2012年6月28日木曜日

【書評】「デモ」とは何か


『「デモ」とは何か──変貌する直接民主主義』
五野井郁夫 著/NHKブックス1190/950円+税


「デモ」と謳った書籍は福富節男さんの『デモと自由と好奇心』以外に私は寡聞にして知らないが、日本じゅうが「反原発 デモ」にゆれる今、「デモ」の本が出版されたことをうれしく思って手に取った。

福富さんは「60年安保デモ」から何十年もの間、考えたり工夫したり歩いたりするだけではなく、デモ列の頭からシッポまでを何往復もするという参加で知られている。この本で「日本デモ史」の始めにあたるころからの生き証人だ。五野井さんは1979年生まれで、昨秋からのニューヨーク「オキュパイ・ウォールストリート占拠デモ」がどうも初体験という方のようだ。その後、フクシマ事故で沸き上がった人びとの怒りが、いくつものデモになり、五野井さんも参加しつつ、「デモ」という直接行動の歴史、意味、実態解明に向かわれたのだろう。始めに紹介される「オキュパイ…デモ」のレポートは単なる聞き伝えではないのでとても興味深い。

「60年安保デモ」以前のメーデーやゼネストなどでもたれたデモの記録も辿られているが、じつにさまざまの「種類」の人たちが参加した、全国的規模「意思表示」のデモとして、後にも先にも「60年安保デモ」を超えるものはなかった。あれほどの情熱をかけて行い、血まで流れたのに、何の甲斐もなく安保が承認されてしまったことに、多くの人たちは強い挫折感を味わった。

しかし、規模は小さくなったけれどデモは続いた。「1960年代から1970年代を分水嶺として『モーレツからビューティフルへ』と時代が移り変わっていったすえ、1980年代には『院外』の政治たる直接民主主義の政治表現は死に絶えたかに見えた。しかし実際には、人びとの政治表現は地下水脈のように受け継がれていたし、日常の『生活のなかの政治』として暮らしのなかに定着しつつあったのではないか……」との記述に、強く頷きたい。ここまでいくつもいくつものデモを歩いてきた少数の者たちが、この「反原発デモ」の核となって大きな役を果たしているのではないか、
と思われてならないからだ。

私たちが積み上げてきた「デモ」は、国家警察の警備との闘いの連続であったけれど、彼らが力を入れれば入れるほど、デモには恐るべき力があることがわかるというものだ。デモが成立するには核になる存在があるにはあるが、それはたいしたものではない。一人一人の胸からあふれる強い拒否の意思が中心なのだ。表現形式の古さや新しさでもない。この本でしばしば登場する丸山真男先生は、デモに関しては実に小さい点にしか過ぎない。 
それでも、本書は貴重な出版と思う。「反原発」運動のなかから、署名運動、座り込み運動、ハンスト、テントによるオキュパイ行為等々、いくつもの非暴力の直接行動がでてきた。ここに触れられているこれらの事実が、直接民主主義の歴史として残っていくと思う。
(凉) 
反「改憲」運動通信 第8期1号(2012年6月13日発行、通巻169号)

【書評】内部被曝


『内部被曝』
矢ヶ崎克馬、守田敏也 著/岩波ブックレットNo. 832/560円+税

フクシマの事故以来、放射能に対する恐怖は私たちの脳裏から離れませんが、殊に子どもを育てている親の怖れと迷いはどれほどのものでしょう。食品の放射能の数字はときどき知ることができるけれど、ほんとうのところ、「内部被曝」とはどういうものなのか、どうもよくわからない、とかねて思ってきました。

このブックレット(対談形式)を読むと、「内部被曝」の研究は実は伏せられていて、研究したり、公表したりしにくい状況が学界にあるらしいことがわかってきました。ヒロシマ・ナガサキのあとのアメリカの調査(例のABCCなどの)により、外部被曝に対して内部被曝は格段に被害が大きいことがわかり、核兵器の残虐な殺戮性を隠さないと、今後の核戦略と原子力産業の発展の妨げになるから、伏せていく方針がとられることになったそうです。そうリードしたのは国際放射線防護委員会(ICRP)で、そこが国際的権威ということになり、ほとんど世界のすべての医療機関、教育機関、原子力機関などがこの考えを受け入れているとか。これを批判してできたヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)では、内部被曝の危険度は、外部被曝の600倍と指摘しているようです。アメリカ追随のこの国は、もちろんそのことは言わないわけです。私たちが、内部被曝のことについてモヤモヤわからないはずなのでした。

矢ヶ崎さんは広島大学で物理学を専攻、琉球大学で定年まで理学部教授をつとめられた方ですが、「原爆症認定集団訴訟」で内部被曝の証言をなさったと、紹介にあります。「被曝の解明に重要なことは放射線が生命体に作用するプロセスや、体内に入った放射性物質と被曝の状態を具体的に明らかにすることです。物理的な視点でこれを考察しているのは現在では私だけです。」とありますから、貴重なテキストといえるでしょう。

