カタストロフィーという言葉が日本語にも浸透したが、これは単に自然災害だけを指すのではない。自然にとっては、地震も火山の噴火も洪水も、程度は違えど繰り返し起こる出来事に過ぎないのだ。それが生命を脅かすカタストロフィーになるかどうかを決定するのは文化だ、ということを示す展覧会の記事を読み、なるほどと思うところがあったのでそれを訳すことにした。それにしても、フクシマ事故以来、絶え間なくカタストロフィーが起こっている気がする。確かに、自然の理に適わぬものを作り上げてしまい、災害が起きて大きなカタストロフィーに発展させてしまってから「想定外」などといって知らぬ顔をするのが日本の文化ということか。(ゆう)
2014年9月4日付けツァイト紙「自然はカタストロフィーなど知らない」
Andreas Frey報告
(Die Zeit: "Die Natur kennt keine Katastrophe" 04.09.2014 von Andreas Frey)
本文はこちら:http://www.zeit.de/2014/37/naturkatastrophen-erdbeben-vulkanausbruch-ausstellung
火山の爆発、地震、洪水が起こるたびに、人間はその原因や誰のせいなのかを探そうとする。しかしある展覧会があることを示した。まず文化が最初に、その破滅を定義する、ということを。
1816年は夏がなかった。それくらいにひどい天候だった。冷気、雨、そして空から落ちてくるのが雨でなければ、それは雪だった。7月の終わりだというのに南ドイツは白い雪に覆われた。穀物は実るかわりに茶色いどろんこに成り果て、飢饉が広がった。パン屋や農家が襲われたという報告も残っている。たくさんの人間がこの土地を離れてよそへ移り住んだ。
この悲劇の年は「夏のない年」として歴史に刻み込まれている。これは他に例を見ないカタストロフィーだった。なにが起こったのだろうか? ありとあらゆる流言がまかり通った。ことに目に付く軌跡と言えば、カスパー・ダーヴィッド・フリードリヒやウィリアム・ターナーがその絵画に残した、真紅に燃えた夕焼けの太陽の色だけだ。今ではその原因がわかっている。この「夏の来なかった年」は人間の歴史が始まって以来最大規模の、火山の噴火がもたらしたものだったのだ。インドネシアのスンバワ島にあるタンボラ山がこの前の年に自ら頭を宙に飛ばしてしまったのである。
平和な惑星などというのは、まったく的外れだ。一週間とも地球がその住民たちに暴虐を加えないことがあるだろうか。炎を吹き、地面を揺り動かし、ある土地の一面を水浸しにし、竜巻で吹き上げる。ここに暮らすのは、生命にかかわる危険な企みだ。人間の歴史とは、カタストロフィーの歴史と言い換えることができよう。自然は文化に絶えず挑戦してくる。この力比べは私たちになにをしようとしているのか? これに勝つことはできるのか?
その答えを探し求めて、マンハイムにたどり着いた。ライス・エンゲホルン博物館では、この日曜から人間の歴史で最大級の自然災害をテーマにした展覧会が見られる。ここでは自然災害がそれを招いた要因ごとに分かれて展示されている。アリストテレスの説に基づいた四大基本物質である - 火(火山)、地(地震)、水と空気(洪水、嵐)、そしてそれに人間という要素が加わる(気候変動)。これはタイムとリップでもある。そして世界をめぐる旅でもある。「アトランティスから今日まで。自然。大災害」という名のついた展示会だが、これは単なる体験型教材ではない。この展覧会が見せてくれるのは、ことに私たち自身についてなのだ。
たとえば私たちが絶えず原因を探そうとする、好奇心、というものがある。ただ単になにかが起きるだけではだめで、私たちはなぜ起こったかを知りたい。2世紀前の自然科学者たちはヨーロッパで起きた冷夏について、あらゆる説明を見つけようとした。森林の伐採が熱を奪ってしまったのだ、という人もあれば、その数年前に起きた数々の地震が誘引したのだ、という学者もいた。多くの人間にとっていかがわしいとしか思われなかった避雷針も、議論された。地球の中があまりに熱しすぎたために、自然の熱の流れが妨害されたのだろうか?
