2017年7月25日火曜日

ドイツの

「最終処分場サイト選定法」に対する

批判記事

ドイツでは今年3月、高レベル放射性廃棄物の最終処分場サイト選定に関する法律の改正法令が成立した。よりによって連合政権には入っていない、チェルノブイリ後、脱原発を求める政党として始まった緑の党の議員も入って「高レベル放射性廃棄物処分」委員会が作られ、連邦環境省が指揮をとりながら共同でコンセプトを作り、この法案ができたのだが、それはこれまでドイツの核・原発政策とあらゆるレベルで闘ってきた運動家、活動家にとってはまったく受け入れがたい内容であることが明らかになった。緑の党は、連合政権に携わっていた時もあらゆる政策決定で期待を裏切ってきたが、今回このような法案を一緒になって作り、あたかも画期的で責任持てる計画決定を共同で実現させたかのように自画自賛していることで、私は完全に緑の党に幻滅した。魂を売り渡し、緑の党の政党としての正当性、根拠はこれで彼らが自ら葬ったと言えよう。それにしても、どうしてこの「最終処分」という概念があたかも当然であるかのようになってしまったのか。人間は一人一人は1世紀も生きず、その中で大人として責任もって言動できる時間はたったの50年ほどであるはずなのに、その人間がどうして「百万年」恐ろしい毒のごみを管理する話ができると思うのか、「最終」処分できると思えるのか、その自己過信を疑わないのはなぜなのだろうか。二年ほど前に「世界で一番安全な場所」という最終処分場を探すということの愚かさを明らかにするドキュメンタリー映画を見たが、また改めて、それを見た時の感情がよみがえった。この最終処分場サイト選定法に対する批判記事が放射線テレックスの4月号に掲載され、それが難しいながらもとても的を得た分析だったので、それを、この「愚かな」(と私が思う)ドイツの「高レベル放射性廃棄物処分委員会」ほどのコンセプトも持っていない日本のために訳したいと思った。 (ゆう)


Strahlentelex Nr. 726-727 vom 06.04.2017
放射線テレックス2017年4月6日号
Atommüll „Unfug für Millionen Jahre“ von Ralf Kusmierz


百万年の戯言

2017年3月にドイツ連邦議会と連邦参議院は「発熱性放射性廃棄物の最終処分場のサイト選定に関する法律その他の法律の改正法令」を可決した。政治的議論においてはこれまで、放射性廃棄物を保管するサイト選定におけるやり方に関してしか批判されず、その方法自体の意味については問われてこなかった。恣意的に選択された「深い地層での最終処分」というコンセプトはしかし、熟考されずに当然のものとして受け入れられており、そのほかの方法の可能性については問われることがなかった。しかし、放射性廃棄物や有毒廃棄物を深い地層に処分する方法は世界中ですでに失敗しているか、数千年後に現れるであろう問題、または始めは見当もつかなかった大問題を数年後に明らかにするに違いないことが分かっているのである。

Ralf Kusmierz報告

かつてはドイツでの狂気というのはたった千年単位のものだった。今日ではそれが、民主的に選挙で選ばれた政治家が簡単にその上をいく。ドイツの連邦議会は、(発熱性)放射性廃棄物の最終処分場のサイト選定に関する法律」を可決したが、この「最低百万年は環境から遠く離れた場所で貯蔵する」責任を国が持てると固く確信しているのである。しかしながらこの法律の真実は、「ゴアレーベンにはしないつもりだが、万が一可能性がないとは言えない」というただし書き付きの「固定観念・予測なしで結果をオープンにした」税金埋没法に過ぎない。

それにしてもこれらお偉いさんたちの中で、百万年の帝国を計画するということの愚かさに気づいたものは誰一人いなかったのだろうか? 「誰もまた掘り返すことができないくらいに深く掘って埋める」という原則に沿って行われる最終処分というあり方が本当に採用できるかどうか、一度でも自答してみはしなかったのだろうか? 
放射性廃棄物はごみ処分場に保管されるべきではなかったのか? 答えはこうだ:おそらくそうだろう。ただ、我々は正確にはわからない。ごみ処分場という考えはまず何より、「簡単」である。喉元過ぎれば熱さを忘れる、だ。廃棄物管理の三原則は次の通りだ。予防、リサイクル、処理、この順番通りに行うのである。したがって、この原則を放射性廃棄物にも適用するならば、最初の2つの原則を本気で行うなら、処分するものが残るだろうか、自問できるはずだ。

