2013年6月11日火曜日

図書紹介『治安維持法』


『治安維持法
──なぜ政党政治は「悪法」を生んだか

中澤俊輔 著 中公新書刊 860円+税

私は公権力の押しつけに反対の意思表示の方法として、いつも街頭デモ行進を積極的に選んできた。何も表現方法をもたない者にもアピールが可能になる。怪訝な表情や邪魔だとばかり睨んでいる街行く人たちに、「こういう意見や意思を持っていることを知って!」「反対している人だっているんだよ」と伝えたいと願って、大小のデモ行進に参加してきた。70年の反安保や三里塚闘争のうねりが去り、ヘルメットに棍棒のイメージがなくなってからの参加だった。それでも集会やデモの周辺には常にオマワリとマスクをして野球帽のような帽子を被ったコーアンがつきまとっていた。

それが近ごろ彼らの数が増え、締めつけの輪がずんずん縮まって、怖ろしさに身が硬くなる。正式に届けを出し、実に整然と歩いているだけなのに、なにかと干渉してくる。「反原発」のデモなどでは子どもやベビーカーもいる。それをせきたてる。「警備」とは、行動する人を脅す役割に徹したものだ。

国家権力が嫌うのは昔から「安寧秩序の乱れ」だ。それにこの国には「天皇制」というものがある。この制度の死守と「私有財産制」維持のために1925年に「治安維持法」が生まれた。その後、改正や加法があって、敗戦まで猛威を奮ったことはよく知られている。奥平康弘著の『治安維持法』が1973年に出版され、これによって学んだ人は多いようだ。私は不勉強のまま過ぎてきた。しかし、最近の公権力の目に余る過剰警備、弾圧に加えて、政権交代で右傾化政策の増加が危ぶまれてならないので、保守派が尊重する「治安対策」の歴史を学びたく思った。

この書の著者は1979年生まれ、若き学徒である。新書版で読みやすい。しかし内容はよく先行の研究を踏まえ、要領よく維新以後の国家の意思・狙いがまとめられ、教えられた。彼の新味は、政治結社である政党が、なぜ、結社の自由を規制する法を作ったのか、ということにあるらしい。また、内務省と法務省との確執にも観察が届き、この二省と二政党のせめぎあいと、ロシア革命、共産党の胎動、大逆事件などの社会的な流れの中から「治安維持法」は生まれ、肥大していく過程がよく整理され、お薦めの一冊だ。

あれほど彼らが恐れた共産党の拡がりも、ソ連崩壊で案ずることもなくなり、あとは、天皇制護持=国体の安定と安寧秩序の維持が「警備」の目的となっているのだ。以前から、ポツダム宣言受諾条件の「国体の護持」という言葉に疑問を持ち続けてきたが、この書の終わりに中澤さんは、「昭和天皇は、三種の神器を守ることをも含めて、ポツダム宣言の受諾を決意した。『国体』の定義は、日本の命運を背負わせるには漠然としすぎていた。政党は何を守るかを明確にするために、もっと真摯に言葉を選ぶべきだった。」とある。何年にもわたって守り育てた「治安維持法」のなかで、一貫して曖昧にごまかし通してきた「国体」なる用語こそ、いまも継承され続けている底意の表れだ。 (凉)

反「改憲」運動通信 第8期16&17号(2013年2月6日発行、通巻185号)

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