今度は6分くらいの短いレポートの動画を翻訳して、この前「フクシマのうそ」の字幕を動画につける作業をしてくれた人にまたつけてもらい、それをYoutubeにアップしてもらった。
http://youtu.be/nLgouGEzOgc
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この記事は、単に「原発」の危険というだけでなく、別の側面を扱っている意味で、興味深い。核をめぐる人間の「浅はかさ」ぶりはここでもはっきり見える。どうしてこんなことを平気でいつまでもしているのか? (ゆう)
本文はこちら:http://szmstat.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/37073/1/1
「フクシマ」が全世界に行き渡り「チェルノブイリ」と同じような意味で定着してから、1年が経つ。ドイツでも「1周年」を記念して、あらゆる記事・番組が相次いでいる。その一環で、この記事は、「日本政府に対し『国を開け』という訴え」を行っていることから、それに共感して翻訳した。
去年、フクシマの事故があって毎日大きく報道された地震・津波・原発事故の様子があっという間にドイツのメディアから姿を消したのは、独裁者ガダフィを「糾弾する」戦争がすぐそのあと起きたからだ。あの時、ガダフィは「自国の非武装の市民たちに発砲し殺戮する冷血な独裁者」として武装介入され、滅びることとなったのだが、その是非はさておき、非武装の市民たちを「武器で殺戮」しないまでも放射能の垂れ流しと保護を怠った「過失」でいわば「見殺し状態」にしている大企業や政府に対し、「人権」の立場から日本を国際的に糾弾し、一人でも多くの人間を救い、被害を少なくするために動き出すことはできないのか、と思わずにはいられない。もちろん、「外から」の救いを待つのは、陳腐な甘えに過ぎないといわれればそうかもしれないが、この際、甘えでもなんでもいい、これ以上日本政府や東電になにを期待しても無駄ならば、せめて国際的な圧力で少しでも多くの人間を救ってほしいと思ってしまう私だ。
本文はこちら:http://www.hannover-zeitung.net/aktuell/vermischtes/47195109
「フクシマ原発事故」から1年を記念して、ドイツでもいろいろ特別番組や記事が作られている。日本の悲惨な状況、東電・政府の情報隠蔽/過小評価、原子力ムラの実態なども報告されている中、この記事は、単に「フクシマ」や原子力時代の終焉を語るだけでなく、私が最近テーマにしている、フクシマ1周年を迎えた私たちが現在抱えている問題、状況を分析したものとして、かなり的をついており、ことに「自由」の概念に関しては示唆されることが多かったので、それを訳した。
本主義の終焉を裏付ける話は耐えないが、それにかわる主義どころか、方向すら見出されていないのが現在である。その方向性を探って、ツァイト紙では去年の暮れ、いろいろな記事やインタビューが載った。その中で、私が評価するものを訳していきたい。ロイの語る、「私たちに必要なのは、新しい想像力です、進歩という言葉の意味の新しい定義、自由、平等、文明、地上での幸福、それらの新しい定義を見つけなければならない」という言葉は、本当に実感がある。 (ゆう)