2014年10月25日土曜日

ガンジーの毒入りの遺産

ツァイト紙2014年9月25日付
「ガンジーの毒入りの遺産」
アルンダティ・ロイとのインタビュー

私はこれまで、ガンジーの「名言」をいろいろなところで引用してきた。ガンディーは常に三猿の像を身に付け「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えていたそうで、御用学者や東電社員、政治家や役人がなにか話しているのを聞くたびに、それを思い出してきた。尊敬してやまない小出裕章氏もガンジーの下記の名言をよく引用している。

1. 理念なき政治 Politik ohne Grundsätze
2. 労働なき富  Reichtum ohne Arbeit
3. 良心なき快楽  Vergnügen ohne Gewissen
4. 人格なき知識 Wissen ohne Charakter
5. 道徳なき商業  Handeln ohne Moral
6. 人間性なき科学  Wissenschaft ohne Menschlichkeit
7. 献身なき崇拝  Religion ohne Opfer

しかし、私は実際ガンジーが自分で書いた文章をしっかり読んだこともなければ、話を聞いたこともないことに気づいた。こんなことではガンジーの文句を引用する資格は私にはないのだ。そのことを深く思い知らされたのが、この9月末にツァイト紙に載ったアルンダティ・ロイとのインタビュー記事である。これはヤバイ。ちゃんと自分で勉強して根拠のあることしか言ってはいけない、という根本的なことが、私にもできていなかったということか。あ~、これではいけない。というわけで、自分を戒めるためにもこのインタビューを訳した。
(ゆう)

Gandhis vergiftetes Erbe
「ガンジーの毒入りの遺産」
アルンダティ・ロイとのインタビュー


私たちの国は暴力の基盤の上にできている、とインドの作家、アルンダティ・ロイは語る。

ツァイト紙:マハトマ・ガンディーは20世紀で最も尊敬されている人物の一人といえます。イギリスの植民地支配に対するインドの平和主義的独立運動の指導者であり、マーティン・ルター・キングやネルソン・マンデラの模範であり、世界中の人々のアイドルです。ロイさん、あなたは先日、そのガンディーを鋭く批判するエッセイを発表されました。これは、どうしてですか?

アルンダティ・ロイ:ガンジーの遺産は偉大です。しかし、不幸にもこれはゆがめられてきたし、ましてや偽造までされてしまっています。今では実際の人物とはかけ離れてしまいました。私の意図は、もともとガンジーについて書くことではなく、ある本の再版にあたり、それを紹介するものとしてこの文章は、生まれたのでした。「カースト制度の廃止(Annihilation of Caste)」、という近代インドの重要な知識人の一人である、ビームラーオ・ラームジー・アンベードカルの書いた本です。アンベードカルはガンジーの強力な批判者でした。彼はガンジーに対し、知性的、政治的、倫理的な意味でとても挑戦的でした。彼はダリットの家庭に生まれたのです。

ツァイト紙:「不可触賎民」、カースト制度の最下層に属し、その上のカーストの人たちからまるでらい病患者であるかのような扱いを受けている人たちのことですね。

ロイ:「カースト制度の廃止」は、アンベードカルが実際には行わなかった演説のテキストです。これは1936年に出版されました。アンベードカルはこの中でヒンズー教を非難し、世界で最も野蛮で、卑属的な階級的社会制度であるヒンズー的カースト制度を攻撃しています。とても扇動的な文章です。これを書くちょっと前にアンベードカルは、自分はヒンズー教徒として生まれはしたが、ヒンズー教徒としては死ぬ気はない、と公に宣言しました。「カースト制度の廃止」は、なぜヒンズー教から離れなければいけないかということを説いたものなのです。ガンジーはこれに答えました。

ツァイト紙:そしてカースト制度を弁護したのですね。どの人間の職業も社会的地位も、生まれたときから決まっている、そういうシステムを、自分では逃れることのできない運命として定められている社会制度を。

ロイ:ええ、そうなのです。ガンジーがカースト制度や南アフリカの人種問題に対して持っていた考えを、私は追跡してみました。彼は1893年から20年間も南アフリカに住んでいたのです。インドに住んでいる私たちは皆、ガンジーがどのように政治的に目覚めたかという話を教え込まれて育っています。彼がピーターマリッツバーグで、白人専用の車両へ乗車することを拒否され、追い出されてしまった、という話です。でも、これは話半分でしかありません。

ツァイト紙:ではそのもう半分は?

ロイ:ガンジーは人種の隔離について怒ったわけではなかったのです。本当の話はこうです。彼がどうして白人専用の車両に座っていたかというと、彼は、上流階級出身の金持ちのインド人は、Kaffir と一緒の車両に座って旅をするべきではないと信じていたからです。彼は黒人のことをいつもKaffir(南アで黒人を表す蔑称)と呼んでいたのです。そのことを頭ではっきり認識するのは、ちょっとショックなことでした。自分の文章では、ガンジーが1893年から1946年までに書いた文章を引用するにとどめました。かなりショッキングな軽蔑さ加減で、彼はアフリカの黒人、インドの農奴、不可触賎民、労働者や女性のことを書いています。南アフリカで過ごした20年間のほとんどを、彼は白人政権との友好関係を得ようと努めることに費やし、イギリス人と「帝国主義的同胞愛」を望む、という宣言までしているのです。

ツァイト紙:それで、ガンジーはインドに帰ってくると、この考え方をインドに適用し、カースト制度の保護者となったというわけですか?

ロイ:もちろん、彼の人種に関する考えが、本当にカーストに関する考えの基本となっていたかということは簡単にはいえません。彼は、カーストの原理に支配された社会で生まれ育ってきていたわけですから。でも、彼の人種とカーストに対する考えは、際立って保守的です。彼は「時代の子だった」とすら言えないのです。というのは、彼と同世代の人たち、インド人であれ、他の国の人であれ、アンベードカルやジョティバ・プーレなど、ずっと進歩的な人たちもいたからです。ガンジーは本来、私が文句なしに惹きつけられる、という人物ではありませんでした。私は信心深さや純粋性を特別良しとしませんが、彼はそれに取り付かれていました。彼に善良な「変わり者」というレッテルを貼るのすら、難しいのです。それにはかなり、たちの悪いものが邪魔をしているからです。単に非暴力の抵抗、禁欲、山羊の乳、自ら紡いだ木綿、というレベルの問題ではないのです。

ツァイト紙:でもガンジーは不可触賎民や低い階級が社会からの除外されることや、権利を剥奪されていることなどに対し、鋭く批判していたのではないのですか?

ロイ:彼は政治的社会的カースト制度の問題点を、象徴的でトーテム的な不可触賎民問題に縮めてしまったのです。カースト制度の問題は、まず第一に土地、教育、公共的サービスなどの権利の問題です。不可触ということは、ダリットを弾圧している何重もの暴力的手段の一つです。彼らを洗脳し、彼が今後も今と同じようにあり続けるようにしているのです、安価な労働力のストックとして、制度を脅かすおそれのないものとして。ガンジーが主張したのはこうです:どのカーストもそれぞれの世襲の仕事に就くように、ただ、だからといってどのカーストもその他のカーストより高貴であるということはない、と。これで、侮辱されてもそれを喜んで受け入れるようにと、彼は求めたわけです。アンベードカルが1936年にカースト制度に対する論争を発表したとき、ガンジーは、便所で働く労働者のカーストが持つべき理想的性質についてエッセイを書きました。他の人間の排泄物を片付けるということは神々しい義務であり、彼らはこれをずっと続けて、決してその仕事で「利益を蓄えよう」などと思ってはいけない、と彼は信じていたのです。

ツァイト紙:それでも彼は、非暴力主義の画期的な保護者でした。

ロイ:肝心な点はこうです。ガンジーの非暴力主義は、持続的な、野蛮で極端な暴力の基盤の上にできていることです。というのも、それがカースト制度だからです。この制度は、暴力で脅迫したり、暴力を使ったりすることなく維持できるものではありません。今日ですら、現状を問題視するダリットは、儀式殺人で殺される危険にさらされています。2012年12月にデリーであるバスの中で若い女の子がおぞましくもグループ強姦をされて殺されたことに対し、大々的なデモが行われました。同じ年に、1500人のダリットの女性がカーストの高い男たちに強姦され、650人のダリットが殺されました。でもこれはほとんどニュースには流れません。

ツァイト紙:ガンジーは西洋的な現代のあり方に対する極端な批判者でもありました。これはあなたにも通じるものがあるのではないですか。あなたも、ダムや鉱山をつくるために環境を破壊し、夥しい数の人間を迫害するインドの近代化に対し批判しています。

ロイ:この観点ではガンジーは先見の明があり、地球がどんどん略奪されていくことを見抜いていました。ええ、彼が魅力的な人物であることは疑いがありません。私は自分のエッセイをぜひ、ベン・キングズレーに送りたいものです...

ツァイト紙:あなたのエッセイは、過去のことを扱っているだけではなく、現在のことも大きくテーマにしています。オブザーバーのほとんどは、少なくとも西洋では、今日、貧困や男女の不平等こそがインドの最大の問題とみなしています。ロイさんはでも、カースト問題が今でももっと重要だとお考えですか?

ロイ:インドのマスコミが選挙戦をどう分析しているか、よく見てみてください。まず有権者グループのこと、つまりさまざまなカーストがそれぞれの地域でどう選挙するか、ということを分析しています。カーストの現実が、現代のインドを動かしているエンジンです。でも、選挙が終われば、すべてはまた薄らいでしまいます。30年代から所属カーストによる公的な国民の分類はなくなりました。それで、カースト制度の偏見がもたらすひどい影響が、栄養失調や土地を持つことのできない人々、または極端な貧困などに関する統計に表れてこなくなりました。これらの数字が「カーストとは関係なく」なってしまうからです。インドの進歩的な知識人たちは、このテーマを回避しようとします。

ツァイト紙:人間としての平等を基本とし、それを政治的な形にしていこうとしている民主主義がインドでは、どうしてカースト制度を克服することができなかったのでしょうか?

ロイ:それは私たちの選挙権と関係があります。アンベードカルはこの分野で、彼が行ったことの中でも一番大きな戦いをしたといえます。彼は、政治的に強い力を得るために、ダリットが自分たちの代議士を選挙で選び、国会に送り出すべきだと主張したのです。1931年には当時の英国植民地政府はこの要求を受け入れました。ガンジーはそれに反対し、ハンガーストライキを始めたのです、死ぬまでストライキを続けてやる、と脅しながら。アンベードカルは最終的には譲歩せざるを得ませんでした。これは、私たちの歴史の中でも、かなり最悪の瞬間でした。

ツァイト紙:「あたかも誰かが薄暗い部屋に入り込んで窓を開けたような感じだ」と、アンベードカルの本を読んだときのご自分の経験を書いていらっしゃいますね。どうしてこれがあなたにとっては啓示だったのでしょうか? カースト制度の問題を、それまであまり意識していなかったのですか?

ロイ:私は南インドの、ケーララ州にある村で育ちました。私の小説「小さきものたちの神」はそこが舞台で、カースト制度の問題が中心を占めています。でも教育では、私たちの学校の教科書には、この問題は出てきません。この問題を掘り下げることは許されないのです。カースト制度は私たちの現実にある問題なのに、テーマにはならなかった、それこそ私が「見ないようにするプロジェクト」と呼んでいるもののせいです。そういうことがなかったかのようにしているのです。少しカーストの高い人たちはこう言うかもしれません、「カーストなんて信じない、カーストは私には存在しない」と。でもそれは、彼らがこのような現象に出会わなくてもいいような、あたかも自分たちが平等の人間であるかのように振る舞うことのできる、そういう特権のある環境を作り上げたからです。

ツァイト紙:ここ数年、あなたはことに政治的なエッセイ - 資本主義やインドの核装備、カシミール政策、インドの先住民アディヴァシに対する不公平な扱いなどに反対するエッセイ - を発表してきました。でも、カースト問題については書いてこられませんでしたが、それはなぜですか?

ロイ:私の書いたエッセイで、ダリットや今話に出たアディヴァシなどが出てこないものはほとんどありません。でも私の政治的な文章は、特に国家を問題にしています。しかし「カースト」というのは、社会と無関係ではない。これはとても複雑な問題なのです。階層社会の一番底辺にいる人たちの間にすら、さらに上下関係があります。これは抑圧ということに関していえば、素晴らしくよくできているシステムなのです。これは、どちらかといえば文学の主題といえるでしょう。

ツァイト紙:ジャーナリズムで長い間論評を続けてこられたわけですが、今また小説を書き始めたそうですね。知識人として公共の場で積んでこられた経験に、失望されていますか?

