2014年10月10日金曜日

快感帯の廃止

快感帯の廃止
この文章は、実はフランクフルター・アルゲマイネ紙に、フクシマの事故があってからすぐ3月20日に掲載された。私は当時、茫然自失していたし、実際に気をとりなおしてあらゆるドイツからの情報を日本に向けて翻訳し始めるようになってからは、もっと具体的に訳さなければ、と思う記事や動画がたくさんあって、この記事はそのままになっていたのだが、先日この記事を読み直してみて、書かれてから3年以上経つこの文章の鋭い考察に、やはり心から同感するので、訳すことにした。このハラルド・ヴェルツァー氏は、すでにこのブログで何回か取り上げたが、私が今とても注目している人物の一人だ。(ゆう)

本文はこちら:
http://www.faz.net/aktuell/politik/energiepolitik/nach-fukushima-abschaffung-der-komfortzone-1610925.html
Frankfurter Allgemeine Zeitung(フランクフルター・アルゲマイネ新聞、2011年3月20日号)
Harald Welzer(ハラルド・ヴェルツァー)

フクシマ事故の後で
快感帯の廃止

 日本で起きた原発事故は、停滞なき繁栄を約束するこれまでのあり方から完全な方向転換を促すきっかけとなって当然だ。しかし私たちは、自分たちで認められる以上に、浪費を続ける社会モデルと癒着してしまっている。

 日本で起きた原発最悪事故は、今までで最高の世界に生きているという確信も、当面のところ汚染してしまった。自然条件やその有限性からも解放された、止むことなき進歩発展の世界に住んでいるという思い込みである。ほとんど天然資源を持たない国が世界で三番目の経済大国でいられるということが、長い間疑問も持たれずに当然のことと受け止められてきた。しかし災害が起きた瞬間に、そんなことは短期的な視野でしか可能ではないということが明らかになってしまった。人間が生き延びる根本は常に、人間と環境との関係でしかないという当前の事実からは、核エネルギーですら解放してはくれないのだ。

 現代の夢とは、自然の権威から完全に解放されることだった。プラスチックにしろ、核廃棄物にしろ、地震に強いインフラストラクチャーにしろ、ありとあらゆる人工的なものが日本では今、巨大なフォールアウトの状態に陥ってしまった。そして文明がこぞって隠そうとしてきた負の塊が死を、病を、荒廃を、抑うつをあとに残していく。

難破と見物人

 これからどうなっていくのかは、まだ誰にもわからない。災害に強い日本人がこの危機から再び抜け出していくのか、あるいは、なにもかもが放射能汚染されているため、何百万人という人間が出入りを禁止されるような「特殊区域」に住むことを余儀なくされるのか。そういうシナリオは文学や映画でこれまで幾度となく描かれてきた。日本は島国であるだけに、核の啓示を現実に置き換えやすい。被害に遭わずに済んだその他の国や大陸は、そこで起きることをただ見物していればいいだけだ。放射能が高くなることや、被ばくした招かれざる客がそばにやってきはしないか、案じる必要はない。

 まさに現実のディストピアである。人間はこれで、終わりない繁栄を約束するあり方を信じることをついにやめる転機に至ったのだろうか、あまりに代償が高すぎると認めるようになったのか、もしかしたらこれまでほどは快適でない、他者の犠牲の上に成り立つのではないライフスタイルへ方向転換する覚悟が、これでできるのかと、ここ数日私は幾度となく質問を受けた。残念ながら、そうは思わない。

 そしてその理由は、これが二番目の原発最悪事故だからであり、一度目の事故がなにも変えなかったからである。そして消費地域をどんどん拡大して幸福感を高めようとする経済と社会モデルの吸引作用があまりに強く、誰一人としてその力から逃れることができないからだ。

痛ましい例外というロジック

 核エネルギーの使用は、今の社会モデルがもっている、原則的に飽くことのないエネルギーへの飢餓感が表す症状の一つに過ぎない。もう忘れられてしまった去年のメキシコ湾原油流出事故もその一つだ。途方もない天然資源の過剰利用が引き起こすその他の事故は、数え切れないほどある。そしてエンジニア、技術者、経済専門の政治家、電気会社の幹部たちは、気が遠くなるような想像力のなさで、同じことを言い続けている。痛ましい事故だがこれはほんの例外に過ぎず、ここではこんなことは起こりえない、それにほかに取って代わる方法はない、さもなければ石器時代に戻ってしまう、電気がなければ云々...だ。

 国民の大多数が、もうそんなことには賛成していられないと声を上げ、抗議し、方向転換や変更を訴えるだけでなく、自ら実行に移していかなければ、いつまでも同じことが平気で繰り返されるのは、なぜだろうか。それは、毎朝マイカーで出勤し、週末はスポーツクラブで退屈するか、飛行機の席に窮屈に座り込んではどこかに一飛びして、地球の別の場所で無意味なことをしながら、この浪費と無責任の文化が私たちを先導していくのに、ずっと賛成してきたからだ。

