2012年2月5日日曜日

無限(夢幻)遠点を始めるにあたって

無限遠(限りなく遠いところ)にある点、平行なものを遠近法で描いていくとその線が交わり、消えていく消失点が無限遠点である。

絵巻物、浮世絵などに多く見られる日本の絵画手法には、奥行き、明暗など遠近法がなかった。この遠近法、あるいは透視図、パースのもととなる言葉はラテン語のperspicere、物事を透視するという意味の動詞から来ている。三次元の対象を二次元の紙上に空間的・立体的に見せる方法だが、遠近法には必ずその視線の根源となる表現者の眼がある。自分の眼から見て近いものを大きく、遠くにあるものを遠くなればなるほど小さく描いていって、点になって消えるまで描く。ドイツ語で(英語でもそうだが)パースペクティブを持つ、という表現は、将来の見通しがあるとか、展望がある、というような意味で使われる。つまり自分にとって大切なもの、向かっていく方向性が定まり、それに向けて歩みだしていける状態、という意味である。

でも、日本の視点はまったく違うようだ。典型的なのは春画で、性器が尺度を超えた大きさで描かれるが、対象を写実的に表すことなど画家の意図にはなく、自分の関心の対象、感情の対象を大きく、細密に描くことで、自分にとって見える普遍ではない、ある意味ではデフォルメされた主観の世界を表現しているといえる。鑑賞者は、その非論理的かつ極端に個人的な世界の描写を受け止めるとき、その描写が自分の関心や世界の見方が重なる限り、絵が理解できる。そこには対象を見る視点の根源、表現者の眼としての中心点は皆無だ。あるのは、関心の的であるディテールに注ぎ込まれた情熱的な洞察と驚くべき描写だけだ。私には、この視点と描写法の違いが、日本とヨーロッパの根本的なアプローチの違いを濃縮しているように思えてならない。日本の中で日本語を話していると、遠近法をもつ考えも、方向性も、ましてや将来の展望をもつのもきわめて難しいような感じがする。その思いは、2011年3月11日以降強まる一方である。

ヨーロッパの知の追求の根本、ことに言葉で世界を表現しようとする試みに濃縮されているのは、個人個人がまったく異なる存在でありながら、その中に普遍を求めようとすること、と捉えることができると思う。だから、誰もが理解、納得でき、疑いの余地のない共通の「真実」を言い当てよう、知ろう、と求める希求があり、言葉や写実による矛盾なき論理性を完成させようとしてきたのだ。自分自身の感情や思想を、他者と共有することで、自分のおぼつかない存在感を確かめたいのは人間的な行為として誰でも共感できるはずだ。でも、それは個人を超越した真実の「眼」を想定することで成り立つとも言え、その真実の眼は西洋ではずっと絶対神だった。その神の眼を追究し、そこに至る道へ導く論理を完成させようとするのが西洋のアプローチだった。

真実であり絶対である点に向かう道を切り拓こうとする西洋科学が、根本から切り離されてただその科学的方法だけが取り入れられ、西洋文明を真似始めて百年以上経つ日本では、その遠近法的「科学」は一般の思考や生き方にはまだまだ到達していないと思わざるを得ない。西洋のこうした「強い」論理はこれまでえてして、そうでない価値観、考え方、生き方を劣等扱いし、アジアやアフリカその他の文化を蔑んできたわけだし、私もドイツに住み始めてからさまざまな形で、西洋中心主義的な驕った思想に反感を覚えてきたので、ここで私が言おうとしているのは、日本の「未開化」ぶりや「遅れている」といった批判では決してない。西洋の論理にはそれなりの壁や障害があり、必ずしも彼らの誇る論理が真実を誰の眼にも明らかにし、完璧な世界を導くわけではないことは、言うまでもなく明白である。日本には日本の、西洋には西洋のアプローチがあって、山の頂上はきっとどちらの道を通ってもたどり着くのが難しいのだ。ただ、お互いから学びあうことはたくさんある。健全な好奇心、あふれる情報の中から本当に自分にとって必要なアイディア、知、教えを学び取ろうとする姿勢なしに、ただ受身となり、現実に文句を言い、不平を唱え、未来を悲観して絶望するだけなら、子供と同じだと私は思う。大人になるとは、自分の頭でこれまでの知と経験を駆使して「考え」「言動する」ことではないのかと思わずにいられないからだ。私は、国境を越え、西洋の言葉を学んできた人間として、それでも日本に生まれ育ち、日本語を母国語とする人間として、もしかしたら日本だけにいると見えにくいものが少し見えるようになったのかもしれない。それで、この遠近法の見方についても考えてみるに至ったのだ。

自我の形成が西洋のそれとはまったく異なる日本では、自分を中心とした視線のかわり、自分の置かれた社会が眼となって育ち、その眼の中に映る自分を見るようになるのが自意識の始まりだと思う。ほかの誰とも違う、唯一の個人としての意識を西洋では小さいときから発達させていくのと反対に、家族や仲間、村、学校、会社など社会の大勢が「普遍」であり、中心だから、その中に自分も溶け込んでいるはずであり、はっきりとした、誰とも異なる自我という輪郭をあまり意識せずに育つ。すると、自分の眼を中心として普遍を求めていくという構図はなかなか起こり得ず、その代わり、ある共同体の中にもともと組み込まれて自我を形成し、普遍であるはずの共同体の中に溶け込めない自分が意識され、そこに普遍性のない世界が見え隠れするので、それを表現するほうが主となる。つまり自分が置かれている普遍の中から異を見出し、言い当てていく作業だ。他人とは異なる個人の視点から始まって普遍を追求していこうとする西洋とは、アプローチがまったく逆なのだ。