ロイ:私には「公共の場にいる知識人」というのが何なのかよくわかりませんし、私がはっきりとした役割を務めるべきかどうかもわかりません。私は失望はしていません。でも、多くのインド人と同じように、私は、目前に迫っているものに対し、とても憂慮しています。ヒンズー国粋主義と、大企業の資本主義とが結びつくことです。私自身のことを言えば、国家に対する批判は、直接、緊急に書かれた政治エッセイで行うのがいいと思っていました。でも、私の中には、ワイルドで、無責任に、非理性的になりたい部分があって、単に事実や数字だけで論議したくないところがあるのです。これは失望とは関係ありません。ただ、同じことを繰り返し言っているような気がしてならないのです。何か、別なことをする時期に来ているのだと思います。

ツァイト紙:書き始めた小説について、なにか話してくださいますか?

ロイ:私は今、いろいろなことから離れようとしています。これからなにが起こるかわからないし、どんな小説になるかも、わかりません。そのうち自然と見えてくるでしょう。

インタビュアー:Jan Ross

2014年10月10日金曜日

快感帯の廃止

快感帯の廃止
この文章は、実はフランクフルター・アルゲマイネ紙に、フクシマの事故があってからすぐ3月20日に掲載された。私は当時、茫然自失していたし、実際に気をとりなおしてあらゆるドイツからの情報を日本に向けて翻訳し始めるようになってからは、もっと具体的に訳さなければ、と思う記事や動画がたくさんあって、この記事はそのままになっていたのだが、先日この記事を読み直してみて、書かれてから3年以上経つこの文章の鋭い考察に、やはり心から同感するので、訳すことにした。このハラルド・ヴェルツァー氏は、すでにこのブログで何回か取り上げたが、私が今とても注目している人物の一人だ。(ゆう)

本文はこちら:
http://www.faz.net/aktuell/politik/energiepolitik/nach-fukushima-abschaffung-der-komfortzone-1610925.html
Frankfurter Allgemeine Zeitung(フランクフルター・アルゲマイネ新聞、2011年3月20日号)
Harald Welzer(ハラルド・ヴェルツァー)

フクシマ事故の後で
快感帯の廃止

 日本で起きた原発事故は、停滞なき繁栄を約束するこれまでのあり方から完全な方向転換を促すきっかけとなって当然だ。しかし私たちは、自分たちで認められる以上に、浪費を続ける社会モデルと癒着してしまっている。

 日本で起きた原発最悪事故は、今までで最高の世界に生きているという確信も、当面のところ汚染してしまった。自然条件やその有限性からも解放された、止むことなき進歩発展の世界に住んでいるという思い込みである。ほとんど天然資源を持たない国が世界で三番目の経済大国でいられるということが、長い間疑問も持たれずに当然のことと受け止められてきた。しかし災害が起きた瞬間に、そんなことは短期的な視野でしか可能ではないということが明らかになってしまった。人間が生き延びる根本は常に、人間と環境との関係でしかないという当前の事実からは、核エネルギーですら解放してはくれないのだ。

 現代の夢とは、自然の権威から完全に解放されることだった。プラスチックにしろ、核廃棄物にしろ、地震に強いインフラストラクチャーにしろ、ありとあらゆる人工的なものが日本では今、巨大なフォールアウトの状態に陥ってしまった。そして文明がこぞって隠そうとしてきた負の塊が死を、病を、荒廃を、抑うつをあとに残していく。

難破と見物人

 これからどうなっていくのかは、まだ誰にもわからない。災害に強い日本人がこの危機から再び抜け出していくのか、あるいは、なにもかもが放射能汚染されているため、何百万人という人間が出入りを禁止されるような「特殊区域」に住むことを余儀なくされるのか。そういうシナリオは文学や映画でこれまで幾度となく描かれてきた。日本は島国であるだけに、核の啓示を現実に置き換えやすい。被害に遭わずに済んだその他の国や大陸は、そこで起きることをただ見物していればいいだけだ。放射能が高くなることや、被ばくした招かれざる客がそばにやってきはしないか、案じる必要はない。

 まさに現実のディストピアである。人間はこれで、終わりない繁栄を約束するあり方を信じることをついにやめる転機に至ったのだろうか、あまりに代償が高すぎると認めるようになったのか、もしかしたらこれまでほどは快適でない、他者の犠牲の上に成り立つのではないライフスタイルへ方向転換する覚悟が、これでできるのかと、ここ数日私は幾度となく質問を受けた。残念ながら、そうは思わない。

 そしてその理由は、これが二番目の原発最悪事故だからであり、一度目の事故がなにも変えなかったからである。そして消費地域をどんどん拡大して幸福感を高めようとする経済と社会モデルの吸引作用があまりに強く、誰一人としてその力から逃れることができないからだ。

痛ましい例外というロジック

 核エネルギーの使用は、今の社会モデルがもっている、原則的に飽くことのないエネルギーへの飢餓感が表す症状の一つに過ぎない。もう忘れられてしまった去年のメキシコ湾原油流出事故もその一つだ。途方もない天然資源の過剰利用が引き起こすその他の事故は、数え切れないほどある。そしてエンジニア、技術者、経済専門の政治家、電気会社の幹部たちは、気が遠くなるような想像力のなさで、同じことを言い続けている。痛ましい事故だがこれはほんの例外に過ぎず、ここではこんなことは起こりえない、それにほかに取って代わる方法はない、さもなければ石器時代に戻ってしまう、電気がなければ云々...だ。

 国民の大多数が、もうそんなことには賛成していられないと声を上げ、抗議し、方向転換や変更を訴えるだけでなく、自ら実行に移していかなければ、いつまでも同じことが平気で繰り返されるのは、なぜだろうか。それは、毎朝マイカーで出勤し、週末はスポーツクラブで退屈するか、飛行機の席に窮屈に座り込んではどこかに一飛びして、地球の別の場所で無意味なことをしながら、この浪費と無責任の文化が私たちを先導していくのに、ずっと賛成してきたからだ。

 別の言い方をすれば、こうだ。自分たちが思っている以上に私たちはこの世界に大勢いるグロースマン(ドイツ大手電気会社RWE社長)やタイセン(同じく電気会社Eon社長)、ヴェスターヴェレ(2011年当時のドイツ外務大臣)やメルケルと同意見なのだ、ことに彼らに対して腹を立てているときに限って。すべてのことに関し、いつでも思いのままになるユーザインタフェースがあればいいと思っているのが私たちである。

プラン B はない

 ユーザと化してしまった市民には、日本が必要な部品を今のところ納品できなくなるので新しい iPad が手に入りにくくなるということの方が、何百万人という人間が野垂れ死にすることよりショックなのかもしれないが、それはそう驚くべきことでもない。というのは、この世の中がスムーズにこれからも機能するためには、市民に新しいiPad を欲しがってもらわなければならないからだ。転機が訪れるためには、それをもうやる気がなくなるか、できなくなることが前提となる。しかし、このクラブから脱退すれば、いったいどこに行き着くのだろうか?

 資本主義システムやその繁栄、公平さ、健康や安全といった利得に潜む陰険な側面は、存在のどの部分も「商品」にされてしまうことだ。そしてそれを買う幸運に恵まれた者しか、それらを得ることができない、ということだ。消費というグローバルな幸福感においては、誰もが例外なく平等に扱われる、ということかもしれないが、実はすべてが平等、つまりすべてが「売り物」であるからこそ、それに取って代わる方法がことごとく失われてしまった、ということなのである。日本が今向き合っている真のドラマチックな所見はだから、プランB はないということに尽きる。そしてこれは、それだからこそ日本人が、その他の先進工業国と同じように核エネルギーに固執するに違いないということも意味している。資源がなければないほど、そしてそれに連結して行動の自由裁量の余地が狭まれば狭まるほど、彼らはもっと核エネルギーに固執していくに違いない。

破滅の青写真

 ジャレド・ダイアモンドがその著書「文明崩壊 - 滅亡と存族の命運を分けるもの -」の中で、生き延びていくための条件が変化して危機にさらされると、どの社会もまずある一つのことをする、と書いている。そのあることとは、それまで、中には何百年にもわたり成功してきた戦略を強化する、ということだ。肥沃な土地がわずかになれば、それからますます搾り取るだけ搾り出し、破滅を一気に導いてしまう。石油がわずかになれば、深海を掘削してリスクを高め、エネルギーが足りなくなれば、地震の多い土地に原発を建てるというわけである。

 社会が成功するモデルには、その社会の破滅の青写真がすでに含まれている。目新しいのは、発展上昇と内側からの破裂との間隔がどんどん短くなってきていることだ。西洋資本主義社会の生活形式は、華々しい文明進化を遂げてから自らを破壊していくまでに、三百年とかからない。

 将来生き延びていくためには、教育、医療、安全、平等、法治国家であることなどの点でこれまでに達成した文明レベルを保ちながら、間違った方向にそれてしまった発展 - ことに未来のないエネルギー利用や限度のないモビリティ、いつでもすぐになんでも手に入ることを求める文化 - を極端に減らしていくしかない。

 それには、必要不可欠と信じて疑わない技術の機能不全を節操なく嘆いたり、他者の不幸に対し偽りの同情をしたりする以上のことが必要である。この国では偽善たっぷりの日和見主義的政治決断が日本の大災害によってもたらされることとなったが、それこそ、将来は自分の考えも、責任も、人任せであってはいけないという思いを新たにするきっかけとなるには十分である。原発最悪事故が示しているものは、だから以下のことである。資源には終わりがある、その明らかな事実を無視する社会モデルにも資源と同じで、終わりが来る。快感帯は、今日を以って終わりである。

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Harald Welzer(ハラルド・ヴェルツァー)、ドイツの社会学者、社会精神学者。Futurzwei(第二未来形)基金の創立者および代表者。2012年よりフレンズブルク大学の栄誉教授、ザンクト・ガレン大学、エモリー大学(米国アトランタ州)で教鞭をとる。専門は記憶、集団暴力、文化学としての気候の影響の研究。

快感帯とは
……人体が感ずる温熱感覚は単に気温と湿度だけでなく日射や気流(風)も影響するので,温熱感覚を表すのに不快指数を用いることは環境衛生学上は問題があるといえよう。たとえば温度,湿球温度,風速の三つを座標としてつくった実効温度effective temperatureの図表で,17.2~21.8℃の範囲は快感帯comfort zoneと呼ばれ,多くの人が快いと感ずる温熱領域であるが,これと不快指数が一致するのは無風の場合にかぎられる。しかし,室内での体感の表示には便利な指数で,気象分野ではよく用いられる。……(コトバンクより)

自然はカタストロフィーなど知らない

自然はカタストロフィーなど知らない

カタストロフィーという言葉が日本語にも浸透したが、これは単に自然災害だけを指すのではない。自然にとっては、地震も火山の噴火も洪水も、程度は違えど繰り返し起こる出来事に過ぎないのだ。それが生命を脅かすカタストロフィーになるかどうかを決定するのは文化だ、ということを示す展覧会の記事を読み、なるほどと思うところがあったのでそれを訳すことにした。それにしても、フクシマ事故以来、絶え間なくカタストロフィーが起こっている気がする。確かに、自然の理に適わぬものを作り上げてしまい、災害が起きて大きなカタストロフィーに発展させてしまってから「想定外」などといって知らぬ顔をするのが日本の文化ということか。(ゆう)

2014年9月4日付けツァイト紙「自然はカタストロフィーなど知らない」
Andreas Frey報告
(Die Zeit: "Die Natur kennt keine Katastrophe" 04.09.2014 von Andreas Frey)
本文はこちら:http://www.zeit.de/2014/37/naturkatastrophen-erdbeben-vulkanausbruch-ausstellung

火山の爆発、地震、洪水が起こるたびに、人間はその原因や誰のせいなのかを探そうとする。しかしある展覧会があることを示した。まず文化が最初に、その破滅を定義する、ということを。

1816年は夏がなかった。それくらいにひどい天候だった。冷気、雨、そして空から落ちてくるのが雨でなければ、それは雪だった。7月の終わりだというのに南ドイツは白い雪に覆われた。穀物は実るかわりに茶色いどろんこに成り果て、飢饉が広がった。パン屋や農家が襲われたという報告も残っている。たくさんの人間がこの土地を離れてよそへ移り住んだ。

この悲劇の年は「夏のない年」として歴史に刻み込まれている。これは他に例を見ないカタストロフィーだった。なにが起こったのだろうか? ありとあらゆる流言がまかり通った。ことに目に付く軌跡と言えば、カスパー・ダーヴィッド・フリードリヒやウィリアム・ターナーがその絵画に残した、真紅に燃えた夕焼けの太陽の色だけだ。今ではその原因がわかっている。この「夏の来なかった年」は人間の歴史が始まって以来最大規模の、火山の噴火がもたらしたものだったのだ。インドネシアのスンバワ島にあるタンボラ山がこの前の年に自ら頭を宙に飛ばしてしまったのである。

平和な惑星などというのは、まったく的外れだ。一週間とも地球がその住民たちに暴虐を加えないことがあるだろうか。炎を吹き、地面を揺り動かし、ある土地の一面を水浸しにし、竜巻で吹き上げる。ここに暮らすのは、生命にかかわる危険な企みだ。人間の歴史とは、カタストロフィーの歴史と言い換えることができよう。自然は文化に絶えず挑戦してくる。この力比べは私たちになにをしようとしているのか? これに勝つことはできるのか?