第2章の「内部被曝のメカニズムと恐ろしさ」にその仕組みが解説されています。相当むずかしくて、何度も読み直さなければわからないのですが、政府や東電が私たちを騙すのに、この難解さこそが好都合なのだと気づきます。たしかにむずかしいのですが、矢ヶ崎さんは冷たい科学者ではなく、どの部分にも深いやさしさが感じられます。殊に被災地の人たちの迷いや決断に寄り添い、考え深い助言が全体にちりばめられていると感じました。

あとの目次は、第1章「被曝直後のフクシマを訪れて」、第3章「誰が放射線のリスクを決めてきたのか」、第4章「なぜ内部被曝は小さく見積もられてきたのか」、第5章「放射線被曝に、どのように立ち向かうのか」となっています。

聞き手の守田さんは、フリーライターとして、被災地を自転車で飛び廻って取材を続けている方。その指摘に、人、といっても老幼、男女、免疫力などに差があるのを、一視同仁にしていることの危険性へ警告があっておおいに頷けます。

たった71ページの冊子ですが、教えられることばかりです。内部被曝は怖ろしい、隠すほうも悪いけど、無知もダメと思いました。ぜひ読んでください。
(凉)
反「改憲」運動通信 第7期22号(2012年4月25日発行、通巻168号)

【書評】マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか


『マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか
──権力に縛られたメディアのシステムを俯瞰する[補訂版]
日隅一雄 著/現代人文社刊/1800円+税

本書は2008年に刊行され版を重ねていたが、2011年に起きた原発事故に関する報道のひどさに著者が直面して、加筆補訂して、この1月に新たに出されたもの。

3・11以後の報道の「自己規制」のような姿勢に関しては、報道側も多くの批判・指摘を受けて、「反省」「言い訳」のような記事を組むようになったが、あまりにも眼に余るマスコミの弱腰的姿勢の奥には深い闇が存在するのではとの思いから、遅蒔きながら勉強のつもりで読んでみた。

政府・企業によってがんじがらめの日本のマスメディア状況◎さらなる強化が懸念される表現の自由への制約◎放送・通信の内容規制が行われる通信・放送の融合法制◎システムの改善への展望◎民主党政権の誕生による期待と失望◎東電フクシマ第一原発事故後の報道に対する失望を希望に変えるために、というコンテンツで、これまでのマスコミ関連で起こった事象を検証しつつ、この国の仕組みを解析している。敗戦を迎えた後、それまで国民を苦しめてきた「禁止」「統制」が米国の施政方針や日本国の意思で、緩和・廃止された。民主主義が「言論の自由」「教育の中立」などを伴ってやってきたと喜んだのも束の間、またいつの間にかじわじわと「規制」の縄が締まり、世界でも珍しい不自由な国になりつつある。

「日本とは違い、欧米をはじめとする先進諸国は、いずれも、政府が直接、放送行政を司ることの危険性を重視し、政府、もしくは議会が選任する『独立行政委員会』が放送行政を担当するシステムが設けられている。」とあって、ここがもっとも重要なポイントであることが強調されている。日本では新聞社と放送局が密接な結びつきをして、しかも、放送の電波は限られた分量なので、政府が許認可権をもっている。そのため新聞社も政府のご機嫌を伺わなければならない、という仕組みになっている。予算で縛られているNHKでは「慰安婦国際裁判」の番組改変のように、明らかな政府の干渉が行われた。せっかく持っていた独立行政委員会「電波管理委員会」を、1950年からたった2年間で手放しているのだ。

民主党は政権交代の折にこの件に関して、放送行政の中立を謳った。しかし知ってのとおりの党内混乱で雲散霧消。原発事故の報道隠しで、以前よりさらに病状は悪化していることがわかってしまったのだ。事実を精確に報道するのでもなく、権力の側を批判するのでもなく、「国民を混乱させないように」カドを削って穏やかな記事にする、という、国民をコドモ扱いにする姿勢をとり続けている。

この外、巨大化した「広告会社」からの圧力、「記者クラブ」の弊害など、他国が距離を置くための措置をしている問題でも、日本国はむしろ逆行した方向にむかっている実情をまず認識し、統制を跳ね返していかなければと痛感させられた。
(凉)
反「改憲」運動通信 第7期20号(2012年3月21日発行、通巻164号)

【書評】六ヶ所村の記録


『六ヶ所村の記録──核燃料サイクル基地の素顔』上・下
鎌田 慧 著/岩波現代文庫/(上)1080円+税、(下)1360円+税

フクシマの大事故以来、学習のための推薦図書があちこちでリストアップされています。そのなかに必ずといっていいほど取り上げられている、『六ヶ所村の記録』は、ちょっと長めなので、後回しにされがちですが、これこそぜひ読んでいただきたいので、現代文庫版が出たこの機会にご紹介します。

