詩人で、高校の国語の教師。3・11以後、ツイッターで発信しつづけ、たくさんの人を力づけ、慰めたことで、広く名を知られた方であった。たくさん発信されたものが『詩の黙礼』(新潮社)という詩集にまとめられているようだ。

和合さんがフクシマに関わる人、25人に「3月11日の午後2時46分、何をされていましたか?(時により多少の違いはあるが)」という第一問から始まる聞き書きを編んだ書である。私の周囲にも時間を造りだしては被災地に足を運び、地元の人と触れあって親交や認識を深めた人が多いが、年寄りは行っても足手まといになるだけと、東京でできることをと考え、関連図書で勉強したり、それを紹介したり、デモをしたりすることで我慢してきた。

だが、これまで読んだ本と、この和合さんのは全然違っている。話手の多くが、既に和合さんを知っていたというだけの原因ではなかろう、彼には人の心を開かせる力があるらしいことだ。構成上、和合さんの質問は極めて短く記されているだけだが、証言者はそれぞれ深く重い心のうちを、こもごもていねいに話している。もし、私が福島に行って周りの人と親しくなったとしても、こんなふうに語ってもらうことは決してできない。

放射能のために土地や家や稼業やそして家族と引き裂かれるということの、あまりの理不尽さ、悲しさ、憤りや、不安を、どう受け止め、耐え、乗り越えようとするのか。これは一人ひとり全く異なる、千差万別のことなのだ。自分一人の問題だから言っても判ってはもらえない、と本人が抱え込んで苦しんでいたことが、ここでは相当語られている気がする。

日本はどういう国だって思われました? との質問に対して、37歳の介護士の方が、「騙されたっていうか、もう信用ならない。ペロッと剥がれたというか。(略)日本の国を一人の親に例えると『私は愛されてなかったのね』というところですね」と答えている。また、二本松で避難してきた人たちを預かった旅館の女将が、「うちにいた子どもたち、これからPTSDを発症するかもしれない。若い女の子が『お母さん、私は子供が産めない体なんだよね』『結婚できないんだよね』などと言う。この先、福島が差別の対象になってしまう怖さがある。そんなこと、絶対に許されない」。

ヒロシマでの差別の話を思い出させる。でも、ここに登場する25人は、福島県が実に好きなようで、「ふるさと」を持たない身としては羨望すら感じる。海に山に実りが豊かで、美しい国であるらしい。著者印税は全額、相馬市震災孤児等支援金などに寄付されると、版元のメモが巻末にある。図書館に拠らず、書店でお買い求めていただきたい。

(凉)
反「改憲」運動通信 第8期7号(2012年9月5日発行、通巻175号)

2012年9月2日日曜日

2012年8月23日付ツァイト紙


2012823日付ツァイト紙

先週のツァイト紙の特集は「エネルギー政策転換」について。フクシマ事故の後すぐに脱原発を宣言したドイツは、現実的なエネルギー政策を講じなければならないが、持続的な再生可能エネルギーによる電力供給比率を増やしていき、稼動中の原発を次々に停止していくと、電気代が上がる、という声がすぐに経済界から飛び出す。また、脱原発を決定したドイツでは電気代が上がる、ということが日本で「やはり原発は必要」との例に引っ張り出されるほどだ。このツァイト紙の特集では、電気代というのはどのように出来上がっているのか、実際にはなにが電気代を「上げて」いるのかについて報告している。ドイツでの例だから完全に日本にあてはまらないにしても、政治が「値段」を決めているのは、どこも同じのようだ。日本にとっても重要なテーマなので、ちょっと長いが翻訳することにした。翻訳し始めて、メインの記事も興味深いが、その関連の短めのコラム3つの方が具体的な数字と例を出していて、読みやすいと思い、そちらを先に載せる。(ゆう)
本文はこちら:http://www.zeit.de/2012/35/Gruene-Energie-Energiewende-Kosten

エネルギー政策転換にかかる費用はどれくらいか

「緑は高い」というのが一般の偏見である。しかし、緑の電気が増えても、電力生産のコストにはあまり差がないというのが本当のところである。「あまり」というのはただ、数字に置き換えにくい。電気技術連盟(VDE)に所属するエネルギー技術協会は、それをちょうどしてみたところだ。この協会では、2050年には電力の5分の4が再生可能なエネルギー源から生み出されなければならない、という連邦政府の目標に合わせて計算した。