その答えを探し求めて、マンハイムにたどり着いた。ライス・エンゲホルン博物館では、この日曜から人間の歴史で最大級の自然災害をテーマにした展覧会が見られる。ここでは自然災害がそれを招いた要因ごとに分かれて展示されている。アリストテレスの説に基づいた四大基本物質である - 火(火山)、地(地震)、水と空気(洪水、嵐)、そしてそれに人間という要素が加わる(気候変動)。これはタイムとリップでもある。そして世界をめぐる旅でもある。「アトランティスから今日まで。自然。大災害」という名のついた展示会だが、これは単なる体験型教材ではない。この展覧会が見せてくれるのは、ことに私たち自身についてなのだ。

たとえば私たちが絶えず原因を探そうとする、好奇心、というものがある。ただ単になにかが起きるだけではだめで、私たちはなぜ起こったかを知りたい。2世紀前の自然科学者たちはヨーロッパで起きた冷夏について、あらゆる説明を見つけようとした。森林の伐採が熱を奪ってしまったのだ、という人もあれば、その数年前に起きた数々の地震が誘引したのだ、という学者もいた。多くの人間にとっていかがわしいとしか思われなかった避雷針も、議論された。地球の中があまりに熱しすぎたために、自然の熱の流れが妨害されたのだろうか?

啓蒙が勝利をした後も、教会が飽くことなく続けた世界の説明は、長く地上にとどまった。教会はこの1816年の歴史的な異常気象を、人間の罪深い振る舞いに対する神の罰だと解釈した。そしてこの解釈を教会はいつものごとく、自分たちの利益のため、倫理的秩序を保つために利用した、とゲーストハハトのヘルムホルツ・センターの人類学者ヴェルナー・クラウス氏は語る。「自然災害は権力の空洞を生み出し、人間をトラウマ状態に陥れる。」そのことが、暴力的な破壊をイデオロギー的に悪用するのに最適な状態にするのだ、と。

スンバワ島では、そこで発生した権力の空洞を、まずは山の神が火山の噴火を起こさせたのだ、という説で埋めようとした。その後まもなく、イスラム教がこの神話的な説を追放することとなる。タンボラ王国の統治者たちが神の怒りを招いたのだ、と。

火山の噴火と大気の混濁や冷夏の因果関係を正しく科学的に解明する者はいなかった。それをするには世界のネットワークはまだ不十分だったからだ。異常気象の主な原因が火山の噴火であるということは、1883年にインドネシアのクラカタウの大噴火が起こるまで、人間は危険として認識していなかったのだ。またもや太陽が翳った。そして電報というものができたお陰で、世界のこちら側にいて向こう側でなにが起きているか、知ることができるようになったのだった。

火山の噴火は世界で初めての報道事件となったのである。大気に飛んだ亜硫酸ガスが地表の気温を下げる効果をもたらすことはしかし、23年前に起きたフィリピンのピナツボ噴火でやっと、科学的に証明されることになった。

今日では、どんな自然災害もメディアイベントだ。2010年にエイヤフィヤトラヨークトルが火山灰を吹き上げたときと同じように、アイスランドのバルダルブンガ火山がこれから巨大なガスを噴出すことになれば、我々はすぐさまライブで中継するだろう。破壊的な自然の力を、私たちは安全な距離から見物し、人々に同情し、「理解しがたいもの」を消化していくことだろう。マスコミは、我々が因果関係を認識し、カタストロフィーから学ぶ手助けをしてくれるだろう。メディアは記憶文化を構成している大きな要素だ。

「私たちは大災害を見る時には、かなり内面で対立しあう感情を持っているものです」と語るのは美術史家でこの展示会の主任を務める、ハイデルベルク大学のモニカ・ユネイヤ氏だ。「のぞき見趣味は常にあります。しかし、自然災害に魅せられることで、私たちは恐怖を克服するのです」。

今では地球は24時間絶えず観察され、測定されている。どんな変化でも記録される。私たちは「知識社会」に住んでいるといえる。ハリケーンがどうやって発生し、地球がなぜ振動するか、説明できるようになった。そして嵐のような自然現象は前もって予報でき、備えることができる。ただ、自然はまだ制御することはできない。でも、もしかしたら思っている以上にその野生さを「飼いならす」ことがもうすぐできるようになるかもしれない。この惑星の物質循環に人間が手を加えることが現実となってから久しいではないか。自然を制覇することができれば、もう自然災害を恐れる火必要はなくなる。

「人間とその文化を破壊する規模の、自然の例外的状況が発生して初めてそれが、カタストロフィーと呼ばれるのです」と語るのは、この展示会の発起人の一人である、ダルムシュタット技術大学の歴史家ゲリット・シェンク氏だ。この定義はかつてマックス・フリッシュが言ったことである。「自然はカタストロフィーなど知らない」と彼は書いている。文明から遠く離れた南極で巨大な氷河が崩れても、それは確かに圧倒的な力を持つ自然の力だが、カタストロフィーではない。

それを決定するのは、見方である。カタストロフィーとは、突然発生する、決定的に何かを変えてしまうような出来事として理解される、破滅的な結果をもたらす大きな不幸として。カタストロフィーはだから自然災害だけでなく、事故、戦争、またはテロ事件なども含まれる。語源はギリシャ語のカタストロフェだ。これは「突然訪れる激変」という意味だ。16世紀まではこの言葉は喜劇の転機を指す場合に使われていた。否定的な意味合いが生じたのは、後になってからだ。

自然科学のカタストロフィーに対する見方は現実的・実用的、その反応は技術的なものだ。自然科学に影響を受けた社会は、カタストロフィー・マネージメントを学習しようとする。自然の原因を説くことで、予防を可能にしようとする。北海の諺にこういうものがある。「堤防を作って備えない者は消滅するしかない」。予防するか、死ぬか。嵐や洪水から自らを守るために、人は防壁を築いた。教会の言うことをよく聴き、神だけを信頼していたら、現在ある海岸などとっくの昔に水の底に消え、人間もそれと共にいなくなっていたはずだ。去年12月に大きな嵐をもたらした低気圧クサーファーは、長年の堤防維持管理組合の仕事の成果がなければ、大昔にあった洪水による溺死事件と同じほどの破壊を招いていたことだろう。

私たちは、社会がどれだけ傷つきやすく、または酷使に耐えるか絶えず評価しなおす。自
然の暴力がカタストロフィーになるかどうか。そのために研究者たちは脆弱性と回復力(レジリエンス)という概念を作り出した。経済学者や政治家は逆に、自然災害を数字で表現する。EUでは、国の経済的損害が30億ユーロを越すか、少なくとも国内総生産の0.6%になればカタストロフィーであると、定義している。

自然災害の中でも地震は生命にとって最大の危険を意味している。そして一番不気味なものだ。何の前触れもなしに地震は足の下が揺れ始め、人間のもっとも原始的な恐怖を呼び起こす。地震は数秒しか続かないことがほとんどなのに、何年という年月にわたって一つの国を大きな危機に陥れることができる。これが文化全体にとってそれを乗り切ることができるかという試練になることが少なくない。カリフォルニアではもう数十年も前からビッグ・ワンが予測されている。二週間前に起きた力強い地震はただそれを思い出させる助けとなっただけである。地球の内側で地殻構造のひずみや力がそれ以上になにをもたらすことができるかは、この十年の間に世界は二度も見せつけられることとなった。2004年と2011年にアジアで起きた津波は両方とも、沿岸線を完全に破壊して何十万人という人間を殺した。日本ではそれに三重のカタストロフィーが重なった。地震、津波、メルトダウンだ。

文化的な捉え方はしかし、まったく異なる。私たちは今ではネットで、リモコン操作やマウスをクリックするだけでカタストロフィをそばに引き寄せることが可能だ。一緒に同情したり、援助したり、警告したり。しかし同時に、それらを無視することも可能である。
どの文化も、自然がもたらすものからそれぞれ異なった結論を引き出す。フクシマの原発カタストロフィがそれをよく表している。ドイツでは、世界の向こう側で起きたこの出来事が、この国の最大級のプロジェクトを招いた - エネルギー政策変換である。他のほとんどの国はしかし、これを性急に過ぎてヒステリックな決断だと思っている。

日本ではこの不幸を儒教的思想に基づいて理解した人が何人かいる。人間が混沌を作り出したところに、自然が秩序をもたらすと。日本の神話によれば、地下に住む大なまずが地震を引き起こすとされている。なまずは報復をする者、世界を新たに更生する者だとされているそうだ。この意味で作家であり政治家である石原慎太郎はこのカタストロフィを倫理的浄化とみなした。「この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と彼は語った。不幸をチャンスとみなす。次の日に石原慎太郎はこの発言を撤回した。

日本での三年前の震災と似た災害を体験したのは、1755年のリスボンの地震だ。これで大陸全体が揺れ、とてつもない被害を起こし、12メートルの高さの津波が引き起こされて、大西洋の反対側にあるマルティニークやバルバドスで甚大な被害を招いた。これはヨーロッパ中の宗教、芸術、哲学、文学、政治で激しい論争を呼んだ。

教会は罪のなすりあいを行った。カトリック教会ではただちに信者から贖罪を求めた。プロテスタントでも自然災害を神の罰とみなしたが、カトリック教会に対しての罰だとした。なんといっても、地震はカトリックの祝日である万聖節に起きたのだ。プロテスタント教会は、カトリック教会がその過剰な聖人信仰と異端審問で世界に災厄をもたらしたのだ、と非難した。マンハイムのシラーハウス所長であるリーゼロッテ・ホメリング氏がこの展示会に寄稿して書いているように、哲学者たちもこの災害の解釈について論争しあっている。ヴォルテールは、いろいろ不幸があろうとも、今現在世界で最良のところにすんでいるのだという、浸透していたライプニッツ派の説を批判した。少なくとも今やっと、神が罰と復讐をする神だということがわかったではないか、と。

罰を与える神という考えは今でも浸透している。米国の西部の農民たちは、旱魃とならないための祈りを推奨している。「Pray for Rain」という文句が彼らのポスターには書かれている。民俗学者のヴェルナー・クラウス氏は、現在の気候温暖化論争でも、宗教的な解釈のパターンをよく見る、と語る。2005年のハリケーン「カトリーナ」をニューオリンズの住民の無節操な品行振りに対する神の罰だということを言った人は少なくなかった。百年ぶりの洪水を、自然の報復とみなす、一般に行き渡った見方は、宗教的な罰という観念を現代の環境意識に当てはめた続きに過ぎない、とクラウス氏は語る。「我々の多くが気候の変化を、母なる大地、または地母神ガイアの安定状態を私たちが崩したことに対する結果だとみなしています」と。

この展示会のリーダーを務めたモニカ・ユネヤ氏も、同じように見ている。「解釈のパターンは今日までほとんど変化していません。償いと罪滅ぼしということになるのです。植樹をすれば、安心するのです。」現在の贖罪のバリエーションは、自転車に乗ることやオーガニックの牛肉を食べることだ。

自然はどうなったとしても大きな力であることには変りはない。自然がまた炎を吹き、地面を揺り動かし、土地を水浸しにするたびに、地球はそのことを永久に思い出し続けるだろう。しかし自然がカタストロフィとなるかどうかは、それは私たち次第だ。

2014年7月17日木曜日

図書紹介『「脱ひばく」いのちを守る』

図書紹介
「脱ひばく」いのちを守る
 ──原発大惨事がまき散らす人工放射線
松井英介著 花伝社発行


松井先生ご夫妻に私は、ベルリンに二年前に越してきてから何度もお目にかかった。放射線測定所を訪問されたとき、IPPNWの副会長である Dr. Alex Rosen医師とお会いになったとき、それから今年のベルリンでのフクシマ三周年のデモで演説されたときなどには、通訳をさせていただいただけでなく、さよならニュークスでは彼を招いてお願いした、基本的な放射線に関する講演にも参加し、個人的に何度もお話することができたことから、親しくお付き合いさせていただいているが、彼のフクシマ事故以来の貢献には常に頭が下がる思いでいる。

