2015年5月18日月曜日

ダイヴェストのすすめ

どうやったら気候温暖化を本当に止めることができるのか? 新しく各地で始まったダイヴェストメント(Investment、投資の逆、すなわち投資した資本を撤回すること)運動は資本家に石炭・石油・ガス企業から資本を撤退することを訴え、成功している例がいくつもあるという。世界各地で2月13日と14日にグローバル・ダイヴェストメント・デーとしてあらゆるアクションが行なわれたそうだ。私の住むベルリンでもアクティビストがいろいろ活躍していることを知った。彼らがベルリン市に提出した公開状Fossil Free Berlinには、私が好きなHarald Welzer氏もサインをしていた。
最新のツァイト紙の「経済」欄に大きくこの行動についての報告が載ったので、それを訳した。(ゆう)

Holt das Geld da raus!

Die Zeit vom 13.05.2015

記事はまだオンラインで読めないがこちらを参考:https://fossilfreeberlin.wordpress.com/2015/05/13/fossil-free-in-der-zeit-vom-13-mai/

報告:フェリックス・ロアベック(Felix Rohrbeck)

金を取り上げろ!

マティアス・フォン・ゲミンゲンがベルリンの市庁舎で必要としたのは、三人の偵察隊だ。23時47分に偵察メンバー第1号から携帯に連絡が入る。「今こっちに来た」。来たというのは市庁舎を警護している制服を来た警察官たちで、彼らは自分たちが巡回の間監視されていることを知らない。

39歳のフォン・ゲミンゲンは残りのチームと市庁舎の後ろで待機する。警察官たちが彼のそばに来るまで、残るは10分あまりだ。60キロもある赤いホンダの発電機のエンジンがかかる。この発電機につながっているのは、車のトランクルームに隠してある巨大なプロジェクターだ。

マティアス・フォン・ゲミンゲンが合図をする。「行くぞ!」

グループの一人がプロジェクターのスイッチを入れる。瞬く間に市庁舎の正面に大きく、白い文字が照らし出される。「Divest!」と書いてある。「渡した金を取り上げろ」とでもいえばいいか。

グループのカメラマンがシャッターをパチ・パチ、パチと何度か切る。それから次の文字だ。「石炭、石油、ガスから撤退しろ」。またパチ、パチとシャッターの音。ぐずぐずしている暇はない。警官たちがすぐそばまで来ている。ゆっくり映写された文字を見ている暇はない。

しかし次の日、ここで撮った写真が世界を駆け巡る。運動家たちはこれらの写真をフェースブックやその他のソーシャルメディアで拡散する。彼らには世界中にヘルパーがいる。ベルリンの小さいグループの背後には、グローバルな、大きく成長しつつある運動が潜んでいるのだ。

イギリス、フランス、ルクセンブルク、米国、カナダ、フィリピン、ニュージーランドと、各地でこのベルリンのようなアクションが行なわれている。企業、大学、市、年金基金、保険会社、教会などに送られるメッセージは常に同じだ。「石炭、石油、ガスから撤退しろ!」

具体的に言えば、こうだ。このメッセージを受け取った団体は、最大級の化石燃料のたくわえをもっている、株式市場に上場されている企業200社に投資をするな、というのである。Gazpromもここにリストアップされているし、同じくExxon、BP、Statoil、PetroChina、Coal India、RWE、BASFがそうだ。これらの企業の株や公債を持っているものは、それを売り払うべきだというのである。

活動家たちは石油、ガスや石炭を使って商売をしている企業を、この方法で金銭的に「干上がらせよう」としているのだ。これらの企業も投資家が見つからなくなれば、化石エネルギー源は地中に埋もれたままで燃やされることはない、というのが彼らの計算だ。地球温暖化をもたらすビジネスはもう利益を上げないようになるべきなのだ。

2012年以来、これを支持する投資家の数が増えている。自ら確信して進んで始めた人もいれば、ベルリンの運動家たちがやっているように運動家の圧力に負けて、考え直したという人たちもいる。

