2013年6月12日水曜日

エネルギー


EnergieFür Klima und Wachstum: „Club der Energiewendestaaten“ gegründet
エネルギー:環境と経済発展のため
「エネルギー政策変換国クラブ」を結成
ドイツ・フォーカス・オンライン(Focus Online201361日付け
本文はこちら:

ドイツの環境省大臣アルトマイヤー氏が、ドイツとカ国が参加した「エネルギー政策変換国クラブ」を結成したことを発表した。ここに日本は加わっていないが、東京新聞によると、日本には打診すらなかったそうだ。東京新聞の見出しでは「再生エネルギークラブ」となっているが、本当はドイツ語ではClub der Energiewendestaaten、エネルギー政策変換を行っている国のクラブ、という意味だから、活断層の上に建っているおんぼろ原発を再稼動し、福島の事故に懲りずアメリカですら訴えられている技術でさらに原発を輸出しようと熱心な日本は、エネルギー政策変換を行っている国とは見なされなかったからだろうか。国が進めるこうした「会議」は、その公の主旨だけでは判断できないものがあり、注意しなければいけないのは確かだが、再生エネルギーを語っていくのに、今後は一国レベルだけで考えているわけにはいかないし、また大手電力会社のロビーが強いのはどこの国でも同じことなので、再生エネルギーに対して国際レベルである程度の「ロビー」ができていくことは大切だろう。ただ、原発大国フランスが加盟しているとなると、かなり不信感が募る。(ゆう)


東京新聞の記事はこちら:
独主導で「再生エネクラブ」結成 日本に打診なし

ドイツとさらに9カ国がこのたび、「エネルギー政策変換国クラブ」を結成し、再生エネルギー活用の世界的拡大を促進していく意向だ。

連邦環境大臣ペーター・アルトマイヤー(Peter Altmaier, CDU)は、この土曜日(訳注:2013年6月1日)ベルリンで開かれた当グループの共同審議会の後、こう述べた。「未来の形成には、再生エネルギーが重要な役割を果たす。その再生エネルギーの増強は気候・環境には欠かせないものであるが、裕さと経済発展と相容れないものではない」。

このクラブ結成の最初のメンバーはドイツのほか、中国、インド、フランス、イギリス、デンマーク、それに南アフリカ、モロッコ、アラブ首長国連邦、トンガである。国際再生可能エネルギー機関(IRENA)も一緒に活動する。最後まで揉めたのが中国の参加で、これは、中国が世界でも有数の環境汚染国といわれているからである。ベルリンで行われた審議会では、国家能源局の再生エネルギー部門部長であるShi Lishan(史立山)氏が中国を代表して出席していた。

共同声明では、国際的に現在通用しているエネルギーシステムでは、気候、環境、貧困撲滅、エネルギーの安全性と発展にとって危険が潜在している、風力、太陽などによる再生可能エネルギーは既存の問題の解決に重要な鍵となるはずであり、当クラブはこうした再生可能エネルギーの増強を加速していくよう、刺激を与えていきたい、ということだ。

アルトマイヤー大臣は、「主導を握ったこのメンバーたちは決して『閉じられた会合』ではないものの、当面その他の国に拡大することは計画されていない。重要なのは、世界のあらゆる地域にあり、異なる発展状況にある国々が集まっていることだ」と語っている。環境大臣は今年の1月にアブダビで開かれた IRENA 会議で、当クラブの創立を促してきた。

中国代表の史立山(Shi Lishan)氏は、化石エネルギーの膨大な消費による中国での環境問題を認めた上で、2020年までには風力発電を合計200ギガワットまで増やすこと、太陽光発電の総電力量を100ギガワットまで高める計画であることを伝えた。比較すれば、EUでの風力発電総電力量は100ギガワット、ドイツでは30ギガワットである。

フランスの環境大臣、デルフィーヌ・バト氏は、フランスでもエネルギー政策変換を進めるべく努力しており、再生エネルギーを重視している、これは地球温暖化防止のため、欠かせないことであるだけでなく、新しく雇用を増やすことにつながるだろうと述べた。トンガの首相トゥイバカノ氏は、エネルギー政策変換は、今後の生存を決定する問題だと説いた:「再生エネルギーがなければ、我々はじきに破滅してしまうだろう。」

