2014年10月25日土曜日

ガンジーの毒入りの遺産

ツァイト紙2014年9月25日付
「ガンジーの毒入りの遺産」
アルンダティ・ロイとのインタビュー

私はこれまで、ガンジーの「名言」をいろいろなところで引用してきた。ガンディーは常に三猿の像を身に付け「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えていたそうで、御用学者や東電社員、政治家や役人がなにか話しているのを聞くたびに、それを思い出してきた。尊敬してやまない小出裕章氏もガンジーの下記の名言をよく引用している。

1. 理念なき政治 Politik ohne Grundsätze
2. 労働なき富  Reichtum ohne Arbeit
3. 良心なき快楽  Vergnügen ohne Gewissen
4. 人格なき知識 Wissen ohne Charakter
5. 道徳なき商業  Handeln ohne Moral
6. 人間性なき科学  Wissenschaft ohne Menschlichkeit
7. 献身なき崇拝  Religion ohne Opfer

しかし、私は実際ガンジーが自分で書いた文章をしっかり読んだこともなければ、話を聞いたこともないことに気づいた。こんなことではガンジーの文句を引用する資格は私にはないのだ。そのことを深く思い知らされたのが、この9月末にツァイト紙に載ったアルンダティ・ロイとのインタビュー記事である。これはヤバイ。ちゃんと自分で勉強して根拠のあることしか言ってはいけない、という根本的なことが、私にもできていなかったということか。あ~、これではいけない。というわけで、自分を戒めるためにもこのインタビューを訳した。
(ゆう)

Gandhis vergiftetes Erbe
「ガンジーの毒入りの遺産」
アルンダティ・ロイとのインタビュー


私たちの国は暴力の基盤の上にできている、とインドの作家、アルンダティ・ロイは語る。

ツァイト紙:マハトマ・ガンディーは20世紀で最も尊敬されている人物の一人といえます。イギリスの植民地支配に対するインドの平和主義的独立運動の指導者であり、マーティン・ルター・キングやネルソン・マンデラの模範であり、世界中の人々のアイドルです。ロイさん、あなたは先日、そのガンディーを鋭く批判するエッセイを発表されました。これは、どうしてですか?

アルンダティ・ロイ:ガンジーの遺産は偉大です。しかし、不幸にもこれはゆがめられてきたし、ましてや偽造までされてしまっています。今では実際の人物とはかけ離れてしまいました。私の意図は、もともとガンジーについて書くことではなく、ある本の再版にあたり、それを紹介するものとしてこの文章は、生まれたのでした。「カースト制度の廃止(Annihilation of Caste)」、という近代インドの重要な知識人の一人である、ビームラーオ・ラームジー・アンベードカルの書いた本です。アンベードカルはガンジーの強力な批判者でした。彼はガンジーに対し、知性的、政治的、倫理的な意味でとても挑戦的でした。彼はダリットの家庭に生まれたのです。

ツァイト紙:「不可触賎民」、カースト制度の最下層に属し、その上のカーストの人たちからまるでらい病患者であるかのような扱いを受けている人たちのことですね。

ロイ:「カースト制度の廃止」は、アンベードカルが実際には行わなかった演説のテキストです。これは1936年に出版されました。アンベードカルはこの中でヒンズー教を非難し、世界で最も野蛮で、卑属的な階級的社会制度であるヒンズー的カースト制度を攻撃しています。とても扇動的な文章です。これを書くちょっと前にアンベードカルは、自分はヒンズー教徒として生まれはしたが、ヒンズー教徒としては死ぬ気はない、と公に宣言しました。「カースト制度の廃止」は、なぜヒンズー教から離れなければいけないかということを説いたものなのです。ガンジーはこれに答えました。

ツァイト紙:そしてカースト制度を弁護したのですね。どの人間の職業も社会的地位も、生まれたときから決まっている、そういうシステムを、自分では逃れることのできない運命として定められている社会制度を。

ロイ:ええ、そうなのです。ガンジーがカースト制度や南アフリカの人種問題に対して持っていた考えを、私は追跡してみました。彼は1893年から20年間も南アフリカに住んでいたのです。インドに住んでいる私たちは皆、ガンジーがどのように政治的に目覚めたかという話を教え込まれて育っています。彼がピーターマリッツバーグで、白人専用の車両へ乗車することを拒否され、追い出されてしまった、という話です。でも、これは話半分でしかありません。

ツァイト紙:ではそのもう半分は?

