『闘う区長』
保坂展人 著 集英社新書刊 700円+税
保坂さんは教育のなかで起こる不条理問題を提起し、裁判で闘い、著作もだしてきた後、1996年から3期11年間、衆議院議員として国会にいた人だ。社民党の衰退に伴って議席を失ってしまった。私たちの国会行動の窓口になってくれていたので、お世話になった人なのだ。その後もずっと国会での活動を目指しつづけてきたという。それが、2011年の3・11の大地震のあと、遮断された交通網をくぐっての東北支援に奔走し、帰京したすぐそのあと、世田谷区の区長選にと請われ、いきなり選挙戦に突入、ということになった。それまでの国選でオカネは使い果たしていたし、準備期間もなかったが、区民の中からの熱烈な応援をえて、4月24日に思いがけず当選してしまったという。
世田谷は人口88万人で小さい県に相当するくらいの区。前の区長は28年間もその席にいた。議会で彼の支持派は50人中10人でしかなかった。長年にわたって敷かれたレールをすべて否定しては何事も進まない、と判っていた新区長は95%は従来どおり、あとの5%は私の考えで、と宣言してスタートしていった。国会議員時代に養われた政治の勘、経験、人脈などが、有効に発揮され、5000人に及ぶ区の職員と無駄な摩擦を起こさず、お互いに知恵を出し合える道を作っていけたようなのだ。若手のグループからの新企画が軌道に乗ったり、双方向発信の「区長のメール」欄をホームページに設けたり、学校給食の食材の放射線量を測定できるようにしたり、と次々に5%が動きはじめる。
国会ではたくさんの質問が出されても、各閣僚がそれぞれの分野で答えるが、区では区長一人ですべてに回答を出していかねばならない。その責を軽減するために副区長をつくる。外部の専門家などでなく、区職員のなかから建築・土木分野から、福祉分野からと2名を選んだ。よけいな波風を立てずに、より効果的な仕組みにしてゆく。曖昧な妥協ではなく、決断すべきときには時間をかけずにさっさとする。行動が柔軟で、決断力もあるように思える。
区長立候補時の最大の公約は「脱原発」で、そのためにも知恵を砕いてあれこれと進めている。東電の値上げ通告に抗議だけでなく、ブログを使って抵抗したり、PPS(新電力)の導入を図ったり、照明器具を変えたり、小さなことでも工夫実行する。世田谷区にたくさんあるものは、「屋根」だそうで、太陽光発電の普及を画策している。PPSの電気が需要の増加で不足がちだが、被災地相馬市などで自然エネルギー基地を作って東京へ、というような案があると知って、「産地直送エネルギー」構想も模索している。
彼は「日常のひと時は、住民は首長に命を預けているつもりなどないだろう。けれど、あの3・11の状況を考えればよく分かる。いざなにかが起きた場合、首長の判断が、人々の命や安全に大きな影響を及ぼすことになる。」と言っている。欲に目が眩んでない首長を選んだ世田谷区民に敬意を表したい。そして羨ましく思う。
(凉)
反「改憲」運動通信 第8期18号(2013年2月20日発行、通巻186号)
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