2015年5月12日火曜日

ドリス・ドリー監督がフクシマの立ち入り禁止地区で映画撮影


ドイツ人映画監督ドリス・ドリー(Doris Dörrie)が今、南相馬の仮設住宅地で映画を撮っているという記事を南ドイツ新聞で読んだ。私は彼女が2008年につくった「花見」という映画が大好きで、しかもそこに登場する舞踏家の女の子の名前が「ゆう」であることや、私のふるさと井の頭公園がでてくることで、「これは私のふるさと映画」と勝手に決めているのだが、そのドリス・ドリーがフクシマの映画を作っているというので、見るのが楽しみだ。(ゆう)


南ドイツ新聞2015年5月9日付
ドリス・ドリー監督がフクシマの立ち入り禁止地区で映画撮影

本文はこちら:http://www.sueddeutsche.de/kultur/doris-doerrie-film-strahlung-im-hintergrund-1.2470988


放射能を背景に映画撮影

ドリー監督がカメラを回す。今回のストーリーは福島の立ち入り禁止地区での物語りで、避難者たちがテーマだ。セットを訪ねてみた。

Christoph Neidhart報告

背が高く金髪な美人。別世界から来た若い女性が南相馬の仮設住宅地の近所でフラフープを腰で回している。上下に体を揺らしながら、指が春の空高くくるくると回る。この若いドイツ人を演じているロザリー・トーマスが、日焼けした二十数人の女性にプラスチックの輪でフラフープの回し方を教えているのだ。「それじゃ今度は、もっと勢いよく!」
マリーの背は、生徒の女性たちよりずっと高い。そしてその生徒たちと言えばきっとマリーのおばあさんくらいの歳だろう。背の低いおばちゃんたち、「おばちゃん」というのは日本語で、もう若くない女性に親しみを込めて呼ぶ言い方だ。ドイツ語と英語をごちゃ混ぜにして、マリーはフラフープの回し方を教える。この非常用仮設住宅に住み始めてじき四年になろうとしているこのおばちゃんたちは、一生懸命だ。プレハブでの日常に訪れた気晴らしに喜んでいる。でも、彼女たちに才能はないようだ。マリーはため息をつきながら日本語でお礼をいい、今日はもう終わり、と告げる。色とりどりの輪を集めながら、サトミとけんかになる。サトミというのは、やはりこの仮設住宅に避難してきている、この土地最後の芸者だ。

サトミを演じるのは63歳の桃井かおりだ。彼女は日本では有名な俳優で、フラフープはしなかったが、隠れて皆が練習するのを見ている。実は彼女は4本も同時に回すことができるので、マリーに馬鹿にするように演じて見せる。それから面と向かって「Bullshit」とののしるのだ。もうたくさんだ、というのである。

映画監督のドリス・ドリーはもう先週からこの仮設住宅地で新映画「Grüße aus Fukushima フクシマからの便り」の撮影を続けている。ここにいるおばちゃんたちは俳優でもなければ担ぎ出されたエキストラでもなく、本当にこの約170もの灰色のプレハブ住宅に住んでいる避難民たちだ。地震と津波で車で半時間位南に行ったところにある故郷の村小高は壊滅されてしまった。さらに、この村は警戒区域に指定されて立ち入り禁止になっている。

これまでの作品と同じように、ドリス・ドリーと数人の撮影チームは、実際の撮影舞台で日常が変わらずにそのまま続けられるように話を展開している。ドリス・ドリーのストーリーの背後でも話が一人歩きをする。それで俳優たちもカメラのハノ・レンツを含むクルーも皆、アドリブで対応することを余儀なくされる。皆が驚くことも稀ではない。「でも小さいチームだから、私たちはとてもフレキシブルよ」とドリーは言う。彼女は、自分はアメリカ人がやるようには撮影できない、と語る。ロザリー・トーマスは、それが私には合っているの、と答える。「私はここにいる人たちの顔を見て、調子を合わせ、あまり演技をしようとしなければいいの」と。

「Grüße aus Fukushima」ではこれまでのドリーの映画と違って、撮影する舞台とそこの住民たちの運命が話の前面に置かれている。12万5千人の人がいまだに原発事故からの避難者として仮設避難住宅で暮らしている。彼らは世界から忘れ去れている。東京では「まるで原発事故などなかったように」政府が動いている、とドリーは言う。警戒地区の一部は立ち入り禁止が解除になり、政府が住民たちをそこに戻そうとしているという。しかし、そこに戻った者は、住居がどんなに被害を受けていても、買い物をする店などの周囲のインフラ整備がまだなくても、国からの援助を失うことになる。だからこの仮設住宅からでられなくなっている人がほとんどなのだ。ここでの生活に皆がもうずいぶん慣れてきてしまっている。お年寄りの中には、もうこのプレハブ住宅を離れたくないと言っている人もいる。もう二度と、慣れた生活から引き離されるのはいやだというのだ。日本人の中でまだ誰もここで映画を撮ろうとした人がいないのが不思議で仕方がない、とドリーは語る。
避難所での生活が耐え切れずにすさんでいく人もいる。ことに年取った男性がそうだ。鬱病になり、自殺をする人もあり、酒に溺れたり、パチンコに通い詰めになったりする。それに引き換え女性は、踊りや編み物のグループを始めたり、なにか催し物を企画したりして持ちこたえようと努力する。

「災害のあった後で医療設備が整い、きれいな水が与えられ、世話を受けて仮設でも眠れる場所が出来たら、その次に必要なのは魂の救済です」と語るのはピエロのモシェ・コーエンだ。「そこから私たちの出番です」。「国境なきピエロ団」の創立メンバーの一人である彼がドリーの映画でピエロとしてこの仮設住宅村に登場する。「このごろでは救援組織からお呼びがかかることすらあります」。津波のあった年の夏、コーエンは北日本を何ヶ月も避難所から避難所と巡回した。ドリーの映画ではミュンヘンに住むミュージシャンのカマタナミさんと共演している。苦しみをくぐりぬけてきた家族一家が一緒に笑っているのを見るのが一番うれしい、とコーエンは語る。マリーもフラフープの授業で避難住民たちの気持ちをほぐそうとしている。

おばちゃんたちは喜んでいる。ドリス・ドリーは皆をじっと見守りながらもほとんど指示は与えず、かえっておばちゃんたちを元気づけようとしているようだ。彼女が演出しているのは仮設住宅での娯楽だけではない。映画の撮影事態が、ここでは大きな気晴らしだ。そういうものをこの仮設住宅村の住民たちは必要としている。彼らの多くは失業している。おばちゃんたちがことに感激しているのは、俳優の桃井かおりだ。おばちゃんたちはテレビで彼女を見ながら歳をとってきたと言っていい。その彼女が、数週間ずっと一緒にいてくれるのだ。しかし、おばちゃんたちはドリーがあるシーンを何度も何度も繰り返し、一つが終わると今度は別の角度から、と飽きずに何度もやるので面倒くさくなってきたようだ。いやいやしか協力しようとしなかったり、急に水がほしいと取りに行ったりする。フラフープなどとっくに出来るのに、それをなぜ映画で出来ないふりをしなきゃいけないのか、理解できないのだ。

映画では、マリーも避難民だ。失恋をした彼女は心の痛手にバイエルンからフクシマに逃げ、そこで本当に苦しんでいる人たちを助けようと決心する。自分の苦しみを相対化しようというわけだ。「でもたくさんの人がそうであるように、彼女も理論的にしか、つまりテレビなどでしか、自分が一体どんなことに足を踏み入れようとしているのかわかっていなかった。仮設住宅に行ってみたら、彼女はまったくお手上げだったのです」とドリス・ドリーが説明する。こうしたお手上げの状態は、撮影のクルーも半分味わったのです、と彼女は打ち明けてくれた。2011年3月の事故前は南相馬は、時間が止まってしまったような村落が散在する片田舎に過ぎなかった。この村の南部は、三つの原子炉がメルトスルーした福島第一から遠くない立ち入り禁止地区以内にあり、避難を余儀なくされた。避難命令が出なかった部分でもたくさんの住民が避難した。ことに子供のいる家族だ。南相馬はゴーストタウンになってしまったのだ。

ライフラインであるインフラストラクチャーはそれ以来また機能するようになり、緑の芝生にはまた新しいショッピングセンターが出来た。しかし、社会生活を実際に動かしていた細かく複雑なネットワークは、そう簡単に再生できるものではない。ドリーと撮影チームは道路の脇に急遽建てられた格安ホテルに寝泊りしている。食堂などは一切なく、あるのは飲み物の自動販売機だけだ。これでも、泊まる場所がみつかっただけ幸運だった方である。こうしたホテルに寝泊りするブルドーザーの運転手や土木作業員などはここでまだ何年も必要とされることだろう。

「Grüße aus Fukushima」が通常の映画撮影と違うことは、ここに来る途中ですでに明瞭だ。高速道路の脇にも表示板が立てられていて事故を起こした原発後部の放射線量を示している。この午前は0.2 ~ 5.6マイクロシーベルトだ。ドリーはドイツにいる専門家と、リスクについて十分検討したという。「どんな映画であろうと、健康を損なう危険を冒してまで作る価値はないから」。

この水曜日に撮影した別のシーンでは、欲求不満になっている元芸者のさとみがマリーの部屋のドアをノックしてきて、運転できるの、と聞いてくる。さとみは立ち入り禁止区域にある、自分の壊れた家を訪ねたいのだ。そして行ってみると、今度は仮設住宅には戻りたくない、という。こうして二人の女性が少しずつ近づきあう。そしてついにはさとみがマリーに、一緒に自分の家を修理するよう頼むまでの仲になるのだ。ここで二人は互いに多くのことを学ぶことになる、いわゆる「感情教育」だ、ことに自分に対して常に厳しかったさとみにとっては...「日本の映画にはよく師と弟子の話があるのですが」とドリーが言う。でも先生や師とその弟子はいつでも男だ、しかし私は女性を見せたかった、と彼女は続ける。ことに硬直化した男性優位の日本社会で実際に力を出しているのは、いつも女性なのだから、と。

「Grüße aus Fukushima」はドリーの「日本」映画三作目だ。1999年の「Erleuchtung garantiert」では二人のドイツ人が日本に行き禅寺で修行をしようと決心するのに、東京でその意思がどんどん砕かれていってしまう様子を描いた。外国人が日本に行ったときの困惑、どうしていいかわからない様をこんなにうまく描けるのは彼女だけだろう。そしてその外人たちもいつかまた、自分を取り戻していくのだ。2008年の「花見」では妻を亡くしたばかりのショーンガウ出身の公務員が、富士山のふもとで自分自身と和解していく姿を描いた。彼はそこで死ぬ準備までしていたのだ。両方とも、ドイツからの変な外人を日本人が助ける作品だ。日本はこうした外人を個人として受け止めないにもかかわらず、だ。自らが厳しい掟に縛られた混沌にうずもれているからかもしれない。

映画「Grüße aus Fukushima」は来年の春、公開が予定されているそうだ。他の二本の作品で頼りなげに放浪していた男たちよりはずっと足取り確かに東京を闊歩しそうなマリーは仮設住宅村に来て、一風変わった訪問者として誰からもその存在を意識されただけでなく、さとみを手伝うことにも成功する。これまでの映画で描かれてきた消極的な癒しというような、慰めをもたらす日本の力は、この三重の悲劇を通じて変化したのだろうか? ドリーはそうではないという。「フクシマはドイツが核エネルギーから足を洗う手伝いをしてくれた。しかし日本は何もなかったかのようにしている。冬はうちの中を24度に温め、夏は16度に冷やし、車のエンジンはかけっぱなし。ほとんどなにもあの事件から教訓を得なかった」と彼女は怒る。そして仮設住宅の避難民たちも忘れ去られている。そして彼女はこう言ってから口を閉ざした。「でも映画館は教育施設じゃないのよ」。