啓蒙が勝利をした後も、教会が飽くことなく続けた世界の説明は、長く地上にとどまった。教会はこの1816年の歴史的な異常気象を、人間の罪深い振る舞いに対する神の罰だと解釈した。そしてこの解釈を教会はいつものごとく、自分たちの利益のため、倫理的秩序を保つために利用した、とゲーストハハトのヘルムホルツ・センターの人類学者ヴェルナー・クラウス氏は語る。「自然災害は権力の空洞を生み出し、人間をトラウマ状態に陥れる。」そのことが、暴力的な破壊をイデオロギー的に悪用するのに最適な状態にするのだ、と。
スンバワ島では、そこで発生した権力の空洞を、まずは山の神が火山の噴火を起こさせたのだ、という説で埋めようとした。その後まもなく、イスラム教がこの神話的な説を追放することとなる。タンボラ王国の統治者たちが神の怒りを招いたのだ、と。
火山の噴火と大気の混濁や冷夏の因果関係を正しく科学的に解明する者はいなかった。それをするには世界のネットワークはまだ不十分だったからだ。異常気象の主な原因が火山の噴火であるということは、1883年にインドネシアのクラカタウの大噴火が起こるまで、人間は危険として認識していなかったのだ。またもや太陽が翳った。そして電報というものができたお陰で、世界のこちら側にいて向こう側でなにが起きているか、知ることができるようになったのだった。
火山の噴火は世界で初めての報道事件となったのである。大気に飛んだ亜硫酸ガスが地表の気温を下げる効果をもたらすことはしかし、23年前に起きたフィリピンのピナツボ噴火でやっと、科学的に証明されることになった。
今日では、どんな自然災害もメディアイベントだ。2010年にエイヤフィヤトラヨークトルが火山灰を吹き上げたときと同じように、アイスランドのバルダルブンガ火山がこれから巨大なガスを噴出すことになれば、我々はすぐさまライブで中継するだろう。破壊的な自然の力を、私たちは安全な距離から見物し、人々に同情し、「理解しがたいもの」を消化していくことだろう。マスコミは、我々が因果関係を認識し、カタストロフィーから学ぶ手助けをしてくれるだろう。メディアは記憶文化を構成している大きな要素だ。
「私たちは大災害を見る時には、かなり内面で対立しあう感情を持っているものです」と語るのは美術史家でこの展示会の主任を務める、ハイデルベルク大学のモニカ・ユネイヤ氏だ。「のぞき見趣味は常にあります。しかし、自然災害に魅せられることで、私たちは恐怖を克服するのです」。
今では地球は24時間絶えず観察され、測定されている。どんな変化でも記録される。私たちは「知識社会」に住んでいるといえる。ハリケーンがどうやって発生し、地球がなぜ振動するか、説明できるようになった。そして嵐のような自然現象は前もって予報でき、備えることができる。ただ、自然はまだ制御することはできない。でも、もしかしたら思っている以上にその野生さを「飼いならす」ことがもうすぐできるようになるかもしれない。この惑星の物質循環に人間が手を加えることが現実となってから久しいではないか。自然を制覇することができれば、もう自然災害を恐れる火必要はなくなる。
「人間とその文化を破壊する規模の、自然の例外的状況が発生して初めてそれが、カタストロフィーと呼ばれるのです」と語るのは、この展示会の発起人の一人である、ダルムシュタット技術大学の歴史家ゲリット・シェンク氏だ。この定義はかつてマックス・フリッシュが言ったことである。「自然はカタストロフィーなど知らない」と彼は書いている。文明から遠く離れた南極で巨大な氷河が崩れても、それは確かに圧倒的な力を持つ自然の力だが、カタストロフィーではない。
それを決定するのは、見方である。カタストロフィーとは、突然発生する、決定的に何かを変えてしまうような出来事として理解される、破滅的な結果をもたらす大きな不幸として。カタストロフィーはだから自然災害だけでなく、事故、戦争、またはテロ事件なども含まれる。語源はギリシャ語のカタストロフェだ。これは「突然訪れる激変」という意味だ。16世紀まではこの言葉は喜劇の転機を指す場合に使われていた。否定的な意味合いが生じたのは、後になってからだ。
自然科学のカタストロフィーに対する見方は現実的・実用的、その反応は技術的なものだ。自然科学に影響を受けた社会は、カタストロフィー・マネージメントを学習しようとする。自然の原因を説くことで、予防を可能にしようとする。北海の諺にこういうものがある。「堤防を作って備えない者は消滅するしかない」。予防するか、死ぬか。嵐や洪水から自らを守るために、人は防壁を築いた。教会の言うことをよく聴き、神だけを信頼していたら、現在ある海岸などとっくの昔に水の底に消え、人間もそれと共にいなくなっていたはずだ。去年12月に大きな嵐をもたらした低気圧クサーファーは、長年の堤防維持管理組合の仕事の成果がなければ、大昔にあった洪水による溺死事件と同じほどの破壊を招いていたことだろう。
私たちは、社会がどれだけ傷つきやすく、または酷使に耐えるか絶えず評価しなおす。自
