──フクシマと私たちの確信の終焉
ヘルムット・ケーニヒ
「フクシマ原発事故」から1年を記念して、ドイツでもいろいろ特別番組や記事が作られている。日本の悲惨な状況、東電・政府の情報隠蔽/過小評価、原子力ムラの実態なども報告されている中、この記事は、単に「フクシマ」や原子力時代の終焉を語るだけでなく、私が最近テーマにしている、フクシマ1周年を迎えた私たちが現在抱えている問題、状況を分析したものとして、かなり的をついており、ことに「自由」の概念に関しては示唆されることが多かったので、それを訳した。
2012年3月1日付けツァイト紙
過去20年の間に、4つの根本的な政治的確信と信念のシステムが壊れた。そしてその4つの内、一番最後の「難破」はちょうど1年前に起きた。福島の原子炉事故である。日本では技術をめぐる夢物語が終わりを告げた。技術と産業の発達で自然が支配できるといったイメージは壊れたのである。政治と経済がどれだけ動揺しているように見えても、次のことだけは変わらずに存在し続けるかのように見えたものである:つまり、技術的合理性ととどまることをしらぬ技術進歩に対する信仰だ。
たくさんの問題が、技術の発展の中で初めて生まれてきたにもかかわらず、「傷をもたらした刀がその傷も癒す」といった神話的原則を信じ、技術によらぬ解決案は初めから「幻想的」と相手にされてこなかった。ことに核技術に関しては、その槍の穂先がほかに例を見ぬほどの日和見主義的性格で、その意味や存在の必然性を疑ういかなる懐疑的視線からも何の咎めも受けずに来た。しかし、福島の事故があって以来、(人間に火を与えたことでゼウスの怒りを買った)プロメテウス的な厚かましさを備えた彼らの中にもようやくわかりかけてきたようである。つまり「この傷は、それをもたらした刀によってはもう癒すことはできない」ということだ。
2つ目の「難破」は2001年の9月11日に起こった。ツイン・タワーと共に、冷戦後10年近く支配してきた自由主義的政治のビジョンが消えた。歴史の終焉はしかし見られず、人権、多文化性、少数民族保護、男女平等、といった文句は、誰もが認める標語とはならず、それらをめぐって世界がもっとリラックスして動き出す、という風にはならなかった。21世紀はその代わりに20世紀が終わりに至ったちょうどその時の情勢、血なまぐさい戦い、戦争、途方もなく気の狂ったような非合理主義を続けることで始まった。
3つ目の「難破」を蒙ったのは新自由主義的ユートピアだ。2008年に起きた世界金融危機がこれを反故にした。この新自由主義の終焉と共に、無限の富というはかない夢も去った。この夢では、一般化された利益、ボロンテ・ジェネラル(一般意思)あるいは公益といった意識が復活すれば、市場と社会の、その利益をもたらす「善行」が阻止されるだけだと信じられていた。2008年の9月には、国家のさしのべた手だけが金融市場を救うことができた。それ以来国家というのはどこも巨大な借金に圧迫され、どうやっていつこの危機が終わるのか、誰にも分からないのが実情である。
しかし、まだ4つ目の「難破」がある。これはその日付がかなり昔に遡るからといって決して忘れてはいけないものである。それは、リアル社会主義のひっそりとした没落と政治および社会批判のマルクス主義的方法の消滅である。これと伴って起こった世界政治的テクトニクスの地すべりは、誰の目にも明らかだ。しかし反対に、マルクス主義的信念のシステムの挫折はいったいどういうものであったのかは、いまだに総括されていない。この国(ドイツ)の左翼の間で、過去との総括が充分に行われてこなかった、というのはまったく言うまでもない。これは周辺問題ではなくて、これにより左翼的政治・社会批評に対する言語や概念がないという事実を一層強めることになったといえる。左翼党(Die Linke、東西統一前の東ドイツの独裁政党だったドイツ社会主義統一党SEDの後継政党であるPDSと、社会民主党SPDの最左派が離党独立して結成したWASGという政党が連合して2005年に結成した政党)が壁の構築や東ドイツあるいは反ユダヤ主義などに関して表明するたびに示す、信じられないほどの愚かさがそれを充分に証明している。そしてそれも、根拠ある左翼的資本主義批判がほとんど出来上がったと思われる時点において、それである。
とどのつまりは、こうだ:個人主義と国家で保証してくれる際限なき自由という自由主義的理想は今日では、机上でつくられた全体主義的繁栄といった社会主義理想と同じように古くなった。自制力のある市場とか、際限なくなんでも思うままにできるという技術信奉の理想も、同じことである。
我々がしなければならないのは、これらの「難破」をただ認識することだけではなく、理解することだ。その背後に潜むエゴイストで、自分の利益を最大限に増やすことしか考えていないホモ・エコノミクスのモデルは、今こそ徹底的な批判にさらされ、その魔力をとかれなければならない。なぜなら、このモデルはギリシャ的意味でとても「馬鹿げて」いるからだ。つまり、労働と生産という範囲でもたらされる行動様式の論理を、無関係であるはずの公共の政治的行動の世界にもたらそうとするからである。単なる空論ではなく人々が真剣に話し合っているときに、「エコノミカルな人間」のモデルをもってくることは不適である。