アメリカではサンフランシスコやシアトルなどの市がダイヴェストメントすることを公言した。オーストラリアのブリスベン、イギリスのオックスフォード、スウェーデンのエレブルーもそうだ。70以上の教会系団体も、スカンディナヴィアの年金基金、カレッジや大学もそこに並んでおり、ことに大学では名声の高いスタンフォード大学がダイヴェストメントを公言している。創立者がかつてその石油帝国をもって巨大な財産をつくりあげたロックフェラー・ブラザーズ基金ですら、ダイヴェストメントを自らに義務付けている。ほとんど毎日、新しい団体がそのリストに名を連ねる。Amundiのような大きな資産管理会社ですら、ダイヴェストメント運動の条件にはまるような投資のプログラムを用意しているのだ。

本当にそんなことがありだろうか? ほぼ二十年来、あらゆる国や政府の代表者たちがサミットで世界の二酸化炭素排出量を減らし、将来の温度上昇を二度に制限しようとしながら大した成功をあげていない。そこに大して金も専門的構造もないわずかな活動家たちが現れて、それをやってのけるというのだろうか?

ベルリン市庁舎でのアクションの1時間半前、フォン・ゲミンゲンはアレキサンダー広場にある壁に腰掛けて、グループと待ち合わせしていた。彼は灰色のキャップを被り、フード付きのトレーナーを着込み、茶色のメガネをかけている、無精ひげを生やした若々しいタイプの男性だ。彼は仕事では、インターネットでの食料品オーダーを専門とするベルリンのスタートアップ会社のマーケティングをしている。彼は自分のことを、市民運動家としては「別世界から入り込んだ新参者」と称している。彼はこれまでの15年間、熱心に仕事をし、バンドでサクソフォンを弾き、結婚し、リュックサックを背負ってメキシコ、ブラジル、南アフリカなどに旅行していたという。政治的にはしかし、全く運動などしたことがなかった。せいぜい、オンラインの請願書に署名したくらいだった。

ところが、サンパウロに住むフォン・ゲミンゲンの友人たちが急に水がなくて困っている話を聞いた。南アフリカで彼がキャンプファイヤーをして楽しんだ砂浜がもうじきなくなりそうだ、というニュースが入った。気候変動はそれからというもの、彼にとって抽象的な危険ではなくなってしまったのだ。彼がそれまで知っていた世界がすでに変わり始めているのである。フォン・ゲミンゲンはこれに対抗してなにかをしたいと思った。ただ請願書にデジタル署名をする以上のことがしたいと。

フォン・ゲミンゲンはダイヴェストメント運動のことをインターネットで知った。彼は勇気を出して、ベルリンでの最初の集会を組織した。「ここでは本当になにかができる」と彼は言う。「署名を集める紙をボードに挟んで、何年も歩行者天国をうろうろする必要はない」と。政治的にもっと大きなテーマに取り組んでいる古典的な市民運動より、この運動のテンポはずっと早い、と彼は言う。世界のどこかで常に小さな勝利を勝ち取っている、と。フォン・ゲミンゲンの解釈はこうだ。「お金は回転が速いので、疑いがあればそれを撤退させるのは簡単だ。」

議会外でグループが集会に集会を重ね、ビラを配って議論をしている間、ダイヴェストメント運動は敵の資本論的ロジックを都合よく利用し、それをさらに倫理的プレッシャーに結び付けている。例えばダイヴェストメント運動家たちはハーバード、オックスフォードやメルボルン大学の運営管理部にこう質問するのである。「教授たちが講義室で気候変動に関する厳しい内容の講義を行っているというのに、その大学が同時に気候変動で金儲けをしているというのは分裂症的ではないのか?」大きな大学では何百億ドルという資産がああって、それをファンドを通したり直接株を買ったりして石炭生産者の企業に投資しているところが多いのだ。国の政府も、聞かれたくない質問攻めにあっている。なぜ、地球を救済する会議を催しておいて、同時に年金生活者のためのお金を石炭、石油、ガスで増やそうとするのだ? ヨーロッパの年金基金だけで、欧州緑の党の調査によれば、2600億ユーロが石炭、石油、ガスに投資されているという。慈善事業と謳う基金や財団などですら、怪しいものだ。慈善事業をするといいながら、どうして汚いエネルギーに資金を投資して増やそうとするんだ? というわけである。今攻撃の的となっているのは例えば、ビル&メリンダ・ゲイツ財団だ。