物理的に厳しく捉えれば、核技術設備から出される放射性廃棄物は、量が多いゆえに問題があるわけではない。低・中レベル放射性廃棄物の「莫大的な量」は、例えば放射性物質で汚染された日本の土地などでも取り出されるが、実はそこに含まれている放射性同位体自体の量は驚くほど少ない。そして、もちろんどの放射性廃棄物も、再処理が可能だ。つまり放射性が程度かほとんど放射線に汚染されていないほとんどの物質と、わずかだが高度に放射性であるグループとを分離することができるのだ。ただ、これを費用が掛かるから(または面倒であるから)しないだけである。このようにして(おそらく何度も測定するのも『採算が合わない』ということで)放射性物質に汚染された雑巾は、焼却する代わりに放射性廃棄物処分場行きのドラム缶の中に入れられることになる。焼却すれば、放射能は灰の中に濃縮されるか、それを排気フィルターで取り込むことができるはずでも、である。

「高レベル」放射性廃棄物と高レベルでない放射性廃棄物との違いはわずかで、ことにその定義だけが異なっている。高レベルの放射性廃棄物には、放射性同位体が高度に濃縮しており、かなり発熱する。通常の輸送用容器では約15トンの積載で、条件によっては50キロワット以上の熱出力である。これは比較すれば、1回のシャワーで必要な温水を作るのに必要な熱出力のほぼ二倍だ。こうした、1キログラム当たり約3ワットという比較的控え目な熱出力は、スポーツ選手や体を使って仕事をする労働者が体を温めて体熱を発する(1キログラム当たり約2ワット)熱出力とほぼおなじエネルギー密度である。だから、もしこれを「最終処分」した場合には、この熱が岩石から外へ放出される必要があるため、問題となるのである。でなければ廃棄物を入れた容器はどんどん熱してしまうからだ!

いい知らせはある:高レベル放射性廃棄物が発する熱は、主に半減期が約30年程度の比較的短い核分裂生成物から出ている。約10倍の半減期、つまり300年もたてばこの量も、すなわち放射能と熱出力も最初の値の千分の一になるので、50キロワットの代わりにたったの50ワットとなる。こうなれば技術的には一切問題はなくなり、ことにこの熱出力を使用済燃料棒1ダースまたはガラス固化体28本に分ければなおのことである。ここまで冷却が進んだユニットはまとめて包装し(鋼鉄管に入れて溶接またはコンクリートを入れ固める等)、ほぼどの場所でも貯蔵できることになる。発生する放射線はそれでも遮蔽する必要があり、またはこれらの廃棄物から最低100メートルは距離を置いて近づかないようにしなければならない。あるいは、これを再処理し、高レベル放射性廃棄物の量と体積をもう一度大々的に減らすことだってできるはずだ。

重要なことは、次の点だ:ここまで行けば、これは我々の問題ではなくなるということである。無責任な態度からではなく、本当に一世代先の最新技術がどのようなものとなるか、私たちには知ることができないからだ。50年後も人類はまだ、300年(あるいはそれ以上の)崩壊時間を待つしかない可能性もあるが、全く異なった処分方法の可能性が見つかっている可能性もある。またはこの放射性の「ゴミ」が好ましい原料となっていることだって考えられる。しかし同時に、犯罪的なテロ政権が統治する世の中となって、放射性廃棄物を兵器として悪用することだって考えられるのだ。

これらのことすべてに関し、私たちは現実的に関与することができない。私たちができる唯一のことは、放射性廃棄物をきちんと分類し秩序正しく次の世代に譲り渡していくことだけである。する必要がないのは、今放射性廃棄物の最終処分場を計画し、建設し始めることだ。このような最終処分場の完成を見届ける前に、世界は今と別のものになっているはずであり、そうすれば高い確率で使い物にならなくなるはずだ。

そして同じことがアッセの在庫目録の作成に関しても当てはまる。ここではいまだに秩序正しい状態にないのだから、放り込まれている廃棄物を取り出し、安全確保しなければならない。それも、現在計画されているよりずっと早く行う必要がある。第5坑がなぜ2019年末までに運転開始できるように完成することになっているのか、そしてなぜ2023年までに在庫の廃棄物をすべて取り出すと決められているのか、まったく理由はわからない。そして、その後それがすべてわかった上でなにを行うべきかは、その時点の責任者がその時点で決定していかなければならないことで、私たちには、そして今現在は、それはできないことなのである。




