2014年10月25日土曜日

ガンジーの毒入りの遺産

ツァイト紙2014年9月25日付
「ガンジーの毒入りの遺産」
アルンダティ・ロイとのインタビュー

私はこれまで、ガンジーの「名言」をいろいろなところで引用してきた。ガンディーは常に三猿の像を身に付け「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えていたそうで、御用学者や東電社員、政治家や役人がなにか話しているのを聞くたびに、それを思い出してきた。尊敬してやまない小出裕章氏もガンジーの下記の名言をよく引用している。

1. 理念なき政治 Politik ohne Grundsätze
2. 労働なき富  Reichtum ohne Arbeit
3. 良心なき快楽  Vergnügen ohne Gewissen
4. 人格なき知識 Wissen ohne Charakter
5. 道徳なき商業  Handeln ohne Moral
6. 人間性なき科学  Wissenschaft ohne Menschlichkeit
7. 献身なき崇拝  Religion ohne Opfer

しかし、私は実際ガンジーが自分で書いた文章をしっかり読んだこともなければ、話を聞いたこともないことに気づいた。こんなことではガンジーの文句を引用する資格は私にはないのだ。そのことを深く思い知らされたのが、この9月末にツァイト紙に載ったアルンダティ・ロイとのインタビュー記事である。これはヤバイ。ちゃんと自分で勉強して根拠のあることしか言ってはいけない、という根本的なことが、私にもできていなかったということか。あ~、これではいけない。というわけで、自分を戒めるためにもこのインタビューを訳した。
(ゆう)

Gandhis vergiftetes Erbe
「ガンジーの毒入りの遺産」
アルンダティ・ロイとのインタビュー


私たちの国は暴力の基盤の上にできている、とインドの作家、アルンダティ・ロイは語る。

ツァイト紙:マハトマ・ガンディーは20世紀で最も尊敬されている人物の一人といえます。イギリスの植民地支配に対するインドの平和主義的独立運動の指導者であり、マーティン・ルター・キングやネルソン・マンデラの模範であり、世界中の人々のアイドルです。ロイさん、あなたは先日、そのガンディーを鋭く批判するエッセイを発表されました。これは、どうしてですか?

アルンダティ・ロイ:ガンジーの遺産は偉大です。しかし、不幸にもこれはゆがめられてきたし、ましてや偽造までされてしまっています。今では実際の人物とはかけ離れてしまいました。私の意図は、もともとガンジーについて書くことではなく、ある本の再版にあたり、それを紹介するものとしてこの文章は、生まれたのでした。「カースト制度の廃止(Annihilation of Caste)」、という近代インドの重要な知識人の一人である、ビームラーオ・ラームジー・アンベードカルの書いた本です。アンベードカルはガンジーの強力な批判者でした。彼はガンジーに対し、知性的、政治的、倫理的な意味でとても挑戦的でした。彼はダリットの家庭に生まれたのです。

ツァイト紙:「不可触賎民」、カースト制度の最下層に属し、その上のカーストの人たちからまるでらい病患者であるかのような扱いを受けている人たちのことですね。

ロイ:「カースト制度の廃止」は、アンベードカルが実際には行わなかった演説のテキストです。これは1936年に出版されました。アンベードカルはこの中でヒンズー教を非難し、世界で最も野蛮で、卑属的な階級的社会制度であるヒンズー的カースト制度を攻撃しています。とても扇動的な文章です。これを書くちょっと前にアンベードカルは、自分はヒンズー教徒として生まれはしたが、ヒンズー教徒としては死ぬ気はない、と公に宣言しました。「カースト制度の廃止」は、なぜヒンズー教から離れなければいけないかということを説いたものなのです。ガンジーはこれに答えました。

ツァイト紙:そしてカースト制度を弁護したのですね。どの人間の職業も社会的地位も、生まれたときから決まっている、そういうシステムを、自分では逃れることのできない運命として定められている社会制度を。

ロイ:ええ、そうなのです。ガンジーがカースト制度や南アフリカの人種問題に対して持っていた考えを、私は追跡してみました。彼は1893年から20年間も南アフリカに住んでいたのです。インドに住んでいる私たちは皆、ガンジーがどのように政治的に目覚めたかという話を教え込まれて育っています。彼がピーターマリッツバーグで、白人専用の車両へ乗車することを拒否され、追い出されてしまった、という話です。でも、これは話半分でしかありません。

ツァイト紙:ではそのもう半分は?

