『マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか
──権力に縛られたメディアのシステムを俯瞰する[補訂版]』
日隅一雄 著/現代人文社刊/1800円+税
本書は2008年に刊行され版を重ねていたが、2011年に起きた原発事故に関する報道のひどさに著者が直面して、加筆補訂して、この1月に新たに出されたもの。
3・11以後の報道の「自己規制」のような姿勢に関しては、報道側も多くの批判・指摘を受けて、「反省」「言い訳」のような記事を組むようになったが、あまりにも眼に余るマスコミの弱腰的姿勢の奥には深い闇が存在するのではとの思いから、遅蒔きながら勉強のつもりで読んでみた。
政府・企業によってがんじがらめの日本のマスメディア状況◎さらなる強化が懸念される表現の自由への制約◎放送・通信の内容規制が行われる通信・放送の融合法制◎システムの改善への展望◎民主党政権の誕生による期待と失望◎東電フクシマ第一原発事故後の報道に対する失望を希望に変えるために、というコンテンツで、これまでのマスコミ関連で起こった事象を検証しつつ、この国の仕組みを解析している。敗戦を迎えた後、それまで国民を苦しめてきた「禁止」「統制」が米国の施政方針や日本国の意思で、緩和・廃止された。民主主義が「言論の自由」「教育の中立」などを伴ってやってきたと喜んだのも束の間、またいつの間にかじわじわと「規制」の縄が締まり、世界でも珍しい不自由な国になりつつある。
「日本とは違い、欧米をはじめとする先進諸国は、いずれも、政府が直接、放送行政を司ることの危険性を重視し、政府、もしくは議会が選任する『独立行政委員会』が放送行政を担当するシステムが設けられている。」とあって、ここがもっとも重要なポイントであることが強調されている。日本では新聞社と放送局が密接な結びつきをして、しかも、放送の電波は限られた分量なので、政府が許認可権をもっている。そのため新聞社も政府のご機嫌を伺わなければならない、という仕組みになっている。予算で縛られているNHKでは「慰安婦国際裁判」の番組改変のように、明らかな政府の干渉が行われた。せっかく持っていた独立行政委員会「電波管理委員会」を、1950年からたった2年間で手放しているのだ。
民主党は政権交代の折にこの件に関して、放送行政の中立を謳った。しかし知ってのとおりの党内混乱で雲散霧消。原発事故の報道隠しで、以前よりさらに病状は悪化していることがわかってしまったのだ。事実を精確に報道するのでもなく、権力の側を批判するのでもなく、「国民を混乱させないように」カドを削って穏やかな記事にする、という、国民をコドモ扱いにする姿勢をとり続けている。
この外、巨大化した「広告会社」からの圧力、「記者クラブ」の弊害など、他国が距離を置くための措置をしている問題でも、日本国はむしろ逆行した方向にむかっている実情をまず認識し、統制を跳ね返していかなければと痛感させられた。
(凉)
反「改憲」運動通信 第7期20号(2012年3月21日発行、通巻164号)
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