先日は日本でコミック「美味しんぼ」に掲載された「福島の真実」にも松井先生は実名で「登場」された。この中で鼻血のシーンが描かれたことで一斉に「美味しんぼ」糾弾が始まったことに関しては、すでにこのブログでも触れたとおりである。

その松井先生が書かれた『「脱ひばく」いのちを守る── 原発大惨事がまき散らす人工放射線』がつい先日出版された。フクシマ事故が起こって以来私たちは、事故そのものに限らず、撒き散らされた放射性物質の線量や、放射性物質と被曝(外部内部ともに)の恐ろしさと影響を過小評価するだけに留まらず無視し、あたかも除染が可能であるかのような幻想を与え、人々を線量の高い地域に帰還させる政策を進めている政府、行政、国際原子力ロビー、そしてそれらに尻尾を振るマスメディアと御用学者の厚顔無恥な発言の洪水を、毎日いやというほど聞かされてきた。日本という国に希望を持たないできたはずの私が、これでもか、これでもかというほど目の当たりにさせられるあまりの報道内容のひどさに、できれば布団をかぶって目と耳を遮断してしまいたいような衝動に駆られ、反論し、反対していく運動を続けていく気力など打ち砕かれてしまいそうになるところを、そんなことではいけない、仕方がないと思ってはいけない、根気よく、決してあきらめずに反対の意思を示していかなければならないと気を新たにすることができるのは、小出裕章氏や西尾正道氏、そして松井英介氏のような人がいるからだと思う。

私が松井先生の本を読んで、単に内部被曝に関する彼のわかりやすい説明に納得するだけでなく、彼の「原点」を垣間見た気がして感動するのは、ことに以下の箇所である:

「2011年3月11日、地震や津波に襲われた街をテレビ映像で見た瞬間、私は、空襲で徹底的に破壊された大阪・堺の街を思い出しました。国民学校二年生の記憶です。それは1945年7月10日の深夜でした。和歌山に空襲警報が、堺には警戒警報が発令されていました。
 警戒警報は解除されたので、眠りについたひとも多かったと思います。わが家では大豆を炒って、家族みんなでつまんでいました。そのときです、突然焼夷弾が降ってきたのは。

 ヒュルヒュルと鋭く空気を切り裂く音をさせながら落ちてくる鉄の雨の中を、夢中で海に向かって逃げました。日頃訓練していたバケツリレーのことなど、頭にありませんでした。ゲートルのこともすっかり忘れていました。母の手だと思って握っていたのは、隣人の背負った幼児の足でした。両親とはぐれてしまったのです。

翌朝救護所で再会した家族たち。四歳の弟・尚信は火傷がひどく、その日の内に亡くなりました。まだよちよち歩きだった二歳の妹・知世は、広場で火に巻かれ、飛び込んだ防空壕で、踏み潰されて亡くなりました。私・英介は生き残りました。龍神川は遺体でいっぱいでした。ある人は防水用水に頭だけ突っ込んで、別の人は電柱の途中で黒焦げになっていました。その夜、南海電車の沿線のあちこちに積み上げられた遺体に火がつけられ、おりしも降り始めた雨の、湿った空気に焦げた肉の臭いが立ち込めました。

 すべてを失った私たちの流浪の日々が始まりました。

 あれ以来、花火の音を聞いたとき、肉の焦げる匂いを嗅いだとき、瞬時にしてあの夜の光景が蘇るのです。

 私をして、ヒロシマに向かわせたもの、四回もアウシュビッツに駆り立てたもの、731部隊・細菌戦被害のムラに向かわせ、人類史上初の無差別戦略爆撃被害者・重慶市民との交流を深めさせたものは、私の体の奥深く刻まれた幼少期の空襲の記憶だと思います。」(35~36ページ)

私は戦争を知らないが、母に何度となく空襲の恐ろしさを聞いて育った。自分が立ち向かって抵抗することのできない大きな力に巻き込まれ、自分の運命がその偉大な力の恣意に委ねられ、翻弄されるのをただ噛み締めているしかないことの恐ろしさ、怒り、絶望、空しさは、想像するだけで鳥肌が立つ。見えない放射能と日々戦い、子供たちを少しでも被曝から守りたいと奮闘する親たち、先祖代々受け継ぎ、日々汗を流し、慈しみ、命の糧を育んできた田や畑があっという間に汚染され、なにも育てることができなくなっただけでなくその土地に住めなくなった農家の人々や、毎日海と共に行き、漁をすることが生活であった漁民が、海に出ることを禁じられる悲しみ、原発事故を境に家族が引き裂かれ、別居を余儀なくされたり、狭く不自由で、未来設計をなにも立てることができない避難生活を強いられた人たちの苦しみにいたっては、私のわずかな想像力をもってですら、悲劇の深さが感じ取られる。まして自分の子供に甲状腺がんが見つかったり、先天障害のある子供を出産した人などにいたっては、その苦しみはどんなであろうか。そういうことに少し思いを寄せるだけで、原発事故は戦争や迫害となんら変らないことがわかる。いつの時代でも確かなのは、そしてだからこそ戦争にも、迫害にも、原発にも反対しなければいけない理由は、自分では実際に悲劇を体験しないで済む人間が、たくさんの人間の運命を翻弄し、破滅へと追いやる大きな力を動かしていることである。

この本の中で松井先生は怒るべき点をしっかり明記しながらも、根気よく、丁寧に内部被曝の恐ろしさを説明し、子供たち、次世代にこれ以上の被曝をさせないためにどのような対応をしていくべきかを説いている。私たちはただでさえも(原発事故が近辺で起こらないまでも)、無防備に多量に使われすぎている有害化学物質、農薬や食品添加物、塩素化合物、抗生物質にあふれる生活環境に住み、これらをあらゆる形で体内に取り込んでいる。私もたくさん食品アレルギーがあって食生活が難しいが、今やアレルギーは現代の疫病といってよいほど、これまで無節操、無思慮に夥しい数と量の化学物質や抗生物質を乱用してきた影響が、どんどん敏感な者から出始めていることを認めないわけにはいかない。松井先生は82ページで複合汚染のことを述べているが、それはまったく恐ろしいことなのに、簡単に「除染」だの「がれき処理」などと口にして、放射性物質を一所にまとめて管理する代わりに全国にばら撒く輩たちはそんなことは一切考えてもいない。まして、あの、数年で紫外線等で破れてしまうようなビニール袋に汚染された土や枯葉を入れて積んでおけば解決したようなつもりになって、「放射能恐怖症」などという言葉で市民を侮る権力者の態度は、どうしても許すわけにはいかない。

「ここで重要なのは、単独では微量でも、複数の毒性物質が合わさると、何層倍もの健康影響をもたらすという結果が報告されていることです。人工放射性物質から放出される電離放射線も例外ではないと考えるべきです。なぜなら、電離(イオン化)放射線の生体影響も、前述したように、例えば電離放射線による水分子の切断の結果生成される毒性の強いラディカルによる生物化学的な課程が重要な役割を担っているからです。」(82~83ページ)

私たちは第二次世界大戦後から急激なスピードで自然を破壊し、自然を侮り、技術を過信し、誇大妄想にかかって取り返しの付かない過ちを犯し続けてきた。そのツケが、今ありとあらゆる形で吹き出してきている。フクシマ事故はそれが最も顕著に、しかも最も致命的な姿で現れた悲劇と言っていい。日本はフクシマ以外でも絶望的なニュースにあふれている。私は希望を持っていないが、原子ムラの人間たちが滅びる前に、どれだけまだ弱い者たちが苦しみ、つらい思いをしていかなければいけないかと思うと、起きてしまったこの悲劇の影響や被害をいかに少なくしていくことができるか、松井先生を始めとする心ある、そして不屈の気骨ある先輩から学び、共に考え、行動していくしかないと思う。
(ゆう)

2014年6月2日月曜日

ドイツの脱原発

ドイツの脱原発
他人に迷惑をかけた者が
その責任を取る「事態を招いた者の責任者原則」
原発解体の費用と責任問題
Ausstieg aus der Atomenergie
Wer anderen Kosten aufhalst, muss dafür gerade stehen
南ドイツ新聞2014年6月1日付け
ミヒャエル・バウフミュラー報告(Michael Bauchmüller)


フクシマ原発事故後、ドイツでは脱原発を決定したのはいいが、それですべてが終了したわけではない。これから操業を終えることになる原発をいくつも解体していかなければならないが、それは容易なことではない。原発を運営してきた大手電気会社は、廃炉のための積立金をすることが義務付けられていたため、その資金があるとはいえ、それで解体や残った放射性廃棄物の処理の費用が済む保証はどこにもない。大手電気会社は、それでその積立金をすべて国に渡し、解体と放射性廃棄物処理の責任を全部国に任せたいという希望を出している。長年原発で甘い汁を吸ってきた電気会社が、脱原発が決定され、厄介者となったこの「無用の長物」を国に渡してしまい、自分たちは責任逃れをしようとする、この「責任者原則」をへとも思わぬ態度はモラル的に見てもおかしい。すべて、原発建設から運営に関してなんの責任もない、原発で作られた電気のなんの恩恵も受けないこれからの世代へと、負の遺産だけを残していく、この無責任で非モラル的態度を見るだけで、いかに原発というものが非人道的、非建設的なものかわかる。脱原発を決定するまで、ドイツには経済的な計算だけでなく、倫理上の問題を論議する倫理委員会というものがあった。日本は、あれほどの事故を起こしてもなお、倫理どころか、責任を追及することもない。脱原発を決定したドイツでは、その問題をどう扱っていくのか。     (ゆう)
またこの問題に関しては、みどりの1Kwhのこの報告も大変参考になる:http://midori1kwh.de/2014/05/25/5512#more-5512

本文はこちら:http://www.sueddeutsche.de/wirtschaft/ausstieg-aus-der-atomenergie-wer-anderen-kosten-aufhalst-muss-dafuer-gerade-stehen-1.1979306

金稼ぎにはよいが、処分は費用がかさみすぎる:長年ドイツの電気会社は原子力でいい思いをしてきたが、脱原発決定以来、原子炉は彼らにとって厄介なお荷物となってしまった。現在、「やった者が片付ける」という責任者原則はどれだけ適用されるのだろうか? 企業の責任というテーマでの大きな教訓となろう。

金のなる木がいくらお金をつぎ込んでも足りない底なし沼になるまで、時として数年しかかからないことがある。ダルムシュタットからあまり離れていないライン川沿いの原発施設がいい例だ。灰色の鋼鉄でできたフェンスがビブリス原発を周囲の世界から切り離しているが、3年前からはここでは、あまり何も起きていない。最後使われた使用済み燃料が燃料プールで冷却されている。その脇のホールでは、キャスター容器が、いつか最終処分場に運ばれるのを待機して横たわっている。鋼鉄製の、放射能で汚染された巨大な原子炉容器2台が解体され、安全に包装されるのを待っている。

電気会社RWE が45年前に世界最大の原子力発電所を建設させたあの当時と同じ「緑の野原」がまたここにいつか甦るはずである。しかし今はただただ「大問題」、これに尽きる。
金のなる木が底なし沼に - これはこれからどんどん増えていくだろう。クリュメルで、ブリュンスビュッテルで、ウンターヴァッサーで、ネッカーヴェストハイムで。連邦政府の脱原発計画によれば、2022年までに原発17基が廃炉となる。それはしかし、これまでになかった実地試験、産業界の約束が本当に果たされるかどうかが試される試みである。企業はこの底なし沼に対する責任をちゃんと果たすのだろうか? 自分たちがしでかしてしまったものを、自分たちでちゃんと始末するだろうか? それともお金儲けにはよかったが、処分するのが高すぎるこの重荷に耐えられず、破滅するだろうか? それでは、その費用は誰が払うのか?