倫理的な圧力をかけるのに、運動家たちは経済的な論拠を用意している。ダイヴェストメント運動が要求していることは、投資家の利益にもつながると証明しようとしているわけだ。

アメリカの作家ビル・マッキベンが2012年に初めて、こうした論拠をローリングストーン誌で大衆向けに発表した。本当は、彼はただロンドンのNGOカーボン・トラッカー・イニシアチブの無味乾燥な数字を分析評価しただけだったのだが、ソーシャルネットワークでこれが飛び火のように拡散された。ローリングストーン誌の編集者がマッキベンに電話をし、こんなことは今まで経験したことがない、と言ったそうだ。なんと雑誌の出た二ヵ月後にはこの記事は11万2千件のフェイスブックの「いいね!」を記録し、1万2千件以上ツイッターで言及され、5千件以上の読者コメントがあったというのだ。

この記事の計算は、こうだ。もし気温上昇を二度に抑える目標をおざなりにもある程度守ろうとすれば、人類は2050年までに565ギガトンの二酸化炭素しか大気中に排出してはいけないことになる。それで終わりにならなければならないのだ。今日地中に眠っている石炭やオイル、ガスのリザーブはしかし、燃やせばその5倍以上を大気に排出することになってしまう。と言うことは、このリザーブのほとんどは企業がすでに確保しているが、これらは決して燃やされることがあってはならないと言うことになる。でなければ気候が過熱するからだ。

マッキベンの説が正しければ、これは投資家にとって恐ろしいニュースとなるはずである。将来、政治が本気でこの気温上昇を二度に抑えることになって、たくわえのほとんどを燃やすことができなくなれば、それらは無価値のもの、ということになるからだ。私欲からだけ考えても、化石エネルギーへの投資からお金を撤退するのが投資家にとってはベストだ、と彼は主張した。この論理で行けば、化石エネルギー原料で金儲けをしている企業への投下資本は今日、予想しているよりずっと価値が低いことになる。こういうのをバブル、と呼ぶのだ。

この説はエコロジー運動家の空想の産物ではない。金融界でもいわゆる「カーボン・バブル」を真剣に受け止め始めている。石油会社は彼らの株価の60%を失う可能性がある、とイギリスの最大銀行HSBCが2013年の調査で警告している。保険会社のマネージャーたちも懸念している。英国銀行の総裁は先日、政治が機構保護措置を厳しくした場合には、化石エネルギーへの投資が「多大なる打撃」をこうむることになる可能性がある、と警告したばかりだ。機関投資家専門の大手証券ブローカーであるケプラー・シュブルーのリサーチチームは、エネルギー業界の損失は28兆ドルになると予測している。カーボン・バブルがはじければ、2007年の金融危機でバブルがはじけたときと同じくらい大変なものになる可能性があるのだ。

マッキベンは金融業界の論拠をエコロジー運動の世界にもたらしたのである。この記事を発表してからすぐ、彼は作家から気候運動家にすっかり成り変わり、ダイヴェストメント運動を始めて、今日でもその運動を代表する顔となっている。2014年の12月には彼は、それでもう一つのノーベル賞を受賞している。

