2013年3月12日火曜日

「国旗に一礼しない村長」で考える


「国旗に一礼しない村長」で考える


去年(2011年)の3・11直後からノダやエダノらが、記者会見などで壇上に昇るとまず、飾ってあるヒノマルに姿勢を正して一礼するのを、テレビでたくさん見せられた。その行為を見慣れることができないで、毎回不愉快になった(毎度年寄りらしく声までだした)。単なる布キレや、写真に礼をしなければタダではすまなかった時代を経験した者にとっては、あの行為は悪夢のように感じられる。戦争に負けて、ああいう意味がないことを強制されない時がきたことを、子ども心にもすっきりうれしかった。

それがいつのまにか、同じことをしているのを見るようになったではないか。自分も子どもも学校に行かなくなっているし、役所にも所属していないから、まだあの姿勢を強制されてはいない。二度と強制されたくないあの動作を、大臣や首長というのは、当然のようにできるようになるのか。しかしそのうち、「オイ、コラ!」と街中のヒノマルにお辞儀しないことを咎められるようなときが来るのではないか、と予感されてならない。祭日にヒノマルを各家ごとに出さないと町内会から叱られる時代がきたらどうしよう。

今年の(2012年)9月21日の『朝日新聞』(性懲りもなくまだとってる!)朝刊のオピニオンという欄に、長野県上伊那郡中川村村長・曽我逸郎さんのインタビュー記事が「国旗に一礼しない村長」のタイトルで掲載されているのを見つけ、うれしくなって切り抜いておいた。村議会で「国旗についての認識は?」との一般質問を受けた、ということだから、かねて、村長が議場でお決まりの「ヒノマルに礼」をしないでいることを問題視した議員がいたということだと思える。答弁の一部が掲載されているので、長めの引用となるが、お許しを。
私は、日本を誇りにできる国、自慢できる国にしたいと熱望しています。日本人だけではなく、世界中の人々から尊敬され、愛される国になってほしい。しかし現状はまったくほど遠いと言わざるを得ません。
一部の人たちが、国旗や国歌に対する一定の態度を声高に要求し、人々をそれに従わせる空気を作り出そうとしています。声高に主張され、人々に従わせようとする空気に従うことこそが、日本の国の足を引っ張り、誇れる国から遠ざける元凶だと思います。人々を従わせようとする空気に抵抗することによって、日本という国はどうあるべきか、ひとりひとりが考えを表明し、自由に議論しあえる空気が生まれ、それによって日本はよい方向に動き出すことができるようになります。
誰もが考えを自由に表明しあい、あるべき日本、目指すべき日本を皆で模索しあうことによって、誇りにできる日本、世界から敬愛されて、信頼される日本が築かれる。
日本を誇りにできる国、世界から敬愛される国にするために、頭ごなしに押しつけ型にはめようとする風潮があるうちは、国旗への一礼はなるべく控えるようにと考えております。
また、インタビューで答えている中に、
「私が国旗に礼をしない理由を端的に言えば『こういう場では礼をしなさい』『それが大人だ』という雰囲気がいや、ということです。目に見えないプレッシャーは危険な気がします。『まあいいや、これぐらい』と従うことがいやな空気をつくり、長い目で見たら怖い結果につながりかねない。……」
 「憲法前文で『全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する』とし、『国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成すること』を誓ったわけじゃないですか。それをなおざりにし、周辺国の脅威をあおり、軍事力を増強し、さらには沖縄県民が基地問題で迷惑をこうむっても我慢してもらおうという姿勢です。『そうは言っても……』と、現実を前に妥協してしまっている。問題点と理想の間をどう埋めるかという努力をしていないのです。」
村のホームページに掲載した主張に対しての批判について、
「……提起した問題そのものについてより、むしろ『公私を分けろ』『立場をわきまえろ』といったものが多いんです。匿名が目立ちますね。国旗の件については『敬意は和を生み出す尊いもの』と書いてきた方がいました。それは、1937年に当時の文部省がつくった『国体の本義』にある『和』の考えに似ている。それぞれが身分や立場をわきまえ、分を忠実に守ることによって、美しい和が生まれると書いてあります。」
「広告会社で働いていたころ、しきりに『和』を口にする上司がいました。批判されるとか、部下からいろんな意見が出てくるのがいやな人でした。ダイナミックな変化が怖い人ほど『和』と言うんです。」
彼はもと「電通」社員であった経歴の持ち主で、「学生時代に、原発施設での被曝労働者の話を小耳にはさんでいたことがあります。そんなものの宣伝をするわけにはいかないと思ったんです。だれにも越えられない一線があるじゃないですか。それをしてしまったら、自分を許せなくなってしまう気がしたんです」と、電力会社の担当になるのを断ったいきさつが紹介されている。その後すぐ辞めたわけではなさそうだが、やがて電通を退社したらしい。どういう経過があって中川村の村長さんになったのかはわからないが(長崎県出身)、活動家でも、政党人でもないようなのだ。