この批判から、今日、科学、公共、政治の場で支配的な、自由の概念について話し合う必然性が生まれる。この、非政治的で個人主義的自由という理解は、イギリスの国家理念を説いた哲学者トーマス・ホッブスが17世紀に世界に広めた概念である。彼は肉体的身体が阻止されず「自由に」重力で落下する様子を人間の自由に当てはめた。それ以来、石の重さのように、自由とは人間のもって生まれた特性であると理解され、人間とは、決して他者から阻止されることなく、誰に遠慮することなく、自分の希望と利益を追求するものであると考えられてきた。この自由の理解においては、人間が利益と権利をもつ存在として、政治的範囲の外側でしか、本当は自由になれない、ということになっている。政治とはもともと「必然性」の範囲に属するからである。同じく国家の課題は、個人をほかの個人から守ることでしかない。それで秩序を守るための政治の権力は、悪ではあるが人類の維持のためには必要だという偏見があるのである。
イギリスの思想史学者クエンティン・スキナーは、かつてまったく異なった自由の概念があった、と言っている。ルネッサンスの頃、市民の自由とは個人の所有や肉体的な行動の自由としては理解されていなくて、そうではなくて共同体の政治的解釈の要素と質として存在していたのだと彼は言う。そしてその共同体とは、市民の心に、共同の利害問題に関し力をつくす準備があるからこそ成り立っているものであると。その中に、その中だけに、自由という概念がある、というのである。自由とは、共同体の状態に関してつけられる栄誉そのものなのだ。
自由を政治的に理解すると、なにが変わるのか、と尋ねる人があるかもしれない。政治的に自由の概念を追求していくと、まずは態度、思想と知覚方 法、批判力 に対する基準が問題にされ、それ以上はまず問題にされない。しかし、それでは何にもならない。思考方法を少しずつでも革命していくことで、私たち は世界に 対する理解とそのパターンを変えていき、それで世界と政治的なものを知覚し、評価で きるようになる。一番重要な格言はこうであるべきだろう:常に別の可能 性を考慮に入れること、常にほかにもやり方があるはずだと考えること、だ。ほかにどんなオルタナティブも不可能だというところでは、政治的な自由 の範囲で はなく、必然性の範囲に自分たちが存在することになる。政治的自由とは、社会がマシーンではなく、私たちは世界をほかの人間たちと分け合っている のだ、多 様性という事実を無視することは絶対にできないのだ、という意識をもって初めて、生まれるものである。
格言ではなくてもっと例をもって考えを深めていきたいと思っている人には、今、あちこちで広まっている中国ブームに対する反論を探してみることを薦める。例1だ。夢のような成長率、厳格な文明・秩序政策、計画的な国民全体の繁栄、世界で最大の外貨保有高(3.2兆ドルである!)。社会に富を保証する善意の専制主義に、何の異議を唱える必要があるだろうか? 反論はたった1つだけである:自由には独自の価値があり、自由と政治は常にどこであろうと互いに、絶対必要不可欠なものとして対である、ということである。しかし、政治の価値を国民経済の成長率で量ろうとすれば、後からでは帳消しにすることのできないパラドックスにはまってしまうことになる。専制政治はホモ・エコノミクスの自由と国の繁栄のための最善の条件だという考えに行き着いてしまうからである。
2つ目の例はこうである。どうやったら我々は市民も政治家も、楽をし、他者を幼児扱いし自分も幼児化していくこの傾向を、どうやったら止めることができるだろうか? どうやったら政治的行動に、市民のための娯楽、精神安定剤を与えるといった行動以外のものを見ることが可能だろうか? どの候補者も赤いバラを配り、政党中央部が進んで広告代理店の宣伝アイディアに従う、選挙運動の茶番にどんな薬がつけられるだろうか?
ドイツの再統一を自由の精神から見て新し創立なのだと理解する大きなチャンスは、東ドイツの没落後、みすみす棒に振られてしまった、それも今日まで影響を及ぼす結果を伴って、だ。例えばこれは、この精神を体現しているヨアヒム・ガウック氏が2010年6月に行われた大統領選挙で、政党戦略的計算から(しかもCDUとFDPの側からだけでなく、左翼党も加わって)推されなかった、ということにも現れた。
そしてついには、これが3つ目の例だが、「テロに対する戦争」である。これは絶対的安全を約束することから生まれている。9.11の襲撃が現代の世界に与えた「侵害される可能性がある」というトラウマに対し、「テロに対する戦争」は軍隊の勢力を誇示し、兵器の威力を見せつけながら対応した。しかしなにがなんでも安全がいいと思うことは、常に全体主義になだれ込む危険を抱えている。安全を最重要課題に掲げる政治は、我々は誰もが血と肉でできた生物であり、ごく簡単な方法で死に追いやることができるものだという基本的な経験を忘れてしまう。人々を不安に追いやろうとするテロの意図と、原則的にはどんな法律によってでも制限を与えたくない「テロに対する戦争」は実は、そう思いたくなくても、互いに通じ合うものがある。この2つの間では政治的自由という観念が窮地に立つ。政治の意義はしかし、不確実性と偶然性を利用することにあるのでも、完全な安全を確立することにあるのでもない。政治の意義は、「自由」の中にあるのだ。
著者はRWTHアーヘン技術大学の教授で、社会学、哲学、政治などに関するテーマが中心の雑誌「Leviathan」の共同発行者。
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