『福島原発事故と女たち──出会いをつなぐ』
近藤和子/大橋由香子編 梨の木舎刊 1600円+税
日本列島は火山国だし、海のなかに移動させられた島国で、 災害の起こる頻度が高い。そこで重要なのがその時々の記録 だ。災害の様相は毎度違う顔を見せるだろう。しかし学ぶ教 科書は記録しかない。だからこんどのような大災害のあとに は、たくさんの記録を残して欲しいものだ。似たようなもの がいくらあっても過ぎるということはないと思う。今は電脳 時代で、情報伝達にどれだけ威力を発揮したことか。しかし 時間の壁を突き抜けて後の人びとに届くのは案外書物ではな いかと思う。この書も貴重な証言集のひとつだ。
一人一人の体験を辿りながら、「自分だったら、この場合に どうしたろう」という問いを己に始終かけつづけた。逃げる のか、逃げないのか。子どものことをどう考えるのか。親を どうするのか。犬をどうするのか。どこに行けるのか。いつ までなのか……。際限なく答えの出ない疑問が湧く。そうし ているうちに、地震や津波はほんとに怖い、人の力や智慧では到底かなわない。だけどもっと怖いのは「原発事故」でこれは別格の災害だ。チェルノブイリ事故以外に、学ぶ教科書もない、目に見えない放射能に、期限もわからず追われるだけという事実にうちひしがれる思いがした。だから、辛くとも、答えがなくとも、一人一人の体験を書いておいてほしいと、重ねて思った。そして、それが逃げる教科書として役に立つのではなく、二度と同じことが起こらないようにするために、「原発 全廃炉」を実現しなければならないし、そのための教科書になってほしいと切実に願う。
読み進むと、編者の二人の文章が出てくる。大橋由香子さんの指摘の数々にはううん、と考えこまされて、マイッタ。普段は誤魔化してやりすごしている卑怯な自分の姿勢を、背 中からドンッと叩かれたように感じた。特に「障害者」という言葉の持つ暴力性。放射の影響で「障害」をもつ子どもがうまれたらどうしよう! 私はおヨメにゆけないの? 赤 ちゃんを産んではいけないの? 現在「障害者」と呼ばれている人は「ダメ」なの? ほんとに辛くて、何度も本から目を逸らして考えこんでしまった。
カギカッコつきの「オンナたち」が反原発で大きな行動をしていることは確かだ。そのことをフェミニズムの観点から見ると、いつのまにか、「オンナ」の役割みたいな括られ方が見えてくる。お母さんが子どもを守る役で逃げている。離婚が増えている。もうさまざまな問題が浮き上がってきて、自分が今まで曖昧にしてきたことに照明があてられてしまった。フクシマの事故が示したのは、「原発」の存在を許してはならない、だけでなく、自分の意識のご都合主義的な部分を許してはならないと教えられた。
一方で、近藤和子さんの「オンナたち」のパワーへの言及、過去の数値入りには励まされるものがある。みんなよくやってきているのだ。寒くなったけれど、やっぱりデモにでかけなくちゃ。
(凉)
反「改憲」運動通信 第8期13号(2012年12月5日発行、通巻181号)
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