2014年7月17日木曜日

図書紹介『「脱ひばく」いのちを守る』

図書紹介
「脱ひばく」いのちを守る
 ──原発大惨事がまき散らす人工放射線
松井英介著 花伝社発行


松井先生ご夫妻に私は、ベルリンに二年前に越してきてから何度もお目にかかった。放射線測定所を訪問されたとき、IPPNWの副会長である Dr. Alex Rosen医師とお会いになったとき、それから今年のベルリンでのフクシマ三周年のデモで演説されたときなどには、通訳をさせていただいただけでなく、さよならニュークスでは彼を招いてお願いした、基本的な放射線に関する講演にも参加し、個人的に何度もお話することができたことから、親しくお付き合いさせていただいているが、彼のフクシマ事故以来の貢献には常に頭が下がる思いでいる。

先日は日本でコミック「美味しんぼ」に掲載された「福島の真実」にも松井先生は実名で「登場」された。この中で鼻血のシーンが描かれたことで一斉に「美味しんぼ」糾弾が始まったことに関しては、すでにこのブログでも触れたとおりである。

その松井先生が書かれた『「脱ひばく」いのちを守る── 原発大惨事がまき散らす人工放射線』がつい先日出版された。フクシマ事故が起こって以来私たちは、事故そのものに限らず、撒き散らされた放射性物質の線量や、放射性物質と被曝(外部内部ともに)の恐ろしさと影響を過小評価するだけに留まらず無視し、あたかも除染が可能であるかのような幻想を与え、人々を線量の高い地域に帰還させる政策を進めている政府、行政、国際原子力ロビー、そしてそれらに尻尾を振るマスメディアと御用学者の厚顔無恥な発言の洪水を、毎日いやというほど聞かされてきた。日本という国に希望を持たないできたはずの私が、これでもか、これでもかというほど目の当たりにさせられるあまりの報道内容のひどさに、できれば布団をかぶって目と耳を遮断してしまいたいような衝動に駆られ、反論し、反対していく運動を続けていく気力など打ち砕かれてしまいそうになるところを、そんなことではいけない、仕方がないと思ってはいけない、根気よく、決してあきらめずに反対の意思を示していかなければならないと気を新たにすることができるのは、小出裕章氏や西尾正道氏、そして松井英介氏のような人がいるからだと思う。

私が松井先生の本を読んで、単に内部被曝に関する彼のわかりやすい説明に納得するだけでなく、彼の「原点」を垣間見た気がして感動するのは、ことに以下の箇所である:

「2011年3月11日、地震や津波に襲われた街をテレビ映像で見た瞬間、私は、空襲で徹底的に破壊された大阪・堺の街を思い出しました。国民学校二年生の記憶です。それは1945年7月10日の深夜でした。和歌山に空襲警報が、堺には警戒警報が発令されていました。
 警戒警報は解除されたので、眠りについたひとも多かったと思います。わが家では大豆を炒って、家族みんなでつまんでいました。そのときです、突然焼夷弾が降ってきたのは。

 ヒュルヒュルと鋭く空気を切り裂く音をさせながら落ちてくる鉄の雨の中を、夢中で海に向かって逃げました。日頃訓練していたバケツリレーのことなど、頭にありませんでした。ゲートルのこともすっかり忘れていました。母の手だと思って握っていたのは、隣人の背負った幼児の足でした。両親とはぐれてしまったのです。

翌朝救護所で再会した家族たち。四歳の弟・尚信は火傷がひどく、その日の内に亡くなりました。まだよちよち歩きだった二歳の妹・知世は、広場で火に巻かれ、飛び込んだ防空壕で、踏み潰されて亡くなりました。私・英介は生き残りました。龍神川は遺体でいっぱいでした。ある人は防水用水に頭だけ突っ込んで、別の人は電柱の途中で黒焦げになっていました。その夜、南海電車の沿線のあちこちに積み上げられた遺体に火がつけられ、おりしも降り始めた雨の、湿った空気に焦げた肉の臭いが立ち込めました。

 すべてを失った私たちの流浪の日々が始まりました。

 あれ以来、花火の音を聞いたとき、肉の焦げる匂いを嗅いだとき、瞬時にしてあの夜の光景が蘇るのです。

 私をして、ヒロシマに向かわせたもの、四回もアウシュビッツに駆り立てたもの、731部隊・細菌戦被害のムラに向かわせ、人類史上初の無差別戦略爆撃被害者・重慶市民との交流を深めさせたものは、私の体の奥深く刻まれた幼少期の空襲の記憶だと思います。」(35~36ページ)