本来は、このような問いかけは一切関係がないはずだ。文明社会における共同生活には、原則というものがある。「経済行為で他者に迷惑をかけた者は、その責任を自分で負う」というものだ。そして自分の行為で環境を汚染したものは、その自分が招いた事態の始末をつけるべきである。それにはビブリスの緑の野原だけでなく、放射性のゴミを安全に保管できる最終処分場を探し、建設することまで含まれる。それも百万年以上にわたって、である。

崖っぷちでの駆け引き
彼らの秘密の計画は破綻してしまった - それにより、原子力経済の廃炉費用を納税者にもたせようとする電気会社の計画も失敗した。少なくとも今のところは。というのは、国は彼らに、いまだに抜け道を許しているからである。

この背後には「やった者の責任原則」がある。脱原発を通じて、この原則がまだどれだけ適用されるのかどうかが示されることになるといえる。

原子力アドベンチャーの最後の始末をどうつけるかという問題で、原発を操業してきた電気会社にとってその事態の重さをどんどん自認せざるを得なくなっているという兆候が増加してきている。原子力ビジネスをすべて公益法人に委ね、その法人基金に残りの原子力操業を管理させ、最終的には解体から最終処分までを任せようという考えが来ているのだ。

計算は明らかである。この原子力技術が算定が極めて難しいコストリスクとなってきている今、リスクを含めたすべてを、できるだけ早く簿記から消してしまいたい。何十年もの間原子力発電所はドイツの電気会社の中でも一番見返りの大きい設備だった。今ではそれが、彼らにとって一番重荷な負担となっている。

この背後にあるのは、歴史の皮肉とでも言えるものである。原子力が他者の犠牲の上に成り立つビジネスであることは、これまでも常に明らかだった、それは空間的な意味でも、時間的な意味においてもである。第一世代の原発を作った設計者、エンジニア、建設者たちは、最終処分場を探す仕事を将来の世代に任せてきた。原子力事故が起きた場合の影響は、原発が建っている敷地のフェンス内には収まらないだけでなく、国境さえも越えてしまう。今になってやっと、電気会社のマネージャー世代が、前世代の残した遺産に手を焼き始めているというわけだ。こうしてかつての金の卵が現在の呪いとなってしまった。

疑いがある場合、空想家には責任などあまり問題にしない
現在の所見は、まったくもって安心などできない状態だ。「やった者の責任原則」や企業の責任などという意図は簡単に口に出し、理由付けもできるが、少しでも疑問が出るとすぐに犠牲にされるものである。聞こえのいい原則など、企業としての経済行為にあっては常に緊張状態にあるものだからである。

利益が得られることがはっきりすると、チャンスが増大しリスクは遠くにかすむ。原子力廃棄物の処分?まだ時間はある。原子力事故の危険性?数学的に見て、可能性は低い。疑いがある場合には、空想家は責任のことなど問題視せず、株主にいたってはまったく問題にしない。彼らは自分の持っている株を、遅くならないうちに売り渡してしまえばいいのだ。

このようにして膨れ上がり、ついには底なしの金食い虫になってしまった。これまでとは別の種類の残留リスクに関する教訓でもある。つまり、最後に数え切れないほどの問題が残るにもかかわらず、誰も自分の責任だと感じない、というそういう残留リスクだ。そして、次のことも問題の1つだ:「やった者」がシステマチックにリスクを過小評価してきたために、責任そのものが「やった者」を滅ぼしてしまう、という形で「やった者の責任原則」自体が不可能になるということである。

かつてのディープウォーターホライズン炎上沈没事故でもBPがそうなり得たように、日本のフクシマ原発事故後、東京電力もそうなり得た(国が穴埋めをしなければ)。それと同じことが、脱原発の克服において、ドイツの電力会社でも起きる可能性がある、今回は大事故を起こさないまでも。彼らは確かに解体と処分のためにこれまで360億ユーロを積み立ててきた。この積立金は、それらの企業が参加している事業や株、発電所出資などに投資しても税金がかからなかった。

しかし、この積立金の考えは、これらの企業が将来にわたり持続していく、経済的にも政治的にもこれという切れ目や損害なしに続いていくことを前提としてできていた。しかし今や、原子力から脱退してエコ電力へ変換するという極端な方向転換により、切れ目が生じてしまった。この方向転換はフクシマ原発事故後、突然訪れたが、それはこの問題を根本的になにも変えてはいない。

この切れ目により、自分がしでかしたことの後始末を自分でつけるという企業能力が壊されてしまった。この方向転換は企業の収支決算に深い傷跡を残すこととなり、「後始末」の費用として蓄えてあったはずの何十億ユーロという投資資金の価値が長期にわたって脅かされている。さらに、ビブリスを始め、その他の原発施設で実際に買いたいと処分にどれだけ費用がかかることになるのか、あるいは原子力をめぐる冒険が一体、いつになったら終わりになるのか、誰にもわからない、という事実がある。資金がまったくなくなって、これらの電気会社の1つや2つがそれまでに消滅してしまう可能性も皆無ではない。

電気会社は原発のためのバッドバンクを作るべきだ
大手電気会社3社であるEon、RWE、EnBWは、ドイツの原子力ビジネスそのものを国に委ねたい意図を示している。この計画が実現されれば、リスクはすべて、国に転嫁されることになる。

この業界では今、必死で逃れ道を画策している。そして実際に、電気会社は基金などの方法を使って、リスクを自分たちの簿記から閉め出すことが可能かもしれない様子だ。もちろん彼らは積立金をその基金の資金として差し出さなければならないが、この金額が実際にかかる解体・処分費用をカバーするかどうかに関して、企業はもう関知しなくてよくなる - 責任がなくなるからだ。

その代わり、解体にまつわる計り知れない金銭上の問題は公共の手に渡る。これと同時に待ち受けているのが、金銭的、そして倫理的破滅だ:第一次世界大戦勃発と同じくらい、原発エネルギー導入になんら関与しなかった世代の納税者が、処分を賄うことになるわけだ。彼らはそして原発による電気の恩恵にも至らなかった世代だ。ゴミだけが彼らに残される。

すでに同じようなシナリオで動いているのが石炭である。ここでも何十年もの間坑道が掘られては地下水の水位を下げ続けてきた。これも、石炭の成功の歴史が限りなくずっと続いていくに違いないという希望的観測の上に続けられてきたことだ。世界市場で石炭に代わるエネルギーが石炭を完全に追い抜いてしまってから、有価証券とリスクが RAG 基金へと譲渡された。

この基金の持っている資金から、これまでの鉱山の「無限費用(訳注:鉱山を閉鎖した後も長期にわたって残る費用のことを指すドイツ語のEwigkeitskostenの訳)」が賄われることになっている。これにより鉱害を調停し、地下水を牽制する。基金の資金が足りるかどうかは、誰にもわかっていない。それでも、石炭鉱山の残す後遺症など、原子力経済が残す何百億ユーロ規模の溝に比べ、まだ小さい方だ。

どの企業も、自分の行為の始末を自分で責任もって行う
電気会社は言い逃れをすることを特別気まずくは思っていない様子だ。つい先日、RWEの社長Peter Teriumは「この業界は当時、政治的に原子力エネルギーをやるようにいわば強制されたようなものです」と文句を言っている。だからこそ、責任は企業だけにあるのではない、というわけだ。実際、当時政治の方が電気会社よりずっと原子力エネルギーに興味があった。ことにこのRWEは褐炭の火力発電で利益を十分に上げていたし、原子力発電が市場に出るようになれば、過剰生産となり利益が下がってしまうのではないかと業界は恐れていたのである。

代わりのコンセプトができ、どんどん見本を作った:我が死後に洪水よ来たれ!
しかし政治は強制の代わりに味をつけた。利息の低い貸付をし、申請許可をスムーズにできるようにし、政治が関与した。ニーダーアイヒバッハでの原子炉事故や、カールスルーエの再処理工場などで、原発操業を始めて早期に、企業が事故負担費用を担わなければならなくなると、企業が費用を負担しなくていいようにする方法が常に可能だった。

例えば、ニーダアイヒバッハの研究原発施設は、初めて原発を解体した例となったわけだが、すぐにこれが「研究プロジェクト」であると宣言された。このような政治的歩み寄りと、それよりさらにはRWEと競合会社プロイセン・エレクトラとの競争により、ドイツは60年代、原子力時代を迎えた。

そのことから考えれば、RWEの社長のこのやり口は、この業界の得意の手口といえよう。かつて政治に便利な枠組みを用意させて原発へのお膳立てをしてもらい、今となっては政治がまた、責任の一部を負うべきだ、というのは、なんとも悲しいがその伝統に則った歴史の続きなのである。企業責任などというのはもちろん、ここではなにも証明されない。

だからこそ、いかなる公共の歩みよりも今現在では禁じられるべきである。それが電気会社であろうと化学工場であろうと洗濯屋であろうと、会社というものは自分の行為に対して責任を負うべきだ。発電所の解体であろうが、褐炭の露天掘り採掘後の再開墾であろうが、汚染された土壌浄化であろうが。

かつて利益を上げた経済活動の結果としての費用を企業が負わなければならなくなったその時点で、その企業から責任逃れを許せば、「やった者の責任原則」がまったく無意味に帰されてしまう。その代わりのコンセプトはすでにできあがり、どんどん見本が作られた:我が死後に洪水よ来たれ、だ。

一方で原子力エネルギーの経験が、技術進歩の扱い方に関し、教訓を与えてくれている。新しい技術に踏み込んでいく者は、結果として起こり得る事態にかかる経費を情け容赦のない分析を含め、どうやってそこから撤退するかということを具体的に想像することが必要である。そして企業が自分の行為に責任を取ろうと、引当金を積み立てるならば、この引当金の価値は、原子力であろうが褐炭であろうが、はたまたフラッキングによる従来とは違うガス採掘法促進であろうが、そのビジネスモデルの成功に依存したものであってはならない。

責任を持って行動するということは、まず始めに着陸用滑走路を作ってから飛び立つ、という意味である。

2014年5月16日金曜日

『美味しんぼ』問題


「『美味しんぼ』問題」とまで発展してしまった事態に関し、実際に問題の箇所で「出演」なさってもいる松井英介先生が、以下のような文書を書き、私のブログへの掲載を認めてくださったので、ここに引用する。(ゆう)


「美味しんぼ」と「脱ひばく」を合言葉に

松井英介

はじめに
 被災者の訴え=自覚症状を無視してはいけません
「美味しんぼ」が、新しい話し合いの渦を産みだしています。多くの人びとの関心が、双葉町をはじめとする被災現地の人びとの苦難に寄せられています。この機会に、あらためて3.11事故がもたらした、健康といのちの危機について、話し合い考え行動することができれば良いと思います。

私は一臨床医ですから、私の日常は、患者さんの訴えを訊くことから始まります。訴えの多くは、ノドが痛い、目がかゆい、息が苦しい、むねやけがする、脈がとぶなど、何らかの自覚症状に関することです。その意味で、自覚症状は、患者さんが苦しめられている実態を示す、とても大切なものです。

今回「美味しんぼ」に登場し、話題になっている鼻血やひどい疲労感も、これら自覚症状のひとつです。テレビや新聞に登場する人の中には、そんなものはなかったとか、“風評被害”を煽るものだとかいう人もいるようですが、それらの人々は苦しんでいる被災現地の人びとを思いやる心がないのかと疑ってしまいます。現に苦しんでいる人がいるのに、それらの訴えは仮病だとでもいうのでしょうか。

3.11事故によってふるさとを奪われ、不自由な仮設住宅や借り上げ住宅暮しをしなければならなくなって、また、見知らぬ地に移り住まざるをえなくなって、すでに3年以上。全国各地に数万人、岐阜にも300人ほどの方が移り住んでいらっしゃいますが、多くの場合家族ばらばらの不自由な暮らしを強いられています。これら、今まで経験したことがない状況の下で苦しんでいる人びと、とくに子どもたちに想いを馳せることが、いま最も求められていることではないのか、私は思います。
  
異様な「美味しんぼ」攻撃
今回私は全く偶然に「美味しんぼ」の作者たちと出会ったのですが、それから1年以上おつきあいしてみて、ある感銘を覚えています。それは、雁屋哲さんと編集部の方たちが、じつに丹念な取材を重ね作品を仕上げられる、その姿勢に対してです。私への取材も昨年の秋から今年にかけて、随分長い時間がかかりました。私も忙しい毎日でしたが、私を惹きつけて離さない力が彼らにはありました。それが、30年もつづいてきた「美味しんぼ」人気の秘密かもしれません。

今回の「美味しんぼ」攻撃の特徴は、東電原発事故の原因をつくった日本政府が乗り出していることです。菅義偉官房長官、石原伸晃環境大臣、環境省、石破茂自民党幹事長ら
が舞台に上がりテレビメディアにも登場しています。橋下徹大阪市長や佐藤福島県知事ら
は“風評被害”などというわけのわからない言葉を使って、「美味しんぼ」の内容があたかもウソであるかのように印象づける発言をしています。

「美味しんぼ」に描かれていることは事実です。

被災者が実際に経験した自覚症状など具体的事実を元に表現された作品に対する、権力者のこのような対応は、国家権力主導の異様なメディアコントロールだと言えるのではないでしょうか。

