2012年12月13日木曜日

放射線防護専門誌「放射線テレックス」12月号


放射線防護専門誌「放射線テレックス」12月号


先日おすと えいゆ氏による「市民測定のすすめ」を掲載したが、ここに放射線防護専門誌である「放射線テレックス」のことが記述されている。チェルノブイリ事故後、子供たちを守るため西ドイツではたくさんの市民グループが独自に市民測定を始めた。その中で、測定活動を行い、食品の測定結果を公表するだけでなく、放射線防護に関する専門的な情報も提供する専門誌として「放射線テレックス」が生まれたが、それは現在でも定期的に発行され続けている。発行人であるトーマス・デアゼー氏は、福島事故後すぐに、日本でも市民が食品の放射能汚染を測定すべきだと、日本の原子力資料情報室などに呼びかけ、測定器購入の資金をドイツでも集めたいと提案し、国や公的機関に頼らぬ市民の測定の重要性を説いてきた。去年の6月から日本でも市民放射能測定所CRMSが設立され、その数はどんどん増えてきた。この11月に、このトーマスさんたちが日本を訪れ、各地をまわってあらゆる市民測定所などと交流してきた。その日本での体験記をまとめたものが、今回の「放射線テレックス」に掲載され、読む機会を得たので、ぜひそれを翻訳したいと思った。
放射線テレックスはかなり長く、A4版で2段組、20ページもある。その中で、まずそのトーマスさんたちの日本体験記を訳した。追って、日本各地の汚染ごみ焼却の問題、それから早期新生児(出生後7日未満)の死亡率が福島事故後に増加していることに関する統計的な立証分析結果などを翻訳していくつもりだ。また、日本ではあまり知られることのなかった、日本のプリピャチともいえる双葉町の町長井戸川克隆氏が国連人権委員会でこの11月に呼びかけを行ったときの彼の演説内容が全部翻訳されて掲載されている。これに関しては、その呼びかけの動画、また文字起こしが読めるサイトを見つけたので、そのリンクを載せる。(ゆう)

放射線テレックス(放射能、放射線と健康に関する独立した情報サービス)
2012年12月6日発行(622-623号) www.strahlentelex.de

フクシマその後
Durchhalteparolen und falsche Strahlenmessungen

「がんばれ」スローガンに偽りの放射線測定
福島第一原発事故から1年半経った日本での印象
Annette Hack, Thomas Dersee著(アネッテ・ハック、トーマス・デアゼー)
本文のPDFファイルはこちら:http://www.strahlentelex.de/Stx_12_622-623_S01-09.pdf

日本の東北地方にある福島県を今訪れると、国際放射線防護委員会(ICRP)、国際原子力機関(IAEA)、経済協力開発機構(OECD)、国連(UNO)の高低さまざまな地位の人間に遭遇するのを避けることはできない。それに、あらゆる日本や海外の大学から学者がそれぞれ違った動機でこの地域に入っている。

2011年3月、大地震の結果、太平洋沿岸に建っている福島第一原発が制御できなくなり爆発した。これによりいわゆるメルトダウンが起こり、大量の放射性物質が撒き散らされた。

「今は事故を起こした原発周辺に住む400万人の人々の状態を心配する学者がたくさんいるが、それはその人たちを助けることにはならない、なぜならこの人たちが知りたいのは、どうやってこれから自分たちを守っていけばいいのか、だからである」。これは、2012年の「核のない未来賞」受賞者である医師、振津かつみ氏が2012年11月13日に福島市で「子供を守る会」の女性・母親たちを前に講演し、現在の状況を語った言葉だ。彼女は、フクシマではチェルノブイリの10倍の住民が被害を受けたと考えている。

状況は今でも不透明だ。1986年のチェルノブイリ原発事故と違い、福島第一の原子炉の状態はいまだに安定していない。それに加え、使用済み燃料を入れた巨大な燃料プールが事故で破壊された原子炉の上に、ダモクレスの剣のように宙吊りになっていて、次に大地震が起きれば崩壊するかもしれない、そうなればこれまでよりもっと最悪な事態が待っている、という危険性を持っている。この事故現場からは今でも放射能が環境に流出している。そしてこれは、地図でカラーに塗られた場所だけにあるのではなく、日本中にある。「今の日本でも、チェルノブイリのときと同じように行動する以外、手はありません」と振津氏は説明する。技術が進んだ今は当時のチェルノブイリよりもっといろいろなことが可能だと思っている日本人がたくさんいるが、それは間違いだ、ということを。土を削り取り洗浄する以外、なんにもできることはないのだ。そしてそれだって皆、自分たちでしたのです、そのために自衛隊が来て、やってくれたわけではないのです、と。

国際放射線防護委員会(ICRP)の催し:放射能と学校教育

元アレバ社、今はICRPにいるジャック・ロシャール指導の下、ICRPは2012年11月10日に伊達市の市役所で、学校教育における放射能をテーマに公開セミナーが催された。伊達市の西側は福島市に面している。伊達市に小国(おぐに)という町があるが、こののどかな田舎町に降り注いだフォールアウトの線量はきわめて高いものがあり、20キロ圏内の警戒地区のようだ。強制避難はされなかったが、小さい子供のいる親たちは別の町へ移っていった。そして子供たちが今またスクールバスで小国小学校へと通っている。子供たちは線量計を首からかけ、毎日外で30分運動することを許されている。彼らが外で運動している時は、線量計はロッカーに入っている、と報告を受けた。