 別の言い方をすれば、こうだ。自分たちが思っている以上に私たちはこの世界に大勢いるグロースマン(ドイツ大手電気会社RWE社長)やタイセン(同じく電気会社Eon社長)、ヴェスターヴェレ(2011年当時のドイツ外務大臣)やメルケルと同意見なのだ、ことに彼らに対して腹を立てているときに限って。すべてのことに関し、いつでも思いのままになるユーザインタフェースがあればいいと思っているのが私たちである。

プラン B はない

 ユーザと化してしまった市民には、日本が必要な部品を今のところ納品できなくなるので新しい iPad が手に入りにくくなるということの方が、何百万人という人間が野垂れ死にすることよりショックなのかもしれないが、それはそう驚くべきことでもない。というのは、この世の中がスムーズにこれからも機能するためには、市民に新しいiPad を欲しがってもらわなければならないからだ。転機が訪れるためには、それをもうやる気がなくなるか、できなくなることが前提となる。しかし、このクラブから脱退すれば、いったいどこに行き着くのだろうか?

 資本主義システムやその繁栄、公平さ、健康や安全といった利得に潜む陰険な側面は、存在のどの部分も「商品」にされてしまうことだ。そしてそれを買う幸運に恵まれた者しか、それらを得ることができない、ということだ。消費というグローバルな幸福感においては、誰もが例外なく平等に扱われる、ということかもしれないが、実はすべてが平等、つまりすべてが「売り物」であるからこそ、それに取って代わる方法がことごとく失われてしまった、ということなのである。日本が今向き合っている真のドラマチックな所見はだから、プランB はないということに尽きる。そしてこれは、それだからこそ日本人が、その他の先進工業国と同じように核エネルギーに固執するに違いないということも意味している。資源がなければないほど、そしてそれに連結して行動の自由裁量の余地が狭まれば狭まるほど、彼らはもっと核エネルギーに固執していくに違いない。

破滅の青写真

 ジャレド・ダイアモンドがその著書「文明崩壊 - 滅亡と存族の命運を分けるもの -」の中で、生き延びていくための条件が変化して危機にさらされると、どの社会もまずある一つのことをする、と書いている。そのあることとは、それまで、中には何百年にもわたり成功してきた戦略を強化する、ということだ。肥沃な土地がわずかになれば、それからますます搾り取るだけ搾り出し、破滅を一気に導いてしまう。石油がわずかになれば、深海を掘削してリスクを高め、エネルギーが足りなくなれば、地震の多い土地に原発を建てるというわけである。

 社会が成功するモデルには、その社会の破滅の青写真がすでに含まれている。目新しいのは、発展上昇と内側からの破裂との間隔がどんどん短くなってきていることだ。西洋資本主義社会の生活形式は、華々しい文明進化を遂げてから自らを破壊していくまでに、三百年とかからない。

 将来生き延びていくためには、教育、医療、安全、平等、法治国家であることなどの点でこれまでに達成した文明レベルを保ちながら、間違った方向にそれてしまった発展 - ことに未来のないエネルギー利用や限度のないモビリティ、いつでもすぐになんでも手に入ることを求める文化 - を極端に減らしていくしかない。

 それには、必要不可欠と信じて疑わない技術の機能不全を節操なく嘆いたり、他者の不幸に対し偽りの同情をしたりする以上のことが必要である。この国では偽善たっぷりの日和見主義的政治決断が日本の大災害によってもたらされることとなったが、それこそ、将来は自分の考えも、責任も、人任せであってはいけないという思いを新たにするきっかけとなるには十分である。原発最悪事故が示しているものは、だから以下のことである。資源には終わりがある、その明らかな事実を無視する社会モデルにも資源と同じで、終わりが来る。快感帯は、今日を以って終わりである。

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Harald Welzer(ハラルド・ヴェルツァー)、ドイツの社会学者、社会精神学者。Futurzwei(第二未来形)基金の創立者および代表者。2012年よりフレンズブルク大学の栄誉教授、ザンクト・ガレン大学、エモリー大学(米国アトランタ州)で教鞭をとる。専門は記憶、集団暴力、文化学としての気候の影響の研究。

快感帯とは
……人体が感ずる温熱感覚は単に気温と湿度だけでなく日射や気流(風)も影響するので,温熱感覚を表すのに不快指数を用いることは環境衛生学上は問題があるといえよう。たとえば温度,湿球温度,風速の三つを座標としてつくった実効温度effective temperatureの図表で,17.2~21.8℃の範囲は快感帯comfort zoneと呼ばれ,多くの人が快いと感ずる温熱領域であるが,これと不快指数が一致するのは無風の場合にかぎられる。しかし,室内での体感の表示には便利な指数で,気象分野ではよく用いられる。……(コトバンクより)

1 件のコメント:

  1. こんにちは。
    いつも大事な記事訳有難う御座います。
    上と違うコメントですいませんが宜しくお願いします。
    下のアドレスは竹野内真理さんフリーランスのジャーナリストが 日本政府に汚染地帯から子供と妊婦を避難させる署名求めてます。
    よかったらして下さい。
    http://www.change.org/p/to-government-of-japan-and-citizens-of-the-world-please-evacuate-fukushima-kids-and-pregnant-women?lang=ja&utm_content=buffer11073


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