然の暴力がカタストロフィーになるかどうか。そのために研究者たちは脆弱性と回復力(レジリエンス)という概念を作り出した。経済学者や政治家は逆に、自然災害を数字で表現する。EUでは、国の経済的損害が30億ユーロを越すか、少なくとも国内総生産の0.6%になればカタストロフィーであると、定義している。
自然災害の中でも地震は生命にとって最大の危険を意味している。そして一番不気味なものだ。何の前触れもなしに地震は足の下が揺れ始め、人間のもっとも原始的な恐怖を呼び起こす。地震は数秒しか続かないことがほとんどなのに、何年という年月にわたって一つの国を大きな危機に陥れることができる。これが文化全体にとってそれを乗り切ることができるかという試練になることが少なくない。カリフォルニアではもう数十年も前からビッグ・ワンが予測されている。二週間前に起きた力強い地震はただそれを思い出させる助けとなっただけである。地球の内側で地殻構造のひずみや力がそれ以上になにをもたらすことができるかは、この十年の間に世界は二度も見せつけられることとなった。2004年と2011年にアジアで起きた津波は両方とも、沿岸線を完全に破壊して何十万人という人間を殺した。日本ではそれに三重のカタストロフィーが重なった。地震、津波、メルトダウンだ。
文化的な捉え方はしかし、まったく異なる。私たちは今ではネットで、リモコン操作やマウスをクリックするだけでカタストロフィをそばに引き寄せることが可能だ。一緒に同情したり、援助したり、警告したり。しかし同時に、それらを無視することも可能である。
どの文化も、自然がもたらすものからそれぞれ異なった結論を引き出す。フクシマの原発カタストロフィがそれをよく表している。ドイツでは、世界の向こう側で起きたこの出来事が、この国の最大級のプロジェクトを招いた - エネルギー政策変換である。他のほとんどの国はしかし、これを性急に過ぎてヒステリックな決断だと思っている。
日本ではこの不幸を儒教的思想に基づいて理解した人が何人かいる。人間が混沌を作り出したところに、自然が秩序をもたらすと。日本の神話によれば、地下に住む大なまずが地震を引き起こすとされている。なまずは報復をする者、世界を新たに更生する者だとされているそうだ。この意味で作家であり政治家である石原慎太郎はこのカタストロフィを倫理的浄化とみなした。「この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と彼は語った。不幸をチャンスとみなす。次の日に石原慎太郎はこの発言を撤回した。
日本での三年前の震災と似た災害を体験したのは、1755年のリスボンの地震だ。これで大陸全体が揺れ、とてつもない被害を起こし、12メートルの高さの津波が引き起こされて、大西洋の反対側にあるマルティニークやバルバドスで甚大な被害を招いた。これはヨーロッパ中の宗教、芸術、哲学、文学、政治で激しい論争を呼んだ。
教会は罪のなすりあいを行った。カトリック教会ではただちに信者から贖罪を求めた。プロテスタントでも自然災害を神の罰とみなしたが、カトリック教会に対しての罰だとした。なんといっても、地震はカトリックの祝日である万聖節に起きたのだ。プロテスタント教会は、カトリック教会がその過剰な聖人信仰と異端審問で世界に災厄をもたらしたのだ、と非難した。マンハイムのシラーハウス所長であるリーゼロッテ・ホメリング氏がこの展示会に寄稿して書いているように、哲学者たちもこの災害の解釈について論争しあっている。ヴォルテールは、いろいろ不幸があろうとも、今現在世界で最良のところにすんでいるのだという、浸透していたライプニッツ派の説を批判した。少なくとも今やっと、神が罰と復讐をする神だということがわかったではないか、と。
罰を与える神という考えは今でも浸透している。米国の西部の農民たちは、旱魃とならないための祈りを推奨している。「Pray for Rain」という文句が彼らのポスターには書かれている。民俗学者のヴェルナー・クラウス氏は、現在の気候温暖化論争でも、宗教的な解釈のパターンをよく見る、と語る。2005年のハリケーン「カトリーナ」をニューオリンズの住民の無節操な品行振りに対する神の罰だということを言った人は少なくなかった。百年ぶりの洪水を、自然の報復とみなす、一般に行き渡った見方は、宗教的な罰という観念を現代の環境意識に当てはめた続きに過ぎない、とクラウス氏は語る。「我々の多くが気候の変化を、母なる大地、または地母神ガイアの安定状態を私たちが崩したことに対する結果だとみなしています」と。
この展示会のリーダーを務めたモニカ・ユネヤ氏も、同じように見ている。「解釈のパターンは今日までほとんど変化していません。償いと罪滅ぼしということになるのです。植樹をすれば、安心するのです。」現在の贖罪のバリエーションは、自転車に乗ることやオーガニックの牛肉を食べることだ。
自然はどうなったとしても大きな力であることには変りはない。自然がまた炎を吹き、地面を揺り動かし、土地を水浸しにするたびに、地球はそのことを永久に思い出し続けるだろう。しかし自然がカタストロフィとなるかどうかは、それは私たち次第だ。
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