2013年6月11日火曜日

図書紹介『小国主義』


『小国主義──日本の近代を読みなおす』

田中彰 著 岩波新書 660円+税

何かの文章で見たタイトルに興味を持ちメモしておいたものだが、改憲がいよいよ迫ってきたいま、気にかかっていたこの書を購入した。1999年に出版されていたもの。著者の専門は「日本近代史」。ずっと以前から岩波文庫の目録でのみお馴染みだった「岩倉使節団『米欧回覧実記』」の監修者である。

明治維新成ったものの近代国家をどうイメージするか、という難問にぶつかった維新の中心人物たちにアドバイスしたのが、お雇い外国人のオランダ系米国人宣教師G・F・フルベッキで、欧米の視察を提案した。長年の鎖国から目覚めた日本国が幕藩体制から西欧中心の国際社会にいかに参加していくかを学ぶことを目的とする国家プロジェクトとして実行された。岩倉具視を特命全権大使とし、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文ら総勢46名で1871年に米国を皮切りに1年10か月をかけて米欧14か国を視察した。帰国後、大使随行の久米邦武が記録係として、「実記」の編集・執筆に当たった。

明治維新に功労のあった薩長の重鎮たちは、米英仏などの大国に目を奪われたが、使節のなかにはオランダ、ベルギー、スイスなどの小国が大国の侮りを受けずに国威を発揚していることに注目する者があった。「実記」は全100巻のうち12巻を小国の記述に当てている。

その後、国家主義が幅をきかしたわけだが、「小国主義」を唱える流れは続いていった。民権運動者植木枝盛→中江兆民→三浦銕太郎→石橋湛山という人たちが受け継いぎ、著者に拠れば、伏流水のように現れたり隠れたりしながら、消えなかったと。国土が小さく、資源が乏しい国では軍備を廃し、領土拡張を止め、学問技術の研究と産業の進歩に力をそそぎ、個人の自由と活動の増進を図ることが肝要であるという点はこの人たちに共通している。殊に軍備の拡大は国民を苦しめるだけで、経済的損失の大であることを言っている。

1945年の敗戦後に米GHQの要請により憲法草案が提出されたが、中でも「憲法研究会」(高野岩三郎、鈴木安蔵ら)の草案には植木枝盛の「日本国々憲案」に相似している部分が多く、まさに小国主義の考えでできている。政府から「憲法調査委員会の「憲法改正要綱」(松本烝治委員長)が提出されたが、言葉の言い換えはあるが、「帝国憲法」と変わらない発想であるとして退けられた。占領軍の「押しつけ憲法」からの脱却を改憲論者は盛んに唱えるが、「憲法研究会」の要綱が主として採られたことは無視しての言論だとわかる。

「湛山は軍備が必要なのは、『他国を侵略するか、あるいは他国に侵略せらるる虞れあるかの二つの場合のほかはない』という。いま、政治家も軍人も新聞記者も異口同音に、日本の軍備は他国を侵略するためではないといっているから軍備の必要はない。他国からの侵略の虞れも、かつてはロシア、いまではアメリカを挙げたりするものの、彼らが日本の本土を奪いに来るだろうか、と述べる」

いま、安倍政権に同じことを言いたい。小さい国が「G」のつく会議に出て、背伸びをするのは民を苦しめるだけだと。「小国」論よ、大声になれ!
(凉)
反「改憲」運動通信 第8期22号(2013年4月24日発行、通巻190号)

図書紹介『いま、憲法の魂を選びとる』


『いま、憲法の魂を選びとる』

大江健三郎、奥平康弘、澤地久枝、三木睦子、小森陽一 著
岩波ブックレットNo.867 500円+税

2004年10月に「九条の会」がスタートし、その翌年05年6月にこの「反改憲」運動通信が出発した。自民党が「新憲法草案」を出したのが05年10月。12年に自民党の「日本国憲法改正草案」がでた。この8、9年の間、反改憲派と改憲派がお互いに鎬を削ってきたのだ。

「九条の会」はこの冊子の著者5名以外に、井上ひさし、梅原猛、小田実、加藤周一、鶴見俊輔の9人が発起人として並んでいたが、井上、小田、加藤、三木の4名が他界されている。紹介のこの冊子は、2012年9月に開かれた講演会「三木睦子さんの志を受けついで─いま、民主主義が試されるとき」の講演から大江、澤地、奥平の3講師の話に、07年6月の三木睦子さんの「九条の会」学集会での挨拶が巻頭に、巻末に奥平さんと小森陽一さんの対談で構成されている。