2015年2月12日木曜日

情熱の力を持っているのは誰か? パリでの襲撃事件後

情熱の力を持っているのは誰か?
パリでの襲撃事件後

正月早々起きたパリでの襲撃事件後、「事件解説」の記事が世の中にあふれた。その中でも、ツァイト紙に続けて載った哲学者による記事が私にはとても興味深かった。スラヴォイ・ジジェクはパリで精神分析を学んだスロベニアの哲学者だが、彼の説明は頷けるところも多いのに、過激な部分もあり、ことに「過激派左翼」の部分にも同感できないし、イスラム原理主義者の「劣等感」も、ジジェクも残念ながら西洋中心主義に取り付かれているのかと思ってしまうが、そう思っているところに2週後、それに対する「反論」をベルリン芸術大学で哲学と文化科学を教えている韓国人のByung-Chul Hanが書いた記事が載った。これには同感させられたし、考えさせられた。この記事は両方あわせて読まなければ意味がないので、続けて訳すことにした。(ゆう)


まずは1月15日に掲載されたジジェクの記事から。

活力に欠けたリベラリズムと宗教原理主義者との戦いを終わりにすることができるのはただ一つ、過激派左翼だけ
スラヴォイ・ジジェク
Die Zeit vom 15.01.2015 (Nach den Pariser Attentaten) Wofür wir kämpfen müssen
本文はこちら:http://www.zeit.de/2015/03/slavoj-zizek-charlie-hebdo-fundamentalisten


シャルリー・エブド編集部殺戮事件のショックが去った今こそ、落ち着いて考え直す勇気を持つ瞬間が来たようだ。今であって先延ばしは許されない、陳腐な真実を好む友たちが我々を説得しようとしているのが目の前にこうして見えている間に。今しなければならないのは、思考という行為をこの瞬間の熱と調和させることだ。「その後」の冷たさの中で反省しても、バランスの取れた真実は導くことができず、状況を正常な状態に戻してしまい、真実の刃先を避けるのを自分たちに許してしまうことになる。

考えるとは、襲撃事件後爆発的に広がり、大騒ぎが1月11日にその頂点を迎えた、一般大衆が示した連帯感のパトスを超える、ということである。あの日曜日、キャメロンからラブロフ、ネタニヤフからアッバースまで、世界中の大物政治家がこぞって手を繋いだ。偽善的な偽りの像というのがあるとすれば、これがそうだ。本当のシャルリー・エブドなら、こんな出来事を突き放して露骨に、ネタニヤフとアッバース、ラブロフとキャメロンやその他がペアになって情熱的にキスをしながら、背中ではナイフを研いでいる風刺画を描いて嘲笑っているだろう。

この殺人は、何の誤解の余地もなく私たちのあらゆる自由の中でも中核をなすものに対する攻撃であると、もちろん私たちは非難すべきだ。それも「でもシャルリーはちょっと挑発しすぎた、あの雑誌はイスラム教徒をあまり馬鹿にしすぎた」というような暗黙の断りをつけずに、である。そして、もっと規模の大きいコンテキストの情状酌量を促すような指示も、すべて拒否すべきである。例えば、襲撃した兄弟たちはアメリカによるイラクの占領で恐怖を体験していた、というようなことだ。それはそうかもしれないが、それなら彼らはではなぜ、米軍の施設を狙わず、フランスの風刺雑誌を狙ったのだ? 西側諸国に住むイスラム教徒は事実上、ぎりぎりのところで大目に見られ、搾取されている少数派だというなら、アメリカの黒人などはもっと大きい規模で同じ状況にあるのに、彼らはそれでも暗殺も殺人もしない、など、などである。このように複雑な背景の呪文がかかっていることの問題点は、それがヒットラーに関してもうまく機能するものだ。つまり、彼はヴェルサイユ条約の不公平性を自分の目的のために利用することに成功したが、それでもナチ政権を可能な限りの方法で打倒しようとするのはまったく正当だったということだ。テロ暗殺行為の基盤にあるよからぬ情況が真実かどうかということが問題なのではなく、不公平に対する反応として現れ出てくる政治的イデオロギー的プロジェクトが問題なのだ。

原理主義者たちはひそかに劣等感を持っている
でもこれだけでは不十分だ。私たちはもっと先へ考えていかなければならない。そして、もっと先へ進んで考える、というのは決して「では西洋にいる我々とは一体何者なのだ、第三世界で恐ろしい殺戮を繰り返してきた私たちが、このような行為を咎められるというのか」というようなよく知られた文句の、犯罪行為を陳腐に相対化することとは違う。そしてそれはまた、西洋のリベラル左派の多くが持っている、イスラム恐怖症だと思われたくないという病的な不安とも、もっと関係がない。この似非左派どもは、イスラムに対するあらゆる批判に対し、それが西側諸国のイスラム恐怖症だとレッテルを貼り、ちょうどサルマン・ラシュディにかつて同じようにレッテルを貼ったように、イスラム教徒を不要に挑発し、彼を死罪と宣告したファトワー(イスラム教の勧告、宣告等)に対し(少なくとも共同)責任があると言っているのだ。このような態度が招く結果は、このような場合はっきり予期できる。つまり、西側のリベラル左派が自分の罪の意識を感じれば感じるほど、彼らはイスラムの原理主義者たちから、自分たちのイスラムに対する憎しみを必死になって隠そうとする偽善者だと咎められることになるのだ。このような状況は超自我のパラドックス以外の何物も生み出さない。他者が自分に求めているものに従えば従うほど、自分の罪が重くなる、というわけだ。イスラム教に寛容であればあるほど、イスラムが与えるプレッシャーが強くなっていくように見えるのだ…

Guardian紙に1月7日に掲載されたサイモン・ジェンキンズ(Simon Jenkins)が言っているような、「慎み、控えめ」を求める声では、私は従って不十分だと考える。ジェンキンズによれば、我々の義務とは「敏感に反応しすぎず、(襲撃が及ぼす)影響をマスコミで過大に言い立てるのではなく、今回の事件を一過性のおぞましい災難として捉える」ことにある、という。しかし、シャルリー・エブドの襲撃は決して「一過性のおぞましい災難」などではなかった。これは厳密な宗教的政治的プログラムに基づいて実行されたものであり、その意味で紛れもなく、もっとずっと大きなモデルの一部だったのだ。もちろん、盲目的なイスラム恐怖症に陥る、ということに関して言うなら過剰反応するべきでないのは確かだ。しかし、このモデルを何の容赦もなくきちんと分析することが大切である。

テロリストのことをヒロイズムに嵌った自爆テロの狂信者だと、悪魔の申し子のように見るよりももっと重要で説得力があり効果的なのは、こうした悪魔の神話を暴くことである。かなり前にフリードリヒ・ニーチェは、西洋文化は大きな情熱や義務感を失った無関心無感情の生き物「最後の人間」になる方向に動いている、と信じていた。夢を持つことができなくなってしまい、人生に嫌気がさし、この生き物はもうなんのリスクも背負わなくなり、ただ安楽と安全だけを追い求めるようになる、寛容さそのものになったつもりで:「ところどころにちょっとだけ毒を入れると、心地よい夢が見られる。毒がたくさんだと心地よい死に至る。〔...〕昼間必要な快楽と夜に必要な快楽を。でも健康がそれでも一番。『我々が幸福という概念を発明したのだ』と最後の人間は言って目くばせする」。

だから究極的には、寛容的第一世界と、それに対する原理主義者の反応の間に横たわる溝は、物質的および文化的富に恵まれた長くて満足のいく人生VSもっと上位の目的を追った人生というこの、差がどんどん広がっていくだけの対立と同じになっているように見えるかもしれない。しかしこの対立は、ニーチェが言っていた「パッシブ」なニヒリズムと「アクティブ」なニヒリズムとの対立ではないのか? イスラム過激派がすべてを賭け、自分を殺してでも戦いに身を投じる心の用意があるのに対し、西洋の我々はニーチェの言うところの最後の人間で、くだらない日常的な快楽を追ってばかりだ。ウィリアム・バトラー・イェイツの「帰還」という詩がこの私たちの状況をしっかり言い当てているようだ:「善良な者は疑いに満ち、悪者たちは情熱の力に満ちている」。この箇所は現在の活力に欠けたリベラリストと情熱的な原理主義者たちとの間の溝をうまく表現しているように読めてしまう。「善良」なものたちはもはや心底賛同してなにかに打ち込むということはできなくなっており、「悪者」たちは人種差別的、宗教的、性差別的ファナティズムにどんどん嵌っていくのだ。

ただ、この表現は本当にテロリストの原理主義者たちに当てはまるのだろうか? チベットの仏教徒とかアメリカのアーミッシュなどの真の厳格な「原理主義者」の間ではすぐに観察できる「なにか」が、彼らには欠けているようだ。それはルサンチマンや妬みの不在、そして不信心者の生き方に対する徹底的な無関心さ、である。今日原理主義者と呼ばれている者たちが、本当に真実に至る道を見つけたと思っているとしたら、なぜ彼らは不信心者に脅かされているなどと思うだろう、なぜ彼らを妬む必要があるだろう? 仏教徒が西洋の快楽主義者に出会っても、別に非難したりせず、単ににこやかに、快楽主義者の幸福の追求は不成功に終わる運命にある、と確信するだけだろう。真の原理主義者と違って、似非のテロ原理主義者たちは不信心者の罪深い生き方によって駆り立てられ、魅惑され、魔法をかけられているのだ。罪深い人間を制圧しようと戦いながら、彼らが自分たち自身の誘惑と戦っているのが感じられるのだ。

この点において私たちの現在の不幸に対するイェイツの診断は表面的過ぎるといえよう。テロリストの「情熱の力」は本当は、真の確信の欠乏を露呈しているのである。風刺雑誌に載った馬鹿な風刺画を見て脅威を感じるようなイスラム教徒の信仰など、どの程度抵抗力のないものだろうか? 原理主義的イスラムの恐怖とは、テロリストが自分たち自身の優越性を確信していて、自分たちの文化的宗教的アイデンティティをグローバルな消費社会による征服から守ろうとしていることにあるのではない。原理主義者たちとの問題は、彼らは私たちより劣等だと私たちが思っているのではなく、彼ら自身がひそかに劣等感を持っていることにあるのだ。だから、我々が彼らを見下しながら、ポリティカルコレクトネスに沿った言い方で、私たちは彼らに対し一切優越感などもっていない、などということが、彼らの怒りをもっと煽り、彼らのルサンチマンをもっと強くしているのである。この問題は文化的相違(自分たちのアイデンティティを守ろうとする彼らの試み)などではなく、反対に、原理主義者たちが実は我々のスタンダードを自分たちのものとしてしまい、自分たち自身をその標準に照らし合わせて評価しているという事実にあるのだ。パラドックスにも、イスラム原理主義者たちに本当に欠けているのは、自分たちが誰よりも優れているのだと確信する、真の人種差別的優越感なのだ。

イスラム原理主義の最近の運命的な打撃は、どのファシズムの興隆も、失敗した革命から生まれる、というヴァルター・ベンヤミンの古い見解を裏書している。すなわち、ファシズムが始まるのは、左派が役立たずだったからであり、同時に左派がうまく動員できなかっただけで、革命的ポテンシャルと現在の状況に対する不満は実際に存在する証拠である、というものだ。これは今のいわゆるイスラムファシズムにも言えることではないだろうか? ラジカルイスラム主義がこれだけ広まったのは、イスラム教徒の国々で世俗の左派が衰退したことの相互作用ににあるのではないだろうか? 2009年の春にターリバーンがパキスタンのスワット谷を掌握した際、ニューヨークタイムズは「右派の大地主からなる小さなグループと土地を持たない小作人たちとの間にある深い溝を利用した階級闘争」を企んでいる、と論じていた。ターリバーンがしかし「実質的にはまだまだ封建社会であるパキスタンのリスクを前に」、農民の困窮を「利用し」、それにより事実上パキスタンのリベラル民主主義を阻止し、かつ米国がその困窮を同じく「利用して」土地を持たぬ農民たちを助けるのを阻止することで、警鐘を鳴らしたとしたら? この問いに対する悲しい答えは、パキスタンの封建的権力はリベラルな民主主義の「自然の同盟者たち」であるという事実にある…