その2年前の2012年11月、マッキベンは彼が作った小さな組織350.orgを率いてアメリカで初めてのダイヴェストメント・ツアーを開始し、全国のあらゆる集会ホールを埋め尽くした。ここに、当時学生として350.orgで研修をしていたティネ・ラングカンプ(Tine Langkamp) がいたわけだが、彼女が現在ドイツで唯一の専任の運動家だ。マッキベンの「公演」は2012年にはすでにただの啓蒙運動ではなくなっていて、太鼓を叩くものあり、DJあり、反グローバリゼーション運動家のナオミ・クラインなどのビデオ中継が入るような大イベントとなっていた。そしてマッキベンがビールを片手に舞台にのっそり登場すると、こう説明するのだ。二酸化炭素というのはアルコールのようなものだ。「ちょっとならいい。しかし両方とも限度というものがある」。

それからカーボン・バブルの数字を見せる。そして集会に来ていた人たちは誰でも納得するのだ。これではどこかおかしい、と。

集会が終わると、聴衆の多くが質問状を出し始める。自分が在籍する大学へ、自分が住む町へ、自分が所属する教会へ。彼らの質問はこうだ。化石エネルギーのビジネスにお金を投資しているか? もしそうなら、額はどれくらいだ? それからその金を撤退するようにという要求が続く。今ではアメリカでは500以上のこのようなキャンペーンがある。それに応じない者は、この運動の圧力を感じることになるわけだ。

イェール大学では例えば、大学の学長の事務所を学生たちが占領し、学長が将来大学の基金の240億ドルの内1ドルたりとも汚いエネルギーに投資しないことを要求している。4月にはデンマークでは、年金基金の6つがその株主総会でダイヴェストメント提議を審議しなければならなくなっている。ロンドンでは著名なガーディアン誌がジャーナリストの「一定間隔を置く」原則を破って、ビル&メリンダ・ゲイツ財団とイギリスのウェルカム・トラストに対する請願書で、化石エネルギー関係の投下資本から資金を撤退させることを求めている。この請願書にはすでに20万人以上の人が署名をしている。

それではドイツではどうだろう?

アメリカのマッキベンのもとでの研修を終えてドイツに帰ったラングカンプは、ミュンスター大学でキャンペーンを始めた。彼女は大学管理本部に書状を送り、化石燃料へ投資している資本があれば、そこから資金を撤退するよう求めた。当大学が管理する基金には、大手のエネルギー企業の株を持っているファンドに資金を入れているところがあるのだ。

しかし書状が何の効果ももたらさないので、2014年7月に行なわれた大学祭に、白黒の衣装を着たウェイトレスが登場することになる。このウエイトレスたちは唖然としている客に向かって「石油ドリンクはいかが?」と聞いて回ったのだ。シャンペングラスに入れられた液体は黒くてねばねばしているものだった。

それから運動家たちが大学長ウルスラ・ネレスの演説を中断し、白いポスターを舞台の上で広げて見せた。そこには赤い文字でこう書いてあった。「石炭、石油、ガスから撤退しろ!」ネレスは腕を組んで、グループに話をさせたが、要求内容に耳を貸すつもりはなかった。「あなた方のメールはもうスパムファイルに入るようになっています」と彼女は舞台の上で何百もの客の前で言い放った。そして大学際が終わる頃、誰もいないところでこう言った。「あんなごろつきに指図は受けない」。

ラングカンプにとってはしかし、このアクションは考え抜いたコンセプトの4つの段階のうちの、第一ステップに過ぎない。まず、ミュンスター大学のような小さな組織にダイヴェストするよう運動する。そこで問題となる資金の額は小さいが、これでマスコミが注目するようになるはずだ。二番目のステップでは、スウェーデン国教会やスタンフォード大学といった大きな組織や団体に賛同してもらい、この運動が広く認められるようになって大きく躍進する。そして三つ目の段階では、本当に大きな額が対象となる、銀行、保険会社やファンドに圧力をかける。そして最終的に四段階目で政治が切羽詰って賛同せざるを得ない状況に追い込まれる、というものだ。

しかし、ミュンスター大学の学長が賛同せず、第一段階目でもめていたらどうすればいいのだろう?