ロイ:ガンジーは人種の隔離について怒ったわけではなかったのです。本当の話はこうです。彼がどうして白人専用の車両に座っていたかというと、彼は、上流階級出身の金持ちのインド人は、Kaffir と一緒の車両に座って旅をするべきではないと信じていたからです。彼は黒人のことをいつもKaffir(南アで黒人を表す蔑称)と呼んでいたのです。そのことを頭ではっきり認識するのは、ちょっとショックなことでした。自分の文章では、ガンジーが1893年から1946年までに書いた文章を引用するにとどめました。かなりショッキングな軽蔑さ加減で、彼はアフリカの黒人、インドの農奴、不可触賎民、労働者や女性のことを書いています。南アフリカで過ごした20年間のほとんどを、彼は白人政権との友好関係を得ようと努めることに費やし、イギリス人と「帝国主義的同胞愛」を望む、という宣言までしているのです。

ツァイト紙:それで、ガンジーはインドに帰ってくると、この考え方をインドに適用し、カースト制度の保護者となったというわけですか?

ロイ:もちろん、彼の人種に関する考えが、本当にカーストに関する考えの基本となっていたかということは簡単にはいえません。彼は、カーストの原理に支配された社会で生まれ育ってきていたわけですから。でも、彼の人種とカーストに対する考えは、際立って保守的です。彼は「時代の子だった」とすら言えないのです。というのは、彼と同世代の人たち、インド人であれ、他の国の人であれ、アンベードカルやジョティバ・プーレなど、ずっと進歩的な人たちもいたからです。ガンジーは本来、私が文句なしに惹きつけられる、という人物ではありませんでした。私は信心深さや純粋性を特別良しとしませんが、彼はそれに取り付かれていました。彼に善良な「変わり者」というレッテルを貼るのすら、難しいのです。それにはかなり、たちの悪いものが邪魔をしているからです。単に非暴力の抵抗、禁欲、山羊の乳、自ら紡いだ木綿、というレベルの問題ではないのです。

ツァイト紙:でもガンジーは不可触賎民や低い階級が社会からの除外されることや、権利を剥奪されていることなどに対し、鋭く批判していたのではないのですか?

ロイ:彼は政治的社会的カースト制度の問題点を、象徴的でトーテム的な不可触賎民問題に縮めてしまったのです。カースト制度の問題は、まず第一に土地、教育、公共的サービスなどの権利の問題です。不可触ということは、ダリットを弾圧している何重もの暴力的手段の一つです。彼らを洗脳し、彼が今後も今と同じようにあり続けるようにしているのです、安価な労働力のストックとして、制度を脅かすおそれのないものとして。ガンジーが主張したのはこうです:どのカーストもそれぞれの世襲の仕事に就くように、ただ、だからといってどのカーストもその他のカーストより高貴であるということはない、と。これで、侮辱されてもそれを喜んで受け入れるようにと、彼は求めたわけです。アンベードカルが1936年にカースト制度に対する論争を発表したとき、ガンジーは、便所で働く労働者のカーストが持つべき理想的性質についてエッセイを書きました。他の人間の排泄物を片付けるということは神々しい義務であり、彼らはこれをずっと続けて、決してその仕事で「利益を蓄えよう」などと思ってはいけない、と彼は信じていたのです。

ツァイト紙:それでも彼は、非暴力主義の画期的な保護者でした。

ロイ:肝心な点はこうです。ガンジーの非暴力主義は、持続的な、野蛮で極端な暴力の基盤の上にできていることです。というのも、それがカースト制度だからです。この制度は、暴力で脅迫したり、暴力を使ったりすることなく維持できるものではありません。今日ですら、現状を問題視するダリットは、儀式殺人で殺される危険にさらされています。2012年12月にデリーであるバスの中で若い女の子がおぞましくもグループ強姦をされて殺されたことに対し、大々的なデモが行われました。同じ年に、1500人のダリットの女性がカーストの高い男たちに強姦され、650人のダリットが殺されました。でもこれはほとんどニュースには流れません。

ツァイト紙:ガンジーは西洋的な現代のあり方に対する極端な批判者でもありました。これはあなたにも通じるものがあるのではないですか。あなたも、ダムや鉱山をつくるために環境を破壊し、夥しい数の人間を迫害するインドの近代化に対し批判しています。

ロイ:この観点ではガンジーは先見の明があり、地球がどんどん略奪されていくことを見抜いていました。ええ、彼が魅力的な人物であることは疑いがありません。私は自分のエッセイをぜひ、ベン・キングズレーに送りたいものです...

ツァイト紙:あなたのエッセイは、過去のことを扱っているだけではなく、現在のことも大きくテーマにしています。オブザーバーのほとんどは、少なくとも西洋では、今日、貧困や男女の不平等こそがインドの最大の問題とみなしています。ロイさんはでも、カースト問題が今でももっと重要だとお考えですか?