三木さんは「あなたのおじいちゃまはねえ」と安倍首相(やマスコミ)が、母方の祖父の話ばかりするが、父方祖父の安倍寛さんの戦中の反戦活動についてもっと声を大にして語れ、と。「あなた」とは安倍首相のことなのだ。

大江さんは、人口の比率からいったら、ヤマトの比ではない人数の沖縄の反基地闘争や、粘り強く訴えつづける反原発の声を無視して、オスプレイ配備を強行したり、原発の存続が日本経済の要のように振舞う自民党政権のこの国は、民主主義国家なのか、と。

奥平さんは、「押しつけられた憲法」というが、あの戦争体験のあと、押しつけられたかもしれないが、それを自分たちの感度に合うものとして選びとってきた、それをずっと続けてきたのではないか、と。

澤地さんは三木睦子さんがどういう方だったかを紹介、加藤周一さんが日本がだんだん軍事化していく土台は、日米安保条約である、と言われたことなどを引いて、亡くなったかたたちの志を継いでいきたいと。

奥平さんと小森さんの対談は、「国民主権を守る思想としての憲法」と題して2013年2月に行われたもので、憲法改正の方向が示されはじめてから今日までの経緯がコンパクトにまとめられ、解説され、ていねいで便利な教科書になっている。

共通して話されている歴史的事例として、「砂川大訴訟」がある。大江さんは「『選びとる』とはどういうことか? ぼくなどがそこで想起するのは、たとえば、砂川大訴訟があります。この訴訟はものすごいエネルギーを要しました。そしてまさに、そういうかたちで、憲法九条のあの平和主義を、ただ単にぼくらは見ていたのではなくて、ぼくたちも一緒になって守ろうとした。つまり、加藤さんの言葉を使わせていただくと、そういうかたちでぼくたちは『選びとった』。それをずっと続けてきているんです。」

ブックレットは薄くて安価で入手しやすい。各項ともお話で、論文ではないので読みやすい。自習にも、会合のテキストにも最適。「九条」が危機的な状況のいま、お薦めしたい。
(凉)
反「改憲」運動通信 第8期23号(2013年5月15日発行、通巻191号)

図書紹介『希望をつむぐ高校』


『希望をつむぐ高校
──生徒の現実と向き合う学校改革

菊地栄治 著 岩波書店刊 1800円+税

著者は早稲田大学教育・総合科学学術院教授という肩書きの方。1996年に、国立教育研究所で主に高校教育改革研究プロジェクトにかかわり、全国の高校から提供された資料を通読しているときに、大阪府立松原高校の実践報告と「あゆみ」となづけられた資料に出会い、胸躍るような感動を得たという。長い引用になるが、菊地さんと同じ位置からのスタートをするためにお許し願いたい。

「世間では高校を一流校、二流校、三流校…と、いわゆる序列をつけています。それは大学進学にのみに価値をおいた考え方であり、それによって人間の価値さえも決定するような誤った考え方です。(略)国立大学へ何人受かったかによって順位をつける考え方は、社会で必死に生きている一人一人の人間を侮辱した考えかたといえるのではないでしょうか。(略)他人のことにかまっていられない人間は、知らず知らず人を差別する事を許容し、人間らしい温かな思いやりを失っていきます。また総ての人々の心を荒ませていきます。その時にまず最初に切り捨てられていくのは、社会的に弱い立場の人々です。障害者や、部落民や、在日朝鮮人や……母子家庭、父子家庭、貧しい家……の人々です。松原高校は、この高校間格差を否定するために作られた学校です。いわゆる一流でも、二流でも、三流でもない学校、仲間を大切にし、権利を奪われた者が生き生きとし、生きることの意味、そのための学力を身につけるために作られた学校です」

なに念仏を言っているのかとさえ言われそうな文だと思う。でもこの書を読むと、この文が空念仏ではないことがはっきりする。菊地さんが、ハッとしてすぐ飛んで行ったということにも打たれる。松原高校は中卒を受け入れる職場がすっかりなくなり、子どもたちをなんとか高校に進ませたいと求める部落地域の親たち、また、地元中学を卒業させても受験校ばかりで、進めさせる高校がないことに悩んだ中学校との願いでつくられた、大阪府立高校だ。だが、差別されてきた生徒たちが素直に勉学に打ち込んでゆくはずがない。その難問を引き受けた教師陣が、いくつもの試練、対策、驚くべき工夫の末に、いまの松原高校があることを、菊地さん自身の眼で如実に見たと、ここに報告されている。奇跡のようなことを成し遂げていくのは工夫されたシステムのせいではなく、一人一人の教師の「まごころ」の成果であったのだ。