ミュンスターのグループはそれで、市に訴えた。そして市議会は本当に、市の公務員の年金のお金を石炭・石油・フラッキング産業の会社には投資しないことを決定したのである。これがドイツでの一番最初の小さな勝利だった。

2014年10月に、ラインハルト・ビューティコーファーの事務所がラングカンプに電話をしてきた。欧州緑の党の代表が彼女の運動について詳しく知りたいと言ってきたのだ。彼らはベルリンで食事を一緒にした。ラングカンプは最初は確信できないでいたが、それから得心した。「彼は本当に運動の一部になるつもりだ」と彼女は言う。

半年後の2015年4月、ミュンヘンのメッセ会場のホールを3000人以上の人が埋め尽くした。ミュンヘン・リュック保険会社の株主総会だ。ミュンヘン・リュック保険会社は、2730億ユーロの総合収支を計上する世界で最大級の再保険会社だ。株主総会の株主の中にビューティコーファーの顔もあった。批判的な株主には議決権を彼に委任している人もかなりいたので、彼は話す権利があった。ビューティコーファーはそれでマイクに向かった。「カーボン・メジャーへの投下資本に何百億ユーロの資金を再保険しているのか?」と彼は舞台の上の役員会に質問した。そして「化石エネルギーへの投資から段階的に撤退するつもりがあるか?」

役員会代表のニコラウス・フォン・ボムハルトは言葉を濁した。当社は2500億ユーロに相当する投下資本を持っているが、「そのうちどちらかといえば化石エネルギー分野に投資されているものはわずかだ」と言うのだ。ビューティコーファーはこのような曖昧な答えでは納得できず、質問を白い紙に書いて、書面で質問を提出した。数日後に届いた回答には、こう書いてあった。オイルとガス業界への投下資本は、当社の投下資本の1.2%にあたる。当社では、カーボン・ダイヴェストメントイニシアチブの目標を資本投資の上でも考慮すべきか検討するが、今のところ具体的なダイヴェストメントを行なう計画はない」。

ビューティコーファーは引き下がるつもりはない。「ダイヴェストメントほど気候保護に活力をもたらす運動は今のところ他にない」と彼は言う。自然科学的な論拠はすでに人が知るところである。「しかし、エコロジストたちが金融戦略的論拠を持ち出してくるとは、誰も全然予想していなかったことですからね」と。ビューティコーファーは欧州中央銀行の総裁マリオ・ドラギにも書状をしたためたほどだ。彼はそれで、カーボン・バブルについて科学的諮問委員会に調査させることにした。

権力者が行動に移すのだけを待っているつもりのない人はたくさんいる。ミュンスターからドイツ全体にラングカンプの与えた刺激は波及したのだ。いまや17の都市に自治的グループのネットワークが出来上がった。

ベルリンでも同じである。マティアス・フォン・ゲミンゲンは、同志と共にベルリンの市長宛に書状を書き送った。ドイツの首都には「約10億ユーロの投資可能な金融資産がある」。「経済的リスクと地球体系(Earth system)に対する破滅的な結果」を考慮し、ミュラー市長は化石燃料への投下資本から資金を撤退すべきだという内容である。市長からまだ回答はない。しかし、真夜中の12時ちょっと前、巡回の警察官たちがもうほんのそばまでやってきているとき、フォン・ゲミンゲンたちはもう一度督促状を送った。市庁舎の赤いレンガの上に照らし出された最後のメッセージには、こう書かれてあった。「ミュラーさん、早く!」

2015年5月12日火曜日

ドリス・ドリー監督がフクシマの立ち入り禁止地区で映画撮影


ドイツ人映画監督ドリス・ドリー(Doris Dörrie)が今、南相馬の仮設住宅地で映画を撮っているという記事を南ドイツ新聞で読んだ。私は彼女が2008年につくった「花見」という映画が大好きで、しかもそこに登場する舞踏家の女の子の名前が「ゆう」であることや、私のふるさと井の頭公園がでてくることで、「これは私のふるさと映画」と勝手に決めているのだが、そのドリス・ドリーがフクシマの映画を作っているというので、見るのが楽しみだ。(ゆう)