ロイ:インドのマスコミが選挙戦をどう分析しているか、よく見てみてください。まず有権者グループのこと、つまりさまざまなカーストがそれぞれの地域でどう選挙するか、ということを分析しています。カーストの現実が、現代のインドを動かしているエンジンです。でも、選挙が終われば、すべてはまた薄らいでしまいます。30年代から所属カーストによる公的な国民の分類はなくなりました。それで、カースト制度の偏見がもたらすひどい影響が、栄養失調や土地を持つことのできない人々、または極端な貧困などに関する統計に表れてこなくなりました。これらの数字が「カーストとは関係なく」なってしまうからです。インドの進歩的な知識人たちは、このテーマを回避しようとします。

ツァイト紙:人間としての平等を基本とし、それを政治的な形にしていこうとしている民主主義がインドでは、どうしてカースト制度を克服することができなかったのでしょうか?

ロイ:それは私たちの選挙権と関係があります。アンベードカルはこの分野で、彼が行ったことの中でも一番大きな戦いをしたといえます。彼は、政治的に強い力を得るために、ダリットが自分たちの代議士を選挙で選び、国会に送り出すべきだと主張したのです。1931年には当時の英国植民地政府はこの要求を受け入れました。ガンジーはそれに反対し、ハンガーストライキを始めたのです、死ぬまでストライキを続けてやる、と脅しながら。アンベードカルは最終的には譲歩せざるを得ませんでした。これは、私たちの歴史の中でも、かなり最悪の瞬間でした。

ツァイト紙:「あたかも誰かが薄暗い部屋に入り込んで窓を開けたような感じだ」と、アンベードカルの本を読んだときのご自分の経験を書いていらっしゃいますね。どうしてこれがあなたにとっては啓示だったのでしょうか? カースト制度の問題を、それまであまり意識していなかったのですか?

ロイ:私は南インドの、ケーララ州にある村で育ちました。私の小説「小さきものたちの神」はそこが舞台で、カースト制度の問題が中心を占めています。でも教育では、私たちの学校の教科書には、この問題は出てきません。この問題を掘り下げることは許されないのです。カースト制度は私たちの現実にある問題なのに、テーマにはならなかった、それこそ私が「見ないようにするプロジェクト」と呼んでいるもののせいです。そういうことがなかったかのようにしているのです。少しカーストの高い人たちはこう言うかもしれません、「カーストなんて信じない、カーストは私には存在しない」と。でもそれは、彼らがこのような現象に出会わなくてもいいような、あたかも自分たちが平等の人間であるかのように振る舞うことのできる、そういう特権のある環境を作り上げたからです。

ツァイト紙:ここ数年、あなたはことに政治的なエッセイ - 資本主義やインドの核装備、カシミール政策、インドの先住民アディヴァシに対する不公平な扱いなどに反対するエッセイ - を発表してきました。でも、カースト問題については書いてこられませんでしたが、それはなぜですか?

ロイ:私の書いたエッセイで、ダリットや今話に出たアディヴァシなどが出てこないものはほとんどありません。でも私の政治的な文章は、特に国家を問題にしています。しかし「カースト」というのは、社会と無関係ではない。これはとても複雑な問題なのです。階層社会の一番底辺にいる人たちの間にすら、さらに上下関係があります。これは抑圧ということに関していえば、素晴らしくよくできているシステムなのです。これは、どちらかといえば文学の主題といえるでしょう。

ツァイト紙:ジャーナリズムで長い間論評を続けてこられたわけですが、今また小説を書き始めたそうですね。知識人として公共の場で積んでこられた経験に、失望されていますか?

ロイ:私には「公共の場にいる知識人」というのが何なのかよくわかりませんし、私がはっきりとした役割を務めるべきかどうかもわかりません。私は失望はしていません。でも、多くのインド人と同じように、私は、目前に迫っているものに対し、とても憂慮しています。ヒンズー国粋主義と、大企業の資本主義とが結びつくことです。私自身のことを言えば、国家に対する批判は、直接、緊急に書かれた政治エッセイで行うのがいいと思っていました。でも、私の中には、ワイルドで、無責任に、非理性的になりたい部分があって、単に事実や数字だけで論議したくないところがあるのです。これは失望とは関係ありません。ただ、同じことを繰り返し言っているような気がしてならないのです。何か、別なことをする時期に来ているのだと思います。

ツァイト紙:書き始めた小説について、なにか話してくださいますか?