2つの極端による終わりのない悪循環
それでは、リベラリズムの基本的価値はどのようなものだろうか? パラドックスなのは、リベラリズム自身は、原理主義的襲撃から身を守れるほど強くないということだ。原理主義とは、反応なのだ。もちろん、神秘化された、嘘の反応ではある。それでもリベラリズムの真の欠点に対する反応であり、だからこそ常に何度でもリベラリズムから起こってくる。他に頼るものがなくなって取り残され、リベラリズムはどんどん自らを破壊していく。そしてリベラリズムの中心的価値を救えるのは、生まれ変わって再生した左派だけだろう。この決定的な遺産が生き延びるためには、リベラリズムは、左翼の過激派の兄弟愛的助けに頼る以外にないのだ。原理主義を打ち負かすにはこの方法しかない、つまり彼らの根を絶つのである。

パリでの殺人行為について今考えるということは、寛容なリベラリズムの高慢なうぬぼれを捨て、リベラルな寛容と原理主義の間の摩擦はとどのつまり嘘の紛争であると認めることである、互いが互いを生み出し、互いが互いを前提条件にしてしまっている、二つの極端な形態の悪循環であるということを。マックス・ホルクハイマーが1930年代にすでにファシズムと資本主義に対して言っていたこと、つまり資本主義を批判的に捉えようとしない者は、ファシズムに対しても口を閉ざすべきだという説は、現在の原理主義にも当てはまる。リベラルな民主主義を批判的に捉えようとしない者は、宗教的原理主義に対しても黙っているべきだ。


次に紹介するのがByung-Chul Hanの反論。この2つは必ず合わせて読んでほしい。
敵への憧れ
Sehnsucht nach dem Feind
本文はこちら:http://www.zeit.de/2015/05/terrorismus-radikale-linke-antwort-slavoj-zizek

マルクスは死に、もう戻っては来ない。
新左翼の過激派も、イスラム原理主義者に対する戦いには勝てない。
我々に必要なのは新しい生活形式だ、
ネオリベラリズムの実存的空虚感から救済してくれる生活様式が。
「情熱の力」を訴えたスラヴォイ・ジジェクに対する反論

今日左翼というのはどのような位置に立っているのだろうか? スラヴォイ・ジジェクは、そのパリの襲撃事件について書いたテキストの中で、左翼の過激派を懇願していた。活力のない、頼りない西洋のリベラリズムと宗教的で情熱的な原理主義者の間の闘争を終わらせることができるのは、左翼の過激派だけだと、彼は述べていた。どうやったらそうなるのだろう?

ジジェクはまず、テロリストの原理主義がその劣等感症候群からきていると理解している。原理主義者たちは不信心者により存在を脅かされ、彼らを攻撃しているのだと。仏教徒なら、西洋のヘドニズム信仰者にあっても、別に非難などせず、その幸福の追求が失敗することはもとより決まっているとにこやかに確信するだけだという。このような真の原理主義者と違って、テロリストの似非原理主義者たちは不信心者たちの罪深い生活様式に魅惑されていて、それで自分たちの誘惑を克服するために罪深い他者たちを制圧しているのだ、と。

しかしジジェクが考えているのとは異なり、仏教の原理主義というのは仏教の基本的信念から言って、ありえない。仏教というのは神が存在しない宗教だ。原理も絶対者もないと信じることが、仏教の特徴である。それに反し、一神教はその内面構造から言って、暴力を、別の信仰に対し反発を持ちやすい。さらに仏教は意志も情熱も放棄している。この理由から言っても、仏教徒のテロというのは考えにくい。快楽主義者に対する仏教徒の平静さはだから、「彼らが真の原理主義者」であるからではない。

イスラムのテロリストの情熱とは、本当は心底確信しているものがないことの現われだ、とジジェクはさらに続ける。「馬鹿な風刺画を見て脅威を感じるようなイスラム教徒の信仰など、どの程度抵抗力のないものだろうか?」と彼は問う。イスラムの恐怖の根にあるのは、テロリストがひそかに、自分たちを劣等だと思っているからだ、というわけだ、イスラムの原理主義者には、自分たちの優越性に対して確信がない、と。

憎しみはテロリストの側にあるだけではなく、両側にある。過激なイスラム教徒だけが憎しみで西洋を揺るがそうとしているわけではなく、西洋だってイスラムに対して憎しみを持っている。ドレスデンではしかも、イスラムというのは想像上の空間にしか存在しない。西洋文明が本当に強いものだと思っているなら、このイスラムに対する憎しみはどうやったら説明できるだろう? 実は、活気のあるイスラム教に対し、ひそかに劣等感を感じているのではないのか? 健康というものが「新しい神」(ニーチェ)として崇められ、人生がヒステリックなサバイバルとなってしまった社会で、テロリストの持っているあの決意の固さ、ジジェクが書いているような「自分を殺してでも戦いに身を投じる心の用意がある」、その決然とした態度に対する妬みが生まれてはしまいか?

西洋のリベラルなヘドニズムをジジェクはニーチェと共に「パッシブなニヒリズム」、「最後の人間」の文化だと呼んでいる。何の危険も冒そうと馳せず、快適さと安全だけを求めている、と。彼らの理想は長くて健康な人生だ。それに対し、イスラム原理主義者たちの精神的あり方についてジジェクは、やはりニーチェに従い、「アクティブなニヒリズム」と呼んでいる。彼らはあらゆるリスクを冒し、神のためには自らの死すら捨てる用意があるのだ。

ジジェクがイスラムの原理主義と「アクティブなニヒリズム」を同じものとみなすのはしかし、問題だ。なぜなら、「アクティブなニヒリズム」とはニーチェにとってはとてもポジティブで生産的なものだからである。アクティブなニヒリズムとは、これまでなかった新しいものに地盤を提供することだ。浄化作用のある嵐のような形で現れ、あらゆる信仰による確信を拒否するものだ。となれば、イスラムの原理主義は「アクティブなニヒリズム」とはおよそかけ離れたものである。それはニヒリズムなどではなく、西洋のヘドニズムと物質主義に矛先が向けられた、信仰による確信により歴史の流れを逆戻りさせる、暴力的な形態だ。

過激派左翼が本当にテロリズムを防ぐことができるのだろうか? 快楽主義的な西洋と、「最後の人間」の文化とさっぱりと縁を切り、テロ暴力の原理主義に反応することができるのだろうか? おそらく「最後の人間」は過激派の左翼を正当な評価に値する人間と認めはしないだろう。彼らは単にちょっと困惑して、目をしばたたかせるだけだろう。今日では、左翼が有機栽培の店で買い物をし、ヨガ講座に通う「最後の人間」になってしまったのだから。

幻想的な自由の名において死で自分の生きがいを達成
ジジェクは、ファシズムの興隆はどれも不成功に終わった革命から始まる、しかしそれは同時に革命のポテンシャルがあるという証拠であり、それをただ左翼が動員できなかっただけだとするヴァルター・ベンヤミンの見解を引き合いに出している。しかし、どの革命を彼は指しているのだ? ジジェクはそれからフランスやヨーロッパを去ってパキスタンに飛び、「金持ちの大地主の少数派グループと土地を持たぬ小作人の間にある深い溝」のことを語っている。彼は、過激なイスラムは、世俗の左翼がいなくなったことと相互作用して出現した、と予測している。それなら、大地主から土地を取り上げるマルクス主義的革命が起これば、原理主義は克服できる、とでもいうのだろうか? そんなことはない。パキスタンと違って、例えばイラクは封建制度国家ではないが、ここでこそ「イスラム国家」(IS)猛威を振るっている。イラクでは封建的な社会は1958年の革命までしか続かなかった。その後は土地改革が実行されたのだ。それだけでなく、原理主義は世俗的な左翼が防ぐことのできない世俗に対する反応である。

ジジェクはマルクス主義に固執するあまり、革命という概念から離れられない。しかし、マルクス思想が今日世界を説明することも改善することもできない事実を、彼は見そこなっている。我々はポスト・マルクス主義の時代に今生きているのだ。

労働からの疎外がマルクス主義の核をなす思想だ。労働者が富を生産すればするほど貧しくなっていくというパラドックスに基づいた思想である。自分が生産するものの中に自分を見出すことができない、それは労働者から生産物が取り去られるからだ。彼が生産する物は、彼の所有物ではない。彼の労働は持続的に彼を「自己実現から遠ざける」ものである。革命しかその疎外した状態を終結することはできない。

この、マルクスが説いた疎外はしかし、今日の労働と生産の関係を表現してはいない。ネオリベラルな体制にあっては、搾取はもはや疎外や自己実現からの疎遠としてではなく、自由と自己実現として行なわれる。自己実現すると信じながら、自分で自分を搾取するのだ。そしてそれが燃え尽き症候群や精神の高揚状態の最初の段階でもある。自己陶酔して人は仕事に打ち込むのだ。そして最後には疲れ果てて倒れてしまう。死ぬほど、自己実現してしまうというわけだ。ネオリベラルな支配が幻想的な自由の背後に隠れている。そう、この支配は、自由という化けの皮をかぶっているのだ。支配は、それが自由と共に一致した瞬間に完結する。自由だと皆が感じている自由が怖いのは、それがどんな抵抗も革命も不可能にしてしまうことにある。

別の言い方をすれば、こうである。ジジェクはマルクス主義的幻想の信奉者だ。彼は、再生された左翼が先導して起こすべき革命を夢見ている。しかし、疲労困憊した鬱病の個人主義者たちは、反対運動のうねりを作り出すことは不可能だ。このことがジジェクにはわかっていない。エッセイの最後で彼は、議論でまったく違うレベルに飛び移って、矛盾したことを述べている。突然イスラムの原理主義はもはや劣等感症候群ではなくて、「リベラリズムの真の欠陥」に対する反応なのだ、と言っている。他に頼るものが誰もいなくなって、リベラリズムはどんどん自らを破壊していく、「生まれ変わった左派」しか、その中心的価値を救うことはできない、とジジェクは述べている。リベラリズムは過激な左翼の兄弟愛的な助けに頼る以外にない、というわけだ。しかしジジェクはそのような「過激な左翼」がどのようなものなのかはまったく語っていない。ジジェクにあっては、ただ亡霊のように現れているのだ。

イスラム原理主義に関わる問題は、それよりもっとずっと複雑である。過激派の左翼がいても、それを解決することはできないだろう。イスラム教も西洋も両方とも敵のイメージになりきっている。敵という図式に圧倒されていた冷戦後、新たに敵が戻ってきたのだ。ジジェクはしかしこの、敵対関係という問題をまったく捉えていない。

敵とは何だ? 敵とは、カール・シュミットによれば社会的なカテゴリーには属さず、現存的カテゴリーに属している。シュミットは、敵とは「存在論的根源性」だという。敵がいて初めて、私が誰かが定義される。敵は自分のアイデンティティに安定性を与えてくれるものだ。「敵とは、存在形式としての自分自身の問いそのものだ。だから、我々は、自分の大きさ、自分の限界、自分の姿を得るために、敵と戦わなければならない、そのことで我々は実は、自分と向かい合うのだ」。リベラリズムではしかし、敵がいなくなる。敵の代わりに現れるのは「競争相手」だが、競争相手はアイデンティティを与えてはくれない。グローバルなネオリベラリズムが生み出す現存論的空虚はしかし、またその敵を蘇らせる。ペギーダにせよイスラム過激派にせよ、彼らに共通しているのは「敵を持ちたいという憧れ」だ。イスラム過激派にとって敵は西洋であり、ペギーダの「欧州愛国者」たちにとっては、イスラムなのだ。

グローバルなネオリベラリズムはどんどん安全や確かな関係といったものをなくしてきた。今日、安心できる職場などなくなった。純粋にただ競争のみに還元されたこのシステムでは誰も安心感など持てない。大勢の人間があらゆる不安にさいなまれている。うまく機能できないかもしれないという不安、失敗するかもしれない不安、置いてきぼりにされてしまうかもしれない不安。完璧なネットワーキングにより監視される接続はあっても、本当の関係、身近に思う人や近所づきあいなどというものはどんどんなくなっていく。持続して存在するものは何もなくなっていく。ここで生まれるのが、なにか確かなものに対する憧れだ。この憧れをうまく利用しているのがイスラムの原理主義であり、過激派右翼である。このような場所で生まれ変わった左翼などに何ができようか。左翼の原理主義が提供されるというなら話は別だが。

