2012年12月19日水曜日

放射線防護専門誌「放射線テレックス」12月号 2


放射線防護専門誌「放射線テレックス」12月号
フクシマ事故後の日本での乳児の死亡率
Strahlentelex 
Säuglingssterblichkeit in Japan nach Fukushima
アルフレッド・ケルプライン(Alfred Körblein)著

福島第一原発の原子炉事故後、乳児死亡率が日本のデータで2011年の5月と12月、つまり事故から2ヶ月および9ヵ月後に著しいピークを示している。チェルノブイリ事故後、西ドイツの早期乳児死亡率のデータ評価では、1986年の6月と1987年の2月に最高値に達しており、つまり1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原子炉事故から似たような時間をおいて発生していることがわかった。

背景
2011年3月11日に起きた福島第一原発の最悪事故後の健康被害に対する最初の兆候を、乳児死亡率の日本でのデータが示している。1986年4月26日のチェルノブイリ原子炉事故後のドイツでの調査[1]では、1986年6月および1987年始めと年末の早期新生児(生後1週間以内)の死亡率が異常に増加していることが明らかになっていた。1987年2月と11月のこうした最高値は、妊娠女性のセシウム被爆の時間的経過を7ヶ月ずれながらたどったものだ。これは妊娠中の重要な期間における胎児への被害の結果と解釈された[1]。ドイツの結果をもとに日本でもフクシマ後、同じような乳児死亡率の増加が予期できると言える。

データとメソッド
日本の乳児死亡率の月ごとのデータは、日本の厚生労働省のウェブサイトで見ることができる(http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1a.html)が、日本語しかない。他に必要な項目、たとえば乳児の出生数や生後1年以内の死亡件数に関しては、日本の友人である福本栄雄氏から得た。比較に使用したドイツの早期死亡率の1980年から1993年までの月ごとのデータは、ヴィースバーデンにある連邦統計庁から得た。

この調査には、2002年1月から2011年3月までの期間の乳児死亡率の月ごとのデータを季節的変動(いわゆる季節パターン)を考慮した上で、ロジスティック回帰分析した。2011年4月から2012年5月までのデータの経過は、フクシマ事故データの外挿的傾向と比較した。調査対象時期全体(2002年1月から2012年5月まで)に対しデータ評価を行ったが、2011年4月以降の乳児死亡率の増加の可能性は、ダミー変数で査定された。


図1:日本の月ごとの乳児死亡率と
 2002年1月から2011年3月までの回帰結果
縦の線は2011年3月の福島原子炉事故の時期を指す。

図2:日本における乳児死亡率(月ごと)数値の
   傾向からの逸脱(標準化残差単位において)
点線は2つの標準化残差の範囲を示す。
図3:西ドイツにおける早期乳児死亡率(生後0〜6日)と傾向線
縦の線は1986年4月末のチェルノブイリ原子炉事故の時点を示す。
図4:西ドイツにおける早期乳児死亡率(月ごと)
数値の1980年から1993年の間の傾向からの逸脱
(標準化残差単位において)
横の点線は2つの標準化残差の範囲を示す。

図5:日本における月々の出生数の予測値からの逸脱(標準化残差)
横の点線は予測範囲95%の限界を示す。2011年12月と
(しかし2011年11月ではない)そして2012年1月に出生数が
著しく減少している。


図6:南バイエルン地方における月々の出生数の
予測値からの逸脱(標準化残差)
1987年2月に著しい出生数の減少が見られる。



結果

回帰モデルで2011年3月までのデータをうまく調整することができた(デビアンス=86.0、df=98)。図1に示すのが乳児死亡率の時間的経過と長期的傾向である。フクシマ事故後、2011年5月と12月に乳児死亡率が著しいピークをみせている。

図2は、乳児死亡率がどれだけ傾向から逸脱しているかを示している。点線が示すのは、2つの標準化残差の範囲であり、データポイントの95%がここにあるのが通常である。

2011年4月から2012年5月までの期間、2011年4月前のデータの外挿的傾向に比べ死亡率を高めるテストでは、4.0%の増加が見られた(P=0.100)。

日本の結果を、1980年から1993年までの西ドイツの早期乳児死亡率の月ごとのデータの経過と比較した(図3参照)。図4はまた、早期乳児の死亡率の長期的傾向からの逸脱を示している。増加が目に付いたのは、1986年6月と1987年2月、そして1987年11月である。