ロイ:私は今、いろいろなことから離れようとしています。これからなにが起こるかわからないし、どんな小説になるかも、わかりません。そのうち自然と見えてくるでしょう。

インタビュアー:Jan Ross

2014年10月10日金曜日

快感帯の廃止

快感帯の廃止
この文章は、実はフランクフルター・アルゲマイネ紙に、フクシマの事故があってからすぐ3月20日に掲載された。私は当時、茫然自失していたし、実際に気をとりなおしてあらゆるドイツからの情報を日本に向けて翻訳し始めるようになってからは、もっと具体的に訳さなければ、と思う記事や動画がたくさんあって、この記事はそのままになっていたのだが、先日この記事を読み直してみて、書かれてから3年以上経つこの文章の鋭い考察に、やはり心から同感するので、訳すことにした。このハラルド・ヴェルツァー氏は、すでにこのブログで何回か取り上げたが、私が今とても注目している人物の一人だ。(ゆう)

本文はこちら:
http://www.faz.net/aktuell/politik/energiepolitik/nach-fukushima-abschaffung-der-komfortzone-1610925.html
Frankfurter Allgemeine Zeitung(フランクフルター・アルゲマイネ新聞、2011年3月20日号)
Harald Welzer(ハラルド・ヴェルツァー)

フクシマ事故の後で
快感帯の廃止

 日本で起きた原発事故は、停滞なき繁栄を約束するこれまでのあり方から完全な方向転換を促すきっかけとなって当然だ。しかし私たちは、自分たちで認められる以上に、浪費を続ける社会モデルと癒着してしまっている。

 日本で起きた原発最悪事故は、今までで最高の世界に生きているという確信も、当面のところ汚染してしまった。自然条件やその有限性からも解放された、止むことなき進歩発展の世界に住んでいるという思い込みである。ほとんど天然資源を持たない国が世界で三番目の経済大国でいられるということが、長い間疑問も持たれずに当然のことと受け止められてきた。しかし災害が起きた瞬間に、そんなことは短期的な視野でしか可能ではないということが明らかになってしまった。人間が生き延びる根本は常に、人間と環境との関係でしかないという当前の事実からは、核エネルギーですら解放してはくれないのだ。

 現代の夢とは、自然の権威から完全に解放されることだった。プラスチックにしろ、核廃棄物にしろ、地震に強いインフラストラクチャーにしろ、ありとあらゆる人工的なものが日本では今、巨大なフォールアウトの状態に陥ってしまった。そして文明がこぞって隠そうとしてきた負の塊が死を、病を、荒廃を、抑うつをあとに残していく。

難破と見物人

 これからどうなっていくのかは、まだ誰にもわからない。災害に強い日本人がこの危機から再び抜け出していくのか、あるいは、なにもかもが放射能汚染されているため、何百万人という人間が出入りを禁止されるような「特殊区域」に住むことを余儀なくされるのか。そういうシナリオは文学や映画でこれまで幾度となく描かれてきた。日本は島国であるだけに、核の啓示を現実に置き換えやすい。被害に遭わずに済んだその他の国や大陸は、そこで起きることをただ見物していればいいだけだ。放射能が高くなることや、被ばくした招かれざる客がそばにやってきはしないか、案じる必要はない。

 まさに現実のディストピアである。人間はこれで、終わりない繁栄を約束するあり方を信じることをついにやめる転機に至ったのだろうか、あまりに代償が高すぎると認めるようになったのか、もしかしたらこれまでほどは快適でない、他者の犠牲の上に成り立つのではないライフスタイルへ方向転換する覚悟が、これでできるのかと、ここ数日私は幾度となく質問を受けた。残念ながら、そうは思わない。

 そしてその理由は、これが二番目の原発最悪事故だからであり、一度目の事故がなにも変えなかったからである。そして消費地域をどんどん拡大して幸福感を高めようとする経済と社会モデルの吸引作用があまりに強く、誰一人としてその力から逃れることができないからだ。

痛ましい例外というロジック

 核エネルギーの使用は、今の社会モデルがもっている、原則的に飽くことのないエネルギーへの飢餓感が表す症状の一つに過ぎない。もう忘れられてしまった去年のメキシコ湾原油流出事故もその一つだ。途方もない天然資源の過剰利用が引き起こすその他の事故は、数え切れないほどある。そしてエンジニア、技術者、経済専門の政治家、電気会社の幹部たちは、気が遠くなるような想像力のなさで、同じことを言い続けている。痛ましい事故だがこれはほんの例外に過ぎず、ここではこんなことは起こりえない、それにほかに取って代わる方法はない、さもなければ石器時代に戻ってしまう、電気がなければ云々...だ。

 国民の大多数が、もうそんなことには賛成していられないと声を上げ、抗議し、方向転換や変更を訴えるだけでなく、自ら実行に移していかなければ、いつまでも同じことが平気で繰り返されるのは、なぜだろうか。それは、毎朝マイカーで出勤し、週末はスポーツクラブで退屈するか、飛行機の席に窮屈に座り込んではどこかに一飛びして、地球の別の場所で無意味なことをしながら、この浪費と無責任の文化が私たちを先導していくのに、ずっと賛成してきたからだ。