Strahlentelex Nr. 726-727 vom 06.04.2017
放射線テレックス2017年4月6日号
Greenpeace empfiehlt neue Zwischenlager anstatt falscher Endlagersuche
Rüge für ein untaugliches Endlagersuchgesetz

グリーンピースは、間違った最終処分場探しより、

新しい中間貯蔵施設を作ることを推薦する


役に立たない最終処分場サイト選定法に対する批判

今日に至るまで、私たちも、それからドイツ連邦議会の議員たちも、何千何万年にわたって放射線を放ち続ける廃棄物の取り扱いに関し、科学的に証明でき、誰もがわかるように出された複数のオプションの分析評価を持っていないし、従ってそうした評価をもとに、高レベル放射性廃棄物を長期に管理していくためのオプションをその中から政治的に選ぶということができないでいる。このような分析評価が行われていない限り、どのような試みも、それがどの場所であっても、社会的政治的意思決定をするという基本の人権を取り上げられたくないと思う市民の了承がこれで得られると思っているとすれば、非現実的だとしか言いようがない。このことを、2017年2月13日にドイツ連邦議会で行われた環境委員会の公聴会で「発熱性放射性廃棄物の最終処分場のサイト選定に関する」法案に対するグリーンピースの声明文としてMathias Edlerが言及している。この法案はその後2017年3月23日に連邦議会を通り、連邦参議院でも可決された。

「高レベル放射性廃棄物処分」委員会は、こうした処分方法を開発し調査するプロセスを省いて済まそうとしている、とEdlerは批判している。それなのに、委員会の報告書とサイト選定法は、ことに高レベルの放射性廃棄物を長期にわたって貯蔵するための最良の方法を探し出すために、できる限りのことをしてきたかのような印象を与えている、というのだ。しかしEdlerは、深地層での埋設処分以外の処分方法のオプションが同様の熱意で調査され、または開発されなければ、そんなことを主張し得ないはずだ、と批判している。だから当委員会のメンバー以外に社会的コンセンサスが得られなかったということも、ここで確認できるのだ、と彼はさらに続ける。

50年来、500メートルから1000メートルの深さの地層に埋設処分する方法しか研究されてこなかったことを、Edlerはこの法律の基本的な構造ミスであると非難する。委員会、専門の官庁省はどれも、彼らが贔屓扱いする深地層埋設処分というコンセプトに代わるほかの方法を探ることをシステマチックに抑圧してきた。そうした別の方法を探る代わりに、彼らの御用学者たちは、深地層での埋設処分方法をよしとする選択に関しては「基本的合意」が得られているかのように主張している。「最終処分が必要であること、それもできるだけ早く必要になること、しかもそれが深地層であるべきであること」という主張で成り立っているだけなのだ。それに取って代わるその他の複雑な処分方法に対する基本的な知識がないのに、どうやって「基本的合意」が得られるのだ、とEdlerは問う。知識がないのなら、それら異なった保管方法の社会での理解も得られないはずであり、従って、これまで誰も「コンセンサス」に至ることができなかったわけである、と彼は述べている。

この一連のことについてはすでに、委員会の結論が出される直前に、環境団体の会議ですでにReinhard Ueberhorst氏が「民主的放射性廃棄物政策」を求める意見表明で述べている。委員会は、深地層埋設処分に代わるどのような方法があるかを探る同じ程度の調査も、どれが新しい処分方法となりうるかという問いかけをさらに発展させていくという一番最初の、しかも重要な課題を自分たちでもしてこなかっただけでなく、それをどこでも促進しようともしないできた。しかし、これまでの深地層埋設処分コンセプトはすべて世界中で、失敗に終わっているか、あるいは、数年後にすでに大問題が出ることが明らかになっている。その大問題とは、数千年経ってから初めて出現しうるか、最初はまったく予見できないものだ。廃棄物を後から取り出し可能にするオプションで深地層埋設処分コンセプトを実現するというのは、今日行われている方法においては、どんどん疑わしくなっているとしか言いようがない。