市役所には学校の校長、文科省代表、大学教授、各種団体の役員、そしてヨーロッパ、カナダ、アメリカから来たICRPやOECDの原子力機関のメンバー、フランスの放射線防護原子力安全研究所(IRSN)から7人が現れた。どうやらフランスは日本の「過ち」から学習したいらしい。というのも、次の原子炉事故はヨーロッパ、それもことにフランスで起こるのではないかと怖れられているからだ。ドイツからはOECDのミヒャエル・ジーマンが来ていた。数十人の人が聴衆としてきていたが、講演者の数よりずっと少ない。

ある学校の女性の校長が報告するに、生徒の親たちと教師で自分の学校を除染したから、彼女の学校で線量を測定すれば、「ほんの数ミリシーベルトしかない」という。すると彼女の横に座っていた男性が彼女の耳元になにかを囁くのが見え、校長先生は照れくさそうに笑いながら間違いを訂正した。「もちろんマイクロシーベルトの間違いです。」

新福島農協の代表者が、測定結果を紹介した。130分間ゲルマニウム検出器で測定したが、「ほとんどなにも」見つからなかった、という。消費者は、ことに東京の人たちは福島産の製品を避けている、と彼は語る。彼らのトレードマークとも言える名前は大損害を蒙った、と。それに、2012年4月に1キロ当たりの基準値を100ベクレルに下げたが、これは農業にとってかなりの負担だ、という。

そのあとにはマーケティング専門家が出てきて、ツイッターを利用して小規模の店や最終消費者を「啓蒙」する方法を説明した。大きいデパートやスーパーは全然問題ないんです、と。

もうこれで十分、と私たちは会場から立ち去った。「福島産のおいしいりんごや柿を食べさせるため」ICRPの代表自ら、自分の家族を連れてきている横で、「ほんのわずかな」マイクロシーベルトやベクレルが長期にわたってどれだけの損傷をもたらすか、公職についている人たちや団体の役員たちにどうやって説明したものだろう?

似たようなプロパガンダの催しが、今度はIAEAの企画で郡山市で行われることになっている。市民運動家たちはすでに、反対運動を起こすため動員を始めている。


甲状腺スクリーニングプログラムの公の説明

2012年11月10日の午後には、甲状腺スクリーニングの責任者である、福島県立医科大学の鈴木眞一教授が、福島氏で記者と200人ほどのの市民たちの前で話をした。子供たちの間で甲状腺のしこりや嚢胞が劇的に増加していること、それから甲状腺がんが確認された患者第1号については、この放射線テレックスが2012年10月4日付の前号ですでに報告した。

講演会の司会者を相手に超音波による甲状腺スクリーニング検査を実践してみせた後で、鈴木教授は一部かなり興奮、または怒りを隠せないでいる聴衆をなだめようとした。

福島県に住んでいる子供を持つ親たちが、自分たちの子供を単に医学研究の材料として扱われることに拒否感を抱いていることがここで明らかになった。甲状腺検査の結果は充分に説明されていない、もっと集会を開いて、同じような立場にいる人たちが意見を交換できる場所を作るべきだ、との声が客席から上がった。データばかりで異常が発見された人間に対してはなんら関心がないとしか思えぬ、そしてこれらの所見の原因についてはちっとも問われていない、と聴衆は訴えた。

鈴木教授はそれに対し、被爆に関する「政治的議論」は一切しないつもりだ。彼は甲状腺専門家であって、放射線専門家ではない、というのだ。すると、この前の同様の説明会では、放射線専門家の意見を聞くと約束したじゃないか、と誰かが言い返した。鈴木教授は、専門家二人が一緒になれる日程が見つからず、だから今日は彼一人なのだ、放射能の質問に関しては彼は答えられない、と答える。「しかし日本人の甲状腺は原則的に充分にヨウ素が足りている。機能障害や甲状腺の病気が増加したかについては、自分には確認できない、なぜなら自分はフクシマの事故の情勢に関してはなにもわからないからだ」といい、それからこう付け加えた。「チェルノブイリの甲状腺がんの原因が放射能かどうかについてもはっきりわかっていないではないか」。

聴衆の一人が「放射能のせいではない、という前提ばかりがいつもあるが、それはいったい何という学問か」と苦情を言うと、鈴木氏は、自分は今の時点でわかっていることしか報告できないのであり、放射能の影響は確定できない、それを検査する方法はないのだ、そして「放射能が原因でできた甲状腺がんと、他の原因でできた甲状腺がんを見分けることは私にはできません」と語った。

個人的にアドバイスを受けたい人には、鈴木氏は単にコールセンターに問い合わせるよう述べるに留まった。しかし、福島でも次第に甲状腺センターができ、ここで一人一人話をすることができるようになるだろう、しかし今のところ、今回の甲状腺診断には充分な小児甲状腺専門家がいない、今専門家を養成している最中で、2年後にはその人たちが対応できるようになるだろう、という。

ある母親が、福島に帰った子供たちしか診察されないというのは問題ではないか、という点に触れた。本来なら、国中の子供たちが診察を受けるべきではないのか、と。それに対し鈴木氏は、そのうちきっと体制が整うだろう、と約束した。

