2012年8月23日木曜日

書評『原発を拒み続けた和歌山の記録』


『原発を拒み続けた和歌山の記録』
汐見文隆 監修 「脱原発わかやま」編集委員会 編
寿郎社/1500円+税


若狭湾に集中して原発は設置された。それに対してバランスをとるために関西電力は紀伊半島に目をつけ、和歌山県内に5カ所の候補地をあげて、動きだしたのは1967年だった。しかし結果的には1カ所も成立しなかった。和歌山県だけでなく、三重県にも原発はなく、紀伊半島には原発はゼロのまま2005年に「電源開発促進重要地点」の指定がすべて外れたのだった。

候補地住民は確かによく闘って悪魔の爪から逃れることができたが、他の県と比較してうまくいった、と宣伝した内容の報告ではない。読後の感想としては、いくつかのいい要素が重なったり、幸運に恵まれたりして、辛くも逃れえたことのレポートと思う。一旦国策として取り上げられたものを覆すことは、まず不可能なほどのことだ。それを成し遂げた感想として日高町「原発に反対する女の会」の鈴木静枝さんが、「…原発というのは禁句でして、うっかり言っては平和を掻き乱すような言葉になってしまうので、もうその話題は皆避けるようにしています。やっぱり私らの喧嘩した年代が死んでしまわない限り、その傷痕というのはとれないだろうと思いますね。」と言っている。反対か、賛成か、であらゆる関係が切断された壮絶な闘いが偲ばれる。

フクシマでも、県外に移住した人と、現地にとどまっている人との間に、反目のようなものが生まれてきているということを聞く。原発は放射能を降りそそぐだけではなく、設置以前からさまざまなものを切り裂く魔物なのだ。

狙われたのは、那智勝浦の太地町、古座町、日置川町、日高町(小浦と阿尾)で、関西電力が仕掛けた攻勢は他のところと同じく凄まじいものだった。首長はご多分に洩れずすぐ国策に靡く。どの候補地でも何度となくもうダメか、という崖縁に立たされている。いくつかの成功の要因に、早くからこれ以上電力需要は伸びないから、原発は不要と警鐘を鳴らした地元の勉強家がいたこと。和歌山にごく近くの熊取に京大原子炉実験所があり、あの小出先生らの「熊取六人衆」が手弁当同然で講義にきてくれたこと。スリーマイル島の事故、チェルノブイリ原発事故発生報道がそれまでの「安全神話」を揺るがしたこと。賛否両論あった漁協もよくふんばり、女たちの「美しい海と子どもを守ろう」の強い意思と学習の継続。これらは大なり小なりどの候補地でも同じような抵抗となって現れた。それがここでは僅差で功を奏したのだといえそうだ。

「国策」という企みはいつどこに、どういう形で私たちに降りかかってくるかわからない。原発はもう作られないから安心だとは言えない。現に、日置川町の関電が取得した広大な土地は手放されていない。「使用済み核燃料の中間貯蔵施設」にされるのでは、と警戒を解いていないと。この報告書は、国家からの巨大な災厄に立ち向かうための指南書たり得ると思われるので、一読をお薦めしたい。

(凉)
反「改憲」運動通信 第8期5&6号(2012年8月22日発行、通巻173・174号)

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