「サイト選定法」という名称こそまさに、実は二次的でしかないはずのサイトの選択問題に最終処分問題を狭めようとしている証拠である、とEdlerは続ける。実際は、科学的に根拠づけられた異なる貯蔵方法の開発と評価こそが問題とされなければいけないはずで、高レベル放射性廃棄物を貯蔵するにあたり、比較的良い方のオプションを社会的に理解が得られる形で見つけていくためのものでなければならないはずだ。それがあって最終的にサイト選定が問題にされるべきだ。これまでゴアレーベンの深地層での処分という考えしか数十年来追ってこなかったドイツ連邦政府の最終処分場に関する政策は挫折したのであり、それを背景に、サイトに選定される可能性のある場所の市民が『放射性廃棄物には深地層の最終処分場が必要で、それに見合うサイト選択プロセスでどのように市民参加ができるかを明らかにすればいいだけだ』と考えていると想像しているのだとしたら、それはかなりナイーブだと言わざるを得ない、とEdlerは言う。それより市民たちは「こうした処分コンセプトと我々の住んでいる場所をサイトにしようという決定の根拠は何であり、どうしてそれが正当であるのか、ほかにどのような処分方法オプションがあったのか」と尋ねるはずである。この問いを満足できるように答えることができない者は、これからも市民たちの反対運動で挫折すると考えるのが妥当である。

Edlerはさらに、何の予備指定もなく「白い地図」状態から始めるなどと言いながら、たった一つのサイト候補、すなわちゴアレーベンだけを挙げていることで、サイト選定方法自体に汚点がついてしまっていることを批判する。サイトに対する最小限の必要条件、選択条件や比較条件等は、サイト候補ゴアレーベンで既に存在する地層に関する知識の先頭にすべて表現されており、ゴアレーベンは最終的なサイト選定が下されるまで、候補から外されることはないというわけだ。

この法律は「比較方法」とか複数で「サイト候補」を語るなどしてはいるが、最終的にはゴアレーベンですでに調査された塩岩ドームを除いて、ほかの異なる母岩のサイトを同レベルの規模で調査したことはなく、従って放射性廃棄物はやむなくデータベースの一番大きい場所、すなわちゴアレーベンにしか来ないことになっている、とEdlerは批判する。

それに「市民参加」というのが単に「伝達」という形でしか行われないのも批判される点である。インターネットなどの現代的なメディアの利用は、放射性廃棄物政策を民主的に決定していくという意味におけるプロセスでは、市民参加に取って代わるものにはなりえない。現代的な市民参加とは、産業的大プロジェクトに関して一度取り決められた決定事項をなるべく紛争をもたらすことなく実現するというのだけが目的ではなく、早い時期に市民参加を行ってそれが決定結果そのものに影響が与えられるようにすることが目的でなければならないはずだ。サイト選定法のコンセプトでは、その選定の方法を決定する当局が「市民参加」を組織しており、その当局だけがいわゆる市民の意見、公共の声を「考慮」しており、さらにその当局が自分の責任管轄となっている方法を評価する唯一の機関となろうとしているのだ。

このプロセスを進める間も開発状態にあるため、何度も調整が行われるという「学習する法律」であるという議論で、議会党派の代表者もも委員会の代表も誰もが対応し、将来修正を行っていくことを約束した。サイト選定法の改正法令においては、この法律が「学習する」プロセスであり、過ちを訂正する可能性が必要不可欠になるということが法律決定の理由として簡潔に書かれているに過ぎない。さらに、学習プロセスを可能にする効果的な要素は何もない、とEdlerは指摘する。それどころか、2016年6月23日付けの最終処分に関する組織構造の新法令は、2016年12月16日付の放射性廃棄物処分に関する新法令と共に、連邦環境省(BMUB)と連邦放射性廃棄物安全処分庁(BfE)、従って連邦政府にすべての決議権限を集中させている。事実上、法形式での計画決定においては、国がプロジェクト開発者であり監督官庁であり立法機関なのだ。最終処分に関する一般的な安全要求は、州の同意なしに、諮問機関に相談することなく、または話し合いを中心とした市民参加も一切なしに連邦環境省(BMUB)が法規命令を出して決定することができるようになるのである。これにより、ゴアレーベンを巡る過去の事例で見てきたように、執行機関は最終処分に関する基本的な安全要求条件を、政治的判断で選んだサイトの地域的実情に合わせて調整することができるようになってしまう。