1987年2月と11月にドイツのデータが最高値を示したのは、妊婦のセシウム被爆を通じて、胎児が放射線被害を受けたためと説明できる。1987年11月のピークは、1986年から87年にかけての冬に放射線汚染されていた牛乳を摂取したためと説明できる。冬の間、初夏に収穫された放射線に汚染された牧草がサイロ貯蔵され、それが乳牛に与えられたからである。1987年2月のピークは日本のデータにおける2011年12月の増加に相当する。原子炉事故からの時間的間隔が、両方のケースでほとんど同じだからだ。

フクシマ事故から2ヵ月後の2011年5月における日本のデータのピークに対しては、筆者には放射線生物的に説明することができない。しかし、ドイツでも1986年6月、つまり1986年4月26日のチェルノブイリ事故から2ヵ月後、乳児死亡率のピークが起きていることから、ここでも放射線が原因である可能性が高い。


出生率の後退
また興味深いのは、日本で2011年の12月に出生数の著しい後退が見えることである(マイナス4.7%、P=0.007、図5を参照)。福島県での出生数の減少がことに激しい(マイナス15.4%、P=0.0001)。その前の月(2011年11月)とその翌月(2012年1月)では異常は見えない。

似たような効果がチェルノブイリ事故後にバイエルン地方でもあった。1987年2月、原子炉事故から9ヵ月後に、出生数が予測値と比べ8.7%も下がった。この出生数の後退は、日本と同じようにひと月だけに限られている(1987年2月)。1987年の1月と3月にはここでもなにも異常な数値は見えない。セシウムの土壌汚染度が北バイエルンよりずっと高かった南バイエルンでは、出生数減少の度合いが北バイエルン(マイナス5.0%、P=0.162)より著しかった(マイナス11.5%、P=0.001、図6を参照)。出生率後退は、受胎後数日間における放射線による卵細胞の損失が原因と考えられる。

2012年12月13日木曜日

放射線防護専門誌「放射線テレックス」12月号


放射線防護専門誌「放射線テレックス」12月号


先日おすと えいゆ氏による「市民測定のすすめ」を掲載したが、ここに放射線防護専門誌である「放射線テレックス」のことが記述されている。チェルノブイリ事故後、子供たちを守るため西ドイツではたくさんの市民グループが独自に市民測定を始めた。その中で、測定活動を行い、食品の測定結果を公表するだけでなく、放射線防護に関する専門的な情報も提供する専門誌として「放射線テレックス」が生まれたが、それは現在でも定期的に発行され続けている。発行人であるトーマス・デアゼー氏は、福島事故後すぐに、日本でも市民が食品の放射能汚染を測定すべきだと、日本の原子力資料情報室などに呼びかけ、測定器購入の資金をドイツでも集めたいと提案し、国や公的機関に頼らぬ市民の測定の重要性を説いてきた。去年の6月から日本でも市民放射能測定所CRMSが設立され、その数はどんどん増えてきた。この11月に、このトーマスさんたちが日本を訪れ、各地をまわってあらゆる市民測定所などと交流してきた。その日本での体験記をまとめたものが、今回の「放射線テレックス」に掲載され、読む機会を得たので、ぜひそれを翻訳したいと思った。
放射線テレックスはかなり長く、A4版で2段組、20ページもある。その中で、まずそのトーマスさんたちの日本体験記を訳した。追って、日本各地の汚染ごみ焼却の問題、それから早期新生児(出生後7日未満)の死亡率が福島事故後に増加していることに関する統計的な立証分析結果などを翻訳していくつもりだ。また、日本ではあまり知られることのなかった、日本のプリピャチともいえる双葉町の町長井戸川克隆氏が国連人権委員会でこの11月に呼びかけを行ったときの彼の演説内容が全部翻訳されて掲載されている。これに関しては、その呼びかけの動画、また文字起こしが読めるサイトを見つけたので、そのリンクを載せる。(ゆう)