東電と国による言論・表現の自由の圧殺
3.11事故は、多額の税金を使いながら巨利を貪ってきた東電関連原子力産業と国策として原発を推進してきた日本政府におもな責任があるので、彼らがまず被害を受けた福島県をはじめとする汚染地域の住民に謝罪し、賠償すべき事柄です。それが、あろうことか、あたかも住民の健康被害はなかったがごとく言い募り、住民の立場から福島の過酷な現実を活写した「美味しんぼ」を攻撃するという挙に出ているのです。彼らの行いは「美味しんぼ」の抹殺と作者の口封じであり、言論と表現の自由の圧殺に道を開くことものだと言えましょう。

3.11事故によって最も甚大な被害をうけ全町民と役場が避難を余儀なくされた双葉町は、「差別助長」「風評被害」を謳い文句にした抗議文を「美味しんぼ」の出版社小学館に出しました。住民のいのちと生活を守るために活動すべき第一線の自治体として、同町と町民の苦難の現実を、また井戸川克隆前町長と伊澤史朗現町長の今までの努力と実績を、全国民に知らせる良い機会にすることもできたであろうに、まことに残念の極みです。
双葉町は井戸川克隆前町長の時に、疫学調査を行っており、町民が訴えた症状は鼻血のみに留まらず、様々な自覚症状が記録されています。

この問題に関して放射線防護の研究者、野口邦和・安斎育郎両氏は、2014年4月29日付毎日新聞紙上で、「被ばくと関連ない」「心理的ストレスが影響したのでは」と述べています。お二人は、血小板が減少し全身の毛細血管から出血するような、1シーベルト以上の大量急性被曝を、鼻血や全身倦怠感など自覚症状発症の条件だとしています。このような考え方は、残念ながら彼らに特異的な事柄ではなく、広く一般の臨床現場の医師にもある誤った認識です。その論拠は、後述する「被曝の健康リスクを知り知らせる」の項をご参照ください。

「低線量」放射線内部被曝を理解して患者さんの自覚症状に耳を傾ける
「美味しんぼ」でもご紹介しましたが、私たちの身体の70%以上は水です。その水の分子をイオン化放射線は切断して、細胞の中に、水酸基や過酸化水素など毒性の強い物質を生成します。これらの毒が粘膜や毛細血管の細胞、さらに遺伝子やDNAを傷つけるのです。この現象をバイスタンダー効果といいますが、このような放射線がもたらした間接効果の方が、放射線そのものによる直接効果より、健康影響は大きいことがわかってきています。

遺伝子不安定性の誘導だとかエピ・ジェネティックスといわれる現象も、最近の分子生物学の成果です。

「低線量」放射線内部被曝の健康影響を、私たちは十分理解した上で、住民の方々の訴えについて考える必要があるのではないでしょうか。後で述べるように、アスベストとか有害な化学物質との複合作用も重要です。

様々な自覚症状を訴える被災者の方々が相談にこられたとき、このような“専門家”や医師の心ない対応が、新たなストレスになることを、私たちは肝に命じなければならないと、日々、自分に言い聞かせております。

心理的ストレスといわれるものも、元をたどれば、その原因は3.11東電原発大惨事にあるのですから、患者さんの自覚症状や訴えを頭ごなしに否定するのではなく、まず虚心に耳を傾けることから始めるべきではないでしょうか。

3.11事故によって生活環境に放出された放射性物質の処理
3.11事故によって自然生活環境に放出された放射性物質は、東電が自らの産業活動の過程で排出したいわば産業廃棄物だと私は考えます。ですから東電が自らの責任において、処理するのが原則です。放射性物質はできるだけ拡散させず、1ヶ所に集めて、言うならば事故を起こした原発の敷地内に集めて管理・処理するべきです。

大量の人工放射線微粒子とガスは、今も出つづけていますが、これら様々な核種は県境を超えて拡がり、地形や気象状況によって、福島県だけでなく東北・関東地方などにもホット・スポットを形成しました。日本政府は、これら人工核種によって汚染された岩手県と宮城県のガレキと呼称される汚染物を、汚染が少ないからよいとして日本各地の自治体に受け入れさせて、処理してきました。大阪府もそれら自治体のひとつでした。前述したように、放射性物質を広く拡散させることは厳に慎むべきことで、一点に集中して管理・処理するのが原則です。このような日本政府の放射性核種拡散政策は根本的な誤っています。しかし政府はそれを強行し、大阪府はその処理を受け入れてしまいました。このことによって、福島県など高度汚染地域から避難してきた母と子が、二度目三度目の避難・移住を強いられる事例がでてきているのです。

「大阪おかんの会」の健康調査と大阪府放射性物質濃度調査の問題点
大阪府のガレキ処理による健康影響について熱心に調査を続けてきたお母さんたちがいます(「大阪おかんの会」http://ameblo.jp/osakaokan2012/)。

大阪府が本格焼却を始めた2013年2月以降4月19日までの集計結果は次のようです。

報告人数797名/自覚症状総数1826=2.29(一人あたりの平均発症数)
① 喉の異常・咳・痰…585
② 鼻の異常…鼻水・痛み188+鼻血97=285
③ 眼の痛み・かゆみ…272
④ 頭痛…135
⑤ 皮膚の異常…80
 [皮膚の症状:痒み、ピリピリする、発疹、吹き出物(全身)]
⑥ 肺、気管支の異常・息苦しい…86
⑦ 心臓・動悸・胸痛…71
⑧ 倦怠感…55
⑨ 発熱…53
⑩ 腹痛・下痢…38
⑪ 吐き気…31
⑫ 骨・筋肉、関節…23
⑬ 耳、めまい、ふらつき…36
 [耳の症状:痛み、耳鳴り、聞こえが悪い(喉、鼻にも異常有り)など]
⑭ 口内炎…15
⑮ 眠気、ヘルペス、痙攣、その他…61

その他注目すべきこととして、つぎのようなことが挙げられます。

1.避難してきていた人たちが、避難する前に感じたことや症状が同じと感じた。
2.臭いがひどい、喉が痛くなるなどでしていたマスクに赤い色が付いた。
3.最初は中国からのPM2.5かと思った。しかし強い臭いがしたり黄色いような色が着いたものが流れてきて中国からのものでないと思った。

橋下徹大阪市長は、これら「大阪おかんの会」の調査結果を無視し、大阪府市の住民の健康といのちを軽視した妄言を繰り返しています。住民のいのちを守る市長としては、失格だと言わざるを得ません。

大阪府は、ガレキ処理に際して調査した放射性物質濃度の測定結果を発表しています。それによれば2012年10月31日に採取された災害廃棄物の放射性セシウムの濃度がキログラムあたり8ベクレル。また、2012年11月30日に採取された飛灰の放射性セシウムの濃度は、それぞれキログラムあたり37~38ベクレル。

飛灰の基準値は大阪ではキログラムあたり2000ベクレル(日本国の基準値は3.11事故後2011年6月3日8000ベクレルとした)ですが、基準値そのものに、胎児や子どもの基準値を示さないなど重大な問題点があります。

ドイツ放射線防護協会は、乳児、子ども、青少年に対する1キログラムあたり4ベクレル以上の基準核種セシウム137を含む飲食物を与えないよう推奨」しており、それに比べると、38ベクレルは10倍近い値。身体に影響が無いとは、断定できません(松井英介著「見えない恐怖─放射線内部被曝─」(2011年)旬報社刊)。

ガレキを汚染した人口放射性核種に関しては、放射性セシウムが測定されているだけです。後述するように、ストロンチウム90など、全ての人工核種の検査が、放射線による健康影響調査には不可欠です。

加えて私たちが見落としてはならない大切なことは、それら人工放射性核種とアスベストや有害な化学物質との複合汚染による健康影響があるということです。

「低線量」内部被曝の健康リスクを知り知らせる
3.11事故現場から生活環境に放出された人工放射核種について日本政府が発表したデータで、宮城県南隣、福島県相馬市でセシウム137(137Cs)の1/10のストロンチウム90(90Sr)を検出されています。しかし、土や食品に含まれる放射性セシウム以外の核種についての検査はほとんどなされておらず、ストロンチウム90(90Sr)をふくむ全ての人工放射性核種の検査が健康影響評価には不可欠です。呼吸や飲食で体内に入ったストロンチウム90(90Sr)は、カルシウムとよく似た動きをするため、骨や歯や骨髄に沈着し、セシウム137(137Cs)の何百倍も長い時間、すなわち数年~数十年間排出されず、骨髄中の血球幹細胞を障害しつづけます。その結果胎児の発達が障害され、白血病など血液疾患発症の原因となります。

私たちの細胞60兆個の元はたった一個の細胞=受精卵。約10ヶ月で脳眼鼻耳手足心肝などの細胞に分化します。胎児は放射線感受性が高いことを学校で教えるべきです。人工放射性物質はゼロ!放射性汚染物の処理は東電事故現場一点集中が原則です。私たちは、記録を将来にわたって継続するため、最近「健康ノート」を発刊しました。

低線量放射線被曝の健康影響は、まだ不明な点が多いなどと言う研究者もいますが、そんなことはありません。低線量放射線のとくに内部被曝による健康障害に関する多くの調査研究結果がすでに集積されています。低線量被曝による身体への影響は、2009年に発表されたニューヨーク科学アカデミーの論文集にも、チェルノブイリ事故後の多くの実例が紹介されています。

また、通常運転中の原発から5km圏内に住む5歳以下の子どもたちに2倍以上白血病が多発しているという、ドイツで行われた疫学調査結果も重要です。

今後日本で放射線による健康影響を調査して記録していく上で不可欠の条件は、まず、生活環境に出た全ての人工放射性核種を調べ、それら核種の放射線量をベクレルで表示することです。そして、それらデータと自覚症状を含む病状、そしてさまざまな検査結果との関係を記録し解析することが必要です。

また、年間100ミリシーベルト閾値に関しては、「全固形がんについて閾値は認められない」とした放射線影響研究所の2012年疫学調査結果報告「原爆被爆者の死亡率に関する研究第14報 1950-2003年:がんおよびがん以外の疾患の概要」に注目すべきです。

おわりに
 「脱ひばく」を合言葉に、チェルノブイリ法、国連人権理事会特別報告者報告と勧告、
 IPPNW声明を、子どもたち=次世代に伝えましょう
1991年成立したチェルノブイリ法の基本目標はつぎのようなものです。すなわち,最も影響をうけやすい人びと、つまり1986年に生まれた子どもたちに対するチェルノブイリ事故による被曝量を、どのような環境のもとでも年間1ミリシーベルト以下に、言い換えれば一生の被曝量を70ミリシーベルト以下に抑える、というものです。

2013年5月に公表された国連人権理事会特別報告者報告と勧告、そしてそのすぐ後に出された核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の声明は、日本政府の提唱する年間20ミリシーベルトは容認できないとし、被曝線量を最小化するためには、年間1ミリシーベルト以上の地域からの移住以外に代替案はないとしました。

3.11以降想像を絶する苦難を押し付けられた双葉町をはじめとする被災現地の人びとの現状を知り、人びとが家族や地域の人間関係をこわすことなく、汚染の少ない地域にまとまって移り住み、働き、学ぶ条件を整えることが、求められています。

「脱ひばく」すなわち「子どもたち=次世代にこれ以上の被曝をさせない!」を合言葉に、「美味しんぼ」に関心を寄せる良心の若者を総結集し、活動の輪を大きく拡げましょう。

2014年5月10日土曜日

原発事故犠牲者の声を届ける

忙しくてなかなか手がつかず、ちょっと遅くなってしまったが、Thomas Dersee氏が発行している放射能テレックス(Strahlentelex)の4月号に 、私も通訳などをさせてもらったおしどりマコさんや、放射線科医の松井英介氏も出席したIPPNWの会議について詳しく報告が載った。これは、Thomasさんのパートナーで、私が尊敬もし、親しくさせていただいている日本学専攻のAnnette Hackさんがこのフランクフルトで行われた会議に出席されてこの文章にまとめたものだが、とても詳しく、内容も私たちにとって重要なものと思うので、ぜひそれを訳したいと思った。(ゆう)


フクシマとチェルノブイリ
原発事故犠牲者の声を届ける
人間と環境に対する原発事故の影響に関する国際会議に出席して
アネッテ・ハック (Annette Hack)報告
放射線テレックス2014年4月3日付(654-655号)

チェルノブイリとフクシマの事故が自然や人間に与える影響というテーマで、ドイツの IPPNW(核戦争防止国際医師会議)が、プロテスタント教会ヘッセン・ナッサウ支部と共同で世界各国からの講演者、参加者を招いて会議を催した。この会議には双方の開催者グループだけでなく、その他のプロテスタント教会や組織が資金を出し合った。