ある父親は、セカンドオピニオンに関する問題に触れた。政府のアドバイザーである山下俊一が医師たちに要請文書を出したので、彼の子供は追加検査を拒否されたのである。それに加え、自分の子供の診療データを手に入れるまで、苦労したという。2度目の検査後には、データを渡すのを拒まれたそうだ。別の場所でしてもらうことのできた3度目の検査でやっと、データがもらえたという。

また、福島事故後の甲状腺総線量はチェルノブイリと比較してわずかであったという鈴木氏のコメントに対し、「そんなものはまだ全然調査していないではないか」という指摘が聴衆者から出た。事故後、甲状腺総線量は単に局部線量計で出したに過ぎない、ちゃんとした測定ができないのに、なぜチェルノブイリよりずっと少ないなどと言えるのだ? という意見だった。

ある農家の女性はこう苦情を漏らした。「皆、もう長く生きられないのに、どうして検診料を自分たちで払わなければいけないんですか? 私はあの時山下の安心させるような発言を素直に聞いて、一日中高線量の畑で働いていたんです、野外で働いている原発労働者と同じように」。福島県は、農民の検診は必要ないと判断している、と鈴木氏は答えると、伊達の農家の男性が怒りをあらわに発言した。「我々は、自分たちがどれだけ被爆したかも、これからどうなるかもわからないのに、県の行政官庁はただ宥めようとばかりしている、しかしこのままでいるわけにはいかない」と。

国際放射線防護委員会(ICRP)に対抗するものとしての市民会議

福島市民の協議団体であるふくしま会議が2012年11月9日から11日まで、ICRPに対抗する会議を開いたが、たくさん人が集まり、とても活気溢れるものだった7つのワークグループの代表者がそれぞれ11月11日のプレナリーセッションで自分たちの協議結果を紹介した。

例えば、東京から太平洋沿岸の南相馬に引っ越してきてそこの病院で働いているある精神科医は、不安と医者に対する不信感が非常に高まっているという報告をした。おそらく10年経ってからでないと、どのような保護対策なら効果があり、どれが効き目がなかったか、ということはわからないのだろう、そして検査データが被検者の手元に残るようにしていかなくてはいけない、と彼は語る。そして、この会議は、どうやって皆でこの支配的な不安感を克服していけるか、といういい例なのだ、彼自身は将来、自助グループをつくってそれをサポートしていきたいと考えている、と話した。さらに、南相馬の市民グループたちは自らのイニシアティブで健康調査を行うことを考えているそうだ。

ドイツから訪れているオブザーバーとしては、このような不安感をどう評価すべきかと問わずにはいられない。なんといったって、この不安感は、実際に存在している実に不確かで不安な状況が主な原因となって生まれてきているのだから。

ある医師も言葉を添え、データは検査を受けたものの手元に残るべきであり、全身測定や甲状腺検査のデータを決して渡してはならない、でないと誰にどう使用されれるか分かったものではない、と語った。

ある人は、スポンサーシップを組織し、ネットワークを作り上げて、子供たちがせめて一時的にでも、またはできるなら1学年分でも福島から疎開できるようにしたい、と話した。それに対し、それより福島でも子供たちが安心して住めるような条件を作り出すべき(そして作り出せるはず?)だという人もあった。

福島大学に再生可能エネルギー研究所ができた、という報告もあった。当大学では再生エネルギーに関する意識を高めようと努力しているが、まだあまり成功していない、という。例えば会津などの辺鄙な場所では、原発があっても冬になると停電することがあるのにもかかわらず、いまだに原子力エネルギーは不可欠だと思っている人が多いのだ、と。この前の夏はデンマークから専門家が訪れて、子供たちと一緒に風車を建てたという。それで、子供たちの親も、風力でエネルギーを作ることができると納得したのだそうだ。

それから司会者が、自分が子供時代に受けたエネルギー教育について語った。子供の頃、彼は学校で原発の絵を描き、それでとても褒められたそうだ。それで、彼はもう1基原発の絵を描いたという。今では彼は分散型エネルギー供給賛成派で、ドイツの電力供給会社シェーナウ(訳注:チェルノブイリ後、市民グループが自ら作った電力会社)のことを会場で話した。

再生可能なエネルギーに真剣に取り組んでいるチェルノブイリの援助グループの紹介もあった。このグループは233人からなるネットワークで、たとえば新しい原発建設の計画などの話が出ると、活発に行動を起こすのだそうだ。福島だけでなく北日本全体で別の発電のあり方に対する意識が変わりかけているようだ、と司会者が語る。南相馬では畑はもう使い物にならないが、再生可能エネルギー発電ならできるので、ことに女性たちがそのために奮闘しているという話だ。

若者たちのグループが、この会議は全国の支援を受けて行われた前回の会議と比べると、明らかに小規模だ、だからこれからは小さな歩みでアクティブになり、誰かの助けを待っているのはやめよう、と結んだ。

官庁のモニタリングプログラムと不正操作された測定結果

福島市の駅の後ろの広場に足を踏み入れると、ジャック・ロシャールを始め、ICRPのセミナーの参加者が宿泊していたリッチモンドホテルの横に、公的機関の空間放射線量測定器モニタリングポストが立っている。これは太陽電池で動いているので、その下に設けられているディスプレイは日中しか光らない。2012年11月9日にはこの数値が15時頃、0.284マイクロシーベルト/時を示した。我々の独自の測定では、すぐその近辺で、0.45、0.58、0.64マイクロシーベルトだった[1]