菊地さんは、「現代の若者たちは、現実社会の限界を読み取り、希望を見いだせない状況にある。希望が朽ち果て、公正な未来を展望しにくい、いわば『希望劣化社会』を生きている。」と書いている。私たちも同じ絶望を生きているが、ときどき、「希望」を与えてくれる人の存在を識ることがあり、また希望をつないで生きつづけることができる。この1冊を要約して紹介することはできない。一言一言に重みがある。夢物語ではなく、まっとうな人間がやりぬいた事実を、どうか読んでいただきたいと切望する。
(凉)

反「改憲」運動通信 第8期21号(2013年4月10日発行、通巻189号)

図書紹介『治安維持法』


『治安維持法
──なぜ政党政治は「悪法」を生んだか

中澤俊輔 著 中公新書刊 860円+税

私は公権力の押しつけに反対の意思表示の方法として、いつも街頭デモ行進を積極的に選んできた。何も表現方法をもたない者にもアピールが可能になる。怪訝な表情や邪魔だとばかり睨んでいる街行く人たちに、「こういう意見や意思を持っていることを知って!」「反対している人だっているんだよ」と伝えたいと願って、大小のデモ行進に参加してきた。70年の反安保や三里塚闘争のうねりが去り、ヘルメットに棍棒のイメージがなくなってからの参加だった。それでも集会やデモの周辺には常にオマワリとマスクをして野球帽のような帽子を被ったコーアンがつきまとっていた。

それが近ごろ彼らの数が増え、締めつけの輪がずんずん縮まって、怖ろしさに身が硬くなる。正式に届けを出し、実に整然と歩いているだけなのに、なにかと干渉してくる。「反原発」のデモなどでは子どもやベビーカーもいる。それをせきたてる。「警備」とは、行動する人を脅す役割に徹したものだ。

国家権力が嫌うのは昔から「安寧秩序の乱れ」だ。それにこの国には「天皇制」というものがある。この制度の死守と「私有財産制」維持のために1925年に「治安維持法」が生まれた。その後、改正や加法があって、敗戦まで猛威を奮ったことはよく知られている。奥平康弘著の『治安維持法』が1973年に出版され、これによって学んだ人は多いようだ。私は不勉強のまま過ぎてきた。しかし、最近の公権力の目に余る過剰警備、弾圧に加えて、政権交代で右傾化政策の増加が危ぶまれてならないので、保守派が尊重する「治安対策」の歴史を学びたく思った。

この書の著者は1979年生まれ、若き学徒である。新書版で読みやすい。しかし内容はよく先行の研究を踏まえ、要領よく維新以後の国家の意思・狙いがまとめられ、教えられた。彼の新味は、政治結社である政党が、なぜ、結社の自由を規制する法を作ったのか、ということにあるらしい。また、内務省と法務省との確執にも観察が届き、この二省と二政党のせめぎあいと、ロシア革命、共産党の胎動、大逆事件などの社会的な流れの中から「治安維持法」は生まれ、肥大していく過程がよく整理され、お薦めの一冊だ。

あれほど彼らが恐れた共産党の拡がりも、ソ連崩壊で案ずることもなくなり、あとは、天皇制護持=国体の安定と安寧秩序の維持が「警備」の目的となっているのだ。以前から、ポツダム宣言受諾条件の「国体の護持」という言葉に疑問を持ち続けてきたが、この書の終わりに中澤さんは、「昭和天皇は、三種の神器を守ることをも含めて、ポツダム宣言の受諾を決意した。『国体』の定義は、日本の命運を背負わせるには漠然としすぎていた。政党は何を守るかを明確にするために、もっと真摯に言葉を選ぶべきだった。」とある。何年にもわたって守り育てた「治安維持法」のなかで、一貫して曖昧にごまかし通してきた「国体」なる用語こそ、いまも継承され続けている底意の表れだ。 (凉)

反「改憲」運動通信 第8期16&17号(2013年2月6日発行、通巻185号)