ドイツ人映画監督ドリス・ドリー(Doris Dörrie)が今、南相馬の仮設住宅地で映画を撮っているという記事を南ドイツ新聞で読んだ。私は彼女が2008年につくった「花見」という映画が大好きで、しかもそこに登場する舞踏家の女の子の名前が「ゆう」であることや、私のふるさと井の頭公園がでてくることで、「これは私のふるさと映画」と勝手に決めているのだが、そのドリス・ドリーがフクシマの映画を作っているというので、見るのが楽しみだ。(ゆう)
南ドイツ新聞2015年5月9日付
ドリス・ドリー監督がフクシマの立ち入り禁止地区で映画撮影
本文はこちら:http://www.sueddeutsche.de/kultur/doris-doerrie-film-strahlung-im-hintergrund-1.2470988
放射能を背景に映画撮影
ドリー監督がカメラを回す。今回のストーリーは福島の立ち入り禁止地区での物語りで、避難者たちがテーマだ。セットを訪ねてみた。
Christoph Neidhart報告
背が高く金髪な美人。別世界から来た若い女性が南相馬の仮設住宅地の近所でフラフープを腰で回している。上下に体を揺らしながら、指が春の空高くくるくると回る。この若いドイツ人を演じているロザリー・トーマスが、日焼けした二十数人の女性にプラスチックの輪でフラフープの回し方を教えているのだ。「それじゃ今度は、もっと勢いよく!」
マリーの背は、生徒の女性たちよりずっと高い。そしてその生徒たちと言えばきっとマリーのおばあさんくらいの歳だろう。背の低いおばちゃんたち、「おばちゃん」というのは日本語で、もう若くない女性に親しみを込めて呼ぶ言い方だ。ドイツ語と英語をごちゃ混ぜにして、マリーはフラフープの回し方を教える。この非常用仮設住宅に住み始めてじき四年になろうとしているこのおばちゃんたちは、一生懸命だ。プレハブでの日常に訪れた気晴らしに喜んでいる。でも、彼女たちに才能はないようだ。マリーはため息をつきながら日本語でお礼をいい、今日はもう終わり、と告げる。色とりどりの輪を集めながら、サトミとけんかになる。サトミというのは、やはりこの仮設住宅に避難してきている、この土地最後の芸者だ。
サトミを演じるのは63歳の桃井かおりだ。彼女は日本では有名な俳優で、フラフープはしなかったが、隠れて皆が練習するのを見ている。実は彼女は4本も同時に回すことができるので、マリーに馬鹿にするように演じて見せる。それから面と向かって「Bullshit」とののしるのだ。もうたくさんだ、というのである。
映画監督のドリス・ドリーはもう先週からこの仮設住宅地で新映画「Grüße aus Fukushima フクシマからの便り」の撮影を続けている。ここにいるおばちゃんたちは俳優でもなければ担ぎ出されたエキストラでもなく、本当にこの約170もの灰色のプレハブ住宅に住んでいる避難民たちだ。地震と津波で車で半時間位南に行ったところにある故郷の村小高は壊滅されてしまった。さらに、この村は警戒区域に指定されて立ち入り禁止になっている。
これまでの作品と同じように、ドリス・ドリーと数人の撮影チームは、実際の撮影舞台で日常が変わらずにそのまま続けられるように話を展開している。ドリス・ドリーのストーリーの背後でも話が一人歩きをする。それで俳優たちもカメラのハノ・レンツを含むクルーも皆、アドリブで対応することを余儀なくされる。皆が驚くことも稀ではない。「でも小さいチームだから、私たちはとてもフレキシブルよ」とドリーは言う。彼女は、自分はアメリカ人がやるようには撮影できない、と語る。ロザリー・トーマスは、それが私には合っているの、と答える。「私はここにいる人たちの顔を見て、調子を合わせ、あまり演技をしようとしなければいいの」と。