ドイツ人の間で生活を始めてからもう20年以上が経つが、私自身の中では私の抱える日本とドイツの言語、価値観、生活様式が交じり合いながらも、現実にはドイツと日本は常にいつまでも交わることなく平行線にある、という思いをせずにはいられないできた。それでも自分の中でその接点をさぐろうとしてきたのが私のこの20年以上の努力であったとも言えるだろう。

2011年3月11日を境に私の人生はあらゆる意味で変わったといえるが(そしてそれは私だけではないと思うのだが)、その「平行線」に対する気持ちはもっと切迫したものとなって、平行どころか日本が急にぐっと私の居場所からさらに遠ざけられてしまったような感覚を、危機感として味わわずにはいられなくなった。自分が生まれ育ち、愛する家族の住む故郷に対して抱く感情は、肉体的な、心の底にある深いへその緒的なものであることが実感された。自分自身が引き裂かれてしまうような心の痛みだった。20数年のドイツでのドイツ語を通しての生活で私の中で育った眼や思考回路が今の故郷の状況を糾弾し、非難しながらかつ分析し、解明しようとすると同時に、いまだに日本を故郷とする心がどうにかその弱さ甘さを庇い、その破滅と地獄図を救いたいと願う気持ちで分裂している。本当は、ため息ばかりで、絶望に押しつぶされそう敗北感をかろうじて頭から追いやろうとしているのが実情だ。

1億2千万以上いる日本人のたった一人であるに過ぎない私が日本や日本人を理解しているとはとても思っていないが、知ったかぶりに日本人のメンタリティや社会を分析解釈したり、ヨーロッパ中心的な視点から日本人の原発災害後の対応について見下すような意見を耳にするたび、心が痛むのと同じように、日本で、これだけの被害が出ながら、いまだにその実態を過小評価し、被害者を孤立させるだけでなく被害の蔓延を傍観し、なりふりかまわず既存の経済構造を押し通そうとする権力者たちの厚顔無恥なあり様が明らかになればなるほど、どうにかこの政・官・法・学・報の癒着した利権システムを壊す道はないのか、どうしたら草の根で声を上げている市民たちを支援していくことができるのか、と悩まずにはいられない。

どうにかこの「展望の見えぬ」状況の中で、視野を変え、あまりに絶望に打ちひしがれることなく希望を繋いでいける道はないのか、どういう方法が私に残っているのか、それをずっと考えてきた。まだ方法は見つかっていない。

だからこそ、無限の闇の中に希望を見出すために、できる限りの分析、思考、情報、想像を駆使して道を探っていきたい。私がドイツの中で見知る、これはと思う記事や論説、または、すでに道を歩みだしてすばらしい仕事をしている人たちを紹介しながら、私の洞察を進めていきたい。それが、このブログを始める動機である。同じようなことをしている人がほかにもすでにたくさんいるのは承知である。私が紹介していきたいものは、単に「原発問題」でも「日本社会批判」でもない。日本に限らず世界の各地で資本主義の利益追求の成れの果て、環境破壊、福祉社会の崩壊、貧富の隔たり、政治の腐敗と行き詰まりが絶望的な局面を迎えてきた現在、無力感に襲われたまま、これではいけないと思いながらも、なにもできないで手をこまねいている人が多い中、自分のできるところで、別の世界観、別の未来観を提唱し、実行している人たちもまたたくさんいる。そういう人たちの文章などを紹介しながら、私はどう考えるのか、どう行動するのか、を図っていきたいと思う。

つまり私は、私にとってのドイツと日本の「無限遠点」を見つけたい、ということなのだと思う。消失点はドイツ語でFluchtpunktというが、Fluchtというのは消失であると同時に「逃避」でもある。私がやろうとしているのは、なにかをしないではいられない私の心の「逃避」でもあるのかもしれないという自己批判は持っている。無限は、夢幻とも聞こえる。遠近法の消失点と同じで、夢、幻に過ぎないのかもしれない。それでも、私の中では日本もドイツも一緒に生きている。私の中で接点を見つけずには、生きていかれない。それも、表面的な「日独交流」とか日本とドイツの共通点、というようなものを求めているのではない。ただ、その無限の彼方に私にとっての二つの文化が交わる場所を求めて歩んでいくしかないのだ、と思う。そのための私なりの試行錯誤をしていきたいと思ったのが、このブログを始める動機である。

ブログ作成に当たり、技術的なことはすべて、姉、梶川彩におんぶに抱っこであり、彼女の尽力なしには成たたない。ここで姉に改めてお礼を言わせていただく。このブログが遠くてなかなか会いにいけない家族の共通の場となること、そして試行錯誤を通じてなんらかの方向性を自分たちが探っていくことができればいいと思っている。

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