ロイ:ガンジーは人種の隔離について怒ったわけではなかったのです。本当の話はこうです。彼がどうして白人専用の車両に座っていたかというと、彼は、上流階級出身の金持ちのインド人は、Kaffir と一緒の車両に座って旅をするべきではないと信じていたからです。彼は黒人のことをいつもKaffir(南アで黒人を表す蔑称)と呼んでいたのです。そのことを頭ではっきり認識するのは、ちょっとショックなことでした。自分の文章では、ガンジーが1893年から1946年までに書いた文章を引用するにとどめました。かなりショッキングな軽蔑さ加減で、彼はアフリカの黒人、インドの農奴、不可触賎民、労働者や女性のことを書いています。南アフリカで過ごした20年間のほとんどを、彼は白人政権との友好関係を得ようと努めることに費やし、イギリス人と「帝国主義的同胞愛」を望む、という宣言までしているのです。

ツァイト紙:それで、ガンジーはインドに帰ってくると、この考え方をインドに適用し、カースト制度の保護者となったというわけですか?

ロイ:もちろん、彼の人種に関する考えが、本当にカーストに関する考えの基本となっていたかということは簡単にはいえません。彼は、カーストの原理に支配された社会で生まれ育ってきていたわけですから。でも、彼の人種とカーストに対する考えは、際立って保守的です。彼は「時代の子だった」とすら言えないのです。というのは、彼と同世代の人たち、インド人であれ、他の国の人であれ、アンベードカルやジョティバ・プーレなど、ずっと進歩的な人たちもいたからです。ガンジーは本来、私が文句なしに惹きつけられる、という人物ではありませんでした。私は信心深さや純粋性を特別良しとしませんが、彼はそれに取り付かれていました。彼に善良な「変わり者」というレッテルを貼るのすら、難しいのです。それにはかなり、たちの悪いものが邪魔をしているからです。単に非暴力の抵抗、禁欲、山羊の乳、自ら紡いだ木綿、というレベルの問題ではないのです。

ツァイト紙:でもガンジーは不可触賎民や低い階級が社会からの除外されることや、権利を剥奪されていることなどに対し、鋭く批判していたのではないのですか?

ロイ:彼は政治的社会的カースト制度の問題点を、象徴的でトーテム的な不可触賎民問題に縮めてしまったのです。カースト制度の問題は、まず第一に土地、教育、公共的サービスなどの権利の問題です。不可触ということは、ダリットを弾圧している何重もの暴力的手段の一つです。彼らを洗脳し、彼が今後も今と同じようにあり続けるようにしているのです、安価な労働力のストックとして、制度を脅かすおそれのないものとして。ガンジーが主張したのはこうです:どのカーストもそれぞれの世襲の仕事に就くように、ただ、だからといってどのカーストもその他のカーストより高貴であるということはない、と。これで、侮辱されてもそれを喜んで受け入れるようにと、彼は求めたわけです。アンベードカルが1936年にカースト制度に対する論争を発表したとき、ガンジーは、便所で働く労働者のカーストが持つべき理想的性質についてエッセイを書きました。他の人間の排泄物を片付けるということは神々しい義務であり、彼らはこれをずっと続けて、決してその仕事で「利益を蓄えよう」などと思ってはいけない、と彼は信じていたのです。

ツァイト紙:それでも彼は、非暴力主義の画期的な保護者でした。

ロイ:肝心な点はこうです。ガンジーの非暴力主義は、持続的な、野蛮で極端な暴力の基盤の上にできていることです。というのも、それがカースト制度だからです。この制度は、暴力で脅迫したり、暴力を使ったりすることなく維持できるものではありません。今日ですら、現状を問題視するダリットは、儀式殺人で殺される危険にさらされています。2012年12月にデリーであるバスの中で若い女の子がおぞましくもグループ強姦をされて殺されたことに対し、大々的なデモが行われました。同じ年に、1500人のダリットの女性がカーストの高い男たちに強姦され、650人のダリットが殺されました。でもこれはほとんどニュースには流れません。

ツァイト紙:ガンジーは西洋的な現代のあり方に対する極端な批判者でもありました。これはあなたにも通じるものがあるのではないですか。あなたも、ダムや鉱山をつくるために環境を破壊し、夥しい数の人間を迫害するインドの近代化に対し批判しています。

ロイ:この観点ではガンジーは先見の明があり、地球がどんどん略奪されていくことを見抜いていました。ええ、彼が魅力的な人物であることは疑いがありません。私は自分のエッセイをぜひ、ベン・キングズレーに送りたいものです...

ツァイト紙:あなたのエッセイは、過去のことを扱っているだけではなく、現在のことも大きくテーマにしています。オブザーバーのほとんどは、少なくとも西洋では、今日、貧困や男女の不平等こそがインドの最大の問題とみなしています。ロイさんはでも、カースト問題が今でももっと重要だとお考えですか?