「Grüße aus Fukushima」ではこれまでのドリーの映画と違って、撮影する舞台とそこの住民たちの運命が話の前面に置かれている。12万5千人の人がいまだに原発事故からの避難者として仮設避難住宅で暮らしている。彼らは世界から忘れ去れている。東京では「まるで原発事故などなかったように」政府が動いている、とドリーは言う。警戒地区の一部は立ち入り禁止が解除になり、政府が住民たちをそこに戻そうとしているという。しかし、そこに戻った者は、住居がどんなに被害を受けていても、買い物をする店などの周囲のインフラ整備がまだなくても、国からの援助を失うことになる。だからこの仮設住宅からでられなくなっている人がほとんどなのだ。ここでの生活に皆がもうずいぶん慣れてきてしまっている。お年寄りの中には、もうこのプレハブ住宅を離れたくないと言っている人もいる。もう二度と、慣れた生活から引き離されるのはいやだというのだ。日本人の中でまだ誰もここで映画を撮ろうとした人がいないのが不思議で仕方がない、とドリーは語る。
避難所での生活が耐え切れずにすさんでいく人もいる。ことに年取った男性がそうだ。鬱病になり、自殺をする人もあり、酒に溺れたり、パチンコに通い詰めになったりする。それに引き換え女性は、踊りや編み物のグループを始めたり、なにか催し物を企画したりして持ちこたえようと努力する。
「災害のあった後で医療設備が整い、きれいな水が与えられ、世話を受けて仮設でも眠れる場所が出来たら、その次に必要なのは魂の救済です」と語るのはピエロのモシェ・コーエンだ。「そこから私たちの出番です」。「国境なきピエロ団」の創立メンバーの一人である彼がドリーの映画でピエロとしてこの仮設住宅村に登場する。「このごろでは救援組織からお呼びがかかることすらあります」。津波のあった年の夏、コーエンは北日本を何ヶ月も避難所から避難所と巡回した。ドリーの映画ではミュンヘンに住むミュージシャンのカマタナミさんと共演している。苦しみをくぐりぬけてきた家族一家が一緒に笑っているのを見るのが一番うれしい、とコーエンは語る。マリーもフラフープの授業で避難住民たちの気持ちをほぐそうとしている。
おばちゃんたちは喜んでいる。ドリス・ドリーは皆をじっと見守りながらもほとんど指示は与えず、かえっておばちゃんたちを元気づけようとしているようだ。彼女が演出しているのは仮設住宅での娯楽だけではない。映画の撮影事態が、ここでは大きな気晴らしだ。そういうものをこの仮設住宅村の住民たちは必要としている。彼らの多くは失業している。おばちゃんたちがことに感激しているのは、俳優の桃井かおりだ。おばちゃんたちはテレビで彼女を見ながら歳をとってきたと言っていい。その彼女が、数週間ずっと一緒にいてくれるのだ。しかし、おばちゃんたちはドリーがあるシーンを何度も何度も繰り返し、一つが終わると今度は別の角度から、と飽きずに何度もやるので面倒くさくなってきたようだ。いやいやしか協力しようとしなかったり、急に水がほしいと取りに行ったりする。フラフープなどとっくに出来るのに、それをなぜ映画で出来ないふりをしなきゃいけないのか、理解できないのだ。
映画では、マリーも避難民だ。失恋をした彼女は心の痛手にバイエルンからフクシマに逃げ、そこで本当に苦しんでいる人たちを助けようと決心する。自分の苦しみを相対化しようというわけだ。「でもたくさんの人がそうであるように、彼女も理論的にしか、つまりテレビなどでしか、自分が一体どんなことに足を踏み入れようとしているのかわかっていなかった。仮設住宅に行ってみたら、彼女はまったくお手上げだったのです」とドリス・ドリーが説明する。こうしたお手上げの状態は、撮影のクルーも半分味わったのです、と彼女は打ち明けてくれた。2011年3月の事故前は南相馬は、時間が止まってしまったような村落が散在する片田舎に過ぎなかった。この村の南部は、三つの原子炉がメルトスルーした福島第一から遠くない立ち入り禁止地区以内にあり、避難を余儀なくされた。避難命令が出なかった部分でもたくさんの住民が避難した。ことに子供のいる家族だ。南相馬はゴーストタウンになってしまったのだ。