比較しよう。福島原発事故前、日本の文科省は空間放射線量として毎時0.04と0.05マイクロシーベルトの間の値を記していた。ドイツでの通常値の半分に過ぎないが、これは、日本の土壌にはドイツよりわずかにしか自然ウランが含まれていないからである。私たちは今回日本中を回ったが、どこに行ってもこのような値はどこにでもなかったことが表1で見ていただける。

保険局に勤める人が後で教えてくれたところによれば、2011年5月には、福島市の駅前では1.811マイクロシーベルトが計測され、これまでで一番高かった計測値は24マイクロシーベルトだったということだ。

福島県だけでも、今やこのような計測器が線量モニタリングと市民への情報の目的で1000台も立っている。しかし、どれも表示している値がことごとく小さいようだ。南相馬にある市民放射能測定所(CRMS)のグループがこのような計測器を200台システマチックに検査したところ、この計測器の多くが、実際の値の3分の1から3分の3くらいしか表示しないことがわかった。我々も無作為に計測してみたが、それを裏付けている(表3)。計測器の設置場所はことにしっかり清掃されているか、検出器の下に金属プレートが取り付けられていることを、南相馬の市民放射能測定所のメンバーが突き止めた[2]


表1 2012年秋の日本における空間線量測定



これに関して、国民の間では次のような噂が飛び回っている。あるアメリカの企業が最初の測定器設置を委託された。ところが日本の環境省は、表示された数値があまりに高かったので、なんとかならないかと書面で苦情を送った。そのアメリカの会社はでも、計測器は計測するためにあるのだから、とその頼みを拒否したので、今度は、環境省の要望に対して理解を示す日本の会社が受注した、というのだ。

京都大学の原子力工学助教、今中哲司氏(訳注:原文では京都大学物理学教授、と書いてあるが、訂正した)は、2012年11月18日の夜に福島市で行われた講演会で聴衆から似たような質問を受け、それに答えて、モニタリングポストははっきり言って間違った数値を出している、と語っている。それから、ICRPがしているように、ガンによる死亡者数を数えることだけが大切なのではない、チェルノブイリでは、年間放射線が1ミリシーベルト(約毎時0.114マイクロシーベルト)を超えないところもあるのに、それ以外の病気がたくさんある、これらの値を使って、どれだけ放射線による被害者を受け入れることになるのかという議論を避けようとしているのに過ぎない、と彼は話す。

のどかな地方である飯舘村の住民たちも、公的機関が立てたモニタリングポストを規則的にチェックしており、値が20%は低すぎる、と言っている。水俣病のときのように、病気の原因となるには値が低すぎた、と20年後にいわれないように、自分たちで測定する、と彼らは話している。まだ線量が高い飯舘村の住民の一部は、原子炉事故6週間後にやっと、そして今中氏を中心とするグループが測定をしてからやっと避難となった(放射線テレックス2012年8月2日号614-615、2~3ページを参照)。日本の国家は現在、責任を最下位の行政レベルになすりつけようとしている、とのことだ。

これが意味するのは、モニタリングをもとにこれまで作成され公開されてきた放射線量マップは、実際の状況ではなくて不正に手を加えたものである、ということだ。

市民の手による独立した測定所

だからこそ必要性が増すのが、市民放射能測定所(CRMS)のような独立した市民測定所の活動だ。日本中で今は約100箇所にある。そのほとんどにはヨウ化ナトリウム検出器が備えられている。CRMSが福島と東京に設置している測定所のいくつかでは、セシウム134と137をはっきり分別できるゲルマニウム検出器で測定を行っている。この検出器が測定を始めてから初めて、セシウム134とセシウム137の比率が最初のフォールアウトでどこでも1対1であったわけではなく、セシウム134の方が食品にずっと多く取り込まれていることがあることが、一般に知られるようになった。ヨウ化ナトリウム検出器の測定限界がわかったので、今では横浜の市民測定所でも、ゲルマニウム検出器を購入することを考えている。

測定所の中には特定の専門分野をつくったところもある。たとえばいわきのCRMSでは主に給食を測定している。田村では測定所をつくるために借金をした。2011年にはここで、主に米が測定された。しかし、農協も同じく測定を始めたため、農家は米をもうCRMSの測定所に持ち込まなくなった。米を測定しても今では、2011年ほど高い放射性セシウムの値が出なくなった。キロ当たり20ベクレルかそれ以下だ。しかしこれは、飯舘村に面している小国などの一定の場所での稲作が政府により禁じられ、田んぼが作付けされなくなったからだけだ。ここで作られた米は去年、基準値とされているキロ当たり500ベクレルを超えることが多かった。小国からはすでに、若手の住民たちは村から別の場所に移っていっている。年配の住民たちが現在測定所を運営し、もしかしたら数十年後に今の若者たちがまた帰ってくるかもしれないという希望から、それまで村を守るつもりだ。彼らはキノコを二度煮する。そうするとセシウムの値が10分の1に減るのだ、と彼らは語った。

二本松ではキロ当たり80ベクレルもの放射線セシウムを含んだ野菜が見つかった、とそこのCRMS測定所の運営者が報告している。これを受けて農民たちは、これらを汚染されていない野菜と混ぜて、キロ当たり20ベクレルにすることを考えたそうだ。しかし、これはブランドを監督しているエージェンシーが許可しなかった、という。