フランスの作家ミシェル・ウエルベックがあるインタビューで、短期間の間に親しい者たちの死を経験したことが、新しい小説「屈服」を書くきっかけとなったと述べている。自分の無神論では、自分の愛犬や両親の死を乗り切れなかったという。損失は耐え切れないほどつらかった。それで彼の小説の主人公フランソワも当てにできる確かなものを求める気持ちに追い立てられる、人生の意味を求めるようになるのだ。この小説のタイトルはもともと「屈服」ではなくて「改宗」というタイトルだったそうだ。最初の下書きでは、主人公はカソリックに改宗する。しかし最後の原稿では退廃的で疲労しきった西洋に背を向け、彼はイスラム教徒になる。

私たちが今日必要なのは、まったく新しい生活様式だ。右でも左でもなく、確かで当てになるものと、確かに私たちを結び付けてくれるものを生み出すことのできる生活様式、それでいて暴力や排除の形式を一切持たない、秘教(エソテリック)的ではないスピリチュアリティが、システムが原因で生まれた損傷を治癒するためだけのセラピー形式として場所を与えられるような生活様式、シェアリングを超えた本当の分かち合い、Giveがちゃんと成立する生活形態が。

もしかしたら、このような新しい生活様式は革命など前提としなくてもいいのではないか。いや、その反対である。有名なカフカのことを書いた文章の中でヴァルター・ベンヤミンはこう書いている。「せむしの小男という民謡で同じことが象徴化されている。この小男はゆがんだ人生を生きる羽目になっている。救世主が来ればそれは消滅する。その救世主についてある偉大なラビがこう言っている。救世主は暴力で世界を変えるつもりはない、そうではなくて世界の歪みをほんのちょっと元に直すだけだ」と。

2015年2月6日金曜日

ガンには「原産地表示」はない

ガンには「原産地表示」はない
IPPNW(核戦争防止国際医師会議)アレクス・ローゼン博士インタビュー

緑の1kWhでも報告されている(http://midori1kwh.de/2015/01/25/6478)IPPNWのアレックス・ローゼン氏のインタビューが、私がこのたび訳したNanoの5分ほどの動画ニュース(http://youtu.be/nQ5sabgRw-Q)に載っていたので、それを訳した。

3 Sat Nano
本文はこちら:
http://www.3sat.de/page/?source=/nano/medizin/180059/index.html

ガンには「原産地表示」はない
IPPNW(核戦争防止国際医師会議)のアレクス・ローゼン博士とのインタビュー
“Krebs hat kein Herkunftssiegel”
Dr. Alex Rosen von IPPNW im Gespräch

NANOスタッフがIPPNWの医師アレックス・ローゼン氏にインタビューして、フクシマ原発事故後の甲状腺がんのリスクについて訊いた。

日本の甲状腺がん検診で、なにがわかったのでしょう?
要約すればこうです:なにも特筆すべきことは出てこないと予想して検診を開始し、始めはそのように公言していたのですが、108人の子供たちにガンの疑いがあることがわかりました。そしてそのうち80人以上では、ガンがかなり発達しているか転移していて、手術をしなければならないほどでした。つまり、これらの子供たちは甲状腺の一部と異常のあるリンパ節を除去されるということで、そうすれば彼らは、再発することがあるので、一生検診を続けなければいけないし、場合によってはそれからずっと甲状腺ホルモンをとり続けなければいけないことになります。

日本政府は、このような結節やのう胞のみつかった子供たちの数字が高いのは、「スクリーニング効果」だとしていますが?
これまでは、フクシマで見つかった甲状腺がん症例の数が多いのは、スクリーニング効果だ、とされてきました。スクリーニング効果とは、たくさんの人数の子供たちを検査したために、普通なら数年後に症状が出て発見されるような病気ですらみつかってしまうことを言います。しかし、今回の二度目の検診では、前回の検診では健康だった子供たち4人に新しくガンが発症していることがわかったので、とても憂慮すべきことです。これはスクリーニング効果などと片付けられるものではなく、私たちが心配していたことが確証されることになってしまいました。

検査を受けた子供たちの58%で結節やのう胞が見つかったということですが、これは危険なのですか? これはがんになる予備段階なのですか?
今回の検査でおよそ145,000人の子供たちに結節やのう胞が見つかりました。のう胞というのは甲状腺の中で液体の溜まった袋状のもので、結節とは組織にできるしこりです。のう胞も結節も両方とも健康な人でもできることがありますが、同時にガンができる前兆にもなり得ます。ガンに発展する率は高く、今日では子供にできる結節の18%が悪性になる、つまりガンになる可能性があるといわれています。結節はですから、必ずしも自動的にガンだとは診断できませんが、フクシマの子供たちというかなり危険性の高いグループの中でこういうことがあれば、規則的に検査を行なっていく理由として十分です。

子供たちにおける甲状腺の病気と、フクシマで起こったような原子力事故にはどのような関連があるのでしょうか?
フクシマでは大量の放射性ヨウ素が発生したことがわかっています。食べ物、飲料水、空気などを通し、日本に住んでいるほとんど全員が、ことに福島県やその周りの県に住む人々が放射性ヨウ素で被ばくしたわけです。体は普通のヨウ素と放射性ヨウ素を区別できないので、放射性ヨウ素は体内で甲状腺に取り込まれてしまいます。ヨウ素は甲状腺ホルモンを作るのに必要なものだからです。放射性ヨウ素を取り込まないようにするためのヨウ素剤は、日本では一般の市民には配布されていませんでした。

それから、小児の方がことに放射線の影響を受けやすく、たとえ少量の放射線であれ、被ばくすればガンのリスクを高めることになることがわかっています。福島県の子供たちは、原発事故により最初の年に、通常の15~83倍もの量の放射線を甲状腺に受けています。日本のその他の地域では、子供たちの被ばくは約2.6倍から15倍の間です。ですから、このような子供たちの間で甲状腺がんを含めた甲状腺疾患がそのうち発達するようになるリスクは非常に高いと予想するのが当然です。

チェルノブイリと比較できますか?
チェルノブイリでは、事故が起きてから最初の4年間、甲状腺疾患についてしっかり検査が行なわれず、甲状腺疾患の疑いがある患者は、医者が手で触る触診を行なっただけでした。1990年に超音波診断装置で、線量の高い地域の子供たちの甲状腺検査を始めると、予想以上に膨大な数の甲状腺疾患が見つかりました。現在までに、数万人の甲状腺がん症例がチェルノブイリ事故により発生したといわれていますが、この数字は人によって異なるのが実情です(2万人から10万人の甲状腺がんが事故で増加したとされています)。WHO健機関では、たったの5000症例しかなかったといっていますが、彼らは旧ソ連の汚染の一番ひどかった地域と、限定された期間しか考慮していません。放射性ヨウ素がヨーロッパ全体に広がったこと、そしてガン疾患は潜伏期間が長い場合があるので何年も経って初めて発病することを考えると、この数字はかなり上回って修正しなければいけないといえるでしょう。

フクシマでも同じように比較的高い数字でガン疾患が増加することを予想しなければいけないでしょう。国連のかなり「保守的」な数字では、少なくとも1000例の甲状腺がんが増えるとされていますが、公に現れてこない数字は、おそらくあらゆる要素でもっと高いはずです。もっと比較に値することがあります。福島ではロシアに比べてヨウ素の欠乏が少なく、したがって体内に取り込んだ放射性ヨウ素も少なかったため、甲状腺がんのリスクがロシアよりは低いのです。そして放出された放射性物質のほとんどが海に流れ、国土には広がらなかったこともあります。フォールアウトの79%が太平洋に落ちたのです。それに日本は2011年の時点で、1986年のソ連よりもずっと一般の健康状態がよかったし、食品の基準もソ連のそれに比べずっと厳しいです。

原子放射線の影響に関する国連科学委員会UNSCEARが2014年、次のように報告しました。「フクシマでの被ばくによるガンの増加は、大人では予想されない。単に日本の東北海岸沿いの原発事故の影響で、甲状腺ガン疾患数が小児においてわずかに増加する可能性がある」と。この意見に賛成ですか?
UNSCEARは、あらゆる国々で原子力産業を推進している原子力業界の代表者でできている委員会です。これは、例えていうならニコチンの影響に関する国連科学委員会に、タバコ業界の代表者たちがメンバーとしているようなものです。UNSCEARで、基本となるパラメータを過小にし、原子力産業や東電のデータが有利となるように独立した研究の結果をいくつも無視し、間違った予測をいくつも発表しています。残念ながらガン疾患では「原産地表示」がないのが事実であり、個々の因果関係をはっきり調べられません。

フクシマの原発事故により、かなり保守的な計算ですら、それさえなければ健康でいたはずの人間が、数万人はガンに疾患することになるでしょう。甲状腺がん症例はその中のごく一部に過ぎません。国内の統計ではこのような疾患の増加は、すでに日本ではガン発生率が高いので、おそらく目立たないかもしれません。しかし一人ひとり、またその家族にしてみれば話は別です。人間の運命を統計のトリックで相対化してしまうのは、私たちからの考えでは非科学的なだけでなく、非倫理的です。どの人にも健康でいる権利も、健康な環境で生きる権利もあり、日本の社会にはこの権利を具体的に実現する財源もあるはずです。

これらの子供たちを助けることはできますか? 甲状腺がんにはいい治療法がありますか? 完治の率はどのくらいあるのでしょうか?
甲状腺がんは、ことに日本のような保健制度では、比較的治療しやすいものです。統計の上では、症例のうち約7%しかこれで死に至ることはありません。同時に、規則的に血液検査とエコー検査が必要となりますし、手術や甲状腺ホルモンをとることも必要となります。さらに患者とその家族は、再発の不安と常に向かい合って生きていかなければなりません。そうすればまた手術しなければなりませんし、それもリスクを伴います。たとえば、甲状腺のすぐそばに重要な神経が通っているため、言葉がしゃべれなくなることもあります。

ですから、予防が一番のソリューションです。ということは、子供たちをまず放射性ヨウ素に被ばくさせないことです。原発事故があったら直ちに子供たちを避難させ、即刻ヨウ素剤を与えなければなりません。このことは日本では両方とも遅ればせに、しかも不十分にしか行なわれませんでした。この日本の過ちから我々ドイツも十分に学習すべきです。私たちのところでもこれからまだ何十年にもわたって原発最悪事故の起こる可能性はあるのですし、私たちの官庁なども日本と同じようにちゃんと準備ができてはいないはずです。このことは、原子力事故を想定した練習でドイツ全体でかなりめちゃくちゃだったことが公表されて明らかになっています。

日本政府は、被害を受けた子供たちを十分に助けているのでしょうか? それとも無視したり、過小評価したりしているのでしょうか?
日本政府はかなり厳格な原子力推進政策をとっており、できるだけ早い時期に、国内の原発を再稼動すると発表しています。それで病気の子供たちのことは都合がよくありません。原子力産業と政治の癒着は、日本ではドイツでそうだったよりも何倍も強いのです。日本政府は「市民の放射線の影響に関する余計な心配事を排除する」ために、現在かなりの金額を出費しています。福島の人々はでも、そのような間違った約束事では助けることはできません。彼らが欲しいのは、客観的な情報や医学的サポートですし、そしてなによりも、健康に生き、健康な環境で生活するという彼らの不可侵の人権を認めてもらうことです。これこそフクシマの健康に関する影響を評価する上での基本原則でなければいけないはずで、経済や政治の利害であってはなりません。

2015年1月28日水曜日

オプティミスト - 偉大なる社会学者ウルリッヒ・ベックの死

ツァイト紙2015年1月8日付
社会学者ウルリッヒ・ベックを追悼して
オプティミスト──偉大なる社会学者
 ウルリッヒ・ベックの死
エヴァ・イルーズ(Eva Illouz・エルサレムのヘブライ大学の社会学者)