主張をみると、日本国が誇るべきものになってほしいとの願いがあるみたいで、いわば「愛国者」の一人といえよう。私は広い意味に取っても、「愛国」「国を誇りに思う」という考えは嫌いだ。でも今、そのことは少し置いといて、彼が言う、「ひとりひとりが自由に考えて」をたいせつにしたい、だから、押しつけて従わせるのはダメだ、と主張していることに賛意を呈したいと思い、ご紹介したくなった。

よその首長は公の場で高い所に登ってハタがあると、当たり前のように礼をするのが圧倒的多数だろう。内心、「国を象徴するハタだから、それを尊び、忠誠を誓います」なんて考えてはいないだろう。ハレの場所に立てる自分を誇りに思い、いい気分の真っ最中ってところではないか。そういう慣例を破って、曽我さんははっきり「礼をしない」と行動で示し、村のホームページにも意思表示している。その姿勢は、あっぱれな村長さんで、やはりうれしい。

フクシマの事故以降、大小の首長の態度に不審を抱かざるをえないと感じることがちょくちょくある。率先して原発を誘致した張本人なのだから、当然の行動かもしれないが、放射能値がまだ危険範囲なのに、村民、町民に帰村・帰宅をしきりに促すのは何故か。子どもの健康診断の結果を保護者に全開示しないのは何故か。そもそも放射能値の数字のごまかしがどうして行えるのか。これこそ「大罪」ではないのか。国からの指導・命令ももちろんあるだろうが、地元の人を守らないで何のための首長なのか。たぶん、もし村民が戻らなかったら、村がなくなり、自分の晴れの舞台がなくなり、折角のいい椅子に座れなくなってしまうことには我慢ならないからではないかと疑っている。情報に拠れば、フクシマ辺の首長は東電の関係者、親類をもっている者が多いという。事故を小さく小さく見せようとの魂胆の底の暗闇は小さい卑しい根性の巣なのかもしれない。

卑しいといえば、なにかのオープニングなどで、ズラリと並んだお歴々が銘々鋏を渡されて一斉にテープをカットするシーンがテレビによく登場する。公のハコモノ落成式などでは必ずその地の首長が真ん中に立つ。私は「式」と名のつくものは全部お断りだから、一人でやればいいというのでは元よりないが、制服のような黒服を着た男どもが何人も並んで数センチずつ紅白のリボンをカットするなんて恥ずかしい、屈辱的だ、と思わない神経には呆れる。あまりにも破廉恥で幼稚な行動ではないかと、見ている側の方が恥ずかしい。こういうヤツラはハタにお辞儀するのも誇らしいわけだ。

私が好きなような人が政治家になることは殆ど考えられない。でも歴史を播けば、こういう人の村で生きたい、と思える人物は案外いるみたいだ。昔の小学校の終身の教科書に「稲むらの火」という、津波来襲を村民に報せるために、高台に住む村長さんが、刈ったばかりの稲に火をつけて、それを見た村人が火を消すために村長さんの家を目がけて登ってきて、皆助かった話が載っていた(この話は事実とは違うという説もあるが)。

最近読んだ帚木蓬生さんの『水神』では、自分の生命を賭けて筑後川に堰を作り、水不足の苦労から農民を救う庄屋さんたちの経緯を知った。費用は庄屋全員で分担、もし失敗したらアレに架けるぞとの脅しの磔台が庄屋の人数分、現場に揚げられている怖ろしい話だった。労役にでた農民は磔台を庄屋さんが見守ってくれている姿と思おうとして、辛苦に耐えたということだ(成功して胸撫で下ろしたが)。

首長ではなく県議であったが、あの田中正造さんもいる。足尾の人々と自然をまもるために闘いとおし、それでも銅山の公害を止められず、県議を辞して天皇に直訴状を書いた。その行為はあの時代文字通り生命がけのことだ。

そんなに遡らないでもモト福島県知事だって、フクイチの危険に途中で気がついただけでもよかったし、三春町長さんはフクイチ爆発のあと、独自の判断でヨーソ剤を配布したと聞いている。地域のためにがんばります、と言って当選しても、してしまえば自分の栄誉のために地域を使うようになる人が圧倒的に多い。

ハタに当然のように礼をするのが首長の栄誉と義務になっている中、「私はやらない」ときっぱり言う中川村村長曽我さんは、やはりすごいと思う。他の「長」からは聞いたことがない。

もうじき選挙で、噂ではいちばんなってほしくない人が国の首長になるそうだ。この雑誌が形になるときにはもう結果がでている筈。憲法を変え、軍隊を組織しなおし、教科書を自分の好みのものにすると公言している。ハタやウタがもっと蔓延るかと思うと、早く死にたい。イヤダイヤダ。
(凉)
『運動〈経験〉』36号(2012.12)より

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