結果はこうだ。キロワット時の発電コストは0.6セントくらいしか上がるはずがない、というのである。これは今と比べ、10%にも満たぬ増加だ。2010年、つまりフクシマの事故が起こる前、そして脱原発の時期を早めるという決議がある以前に、再生可能エネルギーによる電力は、すでにほぼ発電量の17%を占めていた。石炭と原子力発電は約65%だった。これらの大型発電所で発電をするのにかかる費用は、キロワット時7.8セントだった。このうち3分の1は燃料、3分の2は、これら発電所設備を維持するために毎年必要となる投資額だった。市場価格はすべてのコストをカバーしなかった。

古い技術だけにすがっていると、燃料コストが上がれば電力はどんどん高くなる。それに比較すれば、電力が緑であればあるほど、発電コストは安い。太陽も風も無料だからだ。燃料費はゼロということである。

VDEの書いたシナリオでは、投資額の高さと投資の構成は、再生可能エネルギーの比率が40%になればもう変わってしまう。ことに資本のかかる核エネルギーがなくなるので、投資の費用がやや下がり、まだまだ市場を支配している従来の発電に必要な燃料の購入費用が増える。結果として、発電コストは上がるといっても、0.1セント上がってキロワット時7.9セントになるだけである。そして緑の電気の比率が80%になっても、同じ論理でいけばキロワット時8.4セントになるだけで、結局発電費用は今日と大して変わらないことになる。

この予想にはどのような計算が含まれているのだろうか?VDEによれば、出力を同じとして集中型風力発電やソーラーパネルはどんどん安くなる一方で、石炭やガスの発電所の費用は大体横ばいのままだという。石炭やガス燃料費は長期的に見れば2倍に増えるだろう。だから緑の電気を増やすということは、ある意味でコスト増加に対する保険とも呼べるのだ。

それで、不定期に生産される緑の電気を一時的に貯蔵しておくためにかかる費用についてはどうか? 確かに、緑のエネルギーが一度大きな割合に達すれば、電力貯蔵施設が必要となる。VDEによれば40%以上になったとき、である。しかしこれにかかる費用は、すでに計算の中に含まれている。

それではエネルギー政策転換のために新設が必要な電力網にかかる費用はどうか? 400億ユーロの投資がこれから先10年の間にかかり、電気料金をキロワット時ごとに約0.7セント上げることになるだろう。ただし、この費用を、全電力網使用者が同様に負担することを前提とした場合である。

それでも、発電にかかる費用の増加は、一定の枠内であるといえる。しかし注意が必要だ。費用と値段は同じではない。卸売業では需要と供給によって値段が決まる。それに、税金、電力網使用料金などが加わる。

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一番多く払わされているのは誰か?

再生可能エネルギー法で国は、再生可能なエネルギーによる電力をつくる者に2つの特権を与えることにした。1つは、作り出した電力を必ず買い取ること。2つ目は、再生可能なエネルギーで電力をつくる者が、電気消費者が支払う固定価格をキロワット時ごとに得ることである。この価格はライプチッヒにある電力取引所で支払われる料金よりずっと高価である。
料金は20年間保証されているが、その値段は技術、設置場所、設備の大きさによって異なる。その上、風力・水力・太陽・バイオガス・地熱などの発電設備が操業を開始した時点によって報酬高は変わる。たとえば太陽光発電の場合は地上に設置された風力発電からの電力より高く、新しい(効率のよい)太陽光による電気は、旧型の設備で作られた同じ太陽光による電気より安い。「屋根の上でできる電気」が2007年にはキロワット時ごとほとんど50セントで買い取られていたのに対し、今ではそれがたったの19セントだ。風力発電設備を所有している人は、その半分である。
電力のパラドックス:新しい設備で作られた再生可能エネルギーはどんどん安くなっていくのに、平均して買取値段は約18セントまで上がった。
どうしてか? 重要な理由の1つは、ついこの間まできわめて高額な補助金を受け取っていた太陽発電装置の成功である。緑の電力量のうち、太陽光電力が占める割合は、2007年には5%だったのが20%以上に増加した。これが値段を吊上げただけではない。以前から残る金銭的な負担はなかなか帳消しにならない。20年にわたって買取保証をするといった約束を国が撤回しない限りは。