私は戦争を知らないが、母に何度となく空襲の恐ろしさを聞いて育った。自分が立ち向かって抵抗することのできない大きな力に巻き込まれ、自分の運命がその偉大な力の恣意に委ねられ、翻弄されるのをただ噛み締めているしかないことの恐ろしさ、怒り、絶望、空しさは、想像するだけで鳥肌が立つ。見えない放射能と日々戦い、子供たちを少しでも被曝から守りたいと奮闘する親たち、先祖代々受け継ぎ、日々汗を流し、慈しみ、命の糧を育んできた田や畑があっという間に汚染され、なにも育てることができなくなっただけでなくその土地に住めなくなった農家の人々や、毎日海と共に行き、漁をすることが生活であった漁民が、海に出ることを禁じられる悲しみ、原発事故を境に家族が引き裂かれ、別居を余儀なくされたり、狭く不自由で、未来設計をなにも立てることができない避難生活を強いられた人たちの苦しみにいたっては、私のわずかな想像力をもってですら、悲劇の深さが感じ取られる。まして自分の子供に甲状腺がんが見つかったり、先天障害のある子供を出産した人などにいたっては、その苦しみはどんなであろうか。そういうことに少し思いを寄せるだけで、原発事故は戦争や迫害となんら変らないことがわかる。いつの時代でも確かなのは、そしてだからこそ戦争にも、迫害にも、原発にも反対しなければいけない理由は、自分では実際に悲劇を体験しないで済む人間が、たくさんの人間の運命を翻弄し、破滅へと追いやる大きな力を動かしていることである。

この本の中で松井先生は怒るべき点をしっかり明記しながらも、根気よく、丁寧に内部被曝の恐ろしさを説明し、子供たち、次世代にこれ以上の被曝をさせないためにどのような対応をしていくべきかを説いている。私たちはただでさえも(原発事故が近辺で起こらないまでも)、無防備に多量に使われすぎている有害化学物質、農薬や食品添加物、塩素化合物、抗生物質にあふれる生活環境に住み、これらをあらゆる形で体内に取り込んでいる。私もたくさん食品アレルギーがあって食生活が難しいが、今やアレルギーは現代の疫病といってよいほど、これまで無節操、無思慮に夥しい数と量の化学物質や抗生物質を乱用してきた影響が、どんどん敏感な者から出始めていることを認めないわけにはいかない。松井先生は82ページで複合汚染のことを述べているが、それはまったく恐ろしいことなのに、簡単に「除染」だの「がれき処理」などと口にして、放射性物質を一所にまとめて管理する代わりに全国にばら撒く輩たちはそんなことは一切考えてもいない。まして、あの、数年で紫外線等で破れてしまうようなビニール袋に汚染された土や枯葉を入れて積んでおけば解決したようなつもりになって、「放射能恐怖症」などという言葉で市民を侮る権力者の態度は、どうしても許すわけにはいかない。

「ここで重要なのは、単独では微量でも、複数の毒性物質が合わさると、何層倍もの健康影響をもたらすという結果が報告されていることです。人工放射性物質から放出される電離放射線も例外ではないと考えるべきです。なぜなら、電離(イオン化)放射線の生体影響も、前述したように、例えば電離放射線による水分子の切断の結果生成される毒性の強いラディカルによる生物化学的な課程が重要な役割を担っているからです。」(82~83ページ)

私たちは第二次世界大戦後から急激なスピードで自然を破壊し、自然を侮り、技術を過信し、誇大妄想にかかって取り返しの付かない過ちを犯し続けてきた。そのツケが、今ありとあらゆる形で吹き出してきている。フクシマ事故はそれが最も顕著に、しかも最も致命的な姿で現れた悲劇と言っていい。日本はフクシマ以外でも絶望的なニュースにあふれている。私は希望を持っていないが、原子ムラの人間たちが滅びる前に、どれだけまだ弱い者たちが苦しみ、つらい思いをしていかなければいけないかと思うと、起きてしまったこの悲劇の影響や被害をいかに少なくしていくことができるか、松井先生を始めとする心ある、そして不屈の気骨ある先輩から学び、共に考え、行動していくしかないと思う。
(ゆう)