「危険社会」(私ならリスク社会、と訳す。ドイツ語ではRisikogesellschaftで、危険ならGefahrだ。危険社会と聞くと、危険な社会、という意味にも取れてしまう。リスクを根源的に抱えている社会、という意味でリスク社会、とベック氏は言っていたと思うのだが)を書いて世界的にも有名になった社会学者ウルリッヒ・ベックが元旦に亡くなった。「続・百年の愚行」でドイツ語圏からの執筆者を探しているとき(去年の春)、私は彼にもエッセイを執筆する依頼をしていた(忙しくて時間がないので断られたが)。ドイツがフクシマ事故後脱原発を決定するにあたり倫理委員会を設けたが、ここでも彼は活躍した。脱原発が「経済的」だけでも「科学的」だけでもなく「倫理的」問題として捉えられ論議されるというのは考えてみれば当然のはずなのに日本ではまったく考えられないことだ。この追悼記事の中で社会学者のエヴァ・イルーズが「陰鬱さのない批判」とか「陽の当たる批判」という表現で言っているように、ベックはともすると先細りで暗くなりがち、悲観的になりがち(私はその典型)なテーマにおいて一貫してポジティブな思考の人だった。それでいて単純でも、単なる楽観主義の軽い人間でもなく、洞察の深い人間だったと私は思う(というほど私も彼の本を読んでいないので、これを機会にもっと読みたいと思う)。

元旦に彼が亡くなり、その直後にパリでは襲撃事件が続いた。ヨーロッパは揺れ、世界の各地で恐ろしいことが次々に起こる。9.11以来、なにが世界のどこで起きてもまたか、と思うほど怖い話に慣れてきてしまうのがまた怖い。今起こっていることはでも、昨今に始まったことではなくて、ずっとアメリカを中心とする西側諸国とその追随(日本など)がオイルの確保と死の商人の利益を主に上げるため、新自由主義的経済発展だけを追い続けたツケが回ってきたとしか思えない。イスラエルとパレスチナの問題もダブルスタンダードのまま死の商人が忙しくしているだけだ。どこを見ても私には闇だらけで、ちっとも明るい展望が見えなくて落ち込んでしまうのだが、今年早々、その闇の中で希望の灯火を与えてきたベックが亡くなってしまったのはいかにも悲しい。これからどうなっていくのだろう。

あともう一つ。イルーズの文章の中にも出てくる(ただし、彼女はこの文章を英語で書いた。この英語をドイツ語に翻訳したのはMichael Adrianで、私がそのドイツ語をここで和訳しているわけ)が、「多様な文化」「多様な世界のあり方」ということを表現するのに、ドイツ語では Bunt(カラフル、色とりどり、多彩)という言い方をする。カラフルということは、要するに画一的、モノトーン、単色、制服、ユニフォーム、統一的、同色、などなどの反対語だ。今の世界はどこに行っても、単一民族の単一文化など絶対にあり得ず、あらゆる種類の各地の文化が入り混じっているからこそ豊かで、彩りよく、楽しい。そう考えたら、日本語の「いろいろ」という言葉こそ、カラフルということではないかと気づいた。日本は島国で長いこと鎖国も続いたせいか、いまだにその鎖国的・排他的感情が根強いようだけど、単色から個が目立ち、飛び出す釘を許さない風潮、統一、画一トーンがいいとし、皆が同じことをするのが安心できてよいというのは私にはまったくわからない。今日本ではデモでも、統一カラーに揃えたりするのが増えたようだが、私は皆がそれぞれ好き勝手に、好きな格好で、好き勝手なプラカードなどやメッセージを持って、好きなペースで歩くのがいい。人に押し付けられて同じことをやるのはいやだと自己主張ができるエゴを持つのは、制服と校則で縛られ、朝礼などで軍隊式に整列し、君が代を一緒に歌わされる学校に通って育ってきた日本人には難しいのかもしれない。(ゆう)


本文はこちら:http://www.zeit.de/2015/02/nachruf-ulrich-beck
Der Optimist - Zum Tod des großen Soziologen Ulrich Beck von Eva Illouz

社会学者ウルリッヒ・ベックを追悼して
オプティミスト
 ──偉大なる社会学者ウルリッヒ・ベックの死

誰かが亡くなると、その人の人生のずば抜けて優れた点が強い光に当たって際立つことが時としてある。そしてそれにより、あるエポックとしての、その人の人生を物語るバイオグラフィが完結するのだ。今の時代で最も偉大な社会学者の一人である彼が、彼の人生と業績を称え、予期せぬ早すぎる彼の死を悼む社会学的兆候を喜ばしいと思っていることを、私としては祈りたい気持ちだ。

ウルリッヒ・ベックは単に国際的に成功した社会学者というだけではなかった。彼はヨーロッパ市民であり、生き方、政治的アンガージュマン、社会学者としての仕事、そして公的な立場を通じて彼はそれを模範的に生きてきた。ヨーロッパのシティズンシップというものを体現している人がいたとすれば、それは彼である。彼はミュンヘンとロンドンを股にかけて生活し、彼の著作は35ヶ国語に訳され、ほとんどのヨーロッパの言語はその中に入っている。彼は、他の誰よりも強く、何が彼の目には民族国家の衰退として表れてくるかを理論的に捉えようとした。そしてそれにより「民族国家」という概念にぴったりとくっついて離れない社会学的概念性をこそ払い落とすことの必要性を同時に捉えたのだった。まだ表面的には生きているように見えながら、実はとっくに死んでいるもののことを指す概念のことを「ゾンビ・カテゴリー」と彼は呼んでいた。ヨーロッパというのは彼にとって、さらに大きなプロジェクトに向かうための道の一歩だった。そのプロジェクトとは、世界政府であり、国境の消滅だ。

彼に初めて会ったときのことを思い出す。彼はイスラエル社会学者同盟の主要発言者で、ヘブライ大学の社会学セミナーが彼をあるモロッコ料理のレストランに招待したときだった。プラムとアーモンド入りのラム肉に私たちは舌鼓を打ったが、ベックはその間もゲーテが1826年にエッカーマンと語った「世界文学」というのが実は、文化のグローバリゼーションの始まりだったのではないかと考えていた。ペルシャの詩をゲーテが賛嘆していたように、ベックもタジン鍋を前に、あらゆる文化がこうして世界中をめぐることを賞賛していた。

ウルリッヒ・ベックはだから、啓蒙主義と、良質の政治機構による地域主義の克服を願う希望の申し子だったのである。良質の政治機構があれば、必然的にどんどんすべての人間を取り込んでいくに違いないからだ。もっと正確に言うなら、欧州連合と1960年代後の文化が生み出した壮大な希望に対し、理論的な表現を与えたのが彼だった、といえるだろう。この希望とは、社会的階級や民族的所属による制限を世界市民的視野から超越するという、コスモポリタニズムへ道を開いた新しい可能性に基礎をなしているものだった。

世界市民とは、あらゆる文化の間を自由に動き、大陸を越えてあらゆる人々と接続し、あらゆる地方やグループの文化の中身を苦労なく学ぶものだ。このことをベックは、今日のようにインターネットが支配的な技術になる以前に書いているのだ。技術とグローバリゼーションが国境を超越したという事実をネットが把握可能な形で表現してみせたのだから、彼の理論は本当になったと言っていい。

ベックの民主主義的社会の未来像というのは壮大だったが、決してユートピア的ではなかった。それは面積の広い社会構造の分析、そして社会生活の具体的な集合組織のディテール、データ、分析に対するきわめて正確な意識感覚があったからこそだ。

私はウルリッヒ・ベックにはたまにしか会わなかったが、それでも彼の思考の抜きん出た特色が、会うたびごとによりよく理解できるようになっていった。彼の気質から言っても、彼の知識人としての方向性から言っても、ベックはオプティミストだった。彼はすさまじいバイタリティと不断の活動、目標を見極めてそれに一心に向かっていく意志の強さにあふれていた。そして、自分の生きている時代をこれだけ熱心に彼に肯定させたのは、この根本的な生命力だったに違いない。彼は、近代には悪の力も属しているのではないかという可能性をめぐって煩悶したりすることがなかった。彼は、ハーバーマスが現れるまでフランクフルト学派を特徴付けていた、近代性を陰鬱なものと名付けることを拒否し続けた。

人間的にはベックは、ドイツの大学教授にありがちな、大げさな反古典主義(マニエリズム)的なところが一切なく、知識人としては、なんでも悲観的に見る批判的な態度が招くことのある、ある種の「深み」を見せることをはばかる人だった。また、ポストハイデッガー派風知識人が時として見せる存在的な不安や感情的なパトス(情念)も彼には一切なかった。そして彼はオプティミストであるのにもかかわらず、仕事では常に批判的だった。

彼は近代を、その偉大な理想や目標を肯定した。ただし同時に、この近代が内に秘める破壊も強く意識していた。ベックは、私が「陰鬱姓のない批判」または「陽のあたる批判」とでも表したい批判形式を実行していた。そのやり方で彼はたとえば「危険社会(リスク社会)」で述べた考えは、現実的に得られた技術的進歩を総括した。技術的な進歩にもかかわらずパラドックスな特徴として認めざるを得ないのは、こうした進歩が「リスク」としてマネージメントせざるを得ぬ危険を呼び起こしたということだ。

「危険社会」は優れた本だったが、それはこの本が資本主義を非難するのでも庇うのでもなく、資本主義が導いてきた結果を総括し、どのように資本主義が社会制度の構造を変えていったかを解明したからである。社会制度自体が自ら引き起こした破壊をはっきり見据えること、それを克服すること、そして天然の資源の略奪と技術的革新に結びついたリスクを考慮に入れて新しく計算をしなおすことを、資本主義がどのように社会制度に強制するに至ったか、をである。

ベックなら、世界のどの国であっても独創的な社会学者になっただろうが、ドイツの社会学という観点から見ると、ことに彼は独特でユニークだった。マックス・ヴェーバーの社会学的絶望、マルクスの階級と階級闘争に関する固定観念、フランクフルト学派の技術に関する敵意、ハーバマスの抽象性またはルーマンの大きなシステムに対する偏愛、そのどれもがベックにはまったくなかった。

そして、それでもベックの作品にはドイツ社会学が19世紀からずっと抱えている大きな問いが揺れ動いていた。その問いとはこうである。技術的進歩、普遍主義、合理主義、経済的搾取、自然の消費といった問題を抱えた近代は、過去の精神的文化的資源を奪い去られるのか? ベックの答えは偉大だった。彼はこう言ったのだ。そうだ、近代は確かに安心感、確信、安定性といった感情を私たちから奪い取ってしまった、しかしその代わり我々の人生は多彩に、発想豊かに、即興的になり、型にはまったものから遠ざかってきたではないか、と。秩序と規律が結局必要だと言い出すようなフーコー的近代の謳い文句に対して、ベックは、近代とはオープンであり、そして手探りで探すものであり、個人一人ひとりが所属しアイデンティティを求めることのできる、ずっと大きな領域を与えることができるはずだ、という驚くべき見解を持っていた。

私自身の国イスラエルは、このベックの大胆な希望に対する悲劇的な反対例と言ってよい。彼の「陰鬱姓のない批判」はでも、これからもずっと私にインスピレーションを与え続けてくれるだろう。

2014年10月25日土曜日

ガンジーの毒入りの遺産

ツァイト紙2014年9月25日付
「ガンジーの毒入りの遺産」
アルンダティ・ロイとのインタビュー

私はこれまで、ガンジーの「名言」をいろいろなところで引用してきた。ガンディーは常に三猿の像を身に付け「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えていたそうで、御用学者や東電社員、政治家や役人がなにか話しているのを聞くたびに、それを思い出してきた。尊敬してやまない小出裕章氏もガンジーの下記の名言をよく引用している。

1. 理念なき政治 Politik ohne Grundsätze
2. 労働なき富  Reichtum ohne Arbeit
3. 良心なき快楽  Vergnügen ohne Gewissen
4. 人格なき知識 Wissen ohne Charakter
5. 道徳なき商業  Handeln ohne Moral
6. 人間性なき科学  Wissenschaft ohne Menschlichkeit
7. 献身なき崇拝  Religion ohne Opfer

しかし、私は実際ガンジーが自分で書いた文章をしっかり読んだこともなければ、話を聞いたこともないことに気づいた。こんなことではガンジーの文句を引用する資格は私にはないのだ。そのことを深く思い知らされたのが、この9月末にツァイト紙に載ったアルンダティ・ロイとのインタビュー記事である。これはヤバイ。ちゃんと自分で勉強して根拠のあることしか言ってはいけない、という根本的なことが、私にもできていなかったということか。あ~、これではいけない。というわけで、自分を戒めるためにもこのインタビューを訳した。
(ゆう)

Gandhis vergiftetes Erbe
「ガンジーの毒入りの遺産」
アルンダティ・ロイとのインタビュー


私たちの国は暴力の基盤の上にできている、とインドの作家、アルンダティ・ロイは語る。

ツァイト紙:マハトマ・ガンディーは20世紀で最も尊敬されている人物の一人といえます。イギリスの植民地支配に対するインドの平和主義的独立運動の指導者であり、マーティン・ルター・キングやネルソン・マンデラの模範であり、世界中の人々のアイドルです。ロイさん、あなたは先日、そのガンディーを鋭く批判するエッセイを発表されました。これは、どうしてですか?

