『ふるさとをあきらめない
──フクシマ、25人の証言』
和合亮一 著 新潮社刊 1500円+税
東日本の災害・フクシマ原発の爆発以後、多くの関連図書が出版され、私たちは手に負えそうなものを選んでは大いに勉強した。こんど手にしたのは、論でも解説でもなく、報告とも違う、「個人の思い」集とでもいうものであった。私は知人とのメール交換はするが、知らない人とツイッターで喋ることをしないので、和合亮一(わごうりょういち)さんを知らなかった。彼は詩人で、高校の国語の教師。3・11以後、ツイッターで発信しつづけ、たくさんの人を力づけ、慰めたことで、広く名を知られた方であった。たくさん発信されたものが『詩の黙礼』(新潮社)という詩集にまとめられているようだ。
和合さんがフクシマに関わる人、25人に「3月11日の午後2時46分、何をされていましたか?(時により多少の違いはあるが)」という第一問から始まる聞き書きを編んだ書である。私の周囲にも時間を造りだしては被災地に足を運び、地元の人と触れあって親交や認識を深めた人が多いが、年寄りは行っても足手まといになるだけと、東京でできることをと考え、関連図書で勉強したり、それを紹介したり、デモをしたりすることで我慢してきた。
だが、これまで読んだ本と、この和合さんのは全然違っている。話手の多くが、既に和合さんを知っていたというだけの原因ではなかろう、彼には人の心を開かせる力があるらしいことだ。構成上、和合さんの質問は極めて短く記されているだけだが、証言者はそれぞれ深く重い心のうちを、こもごもていねいに話している。もし、私が福島に行って周りの人と親しくなったとしても、こんなふうに語ってもらうことは決してできない。
放射能のために土地や家や稼業やそして家族と引き裂かれるということの、あまりの理不尽さ、悲しさ、憤りや、不安を、どう受け止め、耐え、乗り越えようとするのか。これは一人ひとり全く異なる、千差万別のことなのだ。自分一人の問題だから言っても判ってはもらえない、と本人が抱え込んで苦しんでいたことが、ここでは相当語られている気がする。
日本はどういう国だって思われました? との質問に対して、37歳の介護士の方が、「騙されたっていうか、もう信用ならない。ペロッと剥がれたというか。(略)日本の国を一人の親に例えると『私は愛されてなかったのね』というところですね」と答えている。また、二本松で避難してきた人たちを預かった旅館の女将が、「うちにいた子どもたち、これからPTSDを発症するかもしれない。若い女の子が『お母さん、私は子供が産めない体なんだよね』『結婚できないんだよね』などと言う。この先、福島が差別の対象になってしまう怖さがある。そんなこと、絶対に許されない」。
ヒロシマでの差別の話を思い出させる。でも、ここに登場する25人は、福島県が実に好きなようで、「ふるさと」を持たない身としては羨望すら感じる。海に山に実りが豊かで、美しい国であるらしい。著者印税は全額、相馬市震災孤児等支援金などに寄付されると、版元のメモが巻末にある。図書館に拠らず、書店でお買い求めていただきたい。
(凉)
反「改憲」運動通信 第8期7号(2012年9月5日発行、通巻175号)
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