怒る人びと
やっと人びとが怒りを表現し始めている。怒ることを忘れてしまったのかと思っていたのに。その人たちを立ち上がらせているのは、野田だ。彼がなにか言うごとに、怒りをよんで国の隅々に集まる人が増えていく。集まりの渦のなかに身を置くと、あれ以来我慢してきたこと、許せないと思ってきたこと、もうダメだと、積もってきたことが一つのことに収斂して、怒りの固まりのようなものになっているのが感じられる。「再稼働反対!」とのみ口には叫んでいるけれど、その中身は原子力ムラ、安全神話、から始まって、今、野田が発する言葉や行動、行動しなかったこと、どさくさに紛れて更にしようとしている危険なこと全部への否定なのだ。
フクシマのあと、気がついてみると私は「国」ということをしょっちゅう考えている。「国旗・国歌」の強制に反対してきたし、国家主義的な見方はやめよう、と人にも言ってきたが、抽象的・理論的思考が不得手で、感覚で「国」に拒否感をもってきただけだった。どんなに忌避したくても、「国家」に帰属しなければ不自由な仕組みになっている。娘が外国に住んで、日本国籍を棄てたときにも、住民登録は地球の何処でしてもいいじゃない、と言ったが、早い話、娘に会いに行くのに「国」の証明がいちいち必要だ。無政府主義者の大杉栄は戸籍を否定して子どもが生まれても役所に届けなかった。子どもが学校に行くことになったとき困ったのは、彼らの死後に孫を預かった祖母だった。彼ら両親が殺されなかったら、たぶん、子どもの教育は自分たちで行ったに違いない。でも、どこまでそれを貫けたかはわからない。「国」の力は絶大だから。
いったん「国」が決定したことは、飜らない。そのことは三里塚闘争で我々は思い知らされた。あれだけの人が血みどろになって闘っても空港は作られた。人民の闘いの歴史はさまざまあったけれど、国策とまともに対峙した三里塚の闘いは象徴的だと思う。60年、70年安保の闘争だって日本国開闢以来の人民闘争であった。あのときの敗北がいまの「オスプレイ」にまで及んでいるかと思うと、胸が煮える。
「三里塚」ばかりではない。自分が関わらないと数え忘れがちだが、人びとは各地で国策に立ち向かって「怒り」の闘いを行ってきた。沖縄の反基地闘争は敗戦後ずっと孫子にまでつづいた闘いだし、基地のあるところのどこにも持続した抵抗グループがいる。突然降りかかってくるダム建設への反対に生涯を使ってしまった人もいる。公害大気汚染にも立ち向かった人たちがいた。新幹線建設もゼネコンを潤すだけのもので、便利な足を奪われ置き去りになる近住民が各線で反対運動をしたが、押し潰された。しかし、抵抗なしでヤスヤスとやられてしまった地区はなかったのだ。どうしてどうして国に対する「怒り」はまっとうに発せられてきたのだ。
クシマ以後、関連図書が書店にあふれ、いままで迂闊にも洩らしていた「原発反対運動」の経過報告書をいくつも眼にすることができた。みんなよくやってきたんだなー、としみじみした。計画排除に成功したところもあるが、「国策」の後押しを受けた電力会社の巧妙で周到、カネにあかした戦法に敗北したところが多い。必ずしも抵抗力の強弱が原因ではない。たしかに引っ張る「人」の存在が重い要素になるが、テキはとにかく過疎地を狙っているから、「人」に恵まれるかどうかの運も計算済みだ。オマケに間に立つ首長たちだ! 住民から選ばれたにも関わらず、住民を裏切る方に向きを変えるヤツらがとても多い。
こんどの大きい災害で、目立つ立場の人の言動がいつもより多く人目に晒された。「国」や「政府」「内閣」ほどの立場ではない人にも、いくつか共通したものがあるのを感じた。村長、町長、市長、知事、議員、大臣たちは、それぞれなりの「権力」に魅せられている。いまの「権力」を手放したくないからこその言動ではないかと疑われるフシがいっぱいあった。カネと権力。このオンブオバケが背中にとりついたら人は人でなくなる。この現象は珍しくもなんともなくて、またか、と呆れたり軽蔑したりで、もう馴れっこになっている。世界共通のことだし、昔から「王様は3日やると止められない」と相場は決まっている。支配され、被害を受ける「民」も、そういうものだ、とフツウ諦めるからたいがいはやられている。
