この記事は、単に「原発」の危険というだけでなく、別の側面を扱っている意味で、興味深い。核をめぐる人間の「浅はかさ」ぶりはここでもはっきり見える。どうしてこんなことを平気でいつまでもしているのか? (ゆう)
本文はこちら:http://szmstat.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/37073/1/1
核のゴミをめぐる記号学
どうやって子孫たちに伝えるか?
核廃棄物はほぼ永久的に放射能を出し続ける。したがって、研究者たちは1万年後にも危険性を理解してもらえる警告表示を考え出さなければいけない。フクシマの原発事故から1年が経った今、この問題の重要性は高くなる一方である。
(Alexandra Lau とRoland Schulz執筆 )
なんの予告もなしに電話が鳴る。まるでスリラー物のようだ:政府の代表者から電話がかかり、大切な話がしたいと言ってきた。80年代の初め、ロナルド・レーガンが大統領になったばかりの頃のことだ。インディアナ州の記号学専門の教授で、記号・シンボルの研究で有名なThomas Sebeokのところに、政府がどうしても彼の話を聞きたいと言ってきたのだ。電話の向こうの女性は、「それはゴミの件なのです」と言う。放射能のゴミ、と。Sebeok 教授はすぐに「放射能廃棄物のことなど、何もわからない」と答えた。「でも教授は記号の専門家でしょう」と電話の相手の女性が言う。Sebeokは「はい」と答える。「それなら政府のところにぜひおいでください」と女性は言った。どうやったら核廃棄物のゴミを警告することができるか、どうしても彼の話が聞きたい、と。何世代もあとになってもわかるような記号、百年も、千年も、いや、1万年経ってもはっきりそれとわかるような記号を考え出さなければいけない、と。 フクシマの原発事故とドイツの脱原発決定から一年経った今、この問題が再び専門家たちを悩ませている。半減期が人間の想像力をはるかに超える、恐ろしい規模の核エネルギーの「遺産」をどう扱っていけばいいのか? この問題が単なる技術的な問題だけでなく、哲学的問題でもあることを、記号論学者Thomas Sebeok はフクシマ事故の起こるずっと前から主張してきた。 Sebeok教授がサン・フランシスコで召集された政府の委員会の第1回の話し合いに出向いた時、彼を迎えたのは12人からなる専門家グループだった。中には行動学者、社会学者、法律家などがいた。ロナルド・レーガンのもとで働く職員たちは、アメリカの原発から出てくる核廃棄物の量が増える一方なのを憂慮して、研究会を動員したというわけだった。核のゴミはどこにやればいいのか? そしてそれをどこかにもっていけたとして、その危険をどうやって警告すればいいか?
放射能は目に見えない、耳にも聞こえないし、触って感じることもできない。放射能が存在し続ける時間と同じくらい「想像を絶する」ものだ。原子炉で主に生成されるプルトニウム239などは、放射性核種の数が半分に減るまで24000年以上かかる。 プルトニウム242は半減期が37万5000年、ヨウ素129は1600万年である。この3種が核廃棄物に含まれている。この3種はどれも、生命を、生態を傷める。
Sebeokと専門家グループの課題は、遠い将来にも核のゴミの場所とその危険を知らせる警告システムをつくり上げることだった。教授は躊躇した。何年か後に彼は、テレビドキュメンタリー「永遠までのカウントダウン」で自分の疑念を告白している。「私が『どれだけ先の将来のことを考えなければいけないのか』聞くと、ワシントンからの返事はこうだった。『1万年』と。」
1万年とは時間の単位は、将来よりも過去で考える方がわかりやすい。キリストの誕生まで遡ること2千年。ストーンヘンジが4800 年。ギーザのピラミッドが5千年。人類最初の文化と言われるメソポタミア文明を発達させたシュメール人が6千年。新石器時代が1万年。当時、人類が定住を始めたと言われている。これでやっとプルトニウム239の半減期に達する。
Thomas Sebeok はそれから2つ目の質問をした。「警告システムにはどの言語を用いることになっているのか」と。政府は「そこが問題なのだ」と答えた。文字を使うならば英語のほかにフランス語、ロシア語、アラビア語、スペイン語、その他、現在使用されているあらゆる言語を使わないわけにはいかな、というわけだ。「しかしそれこそ的外れと言うもの」とSebeok は後述している。「今私たちがネバダと呼んでいる場所に5千年後生活する人間が、どの言葉を話すかなど、誰にも分かるわけがない」と彼は言う。「地質学者たちは砂漠の多いネバダ州を80年代にすでに核廃棄物の最終処分場として選択していたのです」。 言語の半減期は放射能のゴミに比べ、短い。「ニーベルンゲンの歌」の原文は普通では読めないが、これはたったの800年前の言葉である。人類が記録に残した最古の文字は、書かれてから5000年にもならないし、ごくわずかな専門家にしか判読できない。8千年の間に、言語の語彙は完全に入れ替わるものだ、と学者たちは推測する。 Sebeok教授はこの試みを馬鹿げている、と思う一方で、同時に興味を覚え、援助を約束した。1万年以上生き延びなければならない「解決策」を探すのに、9ヶ月の猶予が与えられた。 教授は自分の大学に戻り、自分が抱えていた義務をまずすべてキャンセルしてから、歴史を掘り返した。人類の最古の警戒標識とはどんなだったか? Sebeok教授は、敵をひるませるため、石に文字を刻ませたペルシャ王ダレイオスの例にぶつかった。彼は、攻め寄せてくるどの敵にもその「警告」がわかるよう、3つの方言で「呪いの言葉」を述べている。しかし、雨風にさらされ、文字はじきに見えなくなってしまった。そして残った警告も大した効果をもたらすことはできなかった、おそらく侵入者には読めない言葉だったからだろうとSebeok 氏は推測する。