鎌田さんは『原発列島を行く』(集英社新書)などでも知られているように、全国の原発立地点を歩いて事実を報告されていますが、「六ヶ所村」については、まだ「核施設」の候補地とはぜんぜん言われてないときからこの地に足を運んでの調査が始まっています。

下北半島の斧型の鎌首が立ち上がる、太平洋側に「六ヶ所村」はあります。南から順に、倉内、平沼、鷹架、尾駮、出戸、泊の六村が1889年に統合してできたので、南北に長い村だそうです。村の更に南に「小川原湖」があります。このへんから陸奥湾まで一帯を総括した「むつ小川原工業開発」事業が立ち上げられ、農地買収が1967年に始まります。それが、工業団地などではなく、「核燃料サイクル基地」となってしまうまでを、丹念に追ったルポルタージュがこの書です。

鎌田さんは、自分の眼で見たり聞いたりしたものでなくては、書いたり、話したりできない、と常日頃話されますが、ここではまさに、鎌田さんのじかに調査されたことの報告のみがあります。資料・統計とかはほとんどでてきません。そして明かされるのは、「ゲンパツ」はこうして過疎地を襲う、ということです。それにとどまらず、この国の政治・政策の進め方の本質を捉えて、私たちに示しています。

巻のはじめに、3枚の地図が載っていますが、第一が、下北半島の原子力・軍事基地一覧です。このへんは、ヤマセという農業をするには困った風が吹くところで、人が住みにくい、ロシアを睨んで軍隊が駐留するのに適した位置にある、などから、実にたくさんの軍関連の施設があります。弾道試験場、射爆場も過疎地だからの存在です。でも敗戦後、満州開拓地・樺太からの引き揚げ者の入植があり、苦労の果てに牧畜等で生き残れた人たちが住んでいる土地でした。そこを追いたてるような用地買収です。人には一人一人事情や意思があります。鎌田さんはお名前を出して一人ずつにそれを聞き出しています。村には村長、町には町長、そして市長や知事がいます。人は、権力や金力の誘惑にはほんとに弱いものです。国はそこにつけこんで、彼らの欲望や命運を操っていきます。

3・11以後、いままで隠されていたことが少しは暴かれてきました。でもマスコミはどこかで妥協し、薄めた情報しかだしません。この国の構造的なゴマカシ、オドシ、トリアゲなどのやり口を学習していかなければゲンパツはなくなりません。

鎌田さんの文章は読みやすく、上から目線がないので、すなおについてゆけます。3・11以後の増補があり、「六ヶ所村年表」の付録で事実の推移の詳細もわかります。
(凉)
反「改憲」運動通信 第7期15、16合併号(2012年1月18日発行、通巻159、160号)

2012年6月22日金曜日

【書評】小沢節子 著『第五福竜丸から「3・11」後へ』


『第五福竜丸から「3・11」後へ──被爆者 大石又七の旅路
小沢節子 著/岩波ブックレット820/500円+税

どこの発想か、人びとの目から逸らそう、消そうとしてきたビキニ環礁でのアメリカの水爆実験による「第五福竜丸」の被爆事件のことが、フクシマ以来、メディアに散見するようになった。この小冊子も岩波書店から10月下旬にだされたもの。

1954年3月1日に焼津のマグロ漁船第五福竜丸は、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカがおこなった水爆実験に遭遇、乗組員全員の23人が被爆した。何も知らないで「死の灰」を浴びたのだ。9月に無線長の久保山さんが亡くなった。あとの人たちもきつい症状の後遺症に苦しんだ。そのときの大量の輸血に因って肝臓障害を背負い、皆、生涯長く苦しみと闘うことになるのだ。

事件のあと、全国的に「原水爆禁止運動」が拡がりをみせていくことに危機感をもった政府は、僅かな見舞金で「決着」宣言をする。「平和のための原子力」という米国の核戦略に応えて、原子力発電の導入に突き進んで行ったのだ。

20歳の若さで被爆した大石又七さんは、受け取った200万円の見舞金で周囲から嫉視され、故郷を離れ、東京でクリーニング店を持つ。忘れたい記憶を封じ込めるように働いてゆく。68年に「第五福竜丸」が廃船になるという記事を見て、夢の島に舟を見に行った時から気持ちに変化が生じ、重い口を開き始めたという。『死の灰を背負って』『ビキニ事件の真実』『これだけは伝えておきたい』『矛盾』と4冊の著書も発表した。

