本主義の終焉を裏付ける話は耐えないが、それにかわる主義どころか、方向すら見出されていないのが現在である。その方向性を探って、ツァイト紙では去年の暮れ、いろいろな記事やインタビューが載った。その中で、私が評価するものを訳していきたい。ロイの語る、「私たちに必要なのは、新しい想像力です、進歩という言葉の意味の新しい定義、自由、平等、文明、地上での幸福、それらの新しい定義を見つけなければならない」という言葉は、本当に実感がある。 (ゆう)
資本主義の終焉は近い。そのことをインドの作家アルンダティ・ロイ(Arundhati Roy、女性)は確信している。金持ちは貧しい者たちから今後さらに隔絶していくだろう、武器の力を使って。
ツァイト:インドの観察者たちは、今の世の危機を遠くからどのように見ているんでしょうか?
アルンダティ・ロイ:もちろん状況はかなりきな臭い気がします。ヨーロッパの貧しい人たちは怒りをあらわにし始めましたが、彼らの政府の処置はもう効き目がありません。危機は飛び火のようにこちらの国からあちらの国へと移っていっているように見えます。私には、ヨーロッパの権力者たちが、そして権力者といった場合、はっきりマスメディアも含めて、危機にしっかりと立ち向かっていくのを怖れすぎているように見えます。彼らはいまだに、救援計画や警察出動などで問題を解決できると信じているのです。でも、これで得られるのはせいぜい、一時的な息継ぎの休みだけです。
ツァイト:ヨーロッパ人の啓蒙された社会意識はこうして魅力を失っていくのでしょうか?
ロイ:この魅力はこれまでも決して信頼できるものではありませんでした。ヨーロッパがかつてその自由や平等といった理想を発達させていった間にも、ヨーロッパはほかの国を植民地にし、大量殺戮を行い、奴隷制を実行していきました、それも信じられない規模で、です。民族を全て虐殺したりしたのです。ベルギー人はコンゴで1千万人の人間を殺戮しました。ドイツ人は西アフリカでヘレロ人を絶滅させました。
ツァイト:でもそれが現在の不安を持ったヨーロッパとどんな関係があるのでしょう?
ロイ:急かさないで聞いてください。ジェノサイドは産業革命のための原料調達に役立ちました。そして産業革命が西側の資本主義の基盤となり、これにより物を過剰に生産するようになって、その上に現代の民主主義の理想の基盤は生まれたのです。この資本主義はでも、今日の危機を生み出しました、この危機は経済的なものでもあり、同時に生態学的なものでもあります。
ツァイト:ヨーロッパは、今資本主義をやめれば、すぐに立ち直れるものでしょうか? もっと簡単な方法はないでしょうか?
ロイ:そういうものがあればどんなにいいでしょう。でも、私たちの海にはじきにもう、魚が泳がなくなります。世界中のどこでも今、地下水面が下がっています。熱帯雨林が、食料牛を飼うためにどんどん破壊されていきます。これはどれもこれも、西ヨーロッパ式自由と平等の理想がどんなに近視的かつ視野の狭いものの見方であったかを示しているのです。これは常に、ほかのものを犠牲することによって成り立ってきたのです。
ツァイト:ではインド人や中国人は今日、自然をもっと大切にしているでしょうか?
ロイ:いいえ。そうはとても言うことができません。インドの文化も同じように専制主義的なところがあります、カースト制をご覧ください。それに、私はヨーロッパの理想の価値を否定するつもりはないのです。ただ、実際におけるその実現の方法が、資本主義の利益を蓄積していく条件の下で、ヨーロッパと私たち全てに、今現在私たちが立っているこの状況をもたらしたのです。この状況は、破滅からもうあまり遠くありません。
ツァイト:でも、今までヨーロッパ的モデルというのはありました。たとえば戦争をもう絶対にすまいと誓い合う国同士の連盟としてのEUがそうです。このモデルは現在、ヨーロッパを越えて魅力があるものでしょうか?
ロイ:このモデルはもともと、2つの世界大戦とホロコーストの上に出来上がりました。でも今では、EUは物質的価値によって共存しているように見えます、みんな揃って一緒にいい人生を送ろう、といったような誓いによって。でもこの誓いに今、影が差してしましました。それは何より、緊張と分裂があまりに確かだからです。インドも、たくさんの民族の集まりです。もしかしたら、ヨーロッパよりずっと多種多様であるかもしれません。でも、カシミアや北東の端のほうではことに、私たちを一国として繋ぎとめているのは、インド軍なのです。現在のように世界が動いている情勢では、国境や連合の境といったところでものを考えるのがとても難しくなっています。
ツァイト:ヨーロッパとインドは大体、統治するには大きすぎるのではないでしょうか?
ロイ:権力者たちの思考は今日、ヨーロッパ的でもインド的でもなく、グローバルです。私たちの政府はどれも、もうかなり前から銀行と多国籍企業によって管理されています。時々、世界の国々のエリートたちは宇宙のどこかで国を一つつくりあげたのではないかという気がするほどです。その彼方から彼らは下界の、使用人たちの場所を見下ろしているみたいに思えます。反抗する者がいれば軍隊、警察や監視スタッフを送り込む。そして彼らの兵士や警察官たちは一緒になって秘密情報を分け合って、使用人たちをもっと管理しようとします。それでも使用人たちの不安はどんどん高まっていきます。地平線のあちこちで反乱がおきます。私がついこの間まで長く滞在していたアメリカでは、街路でのことばがすっかり変わっています。こんなことは今までには想像もできないことでした。
ツァイト:では、西洋の新しい抗議運動の傾向に期待なさっているのですか?
ロイ:これまで、社会主義を信奉するなどエイズより怖い、と洗脳されてきたアメリカの学生が、急に「階級闘争」などという言葉を使ってデモするようになるなど、誰が考えたでしょう?
ツァイト:ヨーロッパと米国の危機は、世界の貧しい人たちに新しいチャンスをもたらすでしょうか?
ロイ:この危機は貧しい人たちの危機というだけでなく、裕福な者たちの危機でもあります。今までと同じように続けることはもう、できないのです。古い方法ではもう機能しないのです。アメリカではたった400人の人間がアメリカ国民全体の半分と同じだけの富を所有しています。インドでは、100人の人間がインドの国民総生産の25%の富を所有しています。大きく変化しなくても、このシステムは破壊するに決まっているのです。
ツァイト:では、全員が貧しくなるのでしょうか? それとも、富がもっと平等に分配されるのでしょうか?
ロイ:おそらく、完全にこのシステムが破壊するか、さもなければ、あらゆる形態の抵抗からも身を守れるよう、裕福な者が見張られながら生活するような、軍隊管理ゾーンが出現することになるでしょう。平和そうなものから戦闘的、テロリスト的管理、さまざまだと思います。インドではすでに、戦闘が行われています。問われているのは、これらの問題の多くをまず提起している想像力自体が、いつの日か、解決に貢献できるか、ということだと思います。でも私はあまりそう思えないのです。
ツァイト:それでは、危機管理ではなくて、革命を信じているのですか?
ロイ:私たちに必要なのは、新しい想像力です、進歩という言葉の意味の新しい定義、自由、平等、文明、地上での幸福、それらの新しい定義を見つけなければなりません。無限の個人主義の時代は終わりが来たのです。ただ、私はモラルの更新を訴えているのでも、人間の「善良な部分」に訴えているのでもありません。私はただこう言うだけなのです:事態が今みたいになっている以上、なにかが起きるに違いない、と。ヨーロッパは、単なるその始まりなのです。
質問者:Georg Blume
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