放射線テレックス(放射能、放射線と健康に関する独立した情報サービス)
2012年12月6日発行(622-623号) www.strahlentelex.de

フクシマその後
Durchhalteparolen und falsche Strahlenmessungen

「がんばれ」スローガンに偽りの放射線測定
福島第一原発事故から1年半経った日本での印象
Annette Hack, Thomas Dersee著(アネッテ・ハック、トーマス・デアゼー)
本文のPDFファイルはこちら:http://www.strahlentelex.de/Stx_12_622-623_S01-09.pdf

日本の東北地方にある福島県を今訪れると、国際放射線防護委員会(ICRP)、国際原子力機関(IAEA)、経済協力開発機構(OECD)、国連(UNO)の高低さまざまな地位の人間に遭遇するのを避けることはできない。それに、あらゆる日本や海外の大学から学者がそれぞれ違った動機でこの地域に入っている。

2011年3月、大地震の結果、太平洋沿岸に建っている福島第一原発が制御できなくなり爆発した。これによりいわゆるメルトダウンが起こり、大量の放射性物質が撒き散らされた。

「今は事故を起こした原発周辺に住む400万人の人々の状態を心配する学者がたくさんいるが、それはその人たちを助けることにはならない、なぜならこの人たちが知りたいのは、どうやってこれから自分たちを守っていけばいいのか、だからである」。これは、2012年の「核のない未来賞」受賞者である医師、振津かつみ氏が2012年11月13日に福島市で「子供を守る会」の女性・母親たちを前に講演し、現在の状況を語った言葉だ。彼女は、フクシマではチェルノブイリの10倍の住民が被害を受けたと考えている。

状況は今でも不透明だ。1986年のチェルノブイリ原発事故と違い、福島第一の原子炉の状態はいまだに安定していない。それに加え、使用済み燃料を入れた巨大な燃料プールが事故で破壊された原子炉の上に、ダモクレスの剣のように宙吊りになっていて、次に大地震が起きれば崩壊するかもしれない、そうなればこれまでよりもっと最悪な事態が待っている、という危険性を持っている。この事故現場からは今でも放射能が環境に流出している。そしてこれは、地図でカラーに塗られた場所だけにあるのではなく、日本中にある。「今の日本でも、チェルノブイリのときと同じように行動する以外、手はありません」と振津氏は説明する。技術が進んだ今は当時のチェルノブイリよりもっといろいろなことが可能だと思っている日本人がたくさんいるが、それは間違いだ、ということを。土を削り取り洗浄する以外、なんにもできることはないのだ。そしてそれだって皆、自分たちでしたのです、そのために自衛隊が来て、やってくれたわけではないのです、と。

国際放射線防護委員会(ICRP)の催し:放射能と学校教育

元アレバ社、今はICRPにいるジャック・ロシャール指導の下、ICRPは2012年11月10日に伊達市の市役所で、学校教育における放射能をテーマに公開セミナーが催された。伊達市の西側は福島市に面している。伊達市に小国(おぐに)という町があるが、こののどかな田舎町に降り注いだフォールアウトの線量はきわめて高いものがあり、20キロ圏内の警戒地区のようだ。強制避難はされなかったが、小さい子供のいる親たちは別の町へ移っていった。そして子供たちが今またスクールバスで小国小学校へと通っている。子供たちは線量計を首からかけ、毎日外で30分運動することを許されている。彼らが外で運動している時は、線量計はロッカーに入っている、と報告を受けた。

市役所には学校の校長、文科省代表、大学教授、各種団体の役員、そしてヨーロッパ、カナダ、アメリカから来たICRPやOECDの原子力機関のメンバー、フランスの放射線防護原子力安全研究所(IRSN)から7人が現れた。どうやらフランスは日本の「過ち」から学習したいらしい。というのも、次の原子炉事故はヨーロッパ、それもことにフランスで起こるのではないかと怖れられているからだ。ドイツからはOECDのミヒャエル・ジーマンが来ていた。数十人の人が聴衆としてきていたが、講演者の数よりずっと少ない。

ある学校の女性の校長が報告するに、生徒の親たちと教師で自分の学校を除染したから、彼女の学校で線量を測定すれば、「ほんの数ミリシーベルトしかない」という。すると彼女の横に座っていた男性が彼女の耳元になにかを囁くのが見え、校長先生は照れくさそうに笑いながら間違いを訂正した。「もちろんマイクロシーベルトの間違いです。」