 別の言い方をすれば、こうだ。自分たちが思っている以上に私たちはこの世界に大勢いるグロースマン(ドイツ大手電気会社RWE社長)やタイセン(同じく電気会社Eon社長)、ヴェスターヴェレ(2011年当時のドイツ外務大臣)やメルケルと同意見なのだ、ことに彼らに対して腹を立てているときに限って。すべてのことに関し、いつでも思いのままになるユーザインタフェースがあればいいと思っているのが私たちである。

プラン B はない

 ユーザと化してしまった市民には、日本が必要な部品を今のところ納品できなくなるので新しい iPad が手に入りにくくなるということの方が、何百万人という人間が野垂れ死にすることよりショックなのかもしれないが、それはそう驚くべきことでもない。というのは、この世の中がスムーズにこれからも機能するためには、市民に新しいiPad を欲しがってもらわなければならないからだ。転機が訪れるためには、それをもうやる気がなくなるか、できなくなることが前提となる。しかし、このクラブから脱退すれば、いったいどこに行き着くのだろうか?

 資本主義システムやその繁栄、公平さ、健康や安全といった利得に潜む陰険な側面は、存在のどの部分も「商品」にされてしまうことだ。そしてそれを買う幸運に恵まれた者しか、それらを得ることができない、ということだ。消費というグローバルな幸福感においては、誰もが例外なく平等に扱われる、ということかもしれないが、実はすべてが平等、つまりすべてが「売り物」であるからこそ、それに取って代わる方法がことごとく失われてしまった、ということなのである。日本が今向き合っている真のドラマチックな所見はだから、プランB はないということに尽きる。そしてこれは、それだからこそ日本人が、その他の先進工業国と同じように核エネルギーに固執するに違いないということも意味している。資源がなければないほど、そしてそれに連結して行動の自由裁量の余地が狭まれば狭まるほど、彼らはもっと核エネルギーに固執していくに違いない。

破滅の青写真

 ジャレド・ダイアモンドがその著書「文明崩壊 - 滅亡と存族の命運を分けるもの -」の中で、生き延びていくための条件が変化して危機にさらされると、どの社会もまずある一つのことをする、と書いている。そのあることとは、それまで、中には何百年にもわたり成功してきた戦略を強化する、ということだ。肥沃な土地がわずかになれば、それからますます搾り取るだけ搾り出し、破滅を一気に導いてしまう。石油がわずかになれば、深海を掘削してリスクを高め、エネルギーが足りなくなれば、地震の多い土地に原発を建てるというわけである。

 社会が成功するモデルには、その社会の破滅の青写真がすでに含まれている。目新しいのは、発展上昇と内側からの破裂との間隔がどんどん短くなってきていることだ。西洋資本主義社会の生活形式は、華々しい文明進化を遂げてから自らを破壊していくまでに、三百年とかからない。

 将来生き延びていくためには、教育、医療、安全、平等、法治国家であることなどの点でこれまでに達成した文明レベルを保ちながら、間違った方向にそれてしまった発展 - ことに未来のないエネルギー利用や限度のないモビリティ、いつでもすぐになんでも手に入ることを求める文化 - を極端に減らしていくしかない。

 それには、必要不可欠と信じて疑わない技術の機能不全を節操なく嘆いたり、他者の不幸に対し偽りの同情をしたりする以上のことが必要である。この国では偽善たっぷりの日和見主義的政治決断が日本の大災害によってもたらされることとなったが、それこそ、将来は自分の考えも、責任も、人任せであってはいけないという思いを新たにするきっかけとなるには十分である。原発最悪事故が示しているものは、だから以下のことである。資源には終わりがある、その明らかな事実を無視する社会モデルにも資源と同じで、終わりが来る。快感帯は、今日を以って終わりである。

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Harald Welzer(ハラルド・ヴェルツァー)、ドイツの社会学者、社会精神学者。Futurzwei(第二未来形)基金の創立者および代表者。2012年よりフレンズブルク大学の栄誉教授、ザンクト・ガレン大学、エモリー大学(米国アトランタ州)で教鞭をとる。専門は記憶、集団暴力、文化学としての気候の影響の研究。

快感帯とは
……人体が感ずる温熱感覚は単に気温と湿度だけでなく日射や気流(風)も影響するので,温熱感覚を表すのに不快指数を用いることは環境衛生学上は問題があるといえよう。たとえば温度,湿球温度,風速の三つを座標としてつくった実効温度effective temperatureの図表で,17.2~21.8℃の範囲は快感帯comfort zoneと呼ばれ,多くの人が快いと感ずる温熱領域であるが,これと不快指数が一致するのは無風の場合にかぎられる。しかし,室内での体感の表示には便利な指数で,気象分野ではよく用いられる。……(コトバンクより)