ライフラインであるインフラストラクチャーはそれ以来また機能するようになり、緑の芝生にはまた新しいショッピングセンターが出来た。しかし、社会生活を実際に動かしていた細かく複雑なネットワークは、そう簡単に再生できるものではない。ドリーと撮影チームは道路の脇に急遽建てられた格安ホテルに寝泊りしている。食堂などは一切なく、あるのは飲み物の自動販売機だけだ。これでも、泊まる場所がみつかっただけ幸運だった方である。こうしたホテルに寝泊りするブルドーザーの運転手や土木作業員などはここでまだ何年も必要とされることだろう。
「Grüße aus Fukushima」が通常の映画撮影と違うことは、ここに来る途中ですでに明瞭だ。高速道路の脇にも表示板が立てられていて事故を起こした原発後部の放射線量を示している。この午前は0.2 ~ 5.6マイクロシーベルトだ。ドリーはドイツにいる専門家と、リスクについて十分検討したという。「どんな映画であろうと、健康を損なう危険を冒してまで作る価値はないから」。
この水曜日に撮影した別のシーンでは、欲求不満になっている元芸者のさとみがマリーの部屋のドアをノックしてきて、運転できるの、と聞いてくる。さとみは立ち入り禁止区域にある、自分の壊れた家を訪ねたいのだ。そして行ってみると、今度は仮設住宅には戻りたくない、という。こうして二人の女性が少しずつ近づきあう。そしてついにはさとみがマリーに、一緒に自分の家を修理するよう頼むまでの仲になるのだ。ここで二人は互いに多くのことを学ぶことになる、いわゆる「感情教育」だ、ことに自分に対して常に厳しかったさとみにとっては...「日本の映画にはよく師と弟子の話があるのですが」とドリーが言う。でも先生や師とその弟子はいつでも男だ、しかし私は女性を見せたかった、と彼女は続ける。ことに硬直化した男性優位の日本社会で実際に力を出しているのは、いつも女性なのだから、と。
「Grüße aus Fukushima」はドリーの「日本」映画三作目だ。1999年の「Erleuchtung garantiert」では二人のドイツ人が日本に行き禅寺で修行をしようと決心するのに、東京でその意思がどんどん砕かれていってしまう様子を描いた。外国人が日本に行ったときの困惑、どうしていいかわからない様をこんなにうまく描けるのは彼女だけだろう。そしてその外人たちもいつかまた、自分を取り戻していくのだ。2008年の「花見」では妻を亡くしたばかりのショーンガウ出身の公務員が、富士山のふもとで自分自身と和解していく姿を描いた。彼はそこで死ぬ準備までしていたのだ。両方とも、ドイツからの変な外人を日本人が助ける作品だ。日本はこうした外人を個人として受け止めないにもかかわらず、だ。自らが厳しい掟に縛られた混沌にうずもれているからかもしれない。
映画「Grüße aus Fukushima」は来年の春、公開が予定されているそうだ。他の二本の作品で頼りなげに放浪していた男たちよりはずっと足取り確かに東京を闊歩しそうなマリーは仮設住宅村に来て、一風変わった訪問者として誰からもその存在を意識されただけでなく、さとみを手伝うことにも成功する。これまでの映画で描かれてきた消極的な癒しというような、慰めをもたらす日本の力は、この三重の悲劇を通じて変化したのだろうか? ドリーはそうではないという。「フクシマはドイツが核エネルギーから足を洗う手伝いをしてくれた。しかし日本は何もなかったかのようにしている。冬はうちの中を24度に温め、夏は16度に冷やし、車のエンジンはかけっぱなし。ほとんどなにもあの事件から教訓を得なかった」と彼女は怒る。そして仮設住宅の避難民たちも忘れ去られている。そして彼女はこう言ってから口を閉ざした。「でも映画館は教育施設じゃないのよ」。
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