南ドイツ新聞2015年5月9日付
ドリス・ドリー監督がフクシマの立ち入り禁止地区で映画撮影

本文はこちら:http://www.sueddeutsche.de/kultur/doris-doerrie-film-strahlung-im-hintergrund-1.2470988


放射能を背景に映画撮影

ドリー監督がカメラを回す。今回のストーリーは福島の立ち入り禁止地区での物語りで、避難者たちがテーマだ。セットを訪ねてみた。

Christoph Neidhart報告

背が高く金髪な美人。別世界から来た若い女性が南相馬の仮設住宅地の近所でフラフープを腰で回している。上下に体を揺らしながら、指が春の空高くくるくると回る。この若いドイツ人を演じているロザリー・トーマスが、日焼けした二十数人の女性にプラスチックの輪でフラフープの回し方を教えているのだ。「それじゃ今度は、もっと勢いよく!」
マリーの背は、生徒の女性たちよりずっと高い。そしてその生徒たちと言えばきっとマリーのおばあさんくらいの歳だろう。背の低いおばちゃんたち、「おばちゃん」というのは日本語で、もう若くない女性に親しみを込めて呼ぶ言い方だ。ドイツ語と英語をごちゃ混ぜにして、マリーはフラフープの回し方を教える。この非常用仮設住宅に住み始めてじき四年になろうとしているこのおばちゃんたちは、一生懸命だ。プレハブでの日常に訪れた気晴らしに喜んでいる。でも、彼女たちに才能はないようだ。マリーはため息をつきながら日本語でお礼をいい、今日はもう終わり、と告げる。色とりどりの輪を集めながら、サトミとけんかになる。サトミというのは、やはりこの仮設住宅に避難してきている、この土地最後の芸者だ。

サトミを演じるのは63歳の桃井かおりだ。彼女は日本では有名な俳優で、フラフープはしなかったが、隠れて皆が練習するのを見ている。実は彼女は4本も同時に回すことができるので、マリーに馬鹿にするように演じて見せる。それから面と向かって「Bullshit」とののしるのだ。もうたくさんだ、というのである。

映画監督のドリス・ドリーはもう先週からこの仮設住宅地で新映画「Grüße aus Fukushima フクシマからの便り」の撮影を続けている。ここにいるおばちゃんたちは俳優でもなければ担ぎ出されたエキストラでもなく、本当にこの約170もの灰色のプレハブ住宅に住んでいる避難民たちだ。地震と津波で車で半時間位南に行ったところにある故郷の村小高は壊滅されてしまった。さらに、この村は警戒区域に指定されて立ち入り禁止になっている。

これまでの作品と同じように、ドリス・ドリーと数人の撮影チームは、実際の撮影舞台で日常が変わらずにそのまま続けられるように話を展開している。ドリス・ドリーのストーリーの背後でも話が一人歩きをする。それで俳優たちもカメラのハノ・レンツを含むクルーも皆、アドリブで対応することを余儀なくされる。皆が驚くことも稀ではない。「でも小さいチームだから、私たちはとてもフレキシブルよ」とドリーは言う。彼女は、自分はアメリカ人がやるようには撮影できない、と語る。ロザリー・トーマスは、それが私には合っているの、と答える。「私はここにいる人たちの顔を見て、調子を合わせ、あまり演技をしようとしなければいいの」と。