過去の歴史に例を探している間、ほかの専門家メンバーが想像力をたくましくさせながら沈黙していることに教授は気づいた。彼らは最終処分場に文字をつけた核のストーンヘンジ石碑を建てる計画を練っていたのである。この案は後に、建築を警戒標識そのものとしてつくるという派が生まれることになる。将来考古学者が解読しやすいように7つの言語で書かれた標識に囲われた、何メートルもの高い、石製の棘や刃が交差した標識建築。それとも警告は図で書いた方がわかりいいのではないか? 最終処分場の入り口をこじあけて入った人間が、床で身をよじる図が考案された。 これらの案が、いわゆる「核の記号学」の研究分野の始まりとなった。核のゴミをコミュニケーションの問題として扱う学問の中でもごくわずかな分野である。ドイツではベルリンの教授 Roland Posner が同僚であるSebeok 教授の問題と取り組むことになった。「記号学の雑誌」で彼は、1990年にある本の中ですでに公表している核最終処分場の警告システムについていくつか案を紹介している。どれも、サイエンスフィクションを読むようだ。たとえばある専門家は、宇宙に人口の月(衛星)を放ち、そこに地球の歴史がどのような軌跡をたどろうとも地球から離れた場所に核廃棄物のデータバンクを作ることを提案している。これなどは、長い間効力のある「メッセージ」の媒介を見出そうという基本的な問題に対するかなり極端な解決案といえるだろう。ポーランドの哲学者 スタニスワフは、「放射能廃棄物のそばにしか育たない「核の花」を栽培するのがいい」と言っている。自ら繁殖する「メッセージ」として。この生物学的解決策が行き着くところまでいったと思わせるのは、「放射能猫」を飼育するという案である。この案によれば、この猫は放射能を浴びると毛皮の色を変えるというものだ。しかし、どうやってその「核の花」は1万年後、「花束に摘まれ」ることなく「警告のサイン」だと理解すべきであることを確保しようというのだろう? Sebeokを含む専門家チームは、80年代にすでにこの問題にぶち当たっていた。このチームの仕事は、いわば「旅」のようなものだ:核のゴミとその100万年以上の保管。これは長い間、技術問題だとされ、公式を使って討論され、科学者たちがこれほどの規模の時間の枠を完全に把握しようとしてきた。しかし今では、人文学者たちも、この人類の想像力の限界に挑戦している。Thomas Sebeokのようにこの「旅」から帰還した者は、「核のゴミが技術的な問題だけではない」ことを知っている。核のゴミとは、哲学の問題でもあるのだ。 Sebeok は記号学の推理が確証されたと思っている。つまり、コンテクスト(前後関係、脈絡、背景)を離れて理解を可能とする言語や図などない、ということである。記号の意味はその記号自体に含まれているのではなく、コンテクストにしかない、ということだ。Sebeoksはそこで過激な結論を引き出した:1万年後、核廃棄物の危険を警告する記号を見つけるのが不可能だというなら、それだけの時間枠を生き延びることができるだけの文化的コンテクストを作り上げることが唯一の解決策であると。その見本をSebeok はカソリック教会に見出した。2000 年以来聖職者たちはキリストのメッセージを伝え続けている。 9ヶ月の研究を経た専門家チームの最終報告でSebeokは、物理学者や放射線障害専門の医者などを一種の宗教的な団体に集め、核のゴミをめぐる知識を「神秘」のように後世に伝えていく、ということを提案している。Sebeok はこれを「atomic priesthood」、つまり核の僧門と名づけている。 後になって彼はこれを「間違いだった」と述べている。当時の専門家チームのメンバーですらこれを読んで彼を嘲け笑った。「僧門だなんて、なんてくだらない表現だ」と。この言葉を聞いただけで、学者たちはそれを自分たちの知性に対する侮辱だと思ったのだ。彼らはこの有名な記号学者であるSebeokを、あの「核教会」の野郎、と呼んで笑い者にした。このようにしてSebeokは自ら、核の記号学がそれから先味わうことになる経験を早々と味わったのだった。核の記号学のことなど、誰も真に受けようとしなかった。核の花? 放射能の猫? どれも馬鹿げて見えた。
しかし、100万年やそれ以上核のゴミを貯蔵しようという考え自体が本当は馬鹿げているのではないのか? 核廃棄物の危険を長い年月にわたって警告できるシンボルを見つけようとする試み自体が、原発の危険のシンボルそのものとなってしまった。 このテーマはずっと何年も衝撃性を失ったままだった。原発はますます「制御可能」と思われ、それと共に放射性廃棄物も同じように扱われてきた。それが、フクシマで変わってしまった。スイスが1万年以上持ちこたえる警告記号として、最新の奇妙な案を提供している。これから建設することになる最終処分場を、1万個以上の陶器の破片を髑髏のシンボルに並べ上げ、それを警告記号とすることを、ある研究が推奨している。 核の時代はこうして、研究が始められて30年経った今もまだ同じ袋小路に入ったままだ。私たちはずっと廃棄物の山を増やしていく一方で、後世の人類たちにその危険を警告する言葉すら、見つけることができないでいるのだ。
建物のように高い花崗岩の森 –これも核廃棄物の最終処分場を示す警告シンボルの提案の1つだ。問題は、このメッセージが遠い将来にも理解してもらえるか、ということだ。
誰にでも理解できるように警告するということがどれだ難しいか、この新しい警告板が示している。できるだけ強烈に危険を表示しなければならないが、科学者たちはここで3つ記号が組み合わされているために、余計に混乱を呼ぶ、と批判している。
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