東京の世田谷では消費者向けの対応をして活動し、東京で売られる福島産の商品を測定している。南相馬の南で採れた野性のキノコで、キロ当たり最高1万5000ベクレルものセシウム全放射能値が見つかった。そこのすぐそばには立ち入り禁止区域があり、そこの空間線量は1時間当たり40から50マイクロシーベルトだ。果物の柿には約80ベクレル(キロ当たり)あるということである。

福島市のCRMS測定所では、食品を自分で買って測定するというプロジェクトを始めた。ある若い母親がほしい物を探し、買い物をしていた。

福島県外の市民の手による測定所は、福島から疎開してきた子供づれの親たちの出会いの場所となっていることが多い。京都や札幌にある測定所も、こうした親たちのイニシアティブで生まれたものだ。

北海道の道庁所在地札幌市は、福島から疎開してきた人たちによる、線量の多い場所から子供たちを札幌、または北海道に招待して、心身を休め、思い切り外で遊んでもらおうというイニシアティブを後援している。このプログラムにはしかしたくさんの寄付が必要で、そのための銀行口座もドイツで開設された[3]。このプログラムをできるだけたくさんの人に知ってもらうために、札幌市のホームページにドイツ語版のサイト「福島の子供たちを守りたい」が映画つき情報で新設された[4]

どの測定所も、食品測定はガンマ線スペクトロメーターだけで行っている。ベータ線だけのストロンチウム90の測定所が市民の手でもできるかどうかは、まだわからないが、できることが望まれる。というのも、これで測定を始めれば、国自体も食品のストロンチウム測定を公開せざるを得なくなるからである。ドイツでは、チェルノブイリ事故の後、市民のイニシアティブでストロンチウム測定を自ら行うことには成功しなかった。ともかく、これまでこの測定をわずかしか実行せず、また測定結果をわずかしか公開しなかったことは日本の官庁の重大な欠陥といえる。


表2 空間線量の個別測定



観光客と住民

我々の6週間にわたる、広島から青森までの本州、なかでも関西地方、岐阜、福島県、それから四国、北海道をまたがる横断旅行で、空間線量を測ったものを表1に記録した。ここに書いてある24時間ある1日の平均値は、持参した空間線量計で24時間に渡り5分ごと測定し保存した値を算術平均したものだ。これから6週間の旅行での全放射線被爆量を計算すると、227マイクロシーベルトとなる。飛行機の往復がすでに、82マイクロシーベルト、あるいは36%分に当たる。0.1マイクロシーベルトのドイツでの滞在に比べ、これは126マイクロシーベルト、または125%の増加となるが、ここには飛行機の往復分合計80マイクロシーベルト(82μSv 〜 0.1μSv × 22時間)または63%が入っている。0.04~0.05マイクロシーベルトであった原発事故前の日本での滞在と比べ、負担は147マイクロシーベルト、または184%増加したということになる[5]

これらの線量評価で注意すべきは、日本では現在、どのホテルも西洋式、つまり高いビルで建てられていることだ。夜、ビルの上の方の階に宿泊するということは、ツーリストにとってほぼ毎時0.1マイクロシーベルトの値が軽減されることを意味する(福島市のリッチモンドホテルの6階で)。これだと一日の平均がぐっと減る。屋外、伝統的な1階や2階建ての家、道路などを走っているときの被爆量はずっと高くなることがあり(表2と3を参照)、これが一般の市民の被爆量に相当する。さらに注意すべきは、これらの値が外的な被爆量(外部被爆)であり、食品や呼吸を通じて体内に取り込まれる内側からの放射線同位体摂取ではないことだ。これらはそう簡単に評価できない。


表3 空間線量の測定比較



がんばれスローガンと偽りの情報

日本政府や官庁の政治は今のところ、「歯を食いしばってがんばれ」的なムードを広めることにある。日本語が読めれば、だが、ドイツから訪れた旅行者がいたるところで出会う壁や横断幕は、東ドイツの国づくりスローガンを思い出させる。「フクシマ、がんばれ」などの文字が花に飾られ福島市の駅前広場や不動産屋のショーウィンドーにあったりする。「私たちは全力で故郷福島を支援します」とか「笑顔・皆に好かれる福島」、「未来へ向かおう、福島は屈しない」などは福島県だけではなく、あらゆる場所の店のショーウィンドーに見られる。札幌には明治時代に札幌農学校演武場(訳注:原文では旧道庁とあるが間違いと思われるため私の独断で訂正)があった時計台がある。学校の生徒たちがここに集まり、この建物の絵を描いたのが展示されていたが、その1枚には、国家のスローガンがそのまま見えた:「がんばれ時計台!」

公式の20キロ圏内の立ち入り禁止区域以外の線量の高い地域から避難した住民たちは、不確定なことがたくさんあるにもかかわらず、故郷に帰るよう呼びかけられているらしい。そのために今、偽情報のキャンペーンが行われている。偽りの線量測定値もあるが、プレッシャーもある。立ち入り禁止区域と同じくらいのフォールアウトの線量がある地域から避難した住民たちが受け取ってきた月々の金銭的支援はこれまで10万円だったが、2013年4月からはもう支払われなくなる。だからたくさんの人たちは、線量の高い場所に帰り、研究材料の候補者となっていくより他に方法がないのだ。帰還すれば、お子さんたちは無料で検診を受けられるのです、と心配する母親たちに話して聞かせるのである。