緑の電力に対する保証額は今では、合計で数百億ユーロに膨れ上がってしまった。取引市場で電力は安くなり、差額が残る。何箇所かで訂正しても、去年は130億ユーロが残った。この残った金額を電力消費者が負担しなければならないのだが、その負担が平等ではない。

すべての消費者がキロワット時ごとに同様に料金を払うのであれば、EEG分担金は去年、約2.5セントだったはずだ。しかし実際は3.53セントだった。この大きな違いは、いったいどこから来るのか、言い方を変えれば、払わないのは誰か? 実際、ことに大きな産業の電力大消費者が、この法律から例外の特権を受けている。世界市場で不利にならないように、という表書きだ。何百という企業がこの特権の恩恵にあずかっている。

企業が節約する分を、その他の消費者が負担しなければならない。ことに一般の家庭だが、公共の施設や特権を受けられない企業もそうである。政府の発表によれば、彼らが負担しなければならない額は20億ユーロ以上増えているということである。

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もう1つの関連コラム

「グリーン」は価格を上げるのか?

緑の電気の思いがけない効果は、市民には知らされていない。太陽、風、水が生み出す電力は、電力取引市場におけるキロワット時の料金を低くしているのだ。再生可能エネルギーがなければ、キロワット時料金はほぼ0.5セント高くなるはずである。

これを成り立たせているのは「電力市場での価格形成」だ。これは、価格をできるだけ低く保つ、という非常に簡単な原則に従っている。発電所はそれで、ある特定の順番に稼動することになっている。つまり一番安いのから先に、一番高いものが最後に来る。最後に需要があった電力は、だから常に、一番高い発電所から来ることになる。そのコストが、市場価格を決めるのである。

しかし、ここでいうコストとはいったい、何であろうか?市場の論理では、燃料と温室効果ガス排出の権利(O2削減証明書)を購入する支出しか、問題にされない。発電所を建設するにあたりできた負債から計算するのと違い、これらのコストは変動し、しかも生産高に依存するだけだ。これこそ、電力を売った売上金で必ずカバーしなければならない額であり、そうでなければ電力はつくられなくなってしまう。その他のコストの補填に関しては発電所経営者は、一時的であるにしても、放棄する。借金の利息は、発電するしないにかかわらず、払わなければならないのだ。

緑のエネルギーの市場効果の理由はここにある。緑のエネルギーを生み出すのは、確かに、ガスや石炭などの火力発電所での発電に比べ、全体から見ればまだ非常に高価だが、これは、新しい太陽電池や集中型風力発電の建設費用が高いことだけが理由だ。しかしこれらは一度設置されてしまえば、電力はほぼ「無料」で生産される。太陽は確かに、請求書を送ってはこない。

風力や太陽発電による変動コストが低いので、発電所の投入順序が変わる。安い、緑の電気が、高いガスや石炭からの電気を押しのけるのだ。

研究者によれば、この効果は、毎時キロワットごとに約0.5セントも左右するという。それに相応して、国が保証する再生可能エネルギーの買取価格に対する市場価格の差は広がる。結果として、EEG分担金が増えるのだ。

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そして後回しになりましたが、メイン記事です。本文はこちら:http://www.zeit.de/2012/35/Gruene-Energie-Energiewende-Strompreisluege

電気代にまとわる嘘
──グリーンのエネルギーが高いなど、真っ赤な嘘だ。
  電気料金が高いのは、政治のせいだ。
Lügen auf der Stromrechnung – Von wegen grüne Energie ist teuer.
Die Politik ist schuld an hohen Preisen
マルク・ブロースト、ダグマー・ローゼンフェルト、
フリッツ・ヴォアホルツ著

彼はあと少しでメルケル首相の公約破棄を証明することになる、もうすぐの辛抱だ。その時になれば、彼は首相が公約で述べていた数字とは違う、ある数字を挙げることになる。「純粋に数学的に言えば、もう事実ははっきりしているのです」と彼は言う。ただ、この場合は数学でも、ただの数字でもなく、政府の大計画にかかわる問題なのだ。だからこそ、彼は真実、政治的葛藤の只中にある、といえよう。