日本に住み、日本語を流暢に話すドキュメンタリー映画監督Ian Thomas Ash氏が、まず彼のドキュメンタリー「A2-B-C」を上映した。この不思議なタイトルは、福島県で行われている甲状腺スクリーニングの結果、小児・若者たちに与えられる等級付けの名に因んでいる。このクラスに等級付けされるのは、甲状腺にガンの疑いまたはガン診断という規模の異常を示した者たちだ。

このドキュメンタリー映画の中である男の子が「僕はA2です」と言って、それを自慢していいのかどうかわからない、という表情をする。Ash監督は、線量計を提げ、ほとんど屋外で遊んだり運動したりすることなく成長しなければならない福島県の子供たちの生活を見せながら、事故後、何が生活で変わったかをその母親たちと話す。彼は母親たちの話を丁寧に聞くだけでなく、彼女たちが適切な言葉を探したり、どうしていいかわからない途方にくれた様子、または絶望そのものといった沈黙もカットしてしまうことなくこの映画で見せている。

ある母親が語る。彼女の子供は原発事故直後、二度鼻血を出したり失神を起こし、今でも血液に白血球が少ない、と。自分の子供の甲状腺の超音波画像で- まるでサンドペーパーのように - 多数の結節が見つかった別の母親は、再度問い合わせたが、どれも 1 mm 以下の大きさだから「科学的に言えば結節ではない」と言われた。

食物の線量測定や学校の給食も取り上げられている。子供の親たちは、学校の給食を線量測定し、せめて法で定められている限度値を守らせるという要求を押し通すことに成功した。自分の子供にお弁当を持たせると、和を乱す者と見られ、子供も「どちらかといえばちょっとは」いじめに遭うという。

このドキュメンタリー映画が示し、扱っているテーマには、除染作業もある。自宅での放射線量の測定法を書いた紙が配られるが、「きわめて高い値」はここでは考慮されないという。一般的に知られていることだが、除染というのは長期にわたっては何の効果もなく、IAEA すら森林の除染は不可能だと表明している。

17歳の女子高校生が映画の中でAsh監督に、危機意識がどんどん薄まってきていて、忘れてしまい、慣れてしまうのが一番怖い、と語っている。彼女には、大人と子供に同じ限度値が適用されるということが理解できない。そして、もしなにか望みが叶うとしたらなにを望む? という質問に、事故が起こる前の福島に戻りたい、と彼女は話す…

きっとこうした望みを持っているのは彼女だけではないだろう。ことに自分の住んでいる環境で、放射線からわが身を守らなければならないという課題に迫られながら生きている人たちは。彼らはほかの人たちと共同で、多くの場合は官僚主義的役所を相手に、被ばくを少しでも低くしようとすることに務めている。しかし、力も勇気も萎えてきている。日本の線量の少ない地域に数日間行くだけでは、しかもそこでまるでらい病患者のような扱いを受けるのでは、保養にはならない。「本当はもっともっと、怒らなければいけないんです」と涙ながらにある女性が語って、この映画は終わる。

まず深く息を吐かずにはいられない。するとベラルーシの医師Mikhail Malko氏が立ち上がり、この映画を褒め、この映画で出てくる鼻血は、放射線病の第一段階の症状と判断できる、と付け加えた。もう一度、深いため息だ。

白血病と遺伝子疾患

Wolfgang Hoffmann著の「電離放射線リスクの非系統的概要」(Unsystematischer Überblick über die Risiken ionisierender Strahlung, Universität Greifswald)では、いわゆる「背景放射」(自然発生のものも人工的なものも含め)が白血病を小児に引き起こすことが記録されている。さまざまな環境状況(ドイツ、スイス、フランス)において症例が同じリスクを示している。どの白血病も低線量により引き起こされる可能性があり、レントゲンやCT撮影も従って問題がある、とされている。100mSV以下の被ばくなら何の障害も検知できないというテーゼは、Hoffmann氏いわく、「まったくのでたらめ」であり、40年以来はっきりしている検査結果をことごとく無視するものだ、としている。

遺伝子疾患に対する警告はそれよりずっと前、1955年にすでに出されており、Inge Schmitz-Feuerhake氏(元ブレーメン大学教授および放射線保護協会理事)が電離放射線被ばくでの遺伝子への影響に関する考察でそれを突き止めている。彼女はことに細胞の発達における段階(例えば精子形成など)で、放射線感受性にはさまざまな違いがあることを指摘している。単相状態(染色体分離後)がことにここでは重要だと彼女は語る。Schmitz-Feuerhake氏は先天的奇形、被ばくした親を持つ子供たちの疾患に関するさまざまな研究について論じている。

早老症と非ガン疾患

被ばくの影響による早老症と非ガン疾患の現象に取り組んでいるのは、崎山久子氏(千葉の放射線医学研究所元会員、国会事故調査委員メンバー、および高木研究室の会員)だ。崎山氏は動脈内腔を例にとり、酸化反応により繊維性の変化、最終的には動脈硬化を引き起こすことがあることを示した。また、被ばくからしばらく経っていても (-OH) や (O2) などの酸素結合が発生することが証明されている。テロメアの短縮や、修復不可能な DNA 損傷が相次ぎ、または100倍も頻繁に起こるミトコンドリアの退化が度重なることによって細胞が傷つき、その自然の早老プロセスが早まるのだ。

Timothy Mousseau氏はディスカッションの中で、チェルノブイリ後放射線量の高い地域に生息する野鳥に、テロメアの拡張も発見されたことを指摘し、これが動物の老化に影響を及ぼす可能性があることを述べた。被ばくした野鳥におけるその他の研究者の調査ではしかしながら、まだこれまでに老化に関する影響は示されていないとのことだ。

リスクコミュニケーション

チェルノブイリとフクシマの事故を比較した発言で、Ian Fairlie氏(化学者・放射線生物学者、欧州議会や国際的なNGOの顧問)は福島第一原発の事故が起きてから始めの数日間に、7人の労働者または自衛隊員が爆発で死亡したことに言及した。この事故はまだ続いているのであって、例えば原子炉から出た約100トンもの燃料がどこにあるかどうかすらまったくわかっていない、と語る。海洋の生物がもっている複雑な相互作用に対し、これほど大規模な領域の汚染がどのような影響を及ぼすかは、ほとんどなにもわかっていない。「今調査し始めなければ、「探し」始めなければ、なにも見えて来ません」とFairlie氏は警告する。事故のデータはことに、どれも注意して考察することが必要だ。一番いいデータは、「利害によって汚染されていないデータ」だと彼は語る。現在彼が得ている情報から、フクシマの事故はチェルノブイリほどはひどくないと彼は推定している。Henrik Paulitz氏(IPPNW)が、汚染地域の人口密度が日本では、チェルノブイリの事故で汚染された地域よりずっと高いと反論したが、それに対してははっきりした回答は得られなかった。

入江紀夫(奈良県)医師は、福島第一原発事故の健康に対する影響について、日本では有数の八つの研究所や科学協会が出した評価をまとめた。この評価が日本政府やIAEAの主張にすべて賛同するものとなっていることは驚くに値しないが、一部ではさらに、100ミリシーベルト以下の被ばくなら被害はなんら検知できないという見解まで出している。日本小児科学会ですらそれに対し疑問を出していないのである。日本公衆衛生学会にいたっては大胆にも、健康に対する最大のリスクは、放射線の恐怖だとまで言い放っている。

WHOとIAEAの機能不全

Keith Baverstock氏(化学者・放射線生物学者、前WHO幹部、現在クオピオにある東フィンランド大学)は自分の講演の中で、フクシマ事故の克服に当たり、WHOとIAEAが両方ともまったく機能しなかったことを強調した。これらの組織は、事故直後の始めの数日間に、信頼できる情報を駆使して援助することができたはずなのに、それをしなかった、と彼は語る。チェルノブイリ事故後、ヨーロッパでも原発事故が起きたときの準備対策として、1994年に「原子力非常緊急事態支援センター」をWHOとフィンランドの核安全局が共同で設立したのだが、2001年にはまた解体されてしまった。こうして管轄権限はまたジュネーブのWHO中央本部に戻されたが、この本部には、必要となるはずのこの部門の専門家がいない、と彼は言う。WHOが2013年に提出したフクシマの健康に関する影響の評価と2013年に出された放射線量暫定見積もりが現実的なものかどうか、彼にはわからない、と言う。ことに事故発生直後の放射線量が一番高かったはずなのに、それに関する信頼できるデータが一切ないからだ。WHOとIAEAは2011年にしたがって、公共の健康を保護する機能を果たさなかったのだ、と彼は断言する。IAEA本部、一部ではUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)では、公共の健康を、プロパガンダとは言わないまでも、コミュニケーションの問題と捉えている向きがある、という。これらの組織が事故直後、沈黙を保っていた証拠や、無関係な意見を発言していたことは、今ではもうインターネットでは見当たらない。そうやって歴史は書き換えられていくのだ、と彼は続ける。

Mikhail Malko氏はディスカッションの中で、公共保健の政策責任は各国が独自に負うものであり、WHOやIAEAが負うものではないと指摘した。Angelika Claußen氏(IPPNW)が公共の財源により資金を得ているのはその30%だけであり、残りは「ビル・ゲイツ&Co.」によって支えられている、とコメントした。

社会的影響

振津かつみ氏(遺伝学・放射線基礎医学専門、兵庫医科大学、世界の被ばく地域で研究を続けてきた)は、その講演の中で、現在日本で解決しなければならない問題は、科学的というよりは、政治的および経済的性格のものであることを指摘した。彼女がここでテーマとしたのは、福島第一原発で働く作業員がどんなに不十分にしか健康に関する保護を受けていないか、そして避難した住民たちが置かれている複雑な状況である。事故の処理作業に当たっている作業員の許容線量は250ミリシーベルトにまで引き上げられている、と彼女は語る。今現在、福島第一ではなんと3万2千人の作業員が働いているが、そのうち2万7千人が一時雇いの労働者である。その多くが放射線量の高い地域に住んでいる。あと2年で30周年を迎えるチェルノブイリから見ても、被害者に対する適切な支援を要求していくことが必要だ、とも彼女は話す。日本で出版される学校の教科書で、放射能の危険性が、その他の有害物質と比較することで過小評価されており、子供たちが政府の指示に従うよう求められていることに、彼女は懸念を抱いている。日本政府の行動や発表の内容や、日本で活躍している原発推進の国際機関(ICRP、IAEA、UNSCEAR、WHOなど)、そしてそれら同士の協力関係を振津氏は犯罪的だ、と述べた。

福島県猪苗代の医師今田かおる氏は、2011年3月に避難すべきか、残るべきかという問いに迫られたことを語った。彼女は17歳と18歳になる子供たちを南日本に住む親戚の元に送り、自分は猪苗代に残った。事故を起こした原発の南にある、今は立ち入り禁止区域である浪江町から3千人も住民が避難してきて、彼女の故郷の町は膨れ上がっていたからだ。彼女はまず、体育館に収容され、救援組織から冷えたお握りしかもらっていなかった人たちのために温かいスープを配った。震災直後は店という店はすべてなにもかも売り切れ状態で、停電があったり地震であらゆるものが壊れ、必要物資の供給は非常に困難だった。今田氏の病院には一日に200人も患者が訪れる日もあったが、その中には被ばく患者や除染作業員もいたという。

今田氏は甲状腺検査の結果について、その子供たちの親と一緒に話し合ってはいけないという。超音波検査の進歩により、現在ではガンを早期に発見することが可能となった。子供たちの間では肥満がかなり増えている。一般的に言って心臓病で死ぬ人が増加している。今田氏の講演で使われる写真や表、グラフはインターネットで見ることが可能だ。このサイトには、ある漁師の話が載っている。彼は、自分の船(彼の全財産)で海に出て、津波から守ろうとしたという。彼が戻ってみると、家は流されてなくなっており、家族も皆死んでいた。福島県の沖合いではしかし、いまだに漁が禁じられており、彼がせっかく救った船も、役に立たない。今田氏の一番上の娘さんは医学を専攻する大学3年生で、彼女がこの話をした。

郡山市の種市靖之氏は、避難地域と同じくらいの空間線量、毎時0.7マイクロシーベルトとなってから自分が開業していた整形外科医院を閉じた。彼は、約200人近くの医者が福島県を離れたと報告する。福島医科大学の大学病院は2015年までにあと330台のベッドを増設するそうだ。この大学の副学長は、事故のあと福島県の健康管理センター長を務めていた山下俊一である。山下が2011年3月18日以降、放射線はなんら影響を及ぼさないか、あったとしてもごくわずかしか影響はないと予想される、とあらゆる医者を前に述べていたことを考えると、ベッド台数を40%も増強させるというのは非常に不思議なことである、と種市氏は語る。甲状腺スクリーニング等の検査は福島県民として届出をしている住民の、それも18歳以下の者にしか無償で提供されない。