大石さんはC型肝炎で苦しんできた。1957年に設立された「放射線医学総合研究所」(放医研)で年に一度の入院検査を続けた。しかし、長年の検査結果が研究データとして保存されるだけで、明らかになった事実が当事者たちには知らされなかったのだ。ヒロシマのABCCのやりくちを思い出さずにはいられない。放医研の人が久保山さんの死を「放射線被爆による影響だと決めるには医学的データが足りない」として、大石さんたちを「モルモット扱い」してきたこと、「10人の仲間も、放医研ではすべて分かっていながら手当もされずに死んでいったのでは」と不信感を募らせ、関わりをやめている。

大石さんは闘病中にもかかわらず、2011年には「核不拡散条約」運用会議に合わせてニューヨークにまで行き、夫人と二人で第五福竜丸の大漁旗を掲げて反核パレードをしたとか。52年間続けたクリーニング店を閉じ、講演と執筆活動に専念されている。

ブックレットは薄い冊子であるが、事件の経過、大石さんの辿った道がコンパクトにまとめられている。いつのまにか、この事件の記憶が薄れてきているが、これは原子力を利用の陰謀を暴いていくためには決して忘れてはならないポイントだ。フクシマの今後をも予想するための入り口の一つなので、大石さんの著書を読み、関連図書を読み込み、あの事件の真相に肉薄し、全原発廃炉への決意を固めたい。
(凉)
『反「改憲」運動通信』第7期14号(2011年12月21日発行、通巻158号)

【書評】前田哲男 著『自衛隊のジレンマ』


『自衛隊のジレンマ──3・11震災後の分水嶺』
前田哲男 著/現代書館/2000円+税

3・11大震災後の自衛隊の出動は、十万人以上にも及び、物資の輸送、生活支援、遺体捜索、瓦礫の片付けと多岐にわたって大きな役割を果たした。お世話になった人たちは口々に「ありがたい、ありがたい」と感謝しているのを、私たちも報道を通じて何度も見た。衣食住を自前で賄え、壮年の揃った力を発揮してもらえる組織は、こういうとき実に頼もしい。台風や地震の災害の度にでてくるのは「自衛隊を災害救助隊に!」の言葉だ。こんどのような広範囲の大災害の場合にはことさらその声が高かった。

「自衛隊に感謝」のこの時期にこそ この欄で自衛隊に関する本を取り上げたいと、出版物に注目していたら、7月に「3・11」のサブタイトルのついた「自衛隊本」がでたのを見つけた。もちろん「3・11と自衛隊」に触れた部分はあるが、本文のほとんど書き上がったところにあの地震が来たのだと、緒言にある。だから、1章「ソマリア海域の自衛隊」2章「自衛隊はどんな軍隊か?」3章「自衛隊の歩いてきた道」4章「自衛隊のいま」5章「フェンスの内側の世界」6章「その先の世界」7章「日米安保という問題」終章「『それでも日本は九条を選んだ』といわれるために」という章立てになっている。

1950年に自衛隊の前身である「警察予備隊」がスタートしてからの主要ないきさつ、変遷が、歴史的資料を配置しながら要領よくまとめられている。報道で知り得た範囲のことで、特別な秘密資料は登場しない。ではあるが、いつの間にか忘れていること、経緯が曖昧になっていることが、整理して記述されていて、あらためてこの組織が「順調に成長」してきたことを通史として捉えることができる。

各種世論調査でも憲法九条は国民になくしてはならないものとして支持されているのに、「日米安保条約」にがんじがらめになっている日本国。同じように敗戦国となり米軍・連合国軍に占領され、多くの基地をおかれたドイツが、そのくびきから脱し始めているにもかかわらず、日本国の基地は米軍の思うままの形で固定化し、自衛隊の米軍への隷属度は深まるばかりなのは、どういうことなのか。共同演習は年中行事になり、司令部の一元化、主要な兵器はほとんど米国製。日本国は独立国家なのだろうか。鳩山元総理が沖縄基地を県外に、と言ったときに、米国から一蹴されたらしく、へなへなとなったときのことは忘れられない。

震災からの復興、原発事故への対策で、おカネが全然不足だというのに、次期戦闘機の選定で出てきているその価格の途方もない高額なこと! 基地移転・整備にとられている予算の膨大さ! 自衛隊の海外派兵も着々と実績を積み上げさせられている。

この書を読みすすむと、「自衛隊を災害救助隊に!」の熱望も所詮叶わぬ夢にすぎないことだと、風船がどんどんしぼんでゆく。しかし、著者前田さんは、終章でオールタナティブを提出している。「九条のもとで“よい自衛隊”に変えていくための二〇の提案」を読んでほしい。それぞれ意見はあろうと思うが、自衛隊の本質をよく知った上で、なお諦めずに「提案」をする姿には教えられる。私たちも一人一人が提案を出していかなければ!
(凉)

『反「改憲」運動通信』第7期10号(2011年10月19日発行、通巻154号)