「Grüße aus Fukushima」ではこれまでのドリーの映画と違って、撮影する舞台とそこの住民たちの運命が話の前面に置かれている。12万5千人の人がいまだに原発事故からの避難者として仮設避難住宅で暮らしている。彼らは世界から忘れ去れている。東京では「まるで原発事故などなかったように」政府が動いている、とドリーは言う。警戒地区の一部は立ち入り禁止が解除になり、政府が住民たちをそこに戻そうとしているという。しかし、そこに戻った者は、住居がどんなに被害を受けていても、買い物をする店などの周囲のインフラ整備がまだなくても、国からの援助を失うことになる。だからこの仮設住宅からでられなくなっている人がほとんどなのだ。ここでの生活に皆がもうずいぶん慣れてきてしまっている。お年寄りの中には、もうこのプレハブ住宅を離れたくないと言っている人もいる。もう二度と、慣れた生活から引き離されるのはいやだというのだ。日本人の中でまだ誰もここで映画を撮ろうとした人がいないのが不思議で仕方がない、とドリーは語る。
避難所での生活が耐え切れずにすさんでいく人もいる。ことに年取った男性がそうだ。鬱病になり、自殺をする人もあり、酒に溺れたり、パチンコに通い詰めになったりする。それに引き換え女性は、踊りや編み物のグループを始めたり、なにか催し物を企画したりして持ちこたえようと努力する。

「災害のあった後で医療設備が整い、きれいな水が与えられ、世話を受けて仮設でも眠れる場所が出来たら、その次に必要なのは魂の救済です」と語るのはピエロのモシェ・コーエンだ。「そこから私たちの出番です」。「国境なきピエロ団」の創立メンバーの一人である彼がドリーの映画でピエロとしてこの仮設住宅村に登場する。「このごろでは救援組織からお呼びがかかることすらあります」。津波のあった年の夏、コーエンは北日本を何ヶ月も避難所から避難所と巡回した。ドリーの映画ではミュンヘンに住むミュージシャンのカマタナミさんと共演している。苦しみをくぐりぬけてきた家族一家が一緒に笑っているのを見るのが一番うれしい、とコーエンは語る。マリーもフラフープの授業で避難住民たちの気持ちをほぐそうとしている。

おばちゃんたちは喜んでいる。ドリス・ドリーは皆をじっと見守りながらもほとんど指示は与えず、かえっておばちゃんたちを元気づけようとしているようだ。彼女が演出しているのは仮設住宅での娯楽だけではない。映画の撮影事態が、ここでは大きな気晴らしだ。そういうものをこの仮設住宅村の住民たちは必要としている。彼らの多くは失業している。おばちゃんたちがことに感激しているのは、俳優の桃井かおりだ。おばちゃんたちはテレビで彼女を見ながら歳をとってきたと言っていい。その彼女が、数週間ずっと一緒にいてくれるのだ。しかし、おばちゃんたちはドリーがあるシーンを何度も何度も繰り返し、一つが終わると今度は別の角度から、と飽きずに何度もやるので面倒くさくなってきたようだ。いやいやしか協力しようとしなかったり、急に水がほしいと取りに行ったりする。フラフープなどとっくに出来るのに、それをなぜ映画で出来ないふりをしなきゃいけないのか、理解できないのだ。

映画では、マリーも避難民だ。失恋をした彼女は心の痛手にバイエルンからフクシマに逃げ、そこで本当に苦しんでいる人たちを助けようと決心する。自分の苦しみを相対化しようというわけだ。「でもたくさんの人がそうであるように、彼女も理論的にしか、つまりテレビなどでしか、自分が一体どんなことに足を踏み入れようとしているのかわかっていなかった。仮設住宅に行ってみたら、彼女はまったくお手上げだったのです」とドリス・ドリーが説明する。こうしたお手上げの状態は、撮影のクルーも半分味わったのです、と彼女は打ち明けてくれた。2011年3月の事故前は南相馬は、時間が止まってしまったような村落が散在する片田舎に過ぎなかった。この村の南部は、三つの原子炉がメルトスルーした福島第一から遠くない立ち入り禁止地区以内にあり、避難を余儀なくされた。避難命令が出なかった部分でもたくさんの住民が避難した。ことに子供のいる家族だ。南相馬はゴーストタウンになってしまったのだ。