というのも、彼こそ、電気料金を決定する人間の一人なのだ。

クラウス・ホドゥレック氏は53歳、電気エンジニアだ。ドイツの電力消費者なら誰でも再生可能エネルギー拡充のため払わねばならない分担金を計算するのが彼である。CDUFDP連立政権が脱原発を決定してから、この分担金こそが「支払い可能な」電気料金の尺度、同時にエネルギー政策転換が成功するかどうかの尺度にすらなってしまった。メルケル首相は2011年の夏に、連邦議会でエネルギー政策転換を宣言したが、その時彼女はこの割増金、いわゆる再生可能エネルギー法分担金のことに触れた。メルケルは、この分担金は「現在の規模」を超えることはない、と公約した。当時の分担金は、3.5セントだった。

あとたった7週間。そうすればホドゥレック氏は新しい分担金の数字を言うことになる。正確な数字はまだ言えない。そしてもしわかっていたとしても、彼は言わないだろう。しかし現実的にはこの割増金は4.8セントから5.3セントの間である。そういうことになれば、50%増だ。

怒る人びと


怒る人びと 

やっと人びとが怒りを表現し始めている。怒ることを忘れてしまったのかと思っていたのに。その人たちを立ち上がらせているのは、野田だ。彼がなにか言うごとに、怒りをよんで国の隅々に集まる人が増えていく。集まりの渦のなかに身を置くと、あれ以来我慢してきたこと、許せないと思ってきたこと、もうダメだと、積もってきたことが一つのことに収斂して、怒りの固まりのようなものになっているのが感じられる。「再稼働反対!」とのみ口には叫んでいるけれど、その中身は原子力ムラ、安全神話、から始まって、今、野田が発する言葉や行動、行動しなかったこと、どさくさに紛れて更にしようとしている危険なこと全部への否定なのだ。

フクシマのあと、気がついてみると私は「国」ということをしょっちゅう考えている。「国旗・国歌」の強制に反対してきたし、国家主義的な見方はやめよう、と人にも言ってきたが、抽象的・理論的思考が不得手で、感覚で「国」に拒否感をもってきただけだった。どんなに忌避したくても、「国家」に帰属しなければ不自由な仕組みになっている。娘が外国に住んで、日本国籍を棄てたときにも、住民登録は地球の何処でしてもいいじゃない、と言ったが、早い話、娘に会いに行くのに「国」の証明がいちいち必要だ。無政府主義者の大杉栄は戸籍を否定して子どもが生まれても役所に届けなかった。子どもが学校に行くことになったとき困ったのは、彼らの死後に孫を預かった祖母だった。彼ら両親が殺されなかったら、たぶん、子どもの教育は自分たちで行ったに違いない。でも、どこまでそれを貫けたかはわからない。「国」の力は絶大だから。

いったん「国」が決定したことは、飜らない。そのことは三里塚闘争で我々は思い知らされた。あれだけの人が血みどろになって闘っても空港は作られた。人民の闘いの歴史はさまざまあったけれど、国策とまともに対峙した三里塚の闘いは象徴的だと思う。60年、70年安保の闘争だって日本国開闢以来の人民闘争であった。あのときの敗北がいまの「オスプレイ」にまで及んでいるかと思うと、胸が煮える。

「三里塚」ばかりではない。自分が関わらないと数え忘れがちだが、人びとは各地で国策に立ち向かって「怒り」の闘いを行ってきた。沖縄の反基地闘争は敗戦後ずっと孫子にまでつづいた闘いだし、基地のあるところのどこにも持続した抵抗グループがいる。突然降りかかってくるダム建設への反対に生涯を使ってしまった人もいる。公害大気汚染にも立ち向かった人たちがいた。新幹線建設もゼネコンを潤すだけのもので、便利な足を奪われ置き去りになる近住民が各線で反対運動をしたが、押し潰された。しかし、抵抗なしでヤスヤスとやられてしまった地区はなかったのだ。どうしてどうして国に対する「怒り」はまっとうに発せられてきたのだ。

クシマ以後、関連図書が書店にあふれ、いままで迂闊にも洩らしていた「原発反対運動」の経過報告書をいくつも眼にすることができた。みんなよくやってきたんだなー、としみじみした。計画排除に成功したところもあるが、「国策」の後押しを受けた電力会社の巧妙で周到、カネにあかした戦法に敗北したところが多い。必ずしも抵抗力の強弱が原因ではない。たしかに引っ張る「人」の存在が重い要素になるが、テキはとにかく過疎地を狙っているから、「人」に恵まれるかどうかの運も計算済みだ。オマケに間に立つ首長たちだ! 住民から選ばれたにも関わらず、住民を裏切る方に向きを変えるヤツらがとても多い。