連邦放射性廃棄物安全処分庁(BfE)はさらに、重要なプロセスのステップを決定するだけでなく、地域的会議や「地域の意見」というものを通じて市民参加を組織し、その上でその結果をどう考慮するかに関しても決定権があるという問題がある。いわゆる国内の諮問機関には地域的会議などと同じく、実は何の権利も与えられてはおらず、彼らの言う「学習型」プロセスでプロセスを決定運営していく官庁に対して過ちを効果的に修正したり、元の状態への復帰したりすることが許されてはいないのである。

推薦:長期の中間貯蔵

グリーンピースは2013年にすでに、放射性廃棄物に関する問題を新たに根本的にやり直すため、サイト選定法全体を撤回することを推薦したが、その当然の帰結が今も同じように求められている、とEdlerは語る。深地層埋設処分を決定する十分な根拠がないからである。ある官庁がBfEの権限をもって、すでに成立させてしまった硬直した法的効力のあるプロセス構造の中で、一度1つの方向に向かってしまえば、どうしてもその方向性に勢いがついて、議会によっても制御することが難しくなってしまうに違いない。このような間違った決定が過去にも、全く不適なアッセの塩岩ドームでの放射性廃棄物貯蔵や、ゴアレーベンの袋小路を生みだしてきたのである。こうした大きな過ち、しかも後になってから高い代償を払って修正しなければならなくなった決定は、考え方と政策方法そのものに過ちがあったことに起因しているのだ。ことに、取って代わるほかの方法がないか意識して探し、それを合理的に、民主的に明らかにしていくことを怠った、という点である。

このような過ちを繰り返す代わりに、新しく長期に中間貯蔵する方法を開発し、その設備を建設することが今一番求められるはずである。ことにそれは、最終処分場選定におけるこれまでの過ちを修正するための時間を稼ぐことにもなる、とEdlerは説く。連邦政府の計画によれば2031年までにサイト決定をし、最終処分場の運転を2050年には開始するとしているが、専門家のほとんどは今、どのような最終処分場を作ることになっても、そのサイトを探し、それが使用開始になるまで、それよりずっと長い時間が必要になるであろうと予測している。

ということは、長期の中間貯蔵が基本的に深層における最終処分に取って代わる方法になるのではないかという選択決定如何にかかわらず、中間貯蔵の期間は延長せざるを得なくなる。これまで計画され、認可を受けてきた40年間という中間貯蔵期間を超過することが、放射性廃棄物収納容器の安定性と完全性に関し、そしてその中に含まれている燃料棒やガラス固化体にどのような影響を及ぼしていくのか、今日誰もはっきりと言えないのだから、新しく中間貯蔵設備を作るならば、それに従ってメンテナンス、再収納ができる設備を最新の科学技術の水準に従って開発し、建設していくことが必要であろう。つまり、チェック、メンテナンス、修理ができるよう、容器を開封する可能性のある「ホットセル」を作ることである。新しい中間貯蔵設備は、最低100年間、収納容器の安全技術的状態が変化しないことが確保できるよう設計されなければいけない、とEdlerはさらに説く。続けて、機械的、温度的影響に対するマルチ・バリヤーシステムがなければならないし、容器が地震、洪水、火事、嵐、激しい雨など、考えられる限りの環境が及ぼす影響から効果的に守り、テロや戦争などの行為からも効果的な保護がもたらされるようになっていなければならない。それが実際、オランダのようにしっかり掩蔽された建物を地上に作ることになるのか、または地上に近い地下にそのような建物を作ることになるのかは、それぞれ地域の実情によって異なるはずで、それを研究対象として研究プロジェクトを即刻始めるべきだ、とEdlerは説く。運搬による危険を最小限にとどめるために、グリーンピースではこのような中間貯蔵施設を、今日すでに高レベル放射性廃棄物が貯蔵されているサイトに作るべきだと意見している。

そして、低中レベルの放射性廃棄物のいわゆる最終処分に関してもこれまで解決されてこなかったため、そしてほとんどすべての中間貯蔵サイトで問題が山積みとなっているため、これらの廃棄物も、高レベルの放射性廃棄物中間貯蔵の取り組みと一緒に考えるべきだと求めている。