ロイ:インドのマスコミが選挙戦をどう分析しているか、よく見てみてください。まず有権者グループのこと、つまりさまざまなカーストがそれぞれの地域でどう選挙するか、ということを分析しています。カーストの現実が、現代のインドを動かしているエンジンです。でも、選挙が終われば、すべてはまた薄らいでしまいます。30年代から所属カーストによる公的な国民の分類はなくなりました。それで、カースト制度の偏見がもたらすひどい影響が、栄養失調や土地を持つことのできない人々、または極端な貧困などに関する統計に表れてこなくなりました。これらの数字が「カーストとは関係なく」なってしまうからです。インドの進歩的な知識人たちは、このテーマを回避しようとします。

ツァイト紙:人間としての平等を基本とし、それを政治的な形にしていこうとしている民主主義がインドでは、どうしてカースト制度を克服することができなかったのでしょうか?

ロイ:それは私たちの選挙権と関係があります。アンベードカルはこの分野で、彼が行ったことの中でも一番大きな戦いをしたといえます。彼は、政治的に強い力を得るために、ダリットが自分たちの代議士を選挙で選び、国会に送り出すべきだと主張したのです。1931年には当時の英国植民地政府はこの要求を受け入れました。ガンジーはそれに反対し、ハンガーストライキを始めたのです、死ぬまでストライキを続けてやる、と脅しながら。アンベードカルは最終的には譲歩せざるを得ませんでした。これは、私たちの歴史の中でも、かなり最悪の瞬間でした。

ツァイト紙:「あたかも誰かが薄暗い部屋に入り込んで窓を開けたような感じだ」と、アンベードカルの本を読んだときのご自分の経験を書いていらっしゃいますね。どうしてこれがあなたにとっては啓示だったのでしょうか? カースト制度の問題を、それまであまり意識していなかったのですか?

ロイ:私は南インドの、ケーララ州にある村で育ちました。私の小説「小さきものたちの神」はそこが舞台で、カースト制度の問題が中心を占めています。でも教育では、私たちの学校の教科書には、この問題は出てきません。この問題を掘り下げることは許されないのです。カースト制度は私たちの現実にある問題なのに、テーマにはならなかった、それこそ私が「見ないようにするプロジェクト」と呼んでいるもののせいです。そういうことがなかったかのようにしているのです。少しカーストの高い人たちはこう言うかもしれません、「カーストなんて信じない、カーストは私には存在しない」と。でもそれは、彼らがこのような現象に出会わなくてもいいような、あたかも自分たちが平等の人間であるかのように振る舞うことのできる、そういう特権のある環境を作り上げたからです。

ツァイト紙:ここ数年、あなたはことに政治的なエッセイ - 資本主義やインドの核装備、カシミール政策、インドの先住民アディヴァシに対する不公平な扱いなどに反対するエッセイ - を発表してきました。でも、カースト問題については書いてこられませんでしたが、それはなぜですか?

ロイ:私の書いたエッセイで、ダリットや今話に出たアディヴァシなどが出てこないものはほとんどありません。でも私の政治的な文章は、特に国家を問題にしています。しかし「カースト」というのは、社会と無関係ではない。これはとても複雑な問題なのです。階層社会の一番底辺にいる人たちの間にすら、さらに上下関係があります。これは抑圧ということに関していえば、素晴らしくよくできているシステムなのです。これは、どちらかといえば文学の主題といえるでしょう。

ツァイト紙:ジャーナリズムで長い間論評を続けてこられたわけですが、今また小説を書き始めたそうですね。知識人として公共の場で積んでこられた経験に、失望されていますか?

ロイ:私には「公共の場にいる知識人」というのが何なのかよくわかりませんし、私がはっきりとした役割を務めるべきかどうかもわかりません。私は失望はしていません。でも、多くのインド人と同じように、私は、目前に迫っているものに対し、とても憂慮しています。ヒンズー国粋主義と、大企業の資本主義とが結びつくことです。私自身のことを言えば、国家に対する批判は、直接、緊急に書かれた政治エッセイで行うのがいいと思っていました。でも、私の中には、ワイルドで、無責任に、非理性的になりたい部分があって、単に事実や数字だけで論議したくないところがあるのです。これは失望とは関係ありません。ただ、同じことを繰り返し言っているような気がしてならないのです。何か、別なことをする時期に来ているのだと思います。

ツァイト紙:書き始めた小説について、なにか話してくださいますか?

ロイ:私は今、いろいろなことから離れようとしています。これからなにが起こるかわからないし、どんな小説になるかも、わかりません。そのうち自然と見えてくるでしょう。

インタビュアー:Jan Ross

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