さらに解決していないのは、離れ離れになった家族の問題だ。これは京都から札幌まで、福島県内外で第一の問題である。父親たちは仕事のために、または大きい子供たちや子供をもつ母親の兄弟が故郷に残り、どこにも行きたがらない年老いた両親の世話をしている。伝統的に、年老いた世代の面倒を見ることが求められている母親たちは小さい子供を連れて避難し、伝統的な役割ができなくなっている。京都など福島からの避難者たちに無料で住まいを提供する町もいくつかあるが、3年に限られている。

除染の試み

日本のすばらしい風景、ことに福島県の森の見事な秋の紅葉を見ると、まったく事故を起こした福島第一の原子炉から外気に出された放射能性物質の目に見えない危険のことなど忘れたくなる。しかし土が詰められたプラスチックの袋が山積みになってうるのも、よく見かける風景だ。これは、いわゆる「除染作業」が残したものである。公園、学校の校庭、人々がよく集まる寺や公共の場所などの周辺から表面の土を削り取り、空間線量を低くしようとしているのだ。しかしこれは不完全にしかできないし、ある一定の期間しかもたない。なぜならその背景には畑や森や山があり、そこは変わらず放射線を出す物質に汚れていて、風向きや天気によってまたその周辺に飛ばされるからである。「除染など不可能です、放射能をどこかに移動させるだけなのです」と京都大学の今中氏は語る。しかも空間線量というのは、地面の汚染だけと相関関係にあるわけではない。標準には、地面から1メートルの高さのところで測定した空間線量は、もっと広い周辺との別の状況次第でも変わる。従って除染は本当は不可能なのだと、広島大学の原爆放射線医科学研究所の大瀧教授夫妻も、2012年11月18日に福島市での講演会で語っていた。彼らはこうした調査を休みの日に行っているのだと強調していた。

例を挙げよう。東京の世田谷区は「除染」を行った会津の川場に林間学校の寮を持っている。心配した生徒の親たちの依頼で、東京のCRMSは2012年9月8日に除染を調査した。結果はこうだ。土壌の表層5cmを剥ぎ取って新しくした後の地面線量は次のとおり。
  セシウム134:4.88±0.64Bq/kg
  セシウム137:5.68±0.86Bq/kg
 除染された場所のすぐ傍にある落葉:
  セシウム134:3546±172Bq/kg
  セシウム137:5459±221Bq/kg

焚き火

福島県庁の「これまでどおりに生活しよう」という軽率な市民への勧告は危険な結果を招きつつある。放射性降下物で汚染された畑からはよく煙が立ち昇るのを見かける。農民たちは畑の有機物のゴミや稲などを、堆肥にする代わりに伝統的な方法で焚き火で燃やしているのだ。これにより付着していた放射性物質がまた放出され、舞い上がり、空気で分散されてそれを息で吸い込むことになる。この習慣に反対するイニシアティブもないわけではない。しかし役所が何もせず放っておくので、市民のイニシアティブには農家の人たちにこれの危険性を気づかせるための啓蒙運動をかなりしなくてはならない。

福島のプリピャチである双葉町

立ち入り禁止区域から避難した人たちの問題も、いまだ解決されていない。埼玉県にある旧埼玉県立騎西高等学校校舎には今でも、始め双葉町から避難してきた1400人のうちまだ約200人が住んでいる。事故を起こした福島第一の原子炉から遠くない双葉町の状況は、チェルノブイリのプリピャチに相当する。双葉町の町長井戸川克隆氏は町こそ失ったものの、今でもここの住民たちの利害代表者であり弁護士でもある。私たちが2012年11月6日にこの埼玉の、もと学校校舎にある彼の事務所に迎えられたのは、彼がジュネーブからちょうど帰ってきた後だった。彼はジュネーブの国連人権理事会で、今の問題について報告を行ってきたのである。2011年にベルリンの映画祭で彼や双葉町と、避難を余儀なくされた住民たちについてのドキュメンタリー映画を見て覚えている人もいるだろう。彼がジュネーブで読み上げた講演の原稿を、この放射線テレックスに掲載する許可を得たのでお読みいただきたい(訳注:この翻訳の最後に日本語版の読めるリンクを掲載)。そうこうするうち国連は特別報告者として、弁護士のアナンド・グローバー氏を「達成可能な最高水準の心身の健康を享受する権利」を調査するべく日本、それも福島県に派遣した。2013年春に彼は報告書を提出するつもりだと、福島市のCRMS測定所に2012年11月18日に30分訪れた際、彼は語った。

山下の件

福島県は福島第一で原子炉事故が起きてから、住民たちに健康調査を実施することを決めた。そのために設けられた県民健康管理調査検討委員会は、一般公開の会議の前に「秘密会議」を行っている。この準備会議で委員会メンバーの調査結果に対する意見を「比較」し、「共同の見解」と公開会議でのシナリオをつくり上げていたということが、2012年10月3日付毎日新聞で報道された。

福島県は、この記事報告によれば、この準備会議は「委員会における混乱」を防ぎ、住民たちの心配をなくすために必要だったと説明している。毎日新聞記者の非難を受け、県ではこうした会議が適切でなかったと認め、今後はこのような秘密会議は行わないと表明した[6]