このごろの首相官邸前行動や代々木公園や全国各地で集まった「再稼働反対!」の行動参加者は、いままでのさまざまな直接行動とは規模が違う、性格も違うように感じられる。これを「現象」と捉えたい評論家やメディアは、「60年安保と違って、組織で集められたものではなく、個人の意思で参加している点が目立つ特徴だ」などというから、同じふうに言うのは抵抗があるが、人びとの渦に入ってみると、たしかに一人で来ているか、せいぜい2、3人づれが多いようなのだ。ワイワイしてない。官邸前は六時からの行動となっているらしく、それ以前はとても静か。6時になると一斉に「再稼働反対!」が始まる。
官邸前行動はイベント屋が取り仕切っているという噂で、我々のように行動馴れというか、スレてない人が多いから、「世話人」の指示によく従う、ということもある。「初めてこういうことに参加しました」とメディアのインタビューに答えている場面にもしばしば遭遇した。驚くのはその人数であり、毎週とかの根気よさだ。官邸前行動に限っていえば、警視庁警備の金曜日毎の「作戦の進歩」がめざましいこともあり、どこまでの人たちがいまの気持ちを持続できるか、それはわからない。熱しやすく冷めやすいのは群衆の共通要素かもしれないが、フクシマの悲しみはまだまだ深く、終わりはないように思える。いままでのどの「国策」が引き起こした災厄とも、「放射能」のもたらすものは違う。自然災害が世界でも有数の発生率を負う日本列島に、あってはならない原発がいっぱいある。すでに「死の灰」は各地に山積して行き場がないのだ。そのことは今では誰でも知っている。古今未曾有の悪魔的問題に、直面している。だから、そう簡単には諦め、納まらないのではないかと、すぐ甘くなる私は思いたいが、どうだろう。官邸は、今は困惑するくらいには感じているだろうけど、あれだけの「再稼働反対!」の音に耐えつつ、ひたすら沈静化をねがっているに違いない。公安と密接に協議しながら。
組織に属してない人たちがこれだけ熱して、直接行動に参加して、それが「何のプラスにもならなかった」と思い知る日がきたときは、どうなるだろう。何年もの間、さまざまな拒否問題に対して直接行動を準備したり、参加してきた者として、いまの「フツウの人の一斉蜂起」的行動に冷めた眼をもつことは私はできない。「人びとはちゃんと怒っている!」というふうに思う。いままで、たったこれだけ?と情けないような人数でデモをしてきたこともたくさんあった。ずいぶん多いと喜んだときもあった。でも、これほどの人数をナマで見たことがなかった。10万人を越えると、ただスゴイ。
さきごろ、NHKのクローズアップ現代という番組でこの問題をとりあげていて不満はいっぱいだったが、その中で、初参加したという若い人が、「いままで、なにかあっても誰かがやって(反対?)くれると思っていましたが、こんどは出てきました」というふうに答えていた。そうか、私たちはこういう人たちを代表して街を歩いていたのか、と、なんだかハッとした。
せっかく決心して出てきた人に言いたい。もう少し、がんばろうよ、成果を上げようじゃないか、と。諦めるのを期待している彼らの思う壺にはまりたくない。私の経験では、国家警察の本質は戦前から変わっていない。現代だって実に怖ろしい。いまの行動に対して警備や弾圧の大作戦を日々必死に練っているに違いない。だからこちら側は人数を減らしてはならないし、挑発に乗ってもいけない。油断してはならない相手であることを忘れないで、できるだけ息長くつづけていきたいものだ。原発ゼロを目指して。
(凉)
『運動〈経験〉』35号(2012.8)より
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