アルンダティ・ロイ:ガンジーの遺産は偉大です。しかし、不幸にもこれはゆがめられてきたし、ましてや偽造までされてしまっています。今では実際の人物とはかけ離れてしまいました。私の意図は、もともとガンジーについて書くことではなく、ある本の再版にあたり、それを紹介するものとしてこの文章は、生まれたのでした。「カースト制度の廃止(Annihilation of Caste)」、という近代インドの重要な知識人の一人である、ビームラーオ・ラームジー・アンベードカルの書いた本です。アンベードカルはガンジーの強力な批判者でした。彼はガンジーに対し、知性的、政治的、倫理的な意味でとても挑戦的でした。彼はダリットの家庭に生まれたのです。

ツァイト紙:「不可触賎民」、カースト制度の最下層に属し、その上のカーストの人たちからまるでらい病患者であるかのような扱いを受けている人たちのことですね。

ロイ:「カースト制度の廃止」は、アンベードカルが実際には行わなかった演説のテキストです。これは1936年に出版されました。アンベードカルはこの中でヒンズー教を非難し、世界で最も野蛮で、卑属的な階級的社会制度であるヒンズー的カースト制度を攻撃しています。とても扇動的な文章です。これを書くちょっと前にアンベードカルは、自分はヒンズー教徒として生まれはしたが、ヒンズー教徒としては死ぬ気はない、と公に宣言しました。「カースト制度の廃止」は、なぜヒンズー教から離れなければいけないかということを説いたものなのです。ガンジーはこれに答えました。

ツァイト紙:そしてカースト制度を弁護したのですね。どの人間の職業も社会的地位も、生まれたときから決まっている、そういうシステムを、自分では逃れることのできない運命として定められている社会制度を。

ロイ:ええ、そうなのです。ガンジーがカースト制度や南アフリカの人種問題に対して持っていた考えを、私は追跡してみました。彼は1893年から20年間も南アフリカに住んでいたのです。インドに住んでいる私たちは皆、ガンジーがどのように政治的に目覚めたかという話を教え込まれて育っています。彼がピーターマリッツバーグで、白人専用の車両へ乗車することを拒否され、追い出されてしまった、という話です。でも、これは話半分でしかありません。

ツァイト紙:ではそのもう半分は?

ロイ:ガンジーは人種の隔離について怒ったわけではなかったのです。本当の話はこうです。彼がどうして白人専用の車両に座っていたかというと、彼は、上流階級出身の金持ちのインド人は、Kaffir と一緒の車両に座って旅をするべきではないと信じていたからです。彼は黒人のことをいつもKaffir(南アで黒人を表す蔑称)と呼んでいたのです。そのことを頭ではっきり認識するのは、ちょっとショックなことでした。自分の文章では、ガンジーが1893年から1946年までに書いた文章を引用するにとどめました。かなりショッキングな軽蔑さ加減で、彼はアフリカの黒人、インドの農奴、不可触賎民、労働者や女性のことを書いています。南アフリカで過ごした20年間のほとんどを、彼は白人政権との友好関係を得ようと努めることに費やし、イギリス人と「帝国主義的同胞愛」を望む、という宣言までしているのです。

ツァイト紙:それで、ガンジーはインドに帰ってくると、この考え方をインドに適用し、カースト制度の保護者となったというわけですか?

ロイ:もちろん、彼の人種に関する考えが、本当にカーストに関する考えの基本となっていたかということは簡単にはいえません。彼は、カーストの原理に支配された社会で生まれ育ってきていたわけですから。でも、彼の人種とカーストに対する考えは、際立って保守的です。彼は「時代の子だった」とすら言えないのです。というのは、彼と同世代の人たち、インド人であれ、他の国の人であれ、アンベードカルやジョティバ・プーレなど、ずっと進歩的な人たちもいたからです。ガンジーは本来、私が文句なしに惹きつけられる、という人物ではありませんでした。私は信心深さや純粋性を特別良しとしませんが、彼はそれに取り付かれていました。彼に善良な「変わり者」というレッテルを貼るのすら、難しいのです。それにはかなり、たちの悪いものが邪魔をしているからです。単に非暴力の抵抗、禁欲、山羊の乳、自ら紡いだ木綿、というレベルの問題ではないのです。

ツァイト紙:でもガンジーは不可触賎民や低い階級が社会からの除外されることや、権利を剥奪されていることなどに対し、鋭く批判していたのではないのですか?

ロイ:彼は政治的社会的カースト制度の問題点を、象徴的でトーテム的な不可触賎民問題に縮めてしまったのです。カースト制度の問題は、まず第一に土地、教育、公共的サービスなどの権利の問題です。不可触ということは、ダリットを弾圧している何重もの暴力的手段の一つです。彼らを洗脳し、彼が今後も今と同じようにあり続けるようにしているのです、安価な労働力のストックとして、制度を脅かすおそれのないものとして。ガンジーが主張したのはこうです:どのカーストもそれぞれの世襲の仕事に就くように、ただ、だからといってどのカーストもその他のカーストより高貴であるということはない、と。これで、侮辱されてもそれを喜んで受け入れるようにと、彼は求めたわけです。アンベードカルが1936年にカースト制度に対する論争を発表したとき、ガンジーは、便所で働く労働者のカーストが持つべき理想的性質についてエッセイを書きました。他の人間の排泄物を片付けるということは神々しい義務であり、彼らはこれをずっと続けて、決してその仕事で「利益を蓄えよう」などと思ってはいけない、と彼は信じていたのです。

ツァイト紙:それでも彼は、非暴力主義の画期的な保護者でした。

ロイ:肝心な点はこうです。ガンジーの非暴力主義は、持続的な、野蛮で極端な暴力の基盤の上にできていることです。というのも、それがカースト制度だからです。この制度は、暴力で脅迫したり、暴力を使ったりすることなく維持できるものではありません。今日ですら、現状を問題視するダリットは、儀式殺人で殺される危険にさらされています。2012年12月にデリーであるバスの中で若い女の子がおぞましくもグループ強姦をされて殺されたことに対し、大々的なデモが行われました。同じ年に、1500人のダリットの女性がカーストの高い男たちに強姦され、650人のダリットが殺されました。でもこれはほとんどニュースには流れません。

ツァイト紙:ガンジーは西洋的な現代のあり方に対する極端な批判者でもありました。これはあなたにも通じるものがあるのではないですか。あなたも、ダムや鉱山をつくるために環境を破壊し、夥しい数の人間を迫害するインドの近代化に対し批判しています。

ロイ:この観点ではガンジーは先見の明があり、地球がどんどん略奪されていくことを見抜いていました。ええ、彼が魅力的な人物であることは疑いがありません。私は自分のエッセイをぜひ、ベン・キングズレーに送りたいものです...

ツァイト紙:あなたのエッセイは、過去のことを扱っているだけではなく、現在のことも大きくテーマにしています。オブザーバーのほとんどは、少なくとも西洋では、今日、貧困や男女の不平等こそがインドの最大の問題とみなしています。ロイさんはでも、カースト問題が今でももっと重要だとお考えですか?

ロイ:インドのマスコミが選挙戦をどう分析しているか、よく見てみてください。まず有権者グループのこと、つまりさまざまなカーストがそれぞれの地域でどう選挙するか、ということを分析しています。カーストの現実が、現代のインドを動かしているエンジンです。でも、選挙が終われば、すべてはまた薄らいでしまいます。30年代から所属カーストによる公的な国民の分類はなくなりました。それで、カースト制度の偏見がもたらすひどい影響が、栄養失調や土地を持つことのできない人々、または極端な貧困などに関する統計に表れてこなくなりました。これらの数字が「カーストとは関係なく」なってしまうからです。インドの進歩的な知識人たちは、このテーマを回避しようとします。

ツァイト紙:人間としての平等を基本とし、それを政治的な形にしていこうとしている民主主義がインドでは、どうしてカースト制度を克服することができなかったのでしょうか?

ロイ:それは私たちの選挙権と関係があります。アンベードカルはこの分野で、彼が行ったことの中でも一番大きな戦いをしたといえます。彼は、政治的に強い力を得るために、ダリットが自分たちの代議士を選挙で選び、国会に送り出すべきだと主張したのです。1931年には当時の英国植民地政府はこの要求を受け入れました。ガンジーはそれに反対し、ハンガーストライキを始めたのです、死ぬまでストライキを続けてやる、と脅しながら。アンベードカルは最終的には譲歩せざるを得ませんでした。これは、私たちの歴史の中でも、かなり最悪の瞬間でした。

ツァイト紙:「あたかも誰かが薄暗い部屋に入り込んで窓を開けたような感じだ」と、アンベードカルの本を読んだときのご自分の経験を書いていらっしゃいますね。どうしてこれがあなたにとっては啓示だったのでしょうか? カースト制度の問題を、それまであまり意識していなかったのですか?

ロイ:私は南インドの、ケーララ州にある村で育ちました。私の小説「小さきものたちの神」はそこが舞台で、カースト制度の問題が中心を占めています。でも教育では、私たちの学校の教科書には、この問題は出てきません。この問題を掘り下げることは許されないのです。カースト制度は私たちの現実にある問題なのに、テーマにはならなかった、それこそ私が「見ないようにするプロジェクト」と呼んでいるもののせいです。そういうことがなかったかのようにしているのです。少しカーストの高い人たちはこう言うかもしれません、「カーストなんて信じない、カーストは私には存在しない」と。でもそれは、彼らがこのような現象に出会わなくてもいいような、あたかも自分たちが平等の人間であるかのように振る舞うことのできる、そういう特権のある環境を作り上げたからです。

ツァイト紙:ここ数年、あなたはことに政治的なエッセイ - 資本主義やインドの核装備、カシミール政策、インドの先住民アディヴァシに対する不公平な扱いなどに反対するエッセイ - を発表してきました。でも、カースト問題については書いてこられませんでしたが、それはなぜですか?

ロイ:私の書いたエッセイで、ダリットや今話に出たアディヴァシなどが出てこないものはほとんどありません。でも私の政治的な文章は、特に国家を問題にしています。しかし「カースト」というのは、社会と無関係ではない。これはとても複雑な問題なのです。階層社会の一番底辺にいる人たちの間にすら、さらに上下関係があります。これは抑圧ということに関していえば、素晴らしくよくできているシステムなのです。これは、どちらかといえば文学の主題といえるでしょう。

ツァイト紙:ジャーナリズムで長い間論評を続けてこられたわけですが、今また小説を書き始めたそうですね。知識人として公共の場で積んでこられた経験に、失望されていますか?

ロイ:私には「公共の場にいる知識人」というのが何なのかよくわかりませんし、私がはっきりとした役割を務めるべきかどうかもわかりません。私は失望はしていません。でも、多くのインド人と同じように、私は、目前に迫っているものに対し、とても憂慮しています。ヒンズー国粋主義と、大企業の資本主義とが結びつくことです。私自身のことを言えば、国家に対する批判は、直接、緊急に書かれた政治エッセイで行うのがいいと思っていました。でも、私の中には、ワイルドで、無責任に、非理性的になりたい部分があって、単に事実や数字だけで論議したくないところがあるのです。これは失望とは関係ありません。ただ、同じことを繰り返し言っているような気がしてならないのです。何か、別なことをする時期に来ているのだと思います。

ツァイト紙:書き始めた小説について、なにか話してくださいますか?