しかしその無償の検査こそが今、放射能を逃れて避難していた人たちを汚染地域に帰還させるための脅迫手段となっている、と彼は述べる。

甲状腺がん

ベラルーシの医学再教育アカデミーの教授で同じくベラルーシの内分泌学学術診療研究所所長を務めるLarisa Danilova氏は、ベラルーシ共和国の領域内でチェルノブイリの原子炉事故後発生した甲状腺疾患に関するデータをYuri Demidchik氏と共同で概論をまとめた。1986年と1989年の間に、モギリエフとゴメルで最初の甲状腺スクリーニングが行われたものの、検査器具が欠乏してなかなか満足のいくものとはならなかった。国際赤十字と日本が超音波機器を援助した。国際的な参加を合わせての大規模な調査は1990年になってやっと行われた模様だ。www.tschernobylkongress.de/dokumentation-amoldshain.htmlにDanilova氏のこの講演が記録されているが、その38/61ページのグラフに、1986年から2000年の間にベラルーシで小児・若者の間で甲状腺がんが増加したことが示されている。年齢による増加と分布の変化、そして甲状腺がんによる死亡率がそれに続く。49/61ページの表では、甲状腺の放射性ヨウ素被ばく量を算出してガン発生を予測した数と実際に発見された症例数とを対比しており、今後研究・考察していく価値があることを提案している。予想に比べ、かなりの上回り、下回りが見られる。Danilova氏によると、小児における甲状腺がん発生が増加している傾向は今でも続いているが、その代わりに死亡率は減少しているとのことだ。その横には先天性甲状腺機能低下症、自己免疫性甲状腺炎(甲状腺結節や1型糖尿病と共に現れる)、結節や甲状腺腫などその他の疾患に関する情報とグラフが続く。Danilova氏によれば結節の場合、放射線被ばくをした場合には、過去に頭部および首にかけて被ばくしたか、幼い・若いときに被ばくしたか、あるいはかなり年をとってから被ばくすると、悪性となる危険性が高まるという。扁桃炎も同じように広範囲に蔓延している。出産年齢にある助成や妊婦を対象に行った臨床検査では、機能低下症とはぎりぎり判断されないものの、45%が甲状腺異常を病んでいることがわかった。

ディスカッションでDanilova氏は、ベラルーシには約950万人の人口(男性440万人、女性510万人)があるが、これまでに110万人ががん患者として記録されていることを付け加えた。1986年以降は急激な増加ではないものの、なだらかな増加が常に続いているそうである。甲状腺がんはことに都市に住む女性と事故の処理作業に従事したリクビダートルで増えたそうだ。

高松勇氏(大阪市の小児科病院院長、医療問題研究会会員)は、福島県の甲状腺スクリーニングの調査結果を紹介した。公の説明ではこれまでに発見されたガン症例またはガンの疑いのケースは原発事故とはなんら関係がない、ということになっている。これらの症例はすなわち、事故にかかわらず早かれ遅かれ出現して当然のものだったのであり、超音波機器の性能がきわめてよくなったことと、これだけ大量に検査を行ったために早期発見されたのだ、という説明である。これまでに得たデータは今後の研究のベースラインとして見るべきだ、というのだ。

高松氏は、1975年から2008年までの期間における、15歳から19歳までの若者では10万人に0.5、15歳から24歳まででは10万人に1.1というこれまでの日本の甲状腺がん発生率にそれを比較し、地域によっては集中しているところがあり、高線量の被ばくがあったチェルノブイリ周辺でのガン発生率とも比較した。ここで興味深いのはまた、診断前の発病時期に差があるとする推測の効果である。スクリーニング効果があることは否めないが、それでも福島県で実際に甲状腺がんの発生が続発している可能性があることも否めない、と高松氏は語る。

ディスカッションの中でKeith Baverstock氏は、第二回目のスクリーニング結果を待つべきだと主張した。放出されたヨウ素と関係があると結論を今出すのは、まだ早い、との論だ。ドイツ人Peter Jakob氏が最近出した研究結果も、まだ時期尚早だと彼は語った。

嘘の放射線測定

矢ヶ崎 克馬氏(物理学者、琉球大学名誉教授)は講演で「加害者志向の科学」を克服しなければならない、と述べた。これまで頻繁に観察されてきた、福島県各地の測定箇所に立てられた公共の空間線量測定機が実際より低い線量を表示するのは、実質量よりキャリブレーションを90%に抑えてあることに由来し、さらに金属部品がことにセシウムの放射線を反射するように装備されており、測定値を偽りの値にするのだそうだ。年間1ミリシーベルト以上汚染された土地は、チェルノブイリ後の地域と同じくらいか、あるいはそれ以上であると矢ケ崎氏は推測する。日本の官庁が公に出している線量評価は、空間線量を40%しか考慮していないので、一日に16時間、外に出てはならないことになる、と語る。
農業、林業、または園芸、道路工事、はたまた除染作業に携わる人たちは、公の線量評価算出にあたって、彼らの仕事はまったく考慮されないでいることを、実に興味深く受け止めたことであろう。

この会議にはほかにも多数の参加者、講演者が集まったが、これを催したIPPNWとプロテスタント教会に感謝したい。

ここで発表された講演は、インターネットの会議記録文書ですべて呼び出すことができる。リンクは以下の通り:
www.tschernobylkongress.de/dokumentation-arnoldshain.html

2014年2月13日木曜日

発想と戦略の転換期

発想と戦略の転換期

「市民の意見30の会」141号に投稿(ゆう)

 柳父章著「翻訳語成立事情」を読んで、思わず唸ることがあった。Societyの翻訳語である「社会」ということばは、明治十年代以降盛んに使われるようになって一世紀以上経つが、Societyに相当する概念がなかった日本語で、これを表わすのは容易ではなかった。「相当することばがなかったということは、その背景にSocietyに対応するような現実が日本になかった、ということ」だと柳父氏は書いている。そして「社会」という訳語が造られ定着してからも、決してSocietyに対応するような現実が日本に存在するようになったわけではない、それは、今日の私たちの「社会」とも無縁ではない、と続く。仲間、組、連中など、狭い範囲での人間関係を表わす場合には似たような事実が見出せても、広い範囲の人間関係という現実そのものが日本にはなかった。Societyとは窮極的には個人Individualを単位として互いに交流しあって作り上げる広い人間関係であるのに対し、日本には身分としてしか人が存在せず、「国」や「藩」はあっても、個人の顔が集まって作り上げるSocietyはなかったのだ。また、Individualがわかりにくいことばだった。社会を「交際」ということばの発展で訳そうとしていた福沢諭吉は、これを「人」「一身の身持」「独一個人」などで表現しながら、日本の現実を「権力の偏重」と分析していた。権力はことごとく治者に偏り、それは被治者である「人民」と交わらない領域であり、根底には「交際」の単位であるべき、独立して自家の本分を保つ「人」が欠けている、と福沢諭吉は捉えていた。権力者がことごとく「顔なし」(責任者の不在、首尾一貫性・根拠のなさ、全体主義などに現れる)であることは、現在も変わりがないではないか。日本に「社会」はないのだ。


フクシマの事故から三年半が経った。私は「なにか私にもできることは」という切羽詰った気持ちで、ドイツからの情報を翻訳して提供するよう努めてきたつもりだが、汚染水問題、「除染」という名の茶番、避難民の「帰還」強制、最悪労働条件で被ばくを重ねては使い捨てされる原発労働者、実行されぬ損害賠償、「風評」というまやかし、はたまた被害者も被害地域も見捨てたまま、「放射能は完全にブロック」と嘘をついてまで獲得した、莫大な税金が投げ込まれることになるオリンピック開催にいたっては、絶望感に押しつぶされ、今更ドイツからそれぞれの問題点を批判する気にも、ドイツでの反応を紹介する気にもなれないでいる。

事故後から私の気に入らないのは、日本にいる人からも、海外に住む日本人からも、「日本は外圧に弱いから、外国政府や海外の権威ある団体に訴え、そこから日本を非難してもらい、そのプレッシャーにより政府や東電が考えを改めるざるを得ないように仕向けてほしい」という要望だ。藁にでもすがりたい状況であるのは事実として、この「外圧待望論」は、単なる他力本願、人任せの態度に過ぎない。日本政府や原子力ムラが、それより「大きい」権威に「物言い」され、対抗できずにしぶしぶ妥協して方針を変更するというようなことで解決できる問題ではまったくないだけでなく、自分では手をこまねいていても、スーパーマンや水戸黄門が現れて「悪者」を退治してくれればいいという、安易な希望だ(今話題の山本太郎の天皇への直訴も、根本的には同じ発想だ)。海外に日本の現況を報告していくことは必要だし、世界各地からの正当な批判も非難も受け入れなければいけないが、それは「悪者退治」を請うためではないし、そんなことが情報交換の目的であってはならない。それよりするべきことがほかにある。

今日本は、フクシマ事故、原発政策をめぐる諸々の問題に限らず、改憲問題や秘密保護法、TPP、全国で蔓延するヘイトスピーチを始め、憂うべき問題にあふれている。危機感が募りあらゆる形で行動している市民も増えている。専門知識と明晰な分析力をもって状況を判断し、筋の通った理論で批判し、確かな情報を与え、反対運動の大きな力となっている人もいる。しかし、これだけ根拠ある反対意見があり、集会やデモ、勉強会などを行い、法廷で闘い、現実の歪みを正当に訴えている市民がいながら、それがなぜ全体を動かすだけの力となり得ないのか。私はドイツの友人たちから、これだけのことがあってなぜ日本は原発推進政策を変えないのか、市民運動が広がらないのか、チェルノブイリ後のドイツのように、生命環境に対する意識変化が大衆に浸透しないのか、とよく聞かれ、そのたびに説明に苦しむが、それは実は、西欧のことばの重みを基準に日本を分析しようとするからだと思うに至った。ドイツでは戦後、ことに68年の学生運動以来、徹底的に過去の権威主義が総括され、民主主義や人権といった概念を意識して定義することにより、その意味するものに言動を照らし合わせ個人個人が、生き方を合わせていくことが当然となった。だからその個人の集まりである社会も変換していくことに成功し、政治のあり方も改まった。つまり、納得できる価値ある信条、主義、倫理があって、それを基準に生き、言動するということで、矛盾があれば追及・非難され、改善が求められる。それはことばによって自分も他者も、はたまた政治や経済も縛っていこうとする論理的かつ合理的な理想のあり方だ。もちろん理想だから完璧ではなく、矛盾もたくさんあれば、主義主張も多様だ。ただし、誰もがことばを駆使して批判に応じ、自分を正当化するだけの力を持つことが当然とされる。それがことばの国の方法だし、実際に議論を戦わせて完璧な論理に納得・説得される場合もある。ただ、それを日本に求めても無意味だ、と私は思うに至った。日本は、ことば(ことばで定義する原則、信条、主義、筋道)で人が動く国ではないのだ。だから、どんなに「顔」を持ち始めた個人がことばを尽くしてなにかを訴えても、入口のない壁にぶち当たるだけだ。ここにはインタフェースがない、アクセス不可能だ。形式だけで実のない民主主義で「選ばれた」体裁の政治家が、陰の顔なし権力者(経済、利権まみれの官僚等)と共にその体制を維持し、外圧があればその場しのぎに対応し、誤魔化し、結局は思い通りに壁の向こうの談合決定を被治者に押し付けるだけの日本に、西洋式の啓蒙、徹底した話し合いによる問題解決、市民参画の民主主義、ましてや政治を変えるほどの市民運動や革命を求めるのが無理なのだ、と思わざるを得ない。私は、西洋中心主義的見解から日本は遅れている、と言っているのではない。ただ、ことばの重みを基に個人が考え、言動するという西洋的理想が通用しないこの国で、現実との軋轢に悩み、世の不公平や矛盾に憂慮する市民たちがどう社会を動かすだけの力になれるか、発想と戦略の転換が求められていると思うのである。私にも、どういう形なら可能なのかは、まだわからない。でも日本に合うやり方を見つけていかなければ、壁の向こうの顔なしたちは今後も、市民のことばによる抵抗など無視してしたい放題、個人がなく身分しか持たぬ大衆は仕方がない、と黙り続けていくだろう。どこの根を捉えて「根回し」をしていくべきかが、現在の最大かつ緊急の課題である。