自然はカタストロフィーなど知らない

自然はカタストロフィーなど知らない

カタストロフィーという言葉が日本語にも浸透したが、これは単に自然災害だけを指すのではない。自然にとっては、地震も火山の噴火も洪水も、程度は違えど繰り返し起こる出来事に過ぎないのだ。それが生命を脅かすカタストロフィーになるかどうかを決定するのは文化だ、ということを示す展覧会の記事を読み、なるほどと思うところがあったのでそれを訳すことにした。それにしても、フクシマ事故以来、絶え間なくカタストロフィーが起こっている気がする。確かに、自然の理に適わぬものを作り上げてしまい、災害が起きて大きなカタストロフィーに発展させてしまってから「想定外」などといって知らぬ顔をするのが日本の文化ということか。(ゆう)

2014年9月4日付けツァイト紙「自然はカタストロフィーなど知らない」
Andreas Frey報告
(Die Zeit: "Die Natur kennt keine Katastrophe" 04.09.2014 von Andreas Frey)
本文はこちら:http://www.zeit.de/2014/37/naturkatastrophen-erdbeben-vulkanausbruch-ausstellung

火山の爆発、地震、洪水が起こるたびに、人間はその原因や誰のせいなのかを探そうとする。しかしある展覧会があることを示した。まず文化が最初に、その破滅を定義する、ということを。

1816年は夏がなかった。それくらいにひどい天候だった。冷気、雨、そして空から落ちてくるのが雨でなければ、それは雪だった。7月の終わりだというのに南ドイツは白い雪に覆われた。穀物は実るかわりに茶色いどろんこに成り果て、飢饉が広がった。パン屋や農家が襲われたという報告も残っている。たくさんの人間がこの土地を離れてよそへ移り住んだ。

この悲劇の年は「夏のない年」として歴史に刻み込まれている。これは他に例を見ないカタストロフィーだった。なにが起こったのだろうか? ありとあらゆる流言がまかり通った。ことに目に付く軌跡と言えば、カスパー・ダーヴィッド・フリードリヒやウィリアム・ターナーがその絵画に残した、真紅に燃えた夕焼けの太陽の色だけだ。今ではその原因がわかっている。この「夏の来なかった年」は人間の歴史が始まって以来最大規模の、火山の噴火がもたらしたものだったのだ。インドネシアのスンバワ島にあるタンボラ山がこの前の年に自ら頭を宙に飛ばしてしまったのである。

平和な惑星などというのは、まったく的外れだ。一週間とも地球がその住民たちに暴虐を加えないことがあるだろうか。炎を吹き、地面を揺り動かし、ある土地の一面を水浸しにし、竜巻で吹き上げる。ここに暮らすのは、生命にかかわる危険な企みだ。人間の歴史とは、カタストロフィーの歴史と言い換えることができよう。自然は文化に絶えず挑戦してくる。この力比べは私たちになにをしようとしているのか? これに勝つことはできるのか?

その答えを探し求めて、マンハイムにたどり着いた。ライス・エンゲホルン博物館では、この日曜から人間の歴史で最大級の自然災害をテーマにした展覧会が見られる。ここでは自然災害がそれを招いた要因ごとに分かれて展示されている。アリストテレスの説に基づいた四大基本物質である - 火(火山)、地(地震)、水と空気(洪水、嵐)、そしてそれに人間という要素が加わる(気候変動)。これはタイムとリップでもある。そして世界をめぐる旅でもある。「アトランティスから今日まで。自然。大災害」という名のついた展示会だが、これは単なる体験型教材ではない。この展覧会が見せてくれるのは、ことに私たち自身についてなのだ。

たとえば私たちが絶えず原因を探そうとする、好奇心、というものがある。ただ単になにかが起きるだけではだめで、私たちはなぜ起こったかを知りたい。2世紀前の自然科学者たちはヨーロッパで起きた冷夏について、あらゆる説明を見つけようとした。森林の伐採が熱を奪ってしまったのだ、という人もあれば、その数年前に起きた数々の地震が誘引したのだ、という学者もいた。多くの人間にとっていかがわしいとしか思われなかった避雷針も、議論された。地球の中があまりに熱しすぎたために、自然の熱の流れが妨害されたのだろうか?