ロイ:私は今、いろいろなことから離れようとしています。これからなにが起こるかわからないし、どんな小説になるかも、わかりません。そのうち自然と見えてくるでしょう。

インタビュアー:Jan Ross

2014年10月10日金曜日

快感帯の廃止

快感帯の廃止
この文章は、実はフランクフルター・アルゲマイネ紙に、フクシマの事故があってからすぐ3月20日に掲載された。私は当時、茫然自失していたし、実際に気をとりなおしてあらゆるドイツからの情報を日本に向けて翻訳し始めるようになってからは、もっと具体的に訳さなければ、と思う記事や動画がたくさんあって、この記事はそのままになっていたのだが、先日この記事を読み直してみて、書かれてから3年以上経つこの文章の鋭い考察に、やはり心から同感するので、訳すことにした。このハラルド・ヴェルツァー氏は、すでにこのブログで何回か取り上げたが、私が今とても注目している人物の一人だ。(ゆう)

本文はこちら:
http://www.faz.net/aktuell/politik/energiepolitik/nach-fukushima-abschaffung-der-komfortzone-1610925.html
Frankfurter Allgemeine Zeitung(フランクフルター・アルゲマイネ新聞、2011年3月20日号)
Harald Welzer(ハラルド・ヴェルツァー)

フクシマ事故の後で
快感帯の廃止

 日本で起きた原発事故は、停滞なき繁栄を約束するこれまでのあり方から完全な方向転換を促すきっかけとなって当然だ。しかし私たちは、自分たちで認められる以上に、浪費を続ける社会モデルと癒着してしまっている。

 日本で起きた原発最悪事故は、今までで最高の世界に生きているという確信も、当面のところ汚染してしまった。自然条件やその有限性からも解放された、止むことなき進歩発展の世界に住んでいるという思い込みである。ほとんど天然資源を持たない国が世界で三番目の経済大国でいられるということが、長い間疑問も持たれずに当然のことと受け止められてきた。しかし災害が起きた瞬間に、そんなことは短期的な視野でしか可能ではないということが明らかになってしまった。人間が生き延びる根本は常に、人間と環境との関係でしかないという当前の事実からは、核エネルギーですら解放してはくれないのだ。

 現代の夢とは、自然の権威から完全に解放されることだった。プラスチックにしろ、核廃棄物にしろ、地震に強いインフラストラクチャーにしろ、ありとあらゆる人工的なものが日本では今、巨大なフォールアウトの状態に陥ってしまった。そして文明がこぞって隠そうとしてきた負の塊が死を、病を、荒廃を、抑うつをあとに残していく。

難破と見物人

 これからどうなっていくのかは、まだ誰にもわからない。災害に強い日本人がこの危機から再び抜け出していくのか、あるいは、なにもかもが放射能汚染されているため、何百万人という人間が出入りを禁止されるような「特殊区域」に住むことを余儀なくされるのか。そういうシナリオは文学や映画でこれまで幾度となく描かれてきた。日本は島国であるだけに、核の啓示を現実に置き換えやすい。被害に遭わずに済んだその他の国や大陸は、そこで起きることをただ見物していればいいだけだ。放射能が高くなることや、被ばくした招かれざる客がそばにやってきはしないか、案じる必要はない。

 まさに現実のディストピアである。人間はこれで、終わりない繁栄を約束するあり方を信じることをついにやめる転機に至ったのだろうか、あまりに代償が高すぎると認めるようになったのか、もしかしたらこれまでほどは快適でない、他者の犠牲の上に成り立つのではないライフスタイルへ方向転換する覚悟が、これでできるのかと、ここ数日私は幾度となく質問を受けた。残念ながら、そうは思わない。

 そしてその理由は、これが二番目の原発最悪事故だからであり、一度目の事故がなにも変えなかったからである。そして消費地域をどんどん拡大して幸福感を高めようとする経済と社会モデルの吸引作用があまりに強く、誰一人としてその力から逃れることができないからだ。

痛ましい例外というロジック

 核エネルギーの使用は、今の社会モデルがもっている、原則的に飽くことのないエネルギーへの飢餓感が表す症状の一つに過ぎない。もう忘れられてしまった去年のメキシコ湾原油流出事故もその一つだ。途方もない天然資源の過剰利用が引き起こすその他の事故は、数え切れないほどある。そしてエンジニア、技術者、経済専門の政治家、電気会社の幹部たちは、気が遠くなるような想像力のなさで、同じことを言い続けている。痛ましい事故だがこれはほんの例外に過ぎず、ここではこんなことは起こりえない、それにほかに取って代わる方法はない、さもなければ石器時代に戻ってしまう、電気がなければ云々...だ。

 国民の大多数が、もうそんなことには賛成していられないと声を上げ、抗議し、方向転換や変更を訴えるだけでなく、自ら実行に移していかなければ、いつまでも同じことが平気で繰り返されるのは、なぜだろうか。それは、毎朝マイカーで出勤し、週末はスポーツクラブで退屈するか、飛行機の席に窮屈に座り込んではどこかに一飛びして、地球の別の場所で無意味なことをしながら、この浪費と無責任の文化が私たちを先導していくのに、ずっと賛成してきたからだ。

 別の言い方をすれば、こうだ。自分たちが思っている以上に私たちはこの世界に大勢いるグロースマン(ドイツ大手電気会社RWE社長)やタイセン(同じく電気会社Eon社長)、ヴェスターヴェレ(2011年当時のドイツ外務大臣)やメルケルと同意見なのだ、ことに彼らに対して腹を立てているときに限って。すべてのことに関し、いつでも思いのままになるユーザインタフェースがあればいいと思っているのが私たちである。

プラン B はない

 ユーザと化してしまった市民には、日本が必要な部品を今のところ納品できなくなるので新しい iPad が手に入りにくくなるということの方が、何百万人という人間が野垂れ死にすることよりショックなのかもしれないが、それはそう驚くべきことでもない。というのは、この世の中がスムーズにこれからも機能するためには、市民に新しいiPad を欲しがってもらわなければならないからだ。転機が訪れるためには、それをもうやる気がなくなるか、できなくなることが前提となる。しかし、このクラブから脱退すれば、いったいどこに行き着くのだろうか?

 資本主義システムやその繁栄、公平さ、健康や安全といった利得に潜む陰険な側面は、存在のどの部分も「商品」にされてしまうことだ。そしてそれを買う幸運に恵まれた者しか、それらを得ることができない、ということだ。消費というグローバルな幸福感においては、誰もが例外なく平等に扱われる、ということかもしれないが、実はすべてが平等、つまりすべてが「売り物」であるからこそ、それに取って代わる方法がことごとく失われてしまった、ということなのである。日本が今向き合っている真のドラマチックな所見はだから、プランB はないということに尽きる。そしてこれは、それだからこそ日本人が、その他の先進工業国と同じように核エネルギーに固執するに違いないということも意味している。資源がなければないほど、そしてそれに連結して行動の自由裁量の余地が狭まれば狭まるほど、彼らはもっと核エネルギーに固執していくに違いない。

破滅の青写真

 ジャレド・ダイアモンドがその著書「文明崩壊 - 滅亡と存族の命運を分けるもの -」の中で、生き延びていくための条件が変化して危機にさらされると、どの社会もまずある一つのことをする、と書いている。そのあることとは、それまで、中には何百年にもわたり成功してきた戦略を強化する、ということだ。肥沃な土地がわずかになれば、それからますます搾り取るだけ搾り出し、破滅を一気に導いてしまう。石油がわずかになれば、深海を掘削してリスクを高め、エネルギーが足りなくなれば、地震の多い土地に原発を建てるというわけである。

 社会が成功するモデルには、その社会の破滅の青写真がすでに含まれている。目新しいのは、発展上昇と内側からの破裂との間隔がどんどん短くなってきていることだ。西洋資本主義社会の生活形式は、華々しい文明進化を遂げてから自らを破壊していくまでに、三百年とかからない。

 将来生き延びていくためには、教育、医療、安全、平等、法治国家であることなどの点でこれまでに達成した文明レベルを保ちながら、間違った方向にそれてしまった発展 - ことに未来のないエネルギー利用や限度のないモビリティ、いつでもすぐになんでも手に入ることを求める文化 - を極端に減らしていくしかない。

 それには、必要不可欠と信じて疑わない技術の機能不全を節操なく嘆いたり、他者の不幸に対し偽りの同情をしたりする以上のことが必要である。この国では偽善たっぷりの日和見主義的政治決断が日本の大災害によってもたらされることとなったが、それこそ、将来は自分の考えも、責任も、人任せであってはいけないという思いを新たにするきっかけとなるには十分である。原発最悪事故が示しているものは、だから以下のことである。資源には終わりがある、その明らかな事実を無視する社会モデルにも資源と同じで、終わりが来る。快感帯は、今日を以って終わりである。

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Harald Welzer(ハラルド・ヴェルツァー)、ドイツの社会学者、社会精神学者。Futurzwei(第二未来形)基金の創立者および代表者。2012年よりフレンズブルク大学の栄誉教授、ザンクト・ガレン大学、エモリー大学(米国アトランタ州)で教鞭をとる。専門は記憶、集団暴力、文化学としての気候の影響の研究。

快感帯とは
……人体が感ずる温熱感覚は単に気温と湿度だけでなく日射や気流(風)も影響するので,温熱感覚を表すのに不快指数を用いることは環境衛生学上は問題があるといえよう。たとえば温度,湿球温度,風速の三つを座標としてつくった実効温度effective temperatureの図表で,17.2~21.8℃の範囲は快感帯comfort zoneと呼ばれ,多くの人が快いと感ずる温熱領域であるが,これと不快指数が一致するのは無風の場合にかぎられる。しかし,室内での体感の表示には便利な指数で,気象分野ではよく用いられる。……(コトバンクより)

自然はカタストロフィーなど知らない

自然はカタストロフィーなど知らない

カタストロフィーという言葉が日本語にも浸透したが、これは単に自然災害だけを指すのではない。自然にとっては、地震も火山の噴火も洪水も、程度は違えど繰り返し起こる出来事に過ぎないのだ。それが生命を脅かすカタストロフィーになるかどうかを決定するのは文化だ、ということを示す展覧会の記事を読み、なるほどと思うところがあったのでそれを訳すことにした。それにしても、フクシマ事故以来、絶え間なくカタストロフィーが起こっている気がする。確かに、自然の理に適わぬものを作り上げてしまい、災害が起きて大きなカタストロフィーに発展させてしまってから「想定外」などといって知らぬ顔をするのが日本の文化ということか。(ゆう)

2014年9月4日付けツァイト紙「自然はカタストロフィーなど知らない」
Andreas Frey報告
(Die Zeit: "Die Natur kennt keine Katastrophe" 04.09.2014 von Andreas Frey)
本文はこちら:http://www.zeit.de/2014/37/naturkatastrophen-erdbeben-vulkanausbruch-ausstellung

火山の爆発、地震、洪水が起こるたびに、人間はその原因や誰のせいなのかを探そうとする。しかしある展覧会があることを示した。まず文化が最初に、その破滅を定義する、ということを。

1816年は夏がなかった。それくらいにひどい天候だった。冷気、雨、そして空から落ちてくるのが雨でなければ、それは雪だった。7月の終わりだというのに南ドイツは白い雪に覆われた。穀物は実るかわりに茶色いどろんこに成り果て、飢饉が広がった。パン屋や農家が襲われたという報告も残っている。たくさんの人間がこの土地を離れてよそへ移り住んだ。

この悲劇の年は「夏のない年」として歴史に刻み込まれている。これは他に例を見ないカタストロフィーだった。なにが起こったのだろうか? ありとあらゆる流言がまかり通った。ことに目に付く軌跡と言えば、カスパー・ダーヴィッド・フリードリヒやウィリアム・ターナーがその絵画に残した、真紅に燃えた夕焼けの太陽の色だけだ。今ではその原因がわかっている。この「夏の来なかった年」は人間の歴史が始まって以来最大規模の、火山の噴火がもたらしたものだったのだ。インドネシアのスンバワ島にあるタンボラ山がこの前の年に自ら頭を宙に飛ばしてしまったのである。

平和な惑星などというのは、まったく的外れだ。一週間とも地球がその住民たちに暴虐を加えないことがあるだろうか。炎を吹き、地面を揺り動かし、ある土地の一面を水浸しにし、竜巻で吹き上げる。ここに暮らすのは、生命にかかわる危険な企みだ。人間の歴史とは、カタストロフィーの歴史と言い換えることができよう。自然は文化に絶えず挑戦してくる。この力比べは私たちになにをしようとしているのか? これに勝つことはできるのか?