こんどの大きい災害で、目立つ立場の人の言動がいつもより多く人目に晒された。「国」や「政府」「内閣」ほどの立場ではない人にも、いくつか共通したものがあるのを感じた。村長、町長、市長、知事、議員、大臣たちは、それぞれなりの「権力」に魅せられている。いまの「権力」を手放したくないからこその言動ではないかと疑われるフシがいっぱいあった。カネと権力。このオンブオバケが背中にとりついたら人は人でなくなる。この現象は珍しくもなんともなくて、またか、と呆れたり軽蔑したりで、もう馴れっこになっている。世界共通のことだし、昔から「王様は3日やると止められない」と相場は決まっている。支配され、被害を受ける「民」も、そういうものだ、とフツウ諦めるからたいがいはやられている。

このごろの首相官邸前行動や代々木公園や全国各地で集まった「再稼働反対!」の行動参加者は、いままでのさまざまな直接行動とは規模が違う、性格も違うように感じられる。これを「現象」と捉えたい評論家やメディアは、「60年安保と違って、組織で集められたものではなく、個人の意思で参加している点が目立つ特徴だ」などというから、同じふうに言うのは抵抗があるが、人びとの渦に入ってみると、たしかに一人で来ているか、せいぜい2、3人づれが多いようなのだ。ワイワイしてない。官邸前は六時からの行動となっているらしく、それ以前はとても静か。6時になると一斉に「再稼働反対!」が始まる。

官邸前行動はイベント屋が取り仕切っているという噂で、我々のように行動馴れというか、スレてない人が多いから、「世話人」の指示によく従う、ということもある。「初めてこういうことに参加しました」とメディアのインタビューに答えている場面にもしばしば遭遇した。驚くのはその人数であり、毎週とかの根気よさだ。官邸前行動に限っていえば、警視庁警備の金曜日毎の「作戦の進歩」がめざましいこともあり、どこまでの人たちがいまの気持ちを持続できるか、それはわからない。熱しやすく冷めやすいのは群衆の共通要素かもしれないが、フクシマの悲しみはまだまだ深く、終わりはないように思える。いままでのどの「国策」が引き起こした災厄とも、「放射能」のもたらすものは違う。自然災害が世界でも有数の発生率を負う日本列島に、あってはならない原発がいっぱいある。すでに「死の灰」は各地に山積して行き場がないのだ。そのことは今では誰でも知っている。古今未曾有の悪魔的問題に、直面している。だから、そう簡単には諦め、納まらないのではないかと、すぐ甘くなる私は思いたいが、どうだろう。官邸は、今は困惑するくらいには感じているだろうけど、あれだけの「再稼働反対!」の音に耐えつつ、ひたすら沈静化をねがっているに違いない。公安と密接に協議しながら。

組織に属してない人たちがこれだけ熱して、直接行動に参加して、それが「何のプラスにもならなかった」と思い知る日がきたときは、どうなるだろう。何年もの間、さまざまな拒否問題に対して直接行動を準備したり、参加してきた者として、いまの「フツウの人の一斉蜂起」的行動に冷めた眼をもつことは私はできない。「人びとはちゃんと怒っている!」というふうに思う。いままで、たったこれだけ?と情けないような人数でデモをしてきたこともたくさんあった。ずいぶん多いと喜んだときもあった。でも、これほどの人数をナマで見たことがなかった。10万人を越えると、ただスゴイ。

さきごろ、NHKのクローズアップ現代という番組でこの問題をとりあげていて不満はいっぱいだったが、その中で、初参加したという若い人が、「いままで、なにかあっても誰かがやって(反対?)くれると思っていましたが、こんどは出てきました」というふうに答えていた。そうか、私たちはこういう人たちを代表して街を歩いていたのか、と、なんだかハッとした。

せっかく決心して出てきた人に言いたい。もう少し、がんばろうよ、成果を上げようじゃないか、と。諦めるのを期待している彼らの思う壺にはまりたくない。私の経験では、国家警察の本質は戦前から変わっていない。現代だって実に怖ろしい。いまの行動に対して警備や弾圧の大作戦を日々必死に練っているに違いない。だからこちら側は人数を減らしてはならないし、挑発に乗ってもいけない。油断してはならない相手であることを忘れないで、できるだけ息長くつづけていきたいものだ。原発ゼロを目指して。
(凉)
『運動〈経験〉』35号(2012.8)より