啓蒙が勝利をした後も、教会が飽くことなく続けた世界の説明は、長く地上にとどまった。教会はこの1816年の歴史的な異常気象を、人間の罪深い振る舞いに対する神の罰だと解釈した。そしてこの解釈を教会はいつものごとく、自分たちの利益のため、倫理的秩序を保つために利用した、とゲーストハハトのヘルムホルツ・センターの人類学者ヴェルナー・クラウス氏は語る。「自然災害は権力の空洞を生み出し、人間をトラウマ状態に陥れる。」そのことが、暴力的な破壊をイデオロギー的に悪用するのに最適な状態にするのだ、と。

スンバワ島では、そこで発生した権力の空洞を、まずは山の神が火山の噴火を起こさせたのだ、という説で埋めようとした。その後まもなく、イスラム教がこの神話的な説を追放することとなる。タンボラ王国の統治者たちが神の怒りを招いたのだ、と。

火山の噴火と大気の混濁や冷夏の因果関係を正しく科学的に解明する者はいなかった。それをするには世界のネットワークはまだ不十分だったからだ。異常気象の主な原因が火山の噴火であるということは、1883年にインドネシアのクラカタウの大噴火が起こるまで、人間は危険として認識していなかったのだ。またもや太陽が翳った。そして電報というものができたお陰で、世界のこちら側にいて向こう側でなにが起きているか、知ることができるようになったのだった。

火山の噴火は世界で初めての報道事件となったのである。大気に飛んだ亜硫酸ガスが地表の気温を下げる効果をもたらすことはしかし、23年前に起きたフィリピンのピナツボ噴火でやっと、科学的に証明されることになった。

今日では、どんな自然災害もメディアイベントだ。2010年にエイヤフィヤトラヨークトルが火山灰を吹き上げたときと同じように、アイスランドのバルダルブンガ火山がこれから巨大なガスを噴出すことになれば、我々はすぐさまライブで中継するだろう。破壊的な自然の力を、私たちは安全な距離から見物し、人々に同情し、「理解しがたいもの」を消化していくことだろう。マスコミは、我々が因果関係を認識し、カタストロフィーから学ぶ手助けをしてくれるだろう。メディアは記憶文化を構成している大きな要素だ。

「私たちは大災害を見る時には、かなり内面で対立しあう感情を持っているものです」と語るのは美術史家でこの展示会の主任を務める、ハイデルベルク大学のモニカ・ユネイヤ氏だ。「のぞき見趣味は常にあります。しかし、自然災害に魅せられることで、私たちは恐怖を克服するのです」。

今では地球は24時間絶えず観察され、測定されている。どんな変化でも記録される。私たちは「知識社会」に住んでいるといえる。ハリケーンがどうやって発生し、地球がなぜ振動するか、説明できるようになった。そして嵐のような自然現象は前もって予報でき、備えることができる。ただ、自然はまだ制御することはできない。でも、もしかしたら思っている以上にその野生さを「飼いならす」ことがもうすぐできるようになるかもしれない。この惑星の物質循環に人間が手を加えることが現実となってから久しいではないか。自然を制覇することができれば、もう自然災害を恐れる火必要はなくなる。

「人間とその文化を破壊する規模の、自然の例外的状況が発生して初めてそれが、カタストロフィーと呼ばれるのです」と語るのは、この展示会の発起人の一人である、ダルムシュタット技術大学の歴史家ゲリット・シェンク氏だ。この定義はかつてマックス・フリッシュが言ったことである。「自然はカタストロフィーなど知らない」と彼は書いている。文明から遠く離れた南極で巨大な氷河が崩れても、それは確かに圧倒的な力を持つ自然の力だが、カタストロフィーではない。

それを決定するのは、見方である。カタストロフィーとは、突然発生する、決定的に何かを変えてしまうような出来事として理解される、破滅的な結果をもたらす大きな不幸として。カタストロフィーはだから自然災害だけでなく、事故、戦争、またはテロ事件なども含まれる。語源はギリシャ語のカタストロフェだ。これは「突然訪れる激変」という意味だ。16世紀まではこの言葉は喜劇の転機を指す場合に使われていた。否定的な意味合いが生じたのは、後になってからだ。

自然科学のカタストロフィーに対する見方は現実的・実用的、その反応は技術的なものだ。自然科学に影響を受けた社会は、カタストロフィー・マネージメントを学習しようとする。自然の原因を説くことで、予防を可能にしようとする。北海の諺にこういうものがある。「堤防を作って備えない者は消滅するしかない」。予防するか、死ぬか。嵐や洪水から自らを守るために、人は防壁を築いた。教会の言うことをよく聴き、神だけを信頼していたら、現在ある海岸などとっくの昔に水の底に消え、人間もそれと共にいなくなっていたはずだ。去年12月に大きな嵐をもたらした低気圧クサーファーは、長年の堤防維持管理組合の仕事の成果がなければ、大昔にあった洪水による溺死事件と同じほどの破壊を招いていたことだろう。

私たちは、社会がどれだけ傷つきやすく、または酷使に耐えるか絶えず評価しなおす。自
然の暴力がカタストロフィーになるかどうか。そのために研究者たちは脆弱性と回復力(レジリエンス)という概念を作り出した。経済学者や政治家は逆に、自然災害を数字で表現する。EUでは、国の経済的損害が30億ユーロを越すか、少なくとも国内総生産の0.6%になればカタストロフィーであると、定義している。