新福島農協の代表者が、測定結果を紹介した。130分間ゲルマニウム検出器で測定したが、「ほとんどなにも」見つからなかった、という。消費者は、ことに東京の人たちは福島産の製品を避けている、と彼は語る。彼らのトレードマークとも言える名前は大損害を蒙った、と。それに、2012年4月に1キロ当たりの基準値を100ベクレルに下げたが、これは農業にとってかなりの負担だ、という。

そのあとにはマーケティング専門家が出てきて、ツイッターを利用して小規模の店や最終消費者を「啓蒙」する方法を説明した。大きいデパートやスーパーは全然問題ないんです、と。

もうこれで十分、と私たちは会場から立ち去った。「福島産のおいしいりんごや柿を食べさせるため」ICRPの代表自ら、自分の家族を連れてきている横で、「ほんのわずかな」マイクロシーベルトやベクレルが長期にわたってどれだけの損傷をもたらすか、公職についている人たちや団体の役員たちにどうやって説明したものだろう?

似たようなプロパガンダの催しが、今度はIAEAの企画で郡山市で行われることになっている。市民運動家たちはすでに、反対運動を起こすため動員を始めている。

図書紹介『福島原発事故と女たち』


『福島原発事故と女たち──出会いをつなぐ』
近藤和子/大橋由香子編 梨の木舎刊 1600円+税

日本列島は火山国だし、海のなかに移動させられた島国で、 災害の起こる頻度が高い。そこで重要なのがその時々の記録 だ。災害の様相は毎度違う顔を見せるだろう。しかし学ぶ教 科書は記録しかない。だからこんどのような大災害のあとに は、たくさんの記録を残して欲しいものだ。似たようなもの がいくらあっても過ぎるということはないと思う。今は電脳 時代で、情報伝達にどれだけ威力を発揮したことか。しかし 時間の壁を突き抜けて後の人びとに届くのは案外書物ではな いかと思う。この書も貴重な証言集のひとつだ。 

一人一人の体験を辿りながら、「自分だったら、この場合に どうしたろう」という問いを己に始終かけつづけた。逃げる のか、逃げないのか。子どものことをどう考えるのか。親を どうするのか。犬をどうするのか。どこに行けるのか。いつ までなのか……。際限なく答えの出ない疑問が湧く。そうし ているうちに、地震や津波はほんとに怖い、人の力や智慧では到底かなわない。だけどもっと怖いのは「原発事故」でこれは別格の災害だ。チェルノブイリ事故以外に、学ぶ教科書もない、目に見えない放射能に、期限もわからず追われるだけという事実にうちひしがれる思いがした。だから、辛くとも、答えがなくとも、一人一人の体験を書いておいてほしいと、重ねて思った。そして、それが逃げる教科書として役に立つのではなく、二度と同じことが起こらないようにするために、「原発 全廃炉」を実現しなければならないし、そのための教科書になってほしいと切実に願う。 

読み進むと、編者の二人の文章が出てくる。大橋由香子さんの指摘の数々にはううん、と考えこまされて、マイッタ。普段は誤魔化してやりすごしている卑怯な自分の姿勢を、背 中からドンッと叩かれたように感じた。特に「障害者」という言葉の持つ暴力性。放射の影響で「障害」をもつ子どもがうまれたらどうしよう! 私はおヨメにゆけないの? 赤 ちゃんを産んではいけないの? 現在「障害者」と呼ばれている人は「ダメ」なの? ほんとに辛くて、何度も本から目を逸らして考えこんでしまった。 

カギカッコつきの「オンナたち」が反原発で大きな行動をしていることは確かだ。そのことをフェミニズムの観点から見ると、いつのまにか、「オンナ」の役割みたいな括られ方が見えてくる。お母さんが子どもを守る役で逃げている。離婚が増えている。もうさまざまな問題が浮き上がってきて、自分が今まで曖昧にしてきたことに照明があてられてしまった。フクシマの事故が示したのは、「原発」の存在を許してはならない、だけでなく、自分の意識のご都合主義的な部分を許してはならないと教えられた。 

一方で、近藤和子さんの「オンナたち」のパワーへの言及、過去の数値入りには励まされるものがある。みんなよくやってきているのだ。寒くなったけれど、やっぱりデモにでかけなくちゃ。
(凉) 
反「改憲」運動通信 第8期13号(2012年12月5日発行、通巻181号)