福島大学医学部の副学長であり同県の原子炉事故後のあらゆる調査研究を統率する山下俊一がこの委員会の会長だ。彼は今では日本の国民の間で、健康被害を顧みずに福島県の住民たちをできるだけ大人しく県内にとどめさせるために雇われている、実に怪しい人物として見られている。2012年11月18日の午前中、彼はまたもや健康管理調査検討委員会の公開会議に出席していた。この会議もしかし、これまでのと同じようにどうやらリハーサルされていたらしい。「予備会議」があったことが、後日認められている。真実味のない和やかな情景の中、山下はほとんど一言も語らず、委員会のメンバーがUの字になって席についている中、その正面の真ん中に特別席が設けられてかなり距離を置いて座っていた。まるで、会議の上空を漂っている感じだ。

まず、医科大学の報告者が、一般市民の外部被爆量はほぼ完全に(99%)実質的線量は1ミリシーベルト以下だったと主張した。ただし避難者の被爆量を計算するのは問題が多い、なぜなら彼らは一箇所に留まらず、あちこちを動いているからだ、という。

別の者が、小児甲状腺がんを診断されたこれまで唯一のケースに関し、これは放射能から来てるかどうか評価をするのは難しい、と述べた。今はまだ何もいえない、というしかない、と語る。

この公開会議の最後の方で、委員会メンバーの二人の女性が質問をし、これからの調査プログラムやり方に関し提案をした。これに対しては決まり文句の回答があった。「検討してから決定します」と。

出席していたたくさんの記者や市民の代表者たちは、2時間も続くこれらの会議を、賞賛に値するほどの忍耐でじっと、大人しく聞いている。しかしとうとう聴衆の一人がかっとなって声を上げ、文句を言った。市民の不安や懸念を、委員会はなんとも思っていないのか、と。

すると、山下は無言のまま会場を去ってしまった。委員会のメンバーたちは驚いて立ち上がり、大声を出した者のことを無視して自分たちも足早に席を立った。記者やカメラマンたちの多くもそれでその場を去ったが、3台のカメラだけが残って、このシーンを撮り続けた。残ったわずかな人たちも、何も質問ができないことに腹を立てていた。

その後、委員会のメンバーのごく数人が、記者の質問には答えてもいい、と言った。鈴木教授は甲状腺がんに関する質問に対し、今はなにも言えない、なぜなら長野県では過去にも、放射線とは関係のない甲状腺がんが数件見つかっているからだ、と答えた。最後には山下もまた現れて席についた。

外部被爆は委員会の報告によれば少ないとのことだが、内部被爆のデータはあるのか、との質問に対し、世界保健機関(WHO)によれば福島の事故前は、1時間当たりの許容値が100マイクロシーベルトだったのに、福島の事故後には50マイクロシーベルトになっている、と山下が答える。しかしこのような線量を見積もるのは大変難しい、と。福島県のホームページでは、この発言が10ミリシーベルトに訂正された。これは、山下の誤りだった、という。2011年3月21日、22日には山下は、20マイクロシーベルトまでなら問題ないといっていた。当時福島市ではこれほどの空間線量があったのだ。

ある記者が、甲状腺がんを診断された子供はいったい何歳なのか、と聞くと、鈴木は子供の個人情報は保護すべきであり、まずは全体の調査結果を待たなければいけない、と答え、それがいつ終わる予定かを話した。そしてチェルノブイリの甲状腺がんは特別だった、たとえばリンパ系にとても速くまわるのだ、と言ってから、足早に会場を立ち去った。

聴衆者から次のような非難の声が上がった。「どうしてこのような調査に金をかけるのだ、誰がたくさん被爆をしたかわかったんだから、その人たちの面倒を見るべきだ」。それに対して山下は、広島と長崎のデータから100ミリシーベルト以下ではなにも確認されていない、と語った。

「この会議にも準備会議があったのでしょう。次の準備会議には私たちもぜひ出席させていただきたい」とあるジャーナリストが要請した。そして、この会議の議事録がインターネットに出されるかとの質問に対しては、いや、公開にふさわしい状態ではないからだめだ、という答えだった。その次の質問に対しては答えもなかった。「ここにはたくさん専門家がいるが、誰も彼も放射線との関係を否定する人ばかりだ。この委員会のメンバーはどのように選ばれたのか?」、それから「IAEAは今度は郡山で一般公開の会議を催すというが、この委員会も出席するのか?」これを山下が否定すると、「誰もそこに行かないのは変だが、ほかにIAEAへの結びつきがあるのか」と質問があると、今度こそ会議は無言のまま終了となった。目に付いたのは、大きな放送局と主要新聞社、そしていくつかの市民メディアが質問をしただけで、地方の新聞からは何も質問が出なかったことだ。

総括:日本の市民、ことに福島県の市民たちは福島の原子炉事故後、不安や苦しみを持ちながら、政府や役所から見捨てられているだけでなく、積極的に偽の情報キャンペーンで言いくるめられ、嘘をつかれ、騙されている。その目的は、チェルノブイリでわかっているような健康被害を一切顧みず、福島県の高線量の地域でも住民を住まわせたままにするためである。それはそこに住むたくさんの人間たちにもわかり、彼らは市民イニシアティブを組んでよりよい情報を集め、自分たちの運命を自分たちの手で掴もうと努力している。これには希望が持てるし、できる限りの支援をする価値があることだ。

感謝:私たちの日本での旅行中、どこに行っても大変快く迎えられ、暖かい手と友情を差し伸べてもらったことに、心より感謝する。

脚注:

  1. この報告書に記録されている独自の空間線量はどれも、GAMMA-SCOUT GmbH&Co.,KG社製の測定器で、別の表記がない限り、地面から必ず1メートルの間隔をおいて測定された。マンハイム専門大学の放射線防護・放射線化学研究所のキャリブレーション証明によれば、0.1~10μSv/hまでの空間線量測定範囲での基準測定器の逸脱は±5%である。
  2. この作業はインターネットで記録されている。 www.geocities.jp/ansinanzen_project/index.html
  3. 札幌市の寄付金送金のための口座番号:Deutsche Bank AG München, Kontonr. 2239358, BLZ 70070010 Stichwort: Kinder aus Fukushima
  4. 札幌市の振込口座情報を含むドイツ語によるインターネットサイト、そして映画「福島の子供たちを守りたい」は以下: www.city.sapporo.jp/shimin/support/kikin/fukushima-ger.html
  5. フランクフルトから大阪までは北ルート(シベリア経由)で飛んだ。行きの飛行は高度約10.6kmで10.5時間続き、線量は3.8~3.9μSv/hだった。帰りも同じく北ルートで、11.5時間かかり、ほとんど高度約10.36km、線量は3.2~3.3μSv/hだった。7.5時間目から1.5時間は高度が11.6kmで、線量は4.5μSv/h、9時間目から最後までは高度12.2kmで線量が4.7~5.2μSv/hだった。これで、帰りの飛行全体における線量は約42μSvとなる。
  6. 福島県県民健康管理調査検討委員会は2012年5月に招集されている。この委員会の委員長は悪名高き山下俊一教授である。19名のメンバーが含むこの委員会の下に、広島大学の放射線医療専門の医師、福島医科大学の教授、オブザーバーとして担当の役人が名を並べている。彼らの任務は、福島県の依頼で福島医科大学が行う健康診断に関し、専門的なアドバイスを行うこと、となっている。この委員会はこれまでに8回会議を設け、最初の1回を除き一般公開されていて議事録も航海されているということである。関係者の一人によれば、この委員会の管理者のような資格を持つ福島県の保健福祉部から、会議の1週間前から直前に非公開の準備会議が招集されている、ということを毎日新聞が報告している。それによれば、委員会のメンバーは秘密の場所で会議を行い、その資料は会議後にまた回収されているということである。この会議の存在に関しては秘密にされてきたという。/2012年9月11日、福島県の設備で行われた県民健康管理調査検討委員会の8度目の一般公開の会議の直前にも、県庁舎で秘密の準備会議が行われたという。ここでは小児の甲状腺検査の異常な結果がテーマとなり、甲状腺がん発生第一号の小児が見つかったという。放射線テレックスでは先月号でこのことを詳しく報告した。この準備会議で、ガン発生と原子炉事故との間にはなんの因果関係も確認できないとする統一見解を申し合わせた(注1)。/一般公開された委員会の会議では案の定その申し合わせた芝居が演じられ、メンバーがわざと因果関係に関して問いただす質問をし、この調査の責任者である福島医科大学の代表者が、チェルノブイリ原発事故後、甲状腺がんの発生件数は事故から4年以上経って初めて増加したので、今発生したケースと福島原発事故には何の因果関係もない、という回答をしている。委員会のメンバーからは、これに関し、何の反論も出されなかった。/6月に行われた3度目の委員会会議の準備会議では、福島県からメンバーに対し、黙秘を通すよう命じられたという。/「毎日新聞」の記者に対し、福島県庁の保健福祉部の担当職員は、こうした準備会議があったことを認め、ここでは単に前もってメンバーの意見を聞き、会議が首尾よく実行できるようにしたかっただけだ、と述べた。この準備会議は確かに秘密会議であり、批判を反映してこれからは秘密の準備会議は行わない、と言っている/福島県の県民健康管理調査では、福島県の全県民に対し原子炉事故後、健康調査を行うというものである。調査は30年にわたり続行されるという。費用は国と東電により設立した基金でまかなうということである。(The Mainichi, 03.10.2012,  http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20121003ddm001040029000c.html


編集部による注記1:
1986年に起きたチェルノブイリ原子炉事故後、甲状腺がんはもちろんそれより前に発生し、ガン発生件数は激しく増加した。チェルノブイリ事故が起こる前の10年間では年間で一人か二人の小児にしか甲状腺がんは見られなかった。1~2年後、ウクライナでは年間で7~8人、ベラルーシでは4~5人の甲状腺がん発病が小児に見られるようになった。1986年から1994年の5年間の間にロシアで24件、ウクライナで208件、ベラルーシで333件の甲状腺がん発病が小児に見られ、大人ではベラルーシで2907人のケースが認められた。[以上、Edmund Lengfelder著、「Tschernobyl-Katastrophe:Karzinome und andere Krankheiten nehmen weiter zu」Inge Schmitz-Feuerhake, Edmund Lengfelder (Hrsg.): 100 Jahre Röntgen: Medizinische Strahlenbelastung – Bewertung des Risikos. Gesellschaft für Strahlenschutz, Proceedings, 2. Internationaler Kongreß Berlin 1995, ISBN 3-9805260-0-3.より抜粋]


2012年10月30日に国連人権理事会で双葉町の井戸川克隆町長が行った
「福島からの声」ビデオと書き起こし:
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2497.html

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