自然災害の中でも地震は生命にとって最大の危険を意味している。そして一番不気味なものだ。何の前触れもなしに地震は足の下が揺れ始め、人間のもっとも原始的な恐怖を呼び起こす。地震は数秒しか続かないことがほとんどなのに、何年という年月にわたって一つの国を大きな危機に陥れることができる。これが文化全体にとってそれを乗り切ることができるかという試練になることが少なくない。カリフォルニアではもう数十年も前からビッグ・ワンが予測されている。二週間前に起きた力強い地震はただそれを思い出させる助けとなっただけである。地球の内側で地殻構造のひずみや力がそれ以上になにをもたらすことができるかは、この十年の間に世界は二度も見せつけられることとなった。2004年と2011年にアジアで起きた津波は両方とも、沿岸線を完全に破壊して何十万人という人間を殺した。日本ではそれに三重のカタストロフィーが重なった。地震、津波、メルトダウンだ。

文化的な捉え方はしかし、まったく異なる。私たちは今ではネットで、リモコン操作やマウスをクリックするだけでカタストロフィをそばに引き寄せることが可能だ。一緒に同情したり、援助したり、警告したり。しかし同時に、それらを無視することも可能である。
どの文化も、自然がもたらすものからそれぞれ異なった結論を引き出す。フクシマの原発カタストロフィがそれをよく表している。ドイツでは、世界の向こう側で起きたこの出来事が、この国の最大級のプロジェクトを招いた - エネルギー政策変換である。他のほとんどの国はしかし、これを性急に過ぎてヒステリックな決断だと思っている。

日本ではこの不幸を儒教的思想に基づいて理解した人が何人かいる。人間が混沌を作り出したところに、自然が秩序をもたらすと。日本の神話によれば、地下に住む大なまずが地震を引き起こすとされている。なまずは報復をする者、世界を新たに更生する者だとされているそうだ。この意味で作家であり政治家である石原慎太郎はこのカタストロフィを倫理的浄化とみなした。「この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と彼は語った。不幸をチャンスとみなす。次の日に石原慎太郎はこの発言を撤回した。

日本での三年前の震災と似た災害を体験したのは、1755年のリスボンの地震だ。これで大陸全体が揺れ、とてつもない被害を起こし、12メートルの高さの津波が引き起こされて、大西洋の反対側にあるマルティニークやバルバドスで甚大な被害を招いた。これはヨーロッパ中の宗教、芸術、哲学、文学、政治で激しい論争を呼んだ。

教会は罪のなすりあいを行った。カトリック教会ではただちに信者から贖罪を求めた。プロテスタントでも自然災害を神の罰とみなしたが、カトリック教会に対しての罰だとした。なんといっても、地震はカトリックの祝日である万聖節に起きたのだ。プロテスタント教会は、カトリック教会がその過剰な聖人信仰と異端審問で世界に災厄をもたらしたのだ、と非難した。マンハイムのシラーハウス所長であるリーゼロッテ・ホメリング氏がこの展示会に寄稿して書いているように、哲学者たちもこの災害の解釈について論争しあっている。ヴォルテールは、いろいろ不幸があろうとも、今現在世界で最良のところにすんでいるのだという、浸透していたライプニッツ派の説を批判した。少なくとも今やっと、神が罰と復讐をする神だということがわかったではないか、と。

罰を与える神という考えは今でも浸透している。米国の西部の農民たちは、旱魃とならないための祈りを推奨している。「Pray for Rain」という文句が彼らのポスターには書かれている。民俗学者のヴェルナー・クラウス氏は、現在の気候温暖化論争でも、宗教的な解釈のパターンをよく見る、と語る。2005年のハリケーン「カトリーナ」をニューオリンズの住民の無節操な品行振りに対する神の罰だということを言った人は少なくなかった。百年ぶりの洪水を、自然の報復とみなす、一般に行き渡った見方は、宗教的な罰という観念を現代の環境意識に当てはめた続きに過ぎない、とクラウス氏は語る。「我々の多くが気候の変化を、母なる大地、または地母神ガイアの安定状態を私たちが崩したことに対する結果だとみなしています」と。

この展示会のリーダーを務めたモニカ・ユネヤ氏も、同じように見ている。「解釈のパターンは今日までほとんど変化していません。償いと罪滅ぼしということになるのです。植樹をすれば、安心するのです。」現在の贖罪のバリエーションは、自転車に乗ることやオーガニックの牛肉を食べることだ。

自然はどうなったとしても大きな力であることには変りはない。自然がまた炎を吹き、地面を揺り動かし、土地を水浸しにするたびに、地球はそのことを永久に思い出し続けるだろう。しかし自然がカタストロフィとなるかどうかは、それは私たち次第だ。