その答えを探し求めて、マンハイムにたどり着いた。ライス・エンゲホルン博物館では、この日曜から人間の歴史で最大級の自然災害をテーマにした展覧会が見られる。ここでは自然災害がそれを招いた要因ごとに分かれて展示されている。アリストテレスの説に基づいた四大基本物質である - 火(火山)、地(地震)、水と空気(洪水、嵐)、そしてそれに人間という要素が加わる(気候変動)。これはタイムとリップでもある。そして世界をめぐる旅でもある。「アトランティスから今日まで。自然。大災害」という名のついた展示会だが、これは単なる体験型教材ではない。この展覧会が見せてくれるのは、ことに私たち自身についてなのだ。

たとえば私たちが絶えず原因を探そうとする、好奇心、というものがある。ただ単になにかが起きるだけではだめで、私たちはなぜ起こったかを知りたい。2世紀前の自然科学者たちはヨーロッパで起きた冷夏について、あらゆる説明を見つけようとした。森林の伐採が熱を奪ってしまったのだ、という人もあれば、その数年前に起きた数々の地震が誘引したのだ、という学者もいた。多くの人間にとっていかがわしいとしか思われなかった避雷針も、議論された。地球の中があまりに熱しすぎたために、自然の熱の流れが妨害されたのだろうか?

啓蒙が勝利をした後も、教会が飽くことなく続けた世界の説明は、長く地上にとどまった。教会はこの1816年の歴史的な異常気象を、人間の罪深い振る舞いに対する神の罰だと解釈した。そしてこの解釈を教会はいつものごとく、自分たちの利益のため、倫理的秩序を保つために利用した、とゲーストハハトのヘルムホルツ・センターの人類学者ヴェルナー・クラウス氏は語る。「自然災害は権力の空洞を生み出し、人間をトラウマ状態に陥れる。」そのことが、暴力的な破壊をイデオロギー的に悪用するのに最適な状態にするのだ、と。

スンバワ島では、そこで発生した権力の空洞を、まずは山の神が火山の噴火を起こさせたのだ、という説で埋めようとした。その後まもなく、イスラム教がこの神話的な説を追放することとなる。タンボラ王国の統治者たちが神の怒りを招いたのだ、と。

火山の噴火と大気の混濁や冷夏の因果関係を正しく科学的に解明する者はいなかった。それをするには世界のネットワークはまだ不十分だったからだ。異常気象の主な原因が火山の噴火であるということは、1883年にインドネシアのクラカタウの大噴火が起こるまで、人間は危険として認識していなかったのだ。またもや太陽が翳った。そして電報というものができたお陰で、世界のこちら側にいて向こう側でなにが起きているか、知ることができるようになったのだった。

火山の噴火は世界で初めての報道事件となったのである。大気に飛んだ亜硫酸ガスが地表の気温を下げる効果をもたらすことはしかし、23年前に起きたフィリピンのピナツボ噴火でやっと、科学的に証明されることになった。

今日では、どんな自然災害もメディアイベントだ。2010年にエイヤフィヤトラヨークトルが火山灰を吹き上げたときと同じように、アイスランドのバルダルブンガ火山がこれから巨大なガスを噴出すことになれば、我々はすぐさまライブで中継するだろう。破壊的な自然の力を、私たちは安全な距離から見物し、人々に同情し、「理解しがたいもの」を消化していくことだろう。マスコミは、我々が因果関係を認識し、カタストロフィーから学ぶ手助けをしてくれるだろう。メディアは記憶文化を構成している大きな要素だ。

「私たちは大災害を見る時には、かなり内面で対立しあう感情を持っているものです」と語るのは美術史家でこの展示会の主任を務める、ハイデルベルク大学のモニカ・ユネイヤ氏だ。「のぞき見趣味は常にあります。しかし、自然災害に魅せられることで、私たちは恐怖を克服するのです」。

今では地球は24時間絶えず観察され、測定されている。どんな変化でも記録される。私たちは「知識社会」に住んでいるといえる。ハリケーンがどうやって発生し、地球がなぜ振動するか、説明できるようになった。そして嵐のような自然現象は前もって予報でき、備えることができる。ただ、自然はまだ制御することはできない。でも、もしかしたら思っている以上にその野生さを「飼いならす」ことがもうすぐできるようになるかもしれない。この惑星の物質循環に人間が手を加えることが現実となってから久しいではないか。自然を制覇することができれば、もう自然災害を恐れる火必要はなくなる。

「人間とその文化を破壊する規模の、自然の例外的状況が発生して初めてそれが、カタストロフィーと呼ばれるのです」と語るのは、この展示会の発起人の一人である、ダルムシュタット技術大学の歴史家ゲリット・シェンク氏だ。この定義はかつてマックス・フリッシュが言ったことである。「自然はカタストロフィーなど知らない」と彼は書いている。文明から遠く離れた南極で巨大な氷河が崩れても、それは確かに圧倒的な力を持つ自然の力だが、カタストロフィーではない。

それを決定するのは、見方である。カタストロフィーとは、突然発生する、決定的に何かを変えてしまうような出来事として理解される、破滅的な結果をもたらす大きな不幸として。カタストロフィーはだから自然災害だけでなく、事故、戦争、またはテロ事件なども含まれる。語源はギリシャ語のカタストロフェだ。これは「突然訪れる激変」という意味だ。16世紀まではこの言葉は喜劇の転機を指す場合に使われていた。否定的な意味合いが生じたのは、後になってからだ。

自然科学のカタストロフィーに対する見方は現実的・実用的、その反応は技術的なものだ。自然科学に影響を受けた社会は、カタストロフィー・マネージメントを学習しようとする。自然の原因を説くことで、予防を可能にしようとする。北海の諺にこういうものがある。「堤防を作って備えない者は消滅するしかない」。予防するか、死ぬか。嵐や洪水から自らを守るために、人は防壁を築いた。教会の言うことをよく聴き、神だけを信頼していたら、現在ある海岸などとっくの昔に水の底に消え、人間もそれと共にいなくなっていたはずだ。去年12月に大きな嵐をもたらした低気圧クサーファーは、長年の堤防維持管理組合の仕事の成果がなければ、大昔にあった洪水による溺死事件と同じほどの破壊を招いていたことだろう。

私たちは、社会がどれだけ傷つきやすく、または酷使に耐えるか絶えず評価しなおす。自
然の暴力がカタストロフィーになるかどうか。そのために研究者たちは脆弱性と回復力(レジリエンス)という概念を作り出した。経済学者や政治家は逆に、自然災害を数字で表現する。EUでは、国の経済的損害が30億ユーロを越すか、少なくとも国内総生産の0.6%になればカタストロフィーであると、定義している。

自然災害の中でも地震は生命にとって最大の危険を意味している。そして一番不気味なものだ。何の前触れもなしに地震は足の下が揺れ始め、人間のもっとも原始的な恐怖を呼び起こす。地震は数秒しか続かないことがほとんどなのに、何年という年月にわたって一つの国を大きな危機に陥れることができる。これが文化全体にとってそれを乗り切ることができるかという試練になることが少なくない。カリフォルニアではもう数十年も前からビッグ・ワンが予測されている。二週間前に起きた力強い地震はただそれを思い出させる助けとなっただけである。地球の内側で地殻構造のひずみや力がそれ以上になにをもたらすことができるかは、この十年の間に世界は二度も見せつけられることとなった。2004年と2011年にアジアで起きた津波は両方とも、沿岸線を完全に破壊して何十万人という人間を殺した。日本ではそれに三重のカタストロフィーが重なった。地震、津波、メルトダウンだ。

文化的な捉え方はしかし、まったく異なる。私たちは今ではネットで、リモコン操作やマウスをクリックするだけでカタストロフィをそばに引き寄せることが可能だ。一緒に同情したり、援助したり、警告したり。しかし同時に、それらを無視することも可能である。
どの文化も、自然がもたらすものからそれぞれ異なった結論を引き出す。フクシマの原発カタストロフィがそれをよく表している。ドイツでは、世界の向こう側で起きたこの出来事が、この国の最大級のプロジェクトを招いた - エネルギー政策変換である。他のほとんどの国はしかし、これを性急に過ぎてヒステリックな決断だと思っている。

日本ではこの不幸を儒教的思想に基づいて理解した人が何人かいる。人間が混沌を作り出したところに、自然が秩序をもたらすと。日本の神話によれば、地下に住む大なまずが地震を引き起こすとされている。なまずは報復をする者、世界を新たに更生する者だとされているそうだ。この意味で作家であり政治家である石原慎太郎はこのカタストロフィを倫理的浄化とみなした。「この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と彼は語った。不幸をチャンスとみなす。次の日に石原慎太郎はこの発言を撤回した。

日本での三年前の震災と似た災害を体験したのは、1755年のリスボンの地震だ。これで大陸全体が揺れ、とてつもない被害を起こし、12メートルの高さの津波が引き起こされて、大西洋の反対側にあるマルティニークやバルバドスで甚大な被害を招いた。これはヨーロッパ中の宗教、芸術、哲学、文学、政治で激しい論争を呼んだ。

教会は罪のなすりあいを行った。カトリック教会ではただちに信者から贖罪を求めた。プロテスタントでも自然災害を神の罰とみなしたが、カトリック教会に対しての罰だとした。なんといっても、地震はカトリックの祝日である万聖節に起きたのだ。プロテスタント教会は、カトリック教会がその過剰な聖人信仰と異端審問で世界に災厄をもたらしたのだ、と非難した。マンハイムのシラーハウス所長であるリーゼロッテ・ホメリング氏がこの展示会に寄稿して書いているように、哲学者たちもこの災害の解釈について論争しあっている。ヴォルテールは、いろいろ不幸があろうとも、今現在世界で最良のところにすんでいるのだという、浸透していたライプニッツ派の説を批判した。少なくとも今やっと、神が罰と復讐をする神だということがわかったではないか、と。

罰を与える神という考えは今でも浸透している。米国の西部の農民たちは、旱魃とならないための祈りを推奨している。「Pray for Rain」という文句が彼らのポスターには書かれている。民俗学者のヴェルナー・クラウス氏は、現在の気候温暖化論争でも、宗教的な解釈のパターンをよく見る、と語る。2005年のハリケーン「カトリーナ」をニューオリンズの住民の無節操な品行振りに対する神の罰だということを言った人は少なくなかった。百年ぶりの洪水を、自然の報復とみなす、一般に行き渡った見方は、宗教的な罰という観念を現代の環境意識に当てはめた続きに過ぎない、とクラウス氏は語る。「我々の多くが気候の変化を、母なる大地、または地母神ガイアの安定状態を私たちが崩したことに対する結果だとみなしています」と。

この展示会のリーダーを務めたモニカ・ユネヤ氏も、同じように見ている。「解釈のパターンは今日までほとんど変化していません。償いと罪滅ぼしということになるのです。植樹をすれば、安心するのです。」現在の贖罪のバリエーションは、自転車に乗ることやオーガニックの牛肉を食べることだ。

自然はどうなったとしても大きな力であることには変りはない。自然がまた炎を吹き、地面を揺り動かし、土地を水浸しにするたびに、地球はそのことを永久に思い出し続けるだろう。しかし自然がカタストロフィとなるかどうかは、それは私たち次第だ。