ライフラインであるインフラストラクチャーはそれ以来また機能するようになり、緑の芝生にはまた新しいショッピングセンターが出来た。しかし、社会生活を実際に動かしていた細かく複雑なネットワークは、そう簡単に再生できるものではない。ドリーと撮影チームは道路の脇に急遽建てられた格安ホテルに寝泊りしている。食堂などは一切なく、あるのは飲み物の自動販売機だけだ。これでも、泊まる場所がみつかっただけ幸運だった方である。こうしたホテルに寝泊りするブルドーザーの運転手や土木作業員などはここでまだ何年も必要とされることだろう。

「Grüße aus Fukushima」が通常の映画撮影と違うことは、ここに来る途中ですでに明瞭だ。高速道路の脇にも表示板が立てられていて事故を起こした原発後部の放射線量を示している。この午前は0.2 ~ 5.6マイクロシーベルトだ。ドリーはドイツにいる専門家と、リスクについて十分検討したという。「どんな映画であろうと、健康を損なう危険を冒してまで作る価値はないから」。

この水曜日に撮影した別のシーンでは、欲求不満になっている元芸者のさとみがマリーの部屋のドアをノックしてきて、運転できるの、と聞いてくる。さとみは立ち入り禁止区域にある、自分の壊れた家を訪ねたいのだ。そして行ってみると、今度は仮設住宅には戻りたくない、という。こうして二人の女性が少しずつ近づきあう。そしてついにはさとみがマリーに、一緒に自分の家を修理するよう頼むまでの仲になるのだ。ここで二人は互いに多くのことを学ぶことになる、いわゆる「感情教育」だ、ことに自分に対して常に厳しかったさとみにとっては...「日本の映画にはよく師と弟子の話があるのですが」とドリーが言う。でも先生や師とその弟子はいつでも男だ、しかし私は女性を見せたかった、と彼女は続ける。ことに硬直化した男性優位の日本社会で実際に力を出しているのは、いつも女性なのだから、と。

「Grüße aus Fukushima」はドリーの「日本」映画三作目だ。1999年の「Erleuchtung garantiert」では二人のドイツ人が日本に行き禅寺で修行をしようと決心するのに、東京でその意思がどんどん砕かれていってしまう様子を描いた。外国人が日本に行ったときの困惑、どうしていいかわからない様をこんなにうまく描けるのは彼女だけだろう。そしてその外人たちもいつかまた、自分を取り戻していくのだ。2008年の「花見」では妻を亡くしたばかりのショーンガウ出身の公務員が、富士山のふもとで自分自身と和解していく姿を描いた。彼はそこで死ぬ準備までしていたのだ。両方とも、ドイツからの変な外人を日本人が助ける作品だ。日本はこうした外人を個人として受け止めないにもかかわらず、だ。自らが厳しい掟に縛られた混沌にうずもれているからかもしれない。

映画「Grüße aus Fukushima」は来年の春、公開が予定されているそうだ。他の二本の作品で頼りなげに放浪していた男たちよりはずっと足取り確かに東京を闊歩しそうなマリーは仮設住宅村に来て、一風変わった訪問者として誰からもその存在を意識されただけでなく、さとみを手伝うことにも成功する。これまでの映画で描かれてきた消極的な癒しというような、慰めをもたらす日本の力は、この三重の悲劇を通じて変化したのだろうか? ドリーはそうではないという。「フクシマはドイツが核エネルギーから足を洗う手伝いをしてくれた。しかし日本は何もなかったかのようにしている。冬はうちの中を24度に温め、夏は16度に冷やし、車のエンジンはかけっぱなし。ほとんどなにもあの事件から教訓を得なかった」と彼女は怒る。そして仮設住宅の避難民たちも忘れ去られている。そして彼女はこう言ってから口を閉ざした。「